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7点(レビュー数:7人)

作者押見修造

巻数9巻 (完結)

連載誌漫画アクション:2012年~ / 双葉社

更新時刻 2013-02-06 22:19:13

あらすじ 友達が一人もいない大学生の≪ぼく≫の唯一の楽しみは、コンビニで見かけた名も知らぬ女子高生を定期的に尾行すること。いつものようにその娘を尾行していたら突然記憶が飛び、≪ぼく≫はその娘のベッドで寝ていて、≪ぼく≫はその娘になっていた。その娘は≪麻理≫という名だった――。

備考 当初は月1連載だったが、途中から毎号連載となった。

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この漫画のレビュー

[ネタバレあり]

写真を撮られるのを嫌う人がいる。
私もどちらかと言うとその部類の人間で、
写真を撮られるのは構わないが、
自分が写ってる写真を見たくはない
写真には、鏡に映っている自分とはまた違う、
「他人から見た自分」が嘘偽りなく写っていて
自分の中の理想と、他人から見た現実の差を突きつけてくる。


「ぼくは麻理のなか」は、自堕落な引きこもりで
コンビニに現れる美人女子高生“麻理”をストーキングするのが趣味という
どうしようもないぐらいキモい大学生の男、小森功が
ある日突然ストーキングしてたはずの“麻理”になってしまう物語であるが
よくある「男女入れ替わり」の類ではない。

麻理の身体に小森が入るが、小森の身体には今まで通りの“小森”がおり
あたかも小森が分裂したような状態で、肝心の麻理の人格が消えてしまう。
しかも、小森の身体にいる“小森”は麻理のことを覚えていない。
果たして本物の麻理はどこへ行ったのか、というのがストーリーの本筋である。

その中で、麻理に入った小森は、自堕落な生活をしているかつての“小森”と向き合うことになる。
小森は麻理の目を通して、自分の本当の身体とそこに宿るキモい自分を直視する。


どれだけ自堕落な生活を送っていても、自分がダメだと自覚していても
それを変えようとするには大きな勇気が必要である。
自分を客観視する。言葉にすれば簡単だが、それに耐えうる心を養うのは並大抵ではない。
どんな人であれ、多少は身に覚えがあることだろうと思う。

小森功はどうしようもなく、どうしようもなくキモい男である。
しかし、そのキモさには現代のコミュ障と呼ばれる人たちの特性があるように思う。
話をろくに聞かず、勝手に自己完結して相手の気持ちを考えず突っ走り
それを否定されると、自分の存在すべてが否定されたと被害者意識に取り込まれる。
そうして自分のことばかり考えるせいで、ブクブクと自己ばかりが肥大していく。

これは、そのようなキモい自分を直視せざるを得なくなった主人公が
必死にもがいて変わろうとするストーリーである。
見た目は美少女でも、中身はこれ以上無くキモい男である。
そのキモい男がいかにして前に進むのか

「ぼくは…、ぼくを見る!」
このセリフに至るまでの七転八倒と、そこからの成長を是非とも読んでもらいたい。
文句無しの名作である。

ナイスレビュー: 3

[投稿:2016-02-13 01:15:45] [修正:2016-02-13 01:17:02]

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