「ショーン」さんのページ

私が今まで読んできた漫画でこれほどカリスマ性を持ったキャラクターは存在しない。その名は天草銀、通称アマギンである。圧倒的な存在感、狂気じみた行動力、自分の信念を貫き通す言動、これらすべてがアマギン最大の魅力だ。
話は不良漫画の王道だが、この作品の見どころである友情が非常に熱い。
この漫画を読み友人の大切さを感じた。また人間一人では生きられないという事を自覚した。

少々脱線するが、今の現代社会にも友人が沢山いる方は多いだろう。しかしここ数年の我々の友人というのは広く浅くといった人間関係ではないだろうか?中には、自分と同じ価値観を持った人間に多く出会っている方も多いだろうが、そのほうが稀であろう。現在の私達知人の関係というのは他人の本音を探り合わない、つまり喧嘩という本音を吐き出す場を失っている。
私達の親世代やそのまた祖父母世代は喧嘩をし合いながら、相手の良いところや悪いところの探り合いをしていたのではないだろうか?または口喧嘩ではそういったことを吐き出す場だったように思える。
しかし現代日本は喧嘩をするという行為自体が非常に怖くなっているのではないかと思う。それはいじめの陰湿さが問題であると私は考える。確かにこれだけが問題ではない。だが事実日本人の大半は、自分が他人にどう思われているのかという点について関心、いや恐怖を持っている。「皆に好意をもってもらいたい、嫌いになって欲しくない」という術中にとらわれている。皆に嫌われればいじめの対象になりかねないし、友人もいじめる側にまわってしまう可能性があるためだ。これらの理由で、友人達と本音トークをできない人がうじゃうじゃいるように思える。
私一個人の意見としては、友人は狭く深くの関係が最もよい親友を見つけることにつながると思う。その理由としては、少数の友人と接することでその人の良い部分も悪い部分も多く見つけることが出来る。その結果、意見対立(喧嘩)を行い、友情を深め合うのである。
喧嘩は我々にとって価値観を強要することはできないが、相手の考えを理解することにはつながる。

不良漫画は本音のぶつけ合い、それこそがこのジャンルの魅力であり、読者を感動、共感させる一番の要因であると思う。脱線はしたが、男の友情を学ぶ上でこの手のジャンルは一度は読んで損はしない。

喧嘩というのは不器用な人間にとって、唯一のやさしさなのだろう。

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[投稿:2010-01-26 16:59:46] [修正:2010-08-20 12:37:19]