「やじウマ」さんのページ

「児童向けと考えたらプラス要素にはならない」「年少の読者には難しかった」「メインターゲットの客層からしたらうるさいだけ」と下の方が分析されていることに違和感を憶えたので書かせていただく。

当時小学生だった自分だが、雑誌で読んでいてこのマンガは普通に「アリ」だった。
もちろん話はよくわかってなかったし、この非常に低血圧な絵柄もなんだか気味の悪い絵だなとか思ってたし、正直好きな部類ではなかった。
しかしそれでも「アリ」だった。

このマンガを含めたいわゆる児童誌に連載されていたマンガのレビューでよく「子ども向け作品とは思えないストーリー、テーマ」という言葉を目にするが、それはまるで「子ども向け作品に複雑なストーリーやテーマはいらない。子どもは理解できないんだから必要ない」とでも言っているように感じられ、少し疑問をおぼえる。
なぜなら、(矛盾するような書き方だが)子どもは別にストーリーやテーマなんて気にして読んじゃいないからだ。
脳の発達段階から言って子どもにそこまで考えながら読む能力はない。
彼らが見るのはキャラクターだ。
自分たちがなんとなく親しみをもてるようなデザインや台詞、そして感情(ここは超重要)をもつキャラがいればそれがどんな荒波を行く物語の中にいてもついていけるのだ、たぶん。
善悪とか倫理観とかマトモに出来上がってないので、「これは子どもむけじゃないだろ・・・」なんて考えながら読んでいないし、意外と描かれていることを素直に受け入れてくれる。
だから児童誌で複雑なストーリーやテーマを描いても何の問題もない。
(っていうかそれがダメなら「ドラえもん」はどうなんだ、マジで。)

もちろんこんなマンガが溢れかえった児童誌なんていうのは非常に鬱陶しくて嫌だが、当時のボンボンにはきちんと子どもにわかりやすい愉快なマンガ(へろへろ君やらハダカ侍やウル忍)が中心に連載されていたから平気だった。
「メダロット」はそういうわかりやすく楽しいマンガの合間に読むものとしては不思議なマンガだったが、不快感は抱かなかったしとても印象深い作品だった。
そしてその印象深さは年を取るごとに「あのマンガ、不思議な感じだったけどまた読みたいな」になり、復刻された物を読む時には当時の思い出と照らし合わせながら新しい読み方を発見するということに繋がっていった。

だから当時の読者として言わせてもらえばこういうマンガが児童誌に連載されていたのは十分「アリ」なのだ。

※なんてことを書いた自分だが、高校生くらいになって「化け猫あんずちゃん」がボンボンに連載されたのを読んだときは「えー、これ子どもが読んで面白いのかよ」とか思っていた。

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[投稿:2016-09-26 22:11:32] [修正:2016-09-27 21:39:32]