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7点(レビュー数:2人)

作者戸土野正内郎

巻数15巻 (完結)

連載誌月刊コミックブレイド:2006年~ / マッグガーデン

更新時刻 2009-11-25 06:42:30

あらすじ 文明誕生より一万年…。人類は初めて自らより強力な「種」と対峙していた…。戸土野正内郎が描く凶暴なる青春群像劇。

備考 2008年10月号で第1部が終了。第2部は2010年から開始された。

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この漫画のレビュー

10点 nur_wer_die_sehnsuchtさん

[ネタバレあり]

『イレブンソウル』はいいよなぁ。断然いい。
真の崇高というものが、命を擲つことにある、ということが分かっているんだよな。
「志」というものを体現した乃木こそがあの物語の中核なんだ。
その乃木は罪深い人間であったわけ。その罪こそが乃木を崇高な人間に仕立て上げた。
伊藤は生きたかった人間だった、ということだな。自分が生きる場所を常に求めていた。だから崩壊したんだな。
いおりんもいいよなぁ。本当にいい女だよ。五六八も円ももちろんいい。
自分が死ぬことを決する者は美しいよなぁ。

人間とは何なのか、という問題なんだよな。
だからあの乃木が全ての中心なんだ。
それは即ち、自分以外の何かのために死ぬ、ということなんだよ。
万にはそれがあり、奈々には無かった、ということだ。
だから万の死は他の人間に展開し、「人間」としての尊厳を創造したんだよな。
奈々には無かったから。自分だけしか大事なものがねぇだろ? だから欲しがるだけの怪物になったんだよ。
裏切られたから自分も裏切っていいっていう理屈よな。
万には兄貴がいて、自分と同じ境遇のタケチーがいたわけじゃない。大事な人間がいたんだよ。
自分以外の大事なものを持てば、それが自分をどこまでも支えることになるんだよ。それが「人間」というものなのな

フランソワ・ヴィヨンの『バラード』の冒頭に
「泉の畔に立ちて 喉の渇きに我は死す(Je meurs de soif auprès de la fontaine.)」
と書かれているんだな。
喉が渇けば水が欲しいんだよ。それは動物である人間の生命の発露なの。正しいことなんだ、生くる生命としてはな。
でもヴィヨンは飲まない、と言っているわけ。飲まずに自分は死ぬのだ、と。
何故なのか、ということだよ。飲まない理由があるんだよな。
「人間」というのはそういうものなんだよ。死ぬことを自ら選べるんだ。
現代の生きたいだけの動物にはわからんよな。三島の死だって全然わかってないバカもいるわけじゃない。なんか一生懸命に人気を欲しがってるバカよなぁ(笑)。
ヴィヨンのこの詩の「泉」とはキリスト教のことだよ。自分は神にすがらない、ということだよな。そこまで強烈なものを抱いていたから、ヴィヨンは多くの近代の人間を魅了したんだよな。
欲しがる奴はダメなの。自分が何かの価値観のために死す者こそが「人間」というものなんだよ。

まあ、『マブラブ』も似た設定だけど、どうにもこうにも『イレブンソウル』の方が崇高だよなぁ。
それは人間の強さと弱さというものがちゃんと描かれているからなんだよな。「正しさ」なんてものではないわけ。「強さ」なんだよ。
その「強さ」が数々のカッチョイイ台詞を生んでいることに気付かないといかんぞ。「カッチョイイ」って「強い」ってことなんだからな。

ナイスレビュー: 0

[投稿:2018-08-09 22:21:38] [修正:2018-08-09 22:21:38]

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