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6.33点(レビュー数:6人)

作者渡辺多恵子

巻数45巻 (完結)

連載誌月刊flowers:1997年~ / 小学館

更新時刻 2009-11-25 06:40:12

あらすじ 時は幕末。文久3年(西暦1863年)の京都。富永セイは、兄と父を「幕府を倒し天皇政治を起こそうとする長州勤皇派」に殺されてしまう。仇を討とうと考えたセイは、長州勤皇派に対立して兄が入隊したかった、壬生浪士組の入隊試験を受けた。そのために、名前を神谷清三郎とかえ、性別も男と偽った。なんとか入隊を許され、副長助勤の沖田総司の下に付くことができた清三郎。ところが、まわりはケダモノのような浪士だらけ。頼りにしていた沖田総司も自分が考えていた人物とはちがっていて幻滅してしまう。沖田総司だけではなく壬生浪士組自体、あてにならないと思い、夜にこっそり抜けだそうとした清三郎はそこで…!?

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この漫画のレビュー

5点 臼井健士さん

同タイトルの野球漫画ではなく「新撰組漫画」のほうですね。

男装した少女が新撰組の一員となって沖田総司と恋仲に・・・・なんていかにも女の子が妄想しそうな展開で、ちょうど大河ドラマも「新撰組」をやっていた関係で相乗効果で一時は話題にもなっていた。
ただ、「壬生の狼」が迫力のないコミカルな集団に成り下がっている感は否めないな。

それに史実で「新撰組」はいずれ時代の動乱の中に徳川幕府と共に滅びていくものだと判っているだけに、どんなに和やかな展開になろうと、沖田との恋が進もうと「嵐の前の静けさ」に過ぎないのだ。
ラストが悲劇的なものと判っているだけに作中で「知らないことになっている」新撰組の面々が憐れでならない。新撰組も維新直前の数年は裏切りと「厳しい掟」による内部粛清の繰り返しだったという。元々、武士ではなく農民崩れの集団が「より武士らしくあろう」とした結果の悲劇だったのだろう。
その悲劇をコメディタッチの作者が描けるとは思えないのだが・・・・。
沖田もいずれは病死・・・・。新撰組も瓦解する。それを知らぬセイは「自分の存在の基盤」を失っても生き抜くことの出来る強さを持っているだろうか?
(完結したので追記)
何と足掛け23年にも渡る「少女漫画版・新撰組顛末記」が完結した最終の45巻。

私はこの漫画を連載開始時から知っているのですが、始まったとき
「男装した女の子が沖田総司と恋仲に」なんていかにも少女漫画的な発想で、こりゃ適当に十数巻で終了だなと思ってました。
事実として、同じことを考えた方は多かったのじゃないかな。
この作品、当初は「沖田とセイの恋」が主題で、「新撰組」自体はメインではなかったはず。
が、連載が進むに連れてこの基本が変わってしまう。
メインのはずの沖田とセイの恋よりも「新撰組自体の栄枯盛衰」がいつの間にかメインとして話が進むようになり、当初の沖田とセイの少女漫画的なやり取りは端へと追いやられることになってしまった。
所謂「主客転倒」が起きた珍しい事例である。

背景には前述の連載開始時に一部の読者が抱いた「少女漫画家に新撰組の栄枯盛衰の悲哀」を描けるわけが無いというある意味「挑発にも似た渡辺先生への侮り」に対し、先生が「本気でそれを覆してやろうとした」ことだと思う。
何とこの45巻の巻末でご本人が述べているように「1,000を軽く超える文献に実際に当たって読み込み」、「下手な歴史家以上の知識をインプット」することが出来た模様だ!
これは一少女漫画家として「驚異的なレベル」と言ってよく、何せ本人がこの45巻の冒頭のカバーコメントで「自分で自分を(よくやった!と)褒めてやりたい」と手放しで言っているほど。

つまり片手間などではなく本気で取り組み、完全に「少女漫画レベルを軽く超越する題材の研究をした」ところまで到達してしまったようだ。
その結果、当初は十数巻でお茶を濁すことも出来たはずの作品を全45巻・23年の年月を掛けて描き、一応(最後の沖田の死亡後がやや駆け足でダイジェスト的にはなったものの)新撰組の栄枯盛衰を描き切ることが出来たのだ!

但し、問題として前述の「主客転倒」が起きた為、当初から「沖田とセイの少女漫画的なラブロマンス」として作品を見ていた多くの女性読者が期待していた方向とは作品として全く異なる着地をしてしまったのだ。

以下「何でこうなった?」の疑問点が挙がっている。
1.沖田との間に子供が生まれず、何で土方との間に子供が出来るの?
→沖田はそもそも重病で子作りは出来ない。結婚した時点で沖田もセイも子供を望むことは無理だとお互いに理解していたはず。よって、沖田の子供をセイが産むことは出来ない。その時点で沖田死後のセイが後を追うことは予想できる。それを回避するのが「代理父」ということでの土方になるわけだが、もう新撰組の面々も多数が戦死しており、主要な生存者は土方しかいなかったので消去法になった面は否めない。子供作ってやるから生きろ!で強姦するのは現代的な価値観で見ると不自然だが、江戸時代の価値観は現代とは違うはずで、女性蔑視が感じられたとしても時代からすればむしろ普通という面はあるはずだ。沖田の死後、1年以上経過してからの妊娠の発覚であるので、沖田との子供でないことは間違いない。

2.散々、男になろうとしていたセイが結局は「女」に戻ってしまうのでは意味が無い。
→これについては「時代が明治と言う新しい世の中に変わった」ことが答えだと考える。江戸時代は「男尊女卑」で女性の地位が低かった。だが、江戸時代が終わり明治の代になって、これからは「女性であっても身を立てていける時代」となった。だから、新しい時代に生きるセイはもう「男に拘る必要性もなくなった」ということだろう。

3.何で土方が父親なのにセイの産んだ男の子が沖田に似ているの。
→これはもう、死んだ沖田の執念か、嫌がらせ(土方に対する)としか・・・(笑)。自分の最愛の女性と子作りさせてあげたのだから「土方さんはそれで十分でしょ。だから子供は私に似るようにしますね(笑)。」ということとしか考えられん。沖田の魂が生まれた男の子に乗り移ったのだろう。

こうしてセイは明治の世を無理矢理生き抜かされることになるが、私はセイはその後も明治・大正と行き続け、最終的には「昭和天皇の即位」を目撃して昭和の初期に孫を抱くまで生存できたと見る。
それはつまり「新撰組最後の一人(生き残り)になった」という意味であり、土方がセイに与えた「罰」にもなるということだろう。
即ち「新撰組最後の一人となって、世の移り変わりを見届けよ。」という、ある意味「最も重い罰」を最後の最後に土方はセイに与えたとも解釈できる。
なので、作品として「少女漫画版・新撰組顛末記」と見るなら「星5つ」で十分だと思う。
但し、前述のように本来の「沖田とセイのラブロマンス」を期待していた多くの読者を省みなくなったので、そちらを期待していた読者の評価が低くなるのもまた当然だと思います。
上手くバランスを取れなかったのか?いや、バランス取ろうとすると結局「どっち付かず」になるのが常。
ある意味「私は少女漫画版・新撰組顛末記を描きたかったのよ」が先生の回答だろう。

この45巻でむしろ不満に感じるとしたら前述の内容ではなく
・「沖田の死後がダイジェスト版のように省略されている感がする」点。
・「巻末に変などうでもいい番外編」が入っている点。
の2つだと思います。
番外編なんて入れるくらいなら、もっと沖田の死後の新撰組を丁寧に描いたほうが良かったでしょう。
或いは番外編を入れるなら「その後のセイの人生」を描き、私が予想したように孫を抱いて「昭和の到来を目撃する」ような話にしたほうが良かったと思います。

とにもかくにも、連載開始時に私が抱いた「新撰組の栄枯盛衰を描けるわけない。」という予想は覆された。
その点だけは全45巻の大長編の完結を以って「間違いない」と保証したい。

セイ視点で見るとこの「風光る」とはどんな物語なのか?
様々な解釈があるだろうが、私は「セイの男運の悪さの遍歴」に尽きると思う。
セイが頼りに思ったり、信頼を寄せたり、恋愛感情を抱いた男は悉くセイを置いて遠くにいってしまう(大抵の場合は死亡する)のだ。これはセイの父親と兄も含めての話である。そしてセイは一人ぼっちになってしまうのだ。
セイ自身も45巻で遂にそんな自らの境遇と運命に耐えられなくなって、自殺を考えるようなところまで追い詰められてしまう。
が、この土壇場、最後の最後で「遂にセイを置いていかず、終生セイに寄り添ってくれる男性」が一人だけセイの傍に残ってくれることになったのだ!それがセイの胎内から生まれ出た一人息子の「誠」だったという皮肉な話。
この「男」だけは、セイの傍から離れず臨終の時までセイを大切にしてくれることになる。
セイにとって「自分の傍に寄り添ってくれる唯一の男性」が、「血を分けた実子の息子」は全くの想定外で、そもそも沖田と子供が作れず沖田と死別してから「子供を産む」など考えもしていなかっただろう。
こうしてセイを付きまとった「男運の悪さ」を最後の最後で振り払い、セイは寄り添ってくれた息子の為だけに自死を思い止まって生き続ける道を選んだのだ。
それを理解して本編のラストシーンのセイの笑顔を見れば、この物語が「紛れも無いハッピーエンド」であると判るはずだ。

真に「人生とはままならず(思い通りにはいかず)、望んだものは追い求めても手に入らず、絶望して自暴自棄となり、死を選ぼうとしたその時、あれほど手に入れたいと思って手に入れられなかったものがアッサリと手に入れることができた。」
人生のままならさを味わいつつ、それでも「幸運は確かにあった」と感じるセイ。
一応、誠は「富永家の跡取り」になるので、セイとしては亡き父・母・兄に対しても「申し訳が立つようになった」ことも忘れてはならない。時代劇の「水戸黄門風」に言うと「亡くなったお父上、お母上、兄上もきっと草場の陰で喜んでいることでしょうな。(BY黄門様)」という状況ね。(あれ?「土方姓」は名乗らせないの?と思うでしょうが、「土方家の跡取りではない」、という点がセイなりの土方への「仕返し」でしょう。これは「強姦されて妊娠させられたことへの仕返し」ではなく、「最後の最後に仲間だと信じていた新撰組から、お前は女だから俺達の仲間じゃない!と放逐されたことへの怒りと恨みつらみ(笑)による仕返し」でしょう。セイとしては「それくらいの仕返し」は当然しないとという話だ。)

最後にラストに不満のある方に言うとしたら
「この作品は、セイが沖田の後を追って死ななかったことのみを以って良しとすればよい。」ということかな。
自殺するセイも戦場で男として討ち死にするセイも見なくて済んだだけで十分でしょう。

ナイスレビュー: 0

[投稿:2010-09-12 20:00:56] [修正:2022-05-06 14:00:34]

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