「やじウマ」さんのページ

10点 RIN

少年マンガのスポーツもので、天才キャラと凡人キャラが出てきて「才能」と「努力」をテーマに話が進んでいく展開をたまに見るが、自分は死ぬほど嫌いだ。

なぜならだいたいのマンガはそういうテーマで重々しく話を始めながら、結局は凡人がそのスポーツを「好き」であることを再確認し、「楽しめばいいんや!」とか訳のわからん開き直り方をして天才を追い抜いて終わるという話に着地するからだ。
今までにそういう展開何度見てきたことか。
いい加減に食傷気味だし、なにより陳腐だ。
ああいう展開は天才対凡人というテーマの表面的な部分だけ救って、本当に深刻な部分に向き合うことに対する「逃げ」だと思う

そしてそういう展開に嫌悪感を抱くのは、この「RIN」を読んでいるためだろう。

「RIN」の3・4巻において描かれる立石譲二対石川凛が自分は本当に好きだ。
凡人である譲二がいままで培ってきたもの(恋人、人望、ファン)全てを捨て、バッティングやひじ打ちという反則をしてまでリンに勝とうとする。
周囲の人々やメディアはそれを見て失望するが、対戦相手のリンだけはその譲二の姿勢に感動を覚える。
あまりに圧倒的な才能を持つために周囲の人間と分かり合えなくなり、かつて両想いだった恋人にも見捨てられたリンが、死にモノ狂いで自分にブツかってくる人間を初めて見つけ友情のようなものを感じ、幸福感を憶える。
その物語の構成がとても美しい。

しかしこの幸福感も長くは続かない。
譲二はやはり凡人であるので、リンに木端微塵に倒される。
試合後に完全に腑抜けになったリンは再びあの幸福感と快感を得るために譲二に会おうとするが、再開を望むリンに譲二は吐き捨てる。

「『哀れ』ってのはお前さんが孤高ってことだ」
「遠くて近寄りがたくてまぶしいってことだ」
「人並みに自分の人生とリングが地続きの譲司に」
「お前さんの傍に身を置く場所なんざ ある訳ねえだろ」
「帰れ」

ナイスレビュー: 0

[投稿:2007-11-10 18:56:59] [修正:2016-09-28 15:46:33]