魔人探偵脳噛ネウロのレビュー
9点 景清さん
松井優征先生復活記念。
「推理ファンでない人のほとんどは、犯人をカンで当てようとするそうです。………僕もそうします。(中略)……実はこれ………推理ものの皮をかぶった、単純娯楽漫画です。」
これは本作『魔人探偵脳噛ネウロ』の記念すべき単行本第1巻に作者の松井優征が掲げた巻頭の辞である。実際、ネウロ第1話を立ち寄ったうどん屋に置いてあったジャンプでたまたま読んだ時の自分の第一印象も「これはミステリとしては色々反則すぎやしないか。」と決して芳しくはなかった。
ミステリの醍醐味は、複雑に絡まった謎を少ない手がかりから鮮やかに解いていく知的興奮であり、犯人の動機や心情に迫る人間ドラマであるはずなのだが、このネウロときたら!何者かに父を惨殺され悲しみにくれる(食欲以外は)ごく普通の女子高生、桂木弥子の眼前にと突如出現した魔界生物、脳噛ネウロ。 「謎」を主食とし、より美味な謎を求めて地上へと出現したこの怪物は、人間界での活動のため弥子を隠れ蓑に実に傍若無人に“謎”を次々と解いていくのだが、その謎解きの方法が「魔界777ツ能力(どうぐ)」と総称される種々のチートな特殊能力に頼った実に強引なものでそこにはサスペンスとしての魅力はほぼ無かった。犯人にしても動機が色々おかしいイっちゃった連中ばっかりで人間ドラマとしての奥行きも感じられず、評価としてはせいぜい上等なネタ漫画、まぁジャンプで探偵モノやりゃこうなるわなぁ程度と高をくくっていた、くくっていたのである。
それでも作品から溢れんばかりに発散される奇抜さ、毒気がどうにも心地よかったので気になって読み続けた所、徐々にネウロはその本質をあらわにし始めた。奇抜なネタ漫画としての体裁を最後まで貫き続ける一方で、実にジャンプ栄えする真ッ当な人間賛歌の物語へと作品が進化していった。思えば初期のあの異様さも毒気もブラックなギャグも、全てブラフ、周到なトリックだったんだろうか。
この作品の探偵物としての大きな魅力と特徴は、魔人であるネウロと人間の少女桂木弥子との関係性である。昔からホームズとワトソン、明智小五郎と小林少年のように探偵が助手とコンビを組むことは珍しくはないが、ネウロと弥子の関係はとても探偵と助手という表現では括りきれない。(世間的には弥子が美少女探偵でネウロが助手ということになっている。)
二人の関係はネウロ>弥子の圧倒的にサディスティックな主従関係であり、哀れ凡人少女の弥子は“謎”をおびき寄せる生き餌としてネウロにさんざんにこき使われる。ネウロは基本的に謎さえ解ければ(食えれば)後はどうでもよく、犯人の心情や動機にも一切興味を示さない。人間はあくまで自分に食料を提供するだけの釣り堀に過ぎず、弥子は謎を釣る餌に過ぎなかった。
そんな二人の関係性に次第に変化が生じ始める。人間界の事情は思いの外複雑で、ネウロはやがて人間を知らぬことには解けぬ謎もあることを理解し始める。下僕の弥子はネウロのような明晰な頭脳も超能力も持たないが、人の心情を理解し、思いを致すというネウロには決して真似の出来ない事ができるのだ。こうして主人と下僕であった二人の関係性にドラマチックな変化が生じ、少女の成長や人間存在への関心といったテーマを描き得る振り幅が生まれ、思った以上にドラマに奥行きが与えられ始めた。相変わらずぶっ飛んだ犯人達の犯行動機にも、現代社会への作者なりの皮肉や風刺がうまく表現されるようになり、単なるネタを超えた味わいも付与され始めた。
思えば謎解きを第一目的とし後は眼中に無く性格も悪いネウロは典型的な江戸川乱歩の明智小五郎型の探偵と言えるが、地に足の着いた行動で事件の因果、犯人の心情に迫り、理解する桂木弥子は横溝正史の金田一耕助型の探偵と言える。明智と金田一、いずれも日本ミステリ史上の二大巨頭だが、本作はタイプの異なる二人の名探偵があたかも共闘しているかのような魅力があるのだ。
二人の関係性でもうひとつ興味深いのが、ネウロは魔人だが性別的にはオスであり人間体ではかなりイケメンなので普通なら弥子とくっつくのが常道だが、物語終盤では揺るぎない信頼関係で結ばれた二人の絆が、結局恋愛感情だったかどうかは最後までうまくはぐらかされた点だ。恐らく作者はそういう共依存的なベタベタした関係ではなく、成長や敬意に基づいた純粋な信頼関係を描きたかったのだろう。これは人間賛歌という作品のテーマとも相性がよく、また弥子を中心とした乙女ゲー的逆ハーレム(本作はタイプの異なる様々なイケメンが弥子に協力する)の妄想をかきたてる余地を残しており、やはりうまい。強烈にサディスティックでグロテスクな描写が多い割に女性ファンが多かったのも頷ける。
先程からしきりに“人間賛歌”という言葉を挙げているが、このテーマ自体は漫画の世界では珍しくないありふれたもので、ジャンプに於いては本作にも多大な影響を与えたとおぼしき『ジョジョの奇妙な冒険』が人間賛歌を堂々とテーマとして掲げている。ジョジョには遠く及ばずとも、とりあえず愛とか友情とか正義とか信頼とかをキャラに語らせれば凡百の作品でもそれなりに様になる魔法のテーマ、それが人間賛歌だ。
ネウロで興味深かったのが、その人間賛歌の料理の仕方だ。物語後半、作中のラスボスとなる“絶対悪”シックス率いる「新たなる血族」との死闘の中で顕になるのだが、ネウロにおける人間賛歌とは決して愛や正義といった聞こえの良い言葉だけでなく、ずるさや醜さといった人間の愚かさ・悪徳すら併呑したものだった。人は良心のみにて生くるにあらず、時には悪意も必要なのだという人間観、これは「痴愚神礼讃」以来の人文主義の流れを汲んだ骨太なもので、聞こえの良い上っ面をなぞっただけの言葉よりもはるかにしっくりくる。そもそも悪意がなければ謎は生まれず、謎がなければ世の中は面白くはならないのだから。
ネウロがその描写のエキセントリックさとは裏腹に、不思議と読後感が爽やかだったのもそんな人間観に由来するのだろう。ネウロは、察しの良い読者なら途中から気づいていたが、決して犯人をサディスティックに虐めることはあっても自ら断罪し殺すことはなかった。犯人の多くは警察に引き渡され、神ならぬ人によって裁かれる。そこには倫理的な判断を下すのは最終的には人間でなければならぬという価値観があった。
ネウロが作中唯一自ら完膚なきまでに殺した敵は、その強すぎる悪意ゆえに人ならざる存在と成り果て、人間のあらゆる可能性を潰す敵となった絶対悪シックスのみだった。このシックスはとにかく悪のためなら目的も手段も問わず悪をなすというある意味ミステリの構造そのものを破壊し、少年漫画史にも後世まで名を残すに違いないとんでもない大悪党で、もう殺す以外に解決の仕様がなかったのでこれには皆納得だろう。
作中語られる“進化”に関する認識が少々単純すぎるとか、謎解きが謎解きになってないとかそもそも後半ミステリほとんどやってないとかゴシカァンとかアラは探そうと思えばいくらでも探せる作品でもあるが、構成の妙、演出の的確さ、テーマ設定や随所に見られる毒の効いた社会批評などの優れた現代性、そして何より“商品として責任を持って終わらせる”という使命をこれ以上ないほどに見事に果たしたジャンプ史上稀有な美しい仕上がり、どれをとってもお美事、お美事にござりまするという他無い。ネタ漫画としても、王道少年漫画としても一級品である。最近作者は新作『暗殺教室』で無事にジャンプに返り咲いたので、これを機会に未読の方もぜひご一読の程を。
ナイスレビュー: 3 票
[投稿:2012-07-16 23:32:53] [修正:2012-07-17 01:01:03] [このレビューのURL]
10点 鋼鉄くらげさん
会者定離、愛別離苦。出会うものは必ず別れる。これはある意味では人生における真実と言えますが、作者が望むべき形で終わることの出来たこの作品は本当に幸せな作品であり、私自身がこの作品に出会えたこともまた本当に幸せなことだったと、連載が無事に終わった今、痛切に感じます。
<ストーリーに関して>
まず、この作品のストーリーに関して、特に優れているといえるのは、何と言っても「常に読者の予想を裏切り、上回り、超えてくる」事。この一点に尽きると私は思います。
予想が裏切られるという事は、つまり次のページをめくる楽しさがある、という事。簡単なようで難しい、読者を惹きつける基本中の基本が、この作品には最大限に詰め込まれています。
<画面構成に関して>
次に、この作品のもう一つの魅力として、奇抜で個性的、かつ独創的な画面構成が挙げられます。視覚的なトリックというのか、ある意味では斬新で革新的なその画面構成は、読んでいてストーリーとは別の楽しさがありました。
ところで、これは常々思う事なのですが、漫画と人生の決定的な違いは「めでたしめでたしの後も、人生は続いていく」という事。漫画に限らず物語というのは、その登場人物達の人生における、ある一部分を切り取ったものであり、作品におけるハッピーエンドというのは、あくまでその一部分のみを見た結果でしかないという事。
だから、「人生は漫画のように上手くはいかない」というのは正解でもあるし、間違いでもあると私は考えています。つまり、漫画というものは上手くいった部分だけを切り取ったものであるため、それに妄信しすぎてもいけないし、絶望しすぎてもいけない。どの程度自分の人生と照らし合わせるかはその人次第なんじゃないかと、そんな事を思います。
最後に、「出会えて良かった」という感謝の意を表して、この作品に10点を贈ります。
ナイスレビュー: 2 票
[投稿:2008-12-04 20:03:42] [修正:2009-08-05 19:31:39] [このレビューのURL]
10点 そうすけさん
まあ自分の読んだ漫画の中でトップクラスに大きな印象を与えた作品ということで。駄文失礼。
週刊少年ジャンプというおそらく漫画界でもっとも流れが速い場所で、「人間の可能性」という(少年漫画では)誰も挑戦しなかったテーマを人間と魔人の対比という形で見事に描ききった。
テーマの大きさもさることながら、それを表現するためのエピソードも秀逸であった。特に電人HAL編はヤコの成長と共に、敵であるHALもしっかりと「芯」がある犯罪者だったためにかつてないほどの完成度を見せている。特に春川の過去は涙なしには見られないものであった。
自分が何より驚かされたのが、作者は最初から「終わらせる」前提で物語を描いていたことである。最終巻のあとがきによると、それぞれ1巻のアヤ・エイジア、5巻の「最後の自分」像、10巻の電人HAL、20巻の「6」というように要所にテーマ性を持った事件を配置することで、いつ連載が終了してもきちんと「完結」できるようにしていたとのことである。長期連載or短期打ち切りが氾濫する少年ジャンプにおいてこの作品が円満に終了したのは当然のことだったといえよう。
独特にもほどがある絵柄(特に犯人)と構図、やたらブラックなギャグの数々、主人公(ヒロイン?)であるはずのヤコの扱いのひどさ、ストーリーの進行のためなら人気キャラ笹塚をも切り捨てた点などは読み手によってはマイナスの印象でとられることもあるだろうが、それを上回る魅力が本作にはあると自分は信じて疑わない。
ナイスレビュー: 1 票
[投稿:2010-07-27 10:59:10] [修正:2010-07-27 10:59:10] [このレビューのURL]
8点 ソウルフラワーさん
一言で言えば狂ったジャンプ漫画です。
独特の癖のある画風、犯人は最大限までデフォルメされていて、もう人間には見えない人も多いです。そしてどきりとするぐらい黒いブラックなギャグの数々。「作者は一体どんな人間なのか!?」と思わずにはいられないぐらい狂ってます。もちろん全てほめ言葉ですよ。
ただ、狂った ジャンプ漫画というのが大切です。
ひねくれて見えるけれども良く見ると 友情+努力+勝利+推理もの+狂気=魔人探偵脳噛ネウロということが見えてくると思います。以外にもストレートなジャンプ漫画なんですよね。
万能の者一人の力ではなく仲間の力を借り。主人公や仲間たちがピンチを切り抜け成長して、巨悪を倒す。まさに、ジャンプ黄金の方程式にぴたりとあてはまります。この方程式はマンガ界最強の方程式なだけあって、うまくいけば最高の感動を人に与えてくれます。
作品終盤の怒涛の展開は感動を覚えずにはいられませんでした。
ジャンプ式推理マンガ+狂気「魔人探偵脳噛ネウロ」最高に感動を与えてくれた作品。超お勧めです。
ただ書いていて思いました「このレヴューは推理マンガに対するレヴューとは思えないな」と・・・
ナイスレビュー: 1 票
[投稿:2010-02-06 02:37:40] [修正:2010-02-06 02:37:40] [このレビューのURL]
8点 unsosinoさん
『私 コンクリートでもバターと醤油で炒めたら食べれると思う』
強烈な単純娯楽漫画です。
犯人たちの割と非常識な動機と狂気の変貌、
傍若無人な魔人探偵と虐げられるヒロイン(高燃費)、
多彩な変人・奇人・常識人、
純粋な悪と人間の可能性、
前半のトリックのどうでもよさと後半のバトル展開が惜しい気がしますが、
ギャグの軽快さと毒加減は絶妙ですし、シリアスなところはしっかりシリアスに展開します。
頭蓋を抉り、脳の奥底に迫ってくるような終盤の鋭い心理描写は圧巻です。
きれいに終わったジャンプ作品は久々な気がします。こんな漫画がもっと読みたいです。
ナイスレビュー: 1 票
[投稿:2009-05-21 19:20:37] [修正:2009-05-21 19:20:37] [このレビューのURL]
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