「nur_wer_die_sehnsucht」さんのページ

総レビュー数: 23レビュー(全て表示) 最終投稿: 2018年08月09日

[ネタバレあり]

この『ヨルムンガンド』には善が無い。何しろ武器商人なんだから、戦争を引き起こし儲ける現代の巨悪だ。
その中で辛うじて善を求めるのは主人公のヨナだけなんだな。まあヨナは子供だから。単純な解釈しか知らないからなんだよ。
だからココにとっては可愛いんだよ、ヨナが。他のみんなもそう。自分達が汚れた世界に生きるのを知っているから、ああいう眩しいものが愛おしい。
まあ、そのヨナにしてもバンバン人を殺すんだけどな(笑)。
でもそれは自分が悪いのではなく、この世に武器があるからだと思っている。

ガキなわけだが、一つだけ素晴らしいものをもっている。それが恩と縁で生きる、という生き方なんだな。
自分が何者であるのか、自分の役目はなんであるのか。そういうことを全てわかっている者の言葉なんだよ。
あの悪の中に生き、悪の中で崇高なものを求める。それがよく描かれている作品なんだな。
まあ、エンターテインメントだから、所詮は軽いものだから無理に良く見ようとしなくてもいいわけで。ああいうのが好きな人が見れば、それでいいんだよ。

兵器、特に銃器の表現は、古今東西のコミックのなかでも群を抜いていい。作者が相当好きなんだろう。むしろそっちが好きで描いているような感じもあるし。
ゴルゴ何とかのような荒唐無稽のものとは一線を画す作品だな。「マンガ」を楽しむと言うより、趣味人を唸らせる、というものがある。

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[投稿:2018-08-09 22:55:40] [修正:2019-01-20 17:20:19] [このレビューのURL]

[ネタバレあり]

『バキ』の面白さの本質というのは、あの偉大なる範馬勇次郎なんだよ。
「地上最強の雄」というなぁ。

格闘マンガの要諦は、強さを乗り越えることにあるわけ。
どういうことかと言うと、強い者同士が対戦することが格闘物の構造だよな。そして、面白さというのは常に意外性にあるわけだよ。
そうすると、格闘物の命というのは、その展開の意外性にある、ということになるわけ。
つまり、戦いの展開に於いて、一方がその強さを示した場合、もう一方が意外な反応を示すことで成立する、ということだ。
だからある設定を一方に施して、それが常軌を逸した強さを示す、とするよ。そうしたらもう一方はそれ以上の常軌を逸する強さを示す、という展開だよ。
またはそういう強さを難なく受け流すことでも、意外性というのは達成できるわけ。
そこにいろんな理由付けをしてやるのが、作者の技量になるのな。

恐らくそのことに気付いたのは、夜叉猿との格闘だと思うよ。あそこに『バキ』の構造の全てがあるよ。
相手は強大すぎて、全ての技が通用しない。そういう設定に自分を追い込んで、じゃあどうすれば勝つように出来るのか。
その自分を追い込む設定の中で、発想が生まれることに作者自身が気付いたんだよな。
そして話を盛り上げる意外性の本質を掴んだわけ。
勇治郎が後に、いとも簡単に夜叉猿を仕留めて首を持って来るよなぁ。ああいうことが、また一層のエネルギーにもなるんだよ。

つまり、自分が戦わなければならない理由として、大事な者の死が必要だ、ということだ。ここに『バキ』の物語の深さが生まれるわけ。
だから次々と異常な強さを示す登場人物を設定し、それらを戦わせることで、更に強さの設定を思いつく、というな。
そういう追い込みがあの作品の面白い意外性の源泉となっている。

まあしかし、物語の核となる母親の死による勇次郎への復讐というものがあったわけだ。それがあのラストに於いて、ああなっちゃっただろ(笑)?
範馬勇次郎が『バキ』の本質だというのは、全ての意外性は勇次郎によって乗り越えられる、ということなんだよ。
あの存在があるから、際限なく色々な強さを思いつくことが出来たのな。

しかし、その本質が物語の決着を非常に困難にしてしまったんだよ。勇治郎に勝つことが出来ない物語なんだよな。勇次郎が全てに君臨することで成立する物語だったから。
だから、あのような腰砕けのラストにするしかなかった。勇次郎に勝つことなく、圧倒的な強さを示しながら親父の子供への愛情による譲歩、という形で終息したんだな。
「親子喧嘩」という限定的な、そこに情愛の通う形にするしかなかったんだよ。もう終盤ではしきりに「親子喧嘩」ということを強調していたじゃない。
あれは要するに「手加減するぞ」という伏線だったわけだ。
もしもバキが勇次郎に勝ってしまうと、これまでの勇治郎の無敵の強さによって支えられてきた物語が崩壊してしまうんだよ。
あれは範馬勇次郎によって支えられてきた物語なんだよな。

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[投稿:2018-08-10 11:51:44] [修正:2019-01-20 15:03:11] [このレビューのURL]

[ネタバレあり]

まあ、『喧嘩商売』というのは、今の時代に対する反骨だよな。
反骨の作家であることは、すぐに分かったけど、問題はその反骨の仕方というものがあるわけだ。
ワガママ勝手に「社会が悪い」とか「大人は汚い」と言ってる奴はダメなんだよ。
その反骨が確かな形、魅力的なものにならなければいけないわけ。
それがこの作品にはあった、ということだな。

まあ、佐藤十兵衛は作家の理想像なんだよな。頭が良くてしかも強い。家は金持ちで、しかもその中で好き勝手に出来る環境がある。
いい加減な男のように見えて、女に関しては驚くほどに関心がないよなぁ。まあ、最初はその辺も結構な人間にしようともしたけど、途中で気づいたんだよな。そこにはまれば十兵衛の魅力は半減する、ということだな。だから女方面は、あの特殊なギャグ集団に任せたんだよ。

あの作家の反骨は今の社会と言うよりも、多くの部分が漫画業界のことだよなぁ。理不尽が通ってしまうように見えたんだろう。
しかしそれは、自分が真面目に仕事をしている、という自負があるわけだよ。遊びもしないで、また甘えもしないでやってきたという自負が。だからこそ、そうではない作家に対して、さらにそれ認める業界の甘さを許せない、ということだな。
だから木多のヤバいギャグというのは、そういう漫画業界を困らせるためのものだろ?
まあ、困らせること自体が目的だから、別に危ない話が好きなわけではないよな。恐らく非常に常識的な人間なんじゃないか?

それでこの作品の内容だけど、武術、格闘技、喧嘩ということに関して驚くほど精通しているよ。板垣とは全然違うよなぁ(笑)。リアルさを求めて、結構、研究し取材したんだろう。
それが確固たる世界を構築している、ということだな。
取材をどのように行なったのかはわからんけど、実際にアウトローに会っているだろう。
あのキャラたちはみんな立っているじゃない。それは、それぞれにバックボーンを詳細に決定しているからなんだよな。それはまた、こういう性格の人間は、どのように思考し動くのかということがわかっている、ということなんだよ。
ここが素晴らしい作家だよなぁ。
しかし、欲を言えば周囲のキャラがあまりにも魅力的だから、肝心の主人公の影が薄いよな(笑)。多分、そこを悩んでいるんじゃないのか(笑)。

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[投稿:2019-01-18 10:17:38] [修正:2019-01-18 10:17:38] [このレビューのURL]