「景清」さんのページ

※本作の関連作品「暗黒神話」は未読

 今更自分ごときが言うまでも無いが、本作『孔子暗黒伝』の作者である諸星大二郎は日本漫画界唯一無二の鬼才である。初期のホラーやハードSFを扱った短編群から神話や伝承に材をとった伝奇長編、ナンセンスギャグまでものにする幅広い見識と筆力、そして手塚治虫をして「真似できない」といわしめた独特な作風、後進の多くのクリエイター達にも多大な影響を与えた事も広く知られている。同傾向の作品で高い評価を得ている漫画家では諸星大二郎の盟友である星野之宣がいるが、センスの独特さという点では諸星大二郎の方が唯一無二度は高い。

 諸星大二郎の描く様々なジャンルの一つにに、中華世界の神話や古典を扱った一連の「中国もの」の作品群があるが、77年に連載開始された本作『孔子暗黒伝』はそんな中国ものの最初期に属する作品である。そして若き日の巨匠が選んだ題材は三国志でも水滸伝でもなくなんといきなり「孔子」であった。しかも論語という古典の権威にまったく物怖じすることなく、陰陽五行説などの神秘思想や古代中華文明の神、それどころか同時期のインド神話や仏教、東南アジアの精霊信仰、古代日本神話、果ては物理学やら宇宙科学などの現代科学にSFまでを包括した驚くべき一大伝奇作品に仕上げてしまったのだ。しかも話運び自体は荒唐無稽だがそれらの諸要素が見事に関連しあい、「世界の構造の謎に迫る」という哲学的でSF的な恐ろしく壮大なテーマまで持ち上げられる始末。ストーリー展開に関しては複雑怪奇で要約困難なのでここでは詳しく説明しないが、よくもまぁこんな作品が70年代の少年ジャンプに載ったものだと思う。そして論語や孔子というガチガチに権威づけられて面白みがないと一般的には思われがちな古典に対するアプローチとしても大変興味深い作品となっている。


「学びて時にこれを習う またよろこばしかrたずや」

 だいたい我々が学校の古典の授業で習うような孔子の言葉と言うと、上に掲げたようないかにも説教くさい道徳文句が多いため、論語と言うのも面白くない道徳哲学やら人生訓程度に思われがちだが、本作で描かれる孔子は違う。作者は後書きで「白川静の『孔子伝』に触発された」と語っているが、本作の孔子は我々の住む現代社会から遠く離れた、怪力乱神の跋扈する神話世界の住人である。
 神仙や呪術の世界に通じ、理想実現のためならいかなる労苦も厭わず、自らの理想が天に裏切られては嘆き悲しみ慟哭する、非常に人間的で血の通った人物でもある。無論作者の恣意的解釈と言われればそれまでだが、セリフの端々に論語の文句をさりげなく含ませていたりしてぬかりも無い。その引用も顔回が死んだ際の「天われを滅ぼせり」などの有名なものから「海にイカダを浮かべても…」などさりげなくのマニアックな奴まで多岐にわたっており、伝奇世界を描きながらも作者が孔子を古代中華世界に生きた血の通った思想家として浮かび上がらせようとする態度が感じられる。
 もちろんそれだけに留まらず、作者の奔放な想像力はいかんなく発揮されており、「あやしげな祭祀場で蘇ったゾンビに孔子が羽交い絞めにされたところに、ティラノサウルスが乱入」みたいなどういう思考回路ですか的な悪夢のようなシーンも登場、おそらくこんな作品、論語の本場である中国にも無いだろう。古代神話や神秘思想を現代科学と関連付ける語り口にしても、古代から現代と手段は違えど人々の思い描く世界認識の相似性に着目して処理されており、どうしようもない土着的な怪奇を描きつつもそれがいつしか壮大な一大体系に発展していくという、作者ならではの強烈な知的アクロバットを堪能することが出来るのだ。下手な新興宗教のでっち上げた教義とかよりもよほど魅力的な世界観である。
 古典や神話や科学理論など多ジャンルの要素をうまくつなぎ合わせて一つの物語体系とするという作風は、ファンによる二次創作やパロディ作品などが隆盛を誇る現在だからこそ再評価される部分もあるかも知れない。(ある意味本作は「スーパー古代神話大戦」「とある孔子の論語目録」みたいなものであるが、それだけでは表現できない不気味な凄味がある。)
 
 こうして諸星大二郎は後に自らの十八番となる中国ものの鮮烈な第一作をものにしたワケだが、最初期の作品であり作者自身もまだ若かった(当時まだ20代!)ため、『無面目・太公望伝』など後の中国ものの傑作と比べると欠点が目立つのも事実だ。
何というか、読みにくいのである。これは漫画というメディアにおいては無視できない問題だ。


作者「よし、やる、己はやるぞ。暗黒神話を更に上回る壮大なスケール、少年漫画史上類の無い一大大作を描くのだ!孔子や仏陀を登場させよう。日本神話とSFもアリだ。全てを合一させ、少年達の蒙を啓いてやるのだ、おお!マハー・カーラ!」

編集「私ごときは先生の教えについていくのみでございます!ジェイ ハリ・ハラ!」

 多分こんな感じ(?)で若い作者は情熱に燃え盛り、編集も巻き込んでこういう奇跡のような作品がジャンプに掲載されたんだろうが、その情熱が一部上滑りしている感は否定できない。既に述べたように本作は多方面のジャンルにわたる知識が動員されているが、物語の随所に数多く長々とした解説がナレーションや劇中人物のセリフの形で挿入され、それらがどうも物語展開に水を差すのだ。知識の解説とストーリーの自然な展開がまだうまいこと噛み合っていないのである。幸い作者の優れた咀嚼力と想像力によりイヤミったらしいスノッブ趣味には陥っていないが、後の諸星作品と比べるとまだまだ荒削りさはぬぐえない。

 たとえて言えば、奥深い攻略性でやり応えはあるが、難易度が高くチュートリアルも不親切な初心者殺しの一昔前のゲームみたいな作品である。諸星作品をこれから挑戦してみようという方は、まずは多数の短編作品集などで慣らし運転をした上で挑戦してみるのがいいかも知れない。あと、文庫版よりも大判のジャンプスーパーコミックス版の方が細かい字も読みやすいので良いだろう。お気軽に楽しむにはちと辛いが、まさしく漫画史の軸の時代を彩る重要作品である。

ナイスレビュー: 1

[投稿:2010-10-24 20:56:14] [修正:2010-10-26 21:04:01]