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7点(レビュー数:3人)

作者林静一

巻数1巻 (完結)

連載誌ガロ:1970年~ / 小学館

更新時刻 2009-11-25 00:45:08

あらすじ マンガ家を目指しながらも上手くいかない一郎と、そんな一郎を愛し支える幸子。

二人は共にしがないアニメーターとして仕事をしながら、どうにか日々を暮らしている。
この二人のなんとも刹那的で行き場のない同棲生活とその破綻を、
独特の前衛的なタッチで描いた、マンガ史に残る名作。

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赤色エレジーのレビュー

点数別:
1件~ 3件を表示/全3 件

7点 二軍Tシャツさん

何となしにレビュー描きに来たんですが・・・
なんだかスゴイレビュワーさんしかいないようで、あまり漫画の歴史等に詳しくない僕なんかがレビューして良いのかどうか悩むところではありますが。

僕は今二十歳で、生まれたのは1990年なんですよ。
だから1970年連載であるこの作品は、僕の生まれる20年前から存在していたということになりますよね。
なんだかすごいなぁと思いますよホント。

現代の若者にも読まれ続けている太宰治の小説のように、時代を超えて評価され続ける作品であると思います。

ナイスレビュー: 1

[投稿:2010-12-30 20:15:33] [修正:2010-12-30 20:15:33] [このレビューのURL]

6点 健太(99)さん

マンガが急速で連続的な変化を遂げた1990年代以降のマンガ、とりわけ吉田聡以降のマンガとそれ以前のマンガの違いの一つに伏目があると思う。

今では伏目は悲しみや苦しみという感情を表すに留まっている伏目は、それ以前のマンガではか弱さやけなげさという人物の性質を現すものとして描かれてきた。
試合のないときのあしたのジョーなどを思いうけべれば分かりやすいと思う。


見方としては、マンガの人の性質を現す表現が増えたことで相対的に伏目を性質を現す頻度が下がったというのも一つの解として正しいと思う。実際に初期の吉田聡の作品の一つであるスローニンではおでんやのばーちゃんは奥にただ立っているという描写が何度もされていた。現在ではけなげさを表す表現としてはこちらが主流になりつつある。

また社会が変化していき、それにあわせてマンガも変化したという見方もできるかもしれない。昨今の萌え系のコメディや、エロ系コメディなどの求められる風潮はけなげさの奥にある強さのほうに目が行っているからだろう。

赤色エレジーは本当に絵が上手いだけの古いマンガになりつつある。もちろんそれは実際今は古いマンガな訳だから当然だけれど、自分自身も含めて今のマンガを知る読者にはなじみにくくなりつつある。

ただここでだから昔は良かった、昔は悪かったという話をするのはあまりにもかっこ悪すぎるから避けるにしても赤色エレジーの伏目がちなヒロインのあまりの巧さを見たときだけは当事を知る人をうらやましく思う。

ナイスレビュー: 0

[投稿:2010-11-04 00:19:17] [修正:2010-11-04 00:19:17] [このレビューのURL]

8点 そのばしのぎさん

今の時代の漫画やアニメで「突然女の子が現れて同居する羽目になる」という話はほとんどお約束の展開であるし、現実的にも結婚していない男女が同棲しているのはそう珍しい事でもない。
もっと後ろめたかった時代、男女の同棲をテーマに2つの漫画が描かれた。ひとつは上村一夫の「同棲時代」でもうひとつがこの「赤色エレジー」である。

同棲時代がリアルな劇画であるのに対し、赤色エレジーは明確なストーリーもなく日常的な間のコラージュである。
外に出かけると、頭がなく首からインク撒き散らしながら歩いている友人だとか、自分の首を放り投げている大道芸人の呼び込みだとか、主人公の2人以外はファンキーなキャラクターしか出てこない。

林静一は74年からロッテのCM「小梅」シリーズのアートディレクションを担当し、どこか竹久夢二に似た物憂げな和服美人の顔はすっかりCMの顔になった。
以降はCM、絵本やイラストレーションの仕事が中心になる。

余談であるが同名のレコードをヒットさせたあがた森魚によって「僕は天使ぢゃないよ」というタイトルで映画化もされている。
大瀧詠一・鈴木慶一といった音楽の大御所も参加し、びんぼうダンスなどは何でこの時代にこんな斬新な事やってるんだろうと思える。一見の価値があります。

ナイスレビュー: 1

[投稿:2010-09-24 00:51:56] [修正:2010-09-24 00:51:56] [このレビューのURL]


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