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鴨川つばめ

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よみかもがわつばめ

誕生年1957

性別

福岡県大牟田市出身。
1975年「週刊少年ジャンプ」において赤塚賞受賞作品『ドラゴン危機一髪』でデビュー。
その後数本の読み切り作品を執筆後、「少年チャンピオン」に移籍し、『プルプルぷろぺら』を連載開始。

1977年、ギャグ漫画『マカロニほうれん荘』を週刊で、『ドラネコロック』を月刊で連載を開始。
一躍人気漫画家となる。
この時期の日本ギャグ漫画界の頂点を極めたといっても良いほどの活躍を見せる。

だが、『マカロニほうれん荘』が人気を博すのと引き換えに、人気作ゆえに続きを描き続けていく事のプレッシャーに心身とも疲れ果て、何度も連載終了を編集サイドに依頼。
しかし聞き入れてもらえず追い詰められた結果、わざと作品をサインペンで雑に描き入稿するなど、漫画作成を放棄するかの如き非常手段に出た為、編集部も連載終了を渋々認める。

1979年同作の連載を終了するとともに業界からその名が消えたと思われがちだが、そのあとも『ミス愛子』、『マカロニ2』を連載。
しかし長続きせず。「週刊少年キング」に移籍後も『プロスパイ』、『AAO』などを連載するなど数々のチャンスがあったが、『マカロニほうれん荘』ほどのパワーはもはや無かった。
本人が読者を意識せずに自分の内なる世界にのめりこんでいってしまったように見受けられ、作品についてこのような評論は多い。
作中ではつげ義春の影響が見られる。

鴨川自身はマスコミ嫌いだと言われているが、大泉実成が太田出版の「Quick Japan」誌において連載した『消えたマンガ家』シリーズ(単行本にまとめられ1996年太田出版より刊行)にてロングインタビューに応じている。同誌vol.8でも、『消えたマンガ家』の番外編として、小山田圭吾との対談が収録されている。

  *参考:『消えたマンガ家―ダウナー系の巻』(大泉実成、2000年 新潮OH!文庫)

本人曰く、「ギャグ漫画家の才能は、神様が一生の中で、たった1本だけくれた鰹節のようなもの」との事。

現在、目立った活動は見られず。

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鴨川つばめの漫画一覧

マカロニほうれん荘

総合点:6.16点 / レビュー数:6人

完結 / 連載開始:1977年~ (週刊少年チャンピオン)

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