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7.94点(レビュー数:78人)

作者宮崎駿

巻数7巻 (完結)

連載誌アニメージュ:1982年~ / 徳間書店

更新時刻 2012-09-13 16:35:56

あらすじ 極限まで科学技術が発展した人類の引き起こした「火の7日間」と呼ばれる最終戦争により、文明が滅びた後の遠未来世界が舞台となる。人々は発掘される戦争以前のオーバーテクノロジーを利用しつつも、基本的には中世的な生活を送っている。腐海と呼ばれる、巨大な菌類・苔類・シダ類からなる森、そこに棲む蟲(むし)と呼ばれる巨大節足動物群。人々はそれらに脅え、あるいは畏れ敬いながら生きている。

主人公ナウシカは、腐海のほとりにある、辺境の小国「風の谷」の族長の娘である。本作品では腐海や蟲をも愛する心優しいナウシカが様々な人々と出会い、艱難辛苦を重ねて成長し、自らと世界の運命、そして世界の真実の姿に向き合い、受け入れていこうとする姿が描かれていく。
(wikipediaより)

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この漫画のレビュー

9点 景清さん

※ヘビケラの胴体並みに長いです。

「その者、青き衣をまといて金色の野に降り立つべし 失われし大地との絆をむすび、ついに人びとを青き清浄の地に導かん」
 
 アニメ映画史上の最高傑作のひとつとされる国民的作品『風の谷のナウシカ』。本作は宮崎駿本人によるその原作漫画である。アニメ公開より2年早い82年にアニメージュ誌上で連載開始されたが、宮崎駿がアニメ作家としての名声を高め本業が多忙になる中たびたびの休載を挟み、アニメ公開から10年後の94年にようやくの完結をみたが、物語当初は共通していた本作の主要なテーマ「自然と人間の調和」を巡る描写は、劇場版とこの原作版では既にここでも多く語られているように相当に異なった様相を呈するに至った。

 劇場版ではナウシカは人々が長年到来を切望してきた神話的な救世主のように描かれており、物語の結末は冒頭掲げた予言が現実のものとなるという、美しく感動的で、しかし安易な予定調和ともとれるものだった。一方こちらの漫画原作版は、結末において“青き衣の予言”はある程度の整合性を持って表現こそされたが、ナウシカがもたらしたものは、約束された調和の未来ではなく、清浄と汚濁がないまぜとなったような果てしない混沌の未来であった。


 では両者が決定的に道を違えた分岐点はいつだろうかと考えると、おそらくナウシカが神聖皇帝ナムリスとの戦いの際に着用していた「青き衣」を破かれ、下着姿(しかもヘソ出し!)という色々な意味で衝撃的な姿をさらし、直後覚醒した巨神兵の”母親”になった瞬間ではないかと思う。
 時期的には丁度91年の中ごろの事だった。当時掲載誌アニメージュのアニメキャラ人気投票では、映画公開数年を経てもなおナウシカは1位の牙城を堅守し続けていたが、前年放送され大人気を博した庵野秀明監督(劇場版で巨神兵の作画を担当)の『不思議の海のナディア』のヘソ出しヒロイン「ナディア」にその人気が猛追されていたため、読者のパロディイラスト投稿コーナーでは「ナディアには負けられない!」とナウシカが困惑しながらヘソ出し姿に挑むイラストなんてものもあった。だが、ことはそんな単純なファンサービスだけの話ではなかったのである。いや、ファンサービスも無論あっただろうが、監督的に。


 ナウシカの着衣は、その世界において生態系の頂点に君臨するあらぶる自然の象徴でもある巨虫「王蟲」の体液で青く染まっていた。この青き衣こそが予言にも謳われた人と自然を結ぶ救世主、ナウシカのいたわりと友愛の象徴だったのだが、それが引き裂かれた時点で、我々はもう劇場版と同じような結末は望むべくもないことに気づくべきだったのかも知れぬ。その年の暮れ、かつて宮崎駿が大いに関心を寄せていたマルクス主義の正統を自認した巨大国家、ソビエト連邦は崩壊した。
 ナウシカは覚醒した旧文明の遺した生体兵器である巨神兵に対して母のように振る舞い、この忌まわしい巨人の母にすらなった。巨神兵は劇場版で描かれたような単なる兵器ではなく、旧文明が行き詰まりの果てに作り出した人格を持つ人造神であった事が発覚するが、“毒の光”を撒き散らすこの腐りかけた巨人をお供にナウシカが破壊神の如く大暴れするクライマックスからは、もはや多くの観客を魅了した女神のようなナウシカ像からは遠く離れたものとなり、それとは別種の凄みが貌をのぞかせ始めていた。

「愚かな奴だ たった一人で 世界を守ろうというのか ナウシカ…」
「腐った土鬼の地も土民共もみんなくれてやる 全部しょってはいずりまわって世界を救ってみせろ!!」

 ナウシカは決して完全な英雄ではない。若さゆえの甘さもあれば激情に駆られて暴走もする。しかしそれでもこの少女の持つ圧倒的な凄みは否定のしようがない。それは彼女が肉体的な強さや美しさは無論の事、小さな体でこの歪みきった世界の不良債権を一手に引き受けようとしてみせた事による部分が大きいのではないか。
 物語終盤、この世界の営みの真実を知ったナウシカは、苦悩し、自らの罪深さにおののきながらも安易な救済を拒否し、救いをエサに生命のコントロールを目論む傲慢な旧文明(≒破産管財人)と決別、巨神兵でもって破壊するという快挙(暴挙?)を成し遂げる。いわば世界の行く末を彼女がほぼ独断で裁定してしまった形である。
 「一介の少年少女の内面世界の有り様に委ねられる世界全体の行末」という構図は、ナウシカ以降、庵野秀明監督によるもう一つの巨神兵譚『新世紀エヴァンゲリオン』などから顕著になったセカイ系的作品群にも通底する意匠だが、改めて見てみると両者は似ているようでやはり違う。ナウシカの選択した結末は、決して一時の感情や自我の在り方のみから導かれたものではなく、ほとんどの人間の知りえぬ世界の深淵を前に血反吐を吐きながら浮かび上がらせたギリギリなのだった。

 つまりは「世界に対する無限責任」をナウシカは背負ったのである。神がかり的な宗教運動家や革命思想家、もしくは真性の狂人、そういうケッタイな人種にしか背負いえない大業をナウシカは背負ってみせたのだ。「破壊と慈悲の混沌」と称されたその覚悟の凄まじさは、ちょっと形容のしようが無い。
 エピローグの記述を見る限りでは人類はその後もしぶとく歴史を重ねたようだが、ナウシカのその後を巡る二つの年代記の記述の違いは、それぞれが彼女の「人性」と「神性」をあらわしているように見える。あくまでも穢れた人間としての矜持と生き様、それをゆるぎなく遂行する神のごとき強さ、完結までに10年超を要した時代の流れの中で作者の思想の変転そのままに混沌の度合いを深め、破綻しかけたこの作品を根性でひきずりあげたのもまたナウシカだったのだ。

「ナウシカ それはわたしとあなただけの秘密です」

 以上のように圧倒された結末だったが、駆け足で消化不良な感は拭えず、ラストで明かされる「青き衣」の秘密を巡る部分がどうしても小骨のように引っかかるため、ここはあえて9点に留める。他にも世界観設定や細部のデザイン、戦闘シーンの拘りやキャラの魅力、食事シーンの扱いなどなど語り残した事は多いが、ひとまずここで締める事とする。 おわり

 

ナイスレビュー: 1

[投稿:2010-07-20 01:14:20] [修正:2010-07-21 23:15:42]

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