「景清」さんのページ

7点 幕張

「幕張」の連載が始まった1996年当時、週刊少年ジャンプは混迷の淵にあった。
 ドラゴンボールをはじめとする黄金期の人気作品が次々と連載終了し、部数の低迷に歯止めはかからない。「るろうに剣心」や「封神演義」などの新たな人気作品も出るには出たが、それでも90年代初頭までの黄金時代にはなお遠い。ほどなく発行部数でもライバルの少年マガジンに一時的に抜かれたりもしたが、ともかくそんな混迷期、ジャンプもまた新たなかたちを求めて迷走をしていた。内田有紀の巻頭グラビアを載せたりしたのもこの頃だった。

 しかし、そんな混迷期にこそこれまでにない新たな才能が発掘されちゃったりもするものである。後にもギャグ漫画の歴史に名を残す奇才が誌面をにぎわし始めたのだ。「すごいよ!!マサルさん」のうすた京介が、そして本作「幕張」の木多康昭が。

 上記のように大げさに煽ってみたが、ではこの「幕張」という作品、万人が屈託無く笑えるお勧めギャグ漫画かというとそんな事は断じて無く、非常に人を選ぶ作品である。

・下劣な下ネタに免疫がある。
・90年代中ごろの芸能事情に詳しい。
・悪質なパロディや中傷をギャグのためなら笑って許せる広い度量。
・週刊少年ジャンプ黄金期の愛読者だった。(←最重要!)

 本作を真に楽しみ、グヘヘヘと下卑た笑いを浮かべる為にはこれらの要件を満たした方がより都合が良いのだ。こうも読者層を限定するギャグ漫画、普通に考えると高評価にはならない、はずである。
 おまけにこの「幕張」ときたら、ギャグの過激さが尋常ではない。タレントやジャンプの他作家を作中実名でけなすは、物語上脈絡なくオマージュどころか完全トレースしたような他作品のキャラを押し込むは、まるで青年誌のようなリアルでディフォルメを排した絵柄で、最低にもほどがある下ネタを容赦なくぶっこむは(「奈良づくし」は悪夢だった)、まぁ、本当に、ひどい。
 ストーリー展開も狂っている。高校入学時、「ジャンプにはもうスラムダンクがあるから」という理由でバスケ部への入部を断念した主人公コンビは野球部に入部するが、まじめに部活動に勤しむ事など無く周りの同級生や教師たちと下品で最低な騒動をひとしきり繰り返した後、唐突に世界最強の高校生を決める「世界高校生選手権」に出場する事となり、そこでも変わらず変態的で最低な戦いを繰り広げていく…というストーリーである。最終回は唐突に「この漫画の主人公はガモウヒロシでした」と某新世界の神に喧嘩を売ってそのまま劇終という具合だった。
 部活動を脇目に下品で変態的なギャグを描く、というと同時期にヤングマガジンで人気を博した「行け!稲中卓球部」が思い起こされる。ジャンプ編集部も当初はそういうノリを狙ったのかもしれないが、ふたをあけると全く違っていた。「稲中」の方は絵柄がいかにも漫画っぽく、下品なギャグの中にもどこか思春期の少年少女の葛藤みたいなテーマが描けていたのに対し、「幕張」の方は絵柄はやけにリアルで、にも関わらず真摯な裏テーマとか、そういう滋味は一切無かった。友情も努力も勝利も全ては本作ではむなしかった。

 …以上のようにどうようもなく混沌とした作品だったが、それゆえに本作は当時のジャンプを象徴するメルクマールたりえたのだと今にして思う。過激なギャグを、しかし妙に浮遊感のあるシラけた描線で描いた本作の混沌っぷりは、そのまま冒頭にも書いた当時のジャンプの混迷の表れだったのだ。
 
 原哲夫、宮下あきら、こせきこうじ、北条司、鳥山明、井上雄彦…、かつて木多康昭が深く愛した大作家達が次々と疲弊して一線を退いて行く。次のスタンダードも未だ確立はされない。
 そんな中、ギャグ漫画としての行儀の悪さというある種の治外法権を最大限に発揮する形で「幕張」は当時のジャンプのネガ面での象徴となり、ふがいない同誌の現状に対する嘲笑ともなり、同時に去り行く黄金時代への惜別の弔鐘をかき鳴らしたのだ。本作にやたらとドラゴンボールとスラムダンクのパロディが頻発する事もそれを物語る。こうしてひとしきり毒を吐き散らした後、作者は敬愛する井上雄彦の後を追うように講談社へと移籍を果たし、現在に至っている。

 当時の特殊な状況の生んだ鬼子のような作品には違いないが、「幕張」というほかに類を見ないギャグ漫画の事を忘れることは多分無い。ジャンプの歴史に良くも悪くも刻み付けられた凶悪な爪跡なのだ。

 なお、下ネタ・内輪ネタ・過去作のパロディなどの本作の得意としたギャグのエッセンスの多くは、現在のジャンプ漫画では「銀魂」に受け継がれている気がする。

ナイスレビュー: 2

[投稿:2010-05-25 00:23:57] [修正:2010-06-10 23:30:05]