「えりくら」さんのページ

総レビュー数: 7レビュー(全て表示) 最終投稿: 2010年06月30日

 本当は点をつけたくないんです。

 ある人にとっては全く意味のわからない漫画だろうし、またある人にとってはこれ以上ないほどに胸を抉る漫画だろうし。

「やればわかる! やらなければ一生わからん!」

 もうちょっと年をとったホノオモユルがこんなこと言ってました。何かちょっと違う気もしますけど。

 若くて、馬鹿で、無駄に熱くて、自分の身の程も知らずに才能があると勘違いしてみたり、本物の才能に打ちのめされたり、打ちのめされたことを認めたくなくて虚勢を張ってみたり、身近な異性の気まぐれを好意と勘違いしてみたり、無駄なことをして一日を潰し、何者かになれるはずだと根拠のない自信を持ったり、失ったり、どうしようもなくグダグダで、不完全燃焼で、だけど確かに生きていたあの日々。

 胸の奥がしょっぱくなること請け合いです。

ナイスレビュー: 0

[投稿:2010-07-01 23:45:49] [修正:2010-07-01 23:45:49] [このレビューのURL]

6点 セルフ

 それまではただただ、受け入れるだけのものだった。

 相手が望むから、する。
 相手が気持ちいいと言ってくれるから、する。

 見事なまでに、陽一のその行為には“自分”がいない。 

『俺は、彼女たちの性器のドレイだ』

 だが、自らの意志で自らを握った時、陽一は変わった。

 相手に望まれるからするのではなく、相手が気持ちいいからするのでもない。

 自分がそう望むから、自分が気持ちいいから、する。

 そこには自分しかいない。自分以外には何もない。

 


 これは、遥か昔に失ってしまった“自分”を取り戻すべく戦い続ける一人の男の物語である――!






 よし、オナニーして寝よう。

ナイスレビュー: 1

[投稿:2010-07-01 23:12:56] [修正:2010-07-01 23:14:17] [このレビューのURL]

8点 H2

 この世の中には、何かを手に入れるため、ベースの上に置かれた誰かの手を躊躇なく踏める人間がいる。あまりに必死すぎて、手を踏み付けたことにすら気付かない人間もいるし、踏めば勝てることが分かっているのに、踏まれる方の身になってしまって結局踏めず逆に自分の方が怪我をしてしまう間抜けな人間だっている。

 この漫画の主人公・国見比呂は、そんな間抜けな人間の一人だ。

「なんでもなかったんです。よけとけば」

 でも、踏んじゃった方が得かな、なんて思っちゃったもんだから。

 そこで踏める人間の代表格が、栄京の広田だ。彼は欲しい物を手に入れるため何かを犠牲にすることを躊躇しない。それはある種の強さだ。しかし、そうやって今まで手に入れてきたものが、本当に欲しかったものとは少し違ってしまっていたことに気付き、そしてもうそれを手に入れることが出来ないと知った時、彼は少し変わる。
 それは本当に、そこまでして手に入れなければならないものなのか。

 ガムシャラ過ぎて踏んでしまったことにも気付かない人間、それが橘英雄だ。彼のガムシャラさは、色々な人の思いを打ち砕いてきた。白山エンジェルスを追い出された木根、日本一の“三番”にならざるを得なかった中井、一年半後にやってきた思春期の現実に泣いた誰か。誰かの手を踏みにじったこと、事実としては知っている。しかし、英雄は振り返らない。奪われないために、勝ち続けるために、ただただひたすらにバットを振り続ける。これも強さ。

 じゃあ、踏めば勝てることを分かっていても結局踏めない彼は。

 甲子園、比呂と英雄の最後の一球、100%ストレートしかない英雄に対して高速スライダーを投げれば勝てることは分かりきっていた。事実、比呂は野田に対してスライダーのサインを出している。しかし、結局最後の最後で彼は英雄に対してスライダーを投げることが出来なかった。これは一年前に月形の手を踏めなかった一瞬の再現であり、勝負後の比呂の涙が勝利の涙でないことの証左だ。

 放たれた矢がけして戻らないように、一年半ずれてしまった比呂の思春期は戻らない。ひかりが比呂に対して心から素直に「頑張れ、負けるな」と言えた時間は過ぎ去ってしまってもう二度と戻らない。比呂が英雄を三振に取ったとしても、同じだ。
 それはただのボールゲームなのだから。

ナイスレビュー: 1

[投稿:2010-07-01 03:49:52] [修正:2010-07-01 03:51:16] [このレビューのURL]