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10点(レビュー数:2人)

作者エディ・キャンベル

原作アラン・ムーア

巻数2巻 (完結)

連載誌海外作品:1991年~ / みすず書房

更新時刻 2011-08-25 13:58:22

あらすじ 19世紀末、ロンドンの貧民街ホワイトチャペルで起きた、”切り裂きジャック事件”がモチーフとなった作品。

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フロム・ヘルのレビュー

点数別:
1件~ 2件を表示/全2 件

10点 やじウマさん

疑問なのだが、なぜ誰もエディ・キャンベルのアートのすばらしさについて語らないのか。

 登場人物の顔ははっきりと見えない。目や口や鼻といったパーツは描かれたり描かれなかったり、しかも時々変わっていることもある。
 だから読んでいる人間には登場人物の名前と顔を結びつけることが困難になっている。主役のウィリアムやアバーラインでさえそうだ。娼婦達に至ってはほぼ同じでセリフによってやっと判別がつく。
 終始こんな感じだから登場人物達に感情移入することも相当難しい。こんな絵日本の少年漫画誌に載せたらそっこくたたき出されるはずだ。

 だがそれのなにが問題なのか。登場人物の顔が落書きのようになりころころと変わることは問題ではない。
 読めばわかるだろう、ここで描かれる世界は貧困によって正常な判断を失い日々を暇つぶしの酒と性でつぶし、さらには陰惨な殺人事件でさえ話の種、飯の種にしてしまう人々が住まう、つまりは地獄なのだ。
 そして住まう人々はそこになんの疑問ももたず自分達が地獄に暮らしていることも気づきはしない。それは100年たっても変わらないことも作中では明言される。
 そして唯一その事実に気づき抜け出そうと試みたのは幼い頃より残虐性を兼ね備えた人間であり、とった手法は連続殺人であるという皮肉。
 
 そんな地獄に顔が必要だろうか?だいたい闇の中から観たらどれが誰の顔かなんて見分けがつくわけがないのだ。
 色彩だって必要はない。血の色。流血シーンが多いこの世界では血をよく観るがすべての色はこの血の色で大丈夫だ。服の色も血の色で大丈夫だ、煉瓦の色も血の色で大丈夫だ、木々も血の色で大丈夫だ、海も血の色で大丈夫だ、空の色でさえ血の色で大丈夫だ。ここではトップ10で描かれたような見事な夕焼けなんてものは存在しない。そこには叙情という逃げ場はないのだ。エディ・キャンベルのアートは間違いなくそれを理解したうえで描かれている。素晴らしいとしか言いようがない。そして同時にとてもアブナイことでもある。
 
 例えば下巻で長々と書かれる殺人シーン。
 これを書いたのがデイブギボンズのようなアーティストや新井英樹のような漫画家だったらどうなのか。被害者の顔も取り出される臓物ももっとはっきり書かれるだろうし、なによりもっと感情的になっていたはず。そしてそれへの嫌悪感はもっと大きなものとなっただろう。
 だがしかし、それでは「嫌悪感」だけが付随されただけで終わってしまうはずだ。そこで終わってしまう。
 対してエディ・キャンベルによって描かれる世界でははっきり描かないことによって多重の意味の解釈が可能になってしまう。もちろん嫌悪感をもったまま読むということも可能だ。
 しかし本を2度3度読み、物語が最初から最後まで見事に繋がったそれこそ本文でも言及されたような関係のないと思われた様々な出来事が組み合わさってできた建造物のようなものになっていると気づいたときどうなるだろうか。
 博士が自分の連続殺人を正当化させるための理論が完璧であるかのように、まるで本当に神の意志が関係しているかのように思え始めた時エディ・キャンベルのアートはどういう効果を及ぼすのだろうか。
 「嫌悪感」や「否定」以外の感情を導き出すことも可能なのではないだろうか。自分は幸いにしてそういった感情を覚えていないがそのような感情を憶えてしまう人も少なからずいるのではないだろうか。考えすぎではない。だってムーアは本書で明らかにこの殺人者を肯定しているのだから。

 そういった点も踏まえてもう一度言うがエディ・キャンベルの絵はすばらしい。物語ありきで絵はあくまでオマケという意見は本書に対してとても多いが(ムーアに対しての比重が置かれた後書きからもしかして訳者ですらそう思ってるのではないか、という節はある)そんなことは決してないはずだ。
 今回はアラン・ムーアの物語、コマ割り、時代考証が素晴らしいなんて当たり前のことだから言及しなかった。(あとめんどくせえしな!)

ナイスレビュー: 0

[投稿:2012-08-14 18:16:10] [修正:2012-08-15 12:36:13] [このレビューのURL]

10点 booさん

これは半端ない。
漫画に関しては日本が1番だと思っているけどこういうのをみるとアメリカの懐の深さを感じざるをえないし、認めざるをえない。
この手のサスペンスでは羊達の沈黙を読んだ時以来の鮮烈な読書体験。

読書体験と言ったのは比喩ではない。このフロム・ヘルは漫画ではなく「グラフィック・ノベル」だ。あくまでノベル。
初めて読んだ時あまりの読みにくさに驚いた。ページもコマ割りも左から右に読んでいかなければならないし、日本と見せ方が違いすぎる。
日本はやはり手塚治虫から抜け出せてないのかとかそういうことも思ったのだけど、本質はそこではなくてやはりこれはノベルなんだなということ。
日本のように絵で魅せることはほとんどなくて、あくまで物語を補完することが目的。映画的、もしくは台詞以外の小説の文を絵が担っていると言っても良いだろう。

フロム・ヘルで描かれているのは19世紀末のロンドンとそこに生きた人々だ。
そこに暗躍した”切り裂きジャック”の狂気と幻想だ。

アラン・ムーアは切り裂きジャックの資料と当時のイギリスの風俗を綿密に調べ上げた。だからこそロンドンとその住人は間違いなく生きている。だからこそ事実と創作した部分は矛盾しない。
アラン・ムーアは実際に19世紀末のロンドンに行ったことなどもちろんなく、この切り裂きジャックは彼の創作だ。しかしこれは限りなく本物に近い域にまで昇華されている。

読者は切り裂きジャックの「解体」を追体験することになる。肉を切り、手に血が滴るのを感じる。その匂いまでも。
ここでもアラン・ムーアは猟奇殺人の資料をあさったそうだ。誇張ではなく、本気で吐きそうになるのを我慢した。徹底した調査による想像は比類なきリアリティをもたらす。

天才が全力を尽くせば、これだけの仕事が出来るのだ。
彼は切り裂きジャックの謎を解くことで19世紀末のイギリス、ひいては世界を描こうとした。そのとんでもない試みがほとんど成功しているあたりが彼のこの作品に対する自信の表れなんだろう。

後に残るものなんて何もない。すごいものを見たい人、頭をぶん殴られるような衝撃を感じたい人にだけおすすめしたい。ただし覚悟はすること。
値段が張るので購入を迷う人もいるだろう。それなりの大きさの図書館ならあると思うので探してみるといいかもしれない。
4章までは非常に読みにくいので我慢。後はジェットコースター式に話は進む。けっこうな長さだが止まらない。読み終えたら後ろの作者による補講(これめちゃくちゃ詳しくて長い)と併せてもう一度読むと分からなかった所の理解もある程度進むと思うのでおすすめ。

地獄はあまりに深く、暗い。

ナイスレビュー: 2

[投稿:2011-08-25 15:12:33] [修正:2011-08-28 04:09:23] [このレビューのURL]


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