「nur_wer_die_sehnsucht」さんのページ

[ネタバレあり]

『バキ』の面白さの本質というのは、あの偉大なる範馬勇次郎なんだよ。
「地上最強の雄」というなぁ。

格闘マンガの要諦は、強さを乗り越えることにあるわけ。
どういうことかと言うと、強い者同士が対戦することが格闘物の構造だよな。そして、面白さというのは常に意外性にあるわけだよ。
そうすると、格闘物の命というのは、その展開の意外性にある、ということになるわけ。
つまり、戦いの展開に於いて、一方がその強さを示した場合、もう一方が意外な反応を示すことで成立する、ということだ。
だからある設定を一方に施して、それが常軌を逸した強さを示す、とするよ。そうしたらもう一方はそれ以上の常軌を逸する強さを示す、という展開だよ。
またはそういう強さを難なく受け流すことでも、意外性というのは達成できるわけ。
そこにいろんな理由付けをしてやるのが、作者の技量になるのな。

恐らくそのことに気付いたのは、夜叉猿との格闘だと思うよ。あそこに『バキ』の構造の全てがあるよ。
相手は強大すぎて、全ての技が通用しない。そういう設定に自分を追い込んで、じゃあどうすれば勝つように出来るのか。
その自分を追い込む設定の中で、発想が生まれることに作者自身が気付いたんだよな。
そして話を盛り上げる意外性の本質を掴んだわけ。
勇治郎が後に、いとも簡単に夜叉猿を仕留めて首を持って来るよなぁ。ああいうことが、また一層のエネルギーにもなるんだよ。

つまり、自分が戦わなければならない理由として、大事な者の死が必要だ、ということだ。ここに『バキ』の物語の深さが生まれるわけ。
だから次々と異常な強さを示す登場人物を設定し、それらを戦わせることで、更に強さの設定を思いつく、というな。
そういう追い込みがあの作品の面白い意外性の源泉となっている。

まあしかし、物語の核となる母親の死による勇次郎への復讐というものがあったわけだ。それがあのラストに於いて、ああなっちゃっただろ(笑)?
範馬勇次郎が『バキ』の本質だというのは、全ての意外性は勇次郎によって乗り越えられる、ということなんだよ。
あの存在があるから、際限なく色々な強さを思いつくことが出来たのな。

しかし、その本質が物語の決着を非常に困難にしてしまったんだよ。勇治郎に勝つことが出来ない物語なんだよな。勇次郎が全てに君臨することで成立する物語だったから。
だから、あのような腰砕けのラストにするしかなかった。勇次郎に勝つことなく、圧倒的な強さを示しながら親父の子供への愛情による譲歩、という形で終息したんだな。
「親子喧嘩」という限定的な、そこに情愛の通う形にするしかなかったんだよ。もう終盤ではしきりに「親子喧嘩」ということを強調していたじゃない。
あれは要するに「手加減するぞ」という伏線だったわけだ。
もしもバキが勇次郎に勝ってしまうと、これまでの勇治郎の無敵の強さによって支えられてきた物語が崩壊してしまうんだよ。
あれは範馬勇次郎によって支えられてきた物語なんだよな。

ナイスレビュー: 0

[投稿:2018-08-10 11:51:44] [修正:2019-01-20 15:03:11]