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総レビュー数: 3レビュー(全て表示) 最終投稿: 2017年01月04日

10点 BASARA

[ネタバレあり]

「男性でも読める【少女漫画】は?」という主旨の掲示板などでほぼ必ずと言っていいほど名前が挙がっていることからわかるように、少年漫画的な熱を持ったあくまでも「少女漫画」。

時はいまから数百年後か数千年後か、現代の文明が滅んだ後の未来。
絶大な権力を持つ王族が圧政を振るう中、苦しむ国民にとってのレジスタンスの象徴「運命の子」として生まれたものの、国王の子の一人である「赤の王」に殺された少年、タタラ。
タタラの妹であり本当の「運命の子供」でもあった更紗が「赤の王」への憎しみを糧に「運命の少年・タタラ」の名を背負い立ち上がる!
国王側は国王側で日本国統治の邪魔をするタタラ一派を排除するべく動き始めるも、徐々に力をつけ始めたタタラ軍により、赤の王の親友でもあった側近が倒される。
そんな中更紗は旅の疲れや怪我を癒すため各地に沸く温泉に立ち寄る。そこでたびたび出会う朱理という青年。
「赤の王」朱理、「運命の少年・タタラ」を名乗る更紗は、お互いの事はほとんど何も知らないまま、親や親友を殺した仇相手に異性として惹かれ合っていく。

…というのが物語の始まり。
最初はただ兄を殺された憎しみ一心で動いていた更紗に対して、「赤の王を討って、その後どうする?」とまるで少女漫画らしからぬ命題を突きつける。
結果、赤の王を討ち、王を討ち、国を変える。仲間の前でそう宣言した更紗は、そこへ向けて動いてゆく。
私がこの作品に惹かれた一つの理由は、更紗と朱理の関係の清算を物語の着地点にせずあくまで通過点の一つとして描き、お互いの正体が判明した後の関係もきっちり描き切ったところにある。
親を、兄を、親友を、愛する者を殺され自らの手で復讐を遂げたいと憎んだ仇を愛してしまった事による、更紗と朱理それぞれの失意、自責、葛藤。
そしてそこから何を失い、何を得、何を手放し、再起したか。
特にこの過程で描かれる朱理の成長が何度読んでも素晴らしく、ラスト直前の兵士へ向けての演説は何度読んでも鳥肌が立つ。

そして「国を変える」過程で登場する様々な登場人物。
更紗、朱理を中心に本当に多くのキャラクターが登場する。これもまた私がこの作品を好きな理由の大きな部分を占めるのだが、全員がとても魅力的に描かれている。
ただの敵と味方に終わらず、タタラと赤の王ではなく更紗と朱理を繋ぐ者、赤の王側の人間だけれど奇しくもタタラ軍に身を寄せる事になりそこで子を産む者、過去赤の王によって投獄されるも更紗との一件で変化した朱理についてゆく者。
登場人物同士が非常に多彩な関わり方をし、そして何より名前と顔を持つキャラクターの多くが、「誰を、何を信じるか」「どうしたいのか」「なぜその行動をとるのか」という部分に重きを置かれ描かれているように感じる。
もちろん好き嫌いはあれど、そのキャラクターの立ち位置や目的、思想、そして意志が明確に描かれているからこそ主役級以外の登場期間の短いキャラクターにも愛着を持てるし、物語への影響にも納得がいく。
正しいか間違っているかではない。先述した朱理の演説のように、どのキャラクターもが、己の意志で、己で考え、己を信じ、己の望むように、己のために生きようとしている。真っ直ぐで清々しい。
キャラクターが立っているからこそそれぞれの運命が絡み合う様が非常にドラマティックだと感じるし、作品の世界にとにかくのめり込める。
それぞれが確固たる信念に基づき戦う様は少年漫画、複雑な人間関係や心情の描かれ方は少女漫画ならではだと思う。

熱い名シーンや名台詞も多い。とにかく多いのであえて好きなシーンを挙げると、
朱理VS柊戦、今は亡き片腕・四道に手を貸せと念ずる朱理。それはおれの役目ではないだろう。と返す四道。戦いに割って入る今帰仁。
以前はタタラのように、ただ四道への憎しみだけで戦っていた。でも今は新しい国のためだと思えるんだと亡き母に訴えかけながら弓を引くハヤト。
四道を殺したタタラをただ恨んでいたが、長くタタラ軍とともに行動する中で戦いや憎しみのむなしさを覚え、更紗、そして朱理にそれを訴えた四道の妻・千手姫…
メインキャラクターである更紗・朱理・揚羽・浅葱に係るシーンは多すぎて挙げられない。
話もテンポよく進み、引き延ばしなどなく、各キャラクターの複線も回収され、きれいにまとまっている。
戦闘は多く描かれているけれど、少女漫画だからか実際に戦っている描写は少ない。これもテンポよく読める理由の一つだと感じる。

この作品が批判される時によく挙がるものとして、
・朱理はあれだけの事をしたのだから死ぬべき
・キャラクターが死ななさすぎ
・話が薄っぺらい
辺りを見かけるけれども、キャラの生死については、私は作者がどこかで言及していたように「更紗は途中から仲間が死なないように動き始めた、だから死ななくなった」というのがしっくりきた。
現に朱理側の主要キャラの多くは死んでいるし、何より本当にキャラクターを殺さないよう描いていたとしたら揚羽や四道、太郎ちゃん含め誰も死んでいない。
更紗が命を懸けて救おうとしても茶々がどれだけ嘆いても、座木は死んでいただろう。
朱理に関しても、では朱理が死んだとしたら更紗は最後どうなるのだろう? 一人朱理への思いを抱えて生きてゆくのか。それとも朱理とともに死に、のちに語り継がれる存在になるのか(作中ではそうなっているけれども)。

最初にも書いた通り、この作品は「少女漫画」以上でも以下でもないと私は思う。夢も希望もなく哲学や講釈が語られ人がバッタバッタ死んでゆく内容なら少女漫画でなくてもいい。
少女漫画だったからこそ、更紗は最後に「あたしをタタラから更紗に戻して」と訴え、朱理と一緒に生きていったのだと思う。
人が死んだり歴史をモチーフにしたり戦争や心理描写に関してもっと深く描かれている作品は、青年誌はじめ他ジャンルにごまんと溢れている。
この「BASARA」という作品が少女漫画だったからこそ描けた部分、そして少女漫画だったからこそ描けなかった部分は必ずある。
少女漫画という枠組みの中で作られたからこそ王道的なストーリーにワクワクし、恋愛要素にハラハラドキドキし、そこに私の好きな少年漫画的な熱さが加わったからこんなに好きになれたのだと思う。
所々で入るギャグシーンや気の抜けた外伝もとても好き。
絵柄も好きで、特に旧フラワーコミックス版の手塗りの表裏表紙が繋がったイラストがどの巻も大好きだったけれど、文庫版ではCGが多様されてるのが少し残念。

学生時代にリアルタイムで「BASARA」を読んで胸が熱くなった。
今は私も外伝のハヤトのように、あの頃よりも大人になって、頭も固くなって、「闇金ウシジマくん」も面白いと思うようになったし、世の中は少年漫画や少女漫画みたいにきれいなだけでは生きていけない事も知っている。
それでもこの「BASARA」はいつ読んでも、何度読んでも、ただ真っ直ぐで、自分の生きたいように生きている登場人物達に感化され熱くなれるし、数々のセリフに鳥肌が立つほど感動する。
何年かに一度この作品を読み返すたび、何歳になってもこうしてこの作品で感動できる自分であり続けたいと強く思う。

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[投稿:2017-04-17 16:15:39] [修正:2017-04-17 16:15:39] [このレビューのURL]