「景清」さんのページ

 芸人、喜劇役者、そしてギャグ漫画家、世の中には“笑い”を売ることを生業とした特殊な身分の人々が存在するが、いくら売り物が笑いだからといって、売る側がヘラヘラ笑っていられるほど甘い業界ではいずれも無い事もまた事実である。芸人世界の厳しさは広く知られているし、喜劇役者は精神的負担から自殺する者も少なくなかったという。ギャグ漫画家の世界にせよ「マカロニほうれん荘」の鴨川つばめのようにネタを出しつくして“壊れて”しまった漫画家の話なども枚挙に暇が無い。

 「日本の喜劇王」と呼ばれ戦前戦後に活躍した喜劇役者の榎本健一(エノケン)に、そういう“笑いを売る人々”の哀しい宿命を象徴するエピソードがある。舞台や映画では人々を笑わせ続けたエノケンも、私生活では苦難の絶えない日々を送り、自ら笑うことはほとんど無かったという。そんな彼を襲った最大の不幸は愛する息子に結核で先立たれた事だった。この時もエノケンは客の前では悲しいそぶりは見せまいとギャグに励んだが、彼の息子の死を知っている観客は「いいよエノケン…無理はするなよ」とちっとも笑ってくれなかったのだと言う。“笑いを売る人々”の哀しい宿命である。

 前置きは長くなったが、上野顕太郎による『さよならもいわずに』にも、そういう哀しい宿命が全体を通じてむせかえるほど伝わってくる。生半可な作品では無い。描く側も、読む側にとっても。

 「暇人漫画家」と呼ばれ知る人ぞ知る活躍を十数年続けてきたギャグ漫画家の上野顕太郎(ウエケン)は、『帽子男は眠れない』や『ひまあり』、『夜は千の眼を持つ』など一貫してギャグにこだわり続けてきた生粋のギャグ職人であった。爆発的大ヒットとは無縁のため生活も順風満帆ではなかったが、それでも愛する妻と娘に囲まれささやかながらも充実した濃い日々を送ってきた彼のもとに、突然その日はやってくる。元々心身ともに不安を抱えていた奥さんが、ウエケンが仕事部屋を行き来したわずか3時間ばかりの間に、心疾患によって帰らぬ人となったのだ。わずか3時間ばかりの間で…。本作は、最愛の妻と突然の永訣を余儀なくされた一介のギャグ漫画家の哀切きわまる思いと現実が交錯するセルフドキュメント漫画である。

 ウエケンの代表作の一つ『ひまあり』においても、この奥さんは主人公ウエケンにツッコミを入れたり罠にはめたりと名バイプレイヤーとして物語を彩っていた。そういう実績もあってファンにとっては氏の作品世界には欠かせない重要な人物となったわけだが、『ひまあり』の作中の描写や後書きにおいてもどうやら健康状態がすぐれないことは暗に示唆されていた。そんな悪い予感が、最悪の形で表出したのである。
 
 そしてウエケンはギャグ漫画の鬼才であると同時に超一級の漫画読みでもあった。彼の漫画には名作無名作問わず膨大な漫画的記憶が下敷きとなっており、たとえば彼の描いた『ゴルゴ13』と『一休さん』のコラ漫画などその出来の良さからネットで話題になったりもした。そんな膨大な経験値に裏打ちされた多様な演出スキルが、彼のギャグをこれまでは彩ってきたわけでが、本作ではそれらの演出スキルが、全て「妻を喪ったという現実」「それを受け止めきれない哀れな中年男の悲しみ」を一切の容赦なくあぶりだす。視点は上下し、世界は歪み、終いには溶解する。
 
 男は町をさまよい、道行く人々とすれちがいながら、

「何故あなたではなく……」

 と、他の誰でも無く最愛の妻を奪った天の非情を呪う。大袈裟である。傍から見れば「何をそこまで…」と思うほどに大袈裟な演出の数々である。普通の漫画でやれば半ばギャグとして処理されてしまうであろう。実際、ウエケンはこれまでそういう大袈裟演出で様々なギャグを彩ってきたのだから。普通にいけば、ラストで奥さんが棺桶から楳図タッチの表情で復活し「ホホホホホ」と首を激しく回転させながら笑ったりした事だろう。
 しかし、今回ばかりはそうではなかったのだ。これまでギャグとしてしか受け止められなかった演出が、本作では内臓を圧迫するような密度で読者に襲いかかるのだ。


 冒頭紹介した喜劇役者エノケンのエピソードには、更に胸糞悪いおまけがついている。息子の葬式の当日、エノケンの家の周りには多くの野次馬が集まった。いよいよ出棺となった時、ついに悲しみをこらえきれずにエノケンが嗚咽すると、野次馬達は「あのエノケンが泣いてやがらァ」と爆笑したのである。舞台では笑ってくれなかったにも関わらず…。宿命とはいえ、いささか残酷すぎる話ではある。

 不幸中の幸いというべきか、“笑いを売る”という点では共通しているが本人が直接観客の前に姿を現す必要の無いギャグ漫画家であったウエケンは、この残酷な仕打ちからは逃れる事が出来た。そして表現者の宿命であろうか、彼はこの最愛の妻の死という体験を漫画作品として描いてみたいと思うようになり、数年の時間を経て遂に執筆にこぎつけたのである。ギャグと紙一重の悲しみ、表現者の持つ業、それらが圧倒的な筆致で塗り込められたこの物語は、こうして誕生したのだ。こんな作品にも関わらず作者は途中にギャグを挟み、他漫画からのコラージュも怠らない。業である。
 ウエケンはおそらく今後もギャグを描き続ける事だろう。しかし、そこには確実にある種のペーソスもまた刻まれるようにもなるのだろう。

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[投稿:2010-08-30 00:51:54] [修正:2010-08-31 00:06:17]