「nur_wer_die_sehnsucht」さんのページ

[ネタバレあり]

『ベルセルク』はもの凄いよなぁ。あれは間違いなく大傑作であり、壮大な物語として後世に伝えられて行くよ。

マンガがなぜ文学のように芸術足り得ないのかと言えば、もちろん隠すこと、即ち比喩というものがないためなんだな。まあ、それをやっちゃうと誰もついてこないからなんだよ。芸術っていうものは悲しみを醸しだす、誘引するものだからなんだよ。エンターテインメントは面白おかしくなければいけないんだから、漫画は芸術には出来ないの。
だから漫画の様式、構造というものは、すべて芸術から離れるようになってるんだよ。テーマもコマ割りも絵の要素もすべて、楽しませるために極められてきたんだから。
だが、『ベルセルク』はそこから一歩抜け出している。

まず、あの世界観が素晴らしいわけだけど、それは現代と中世の融合なんだよ。横軸にはな。さらに縦軸としての霊性の話でもあるわけ。
最初に読んだ時には、よくある化け物退治のパターンなのかとも思った。 しかし、その裏側に秘めていたものが現れてから圧倒的な深さを持つ作品になったなぁ。あれを読めば分かるけど、作者は最初はただの化け物退治の物語を描こうとしていたんだよ。単なる復讐物であり、その相手が超常的な化け物であるだけ。そのパターンは実は日常なんだよ。劇画でしゃぶり尽くされているものなわけ。
まあ、中世世界が好きな作家のようだよな。科学などという人間を腐らせてしまう力ではなく、人間自身の力で生きていた時代だ。その大好きな中世と現代というものを融合させたんだな。

ガッツは中世の人間の象徴なんだよ。ただ運命を受け入れて真面目に生きる人間なわけ。
一方のグリフィスというのは実は現代人なんだよ。中世にあんな奴は絶対にいない。運命を受け入れずに自称「夢」という妄想に向かおうとする奴はいないわけ。それをやるのは現代人だけなのな。だから「渇望の王」なんだよ。
しかし作者はここに恐ろしい思想を挿入した。それはキリスト教の異端である、グノーシス主義というものなんだよ。

グノーシス主義というのは、要はこの世界が実は悪魔に支配されている、という主張なんだよな。まあ、あれは宗教と言うよりも多分に実存的な哲学なんだけどな。
だから5人の超常的な悪魔の王(ゴッドハンド)がいて、その眷属(使徒)がいる、という構造になっている。そして眷属たちは、己の欲するままに振舞うことを許されている。
この思想に則って、現代人の欲望を正当化するということを重ね合わせたんだよ。
それがグリフィスの求めていた「自分の国を持つ」という夢だったんだな。あれはもう現代人の有名人になりたいとか、大金持ちになりたい、という妄想と全く同じなわけ。
ただグリフィスはそれを実現できそうな人間として構築されている。それは現代でも通用する、努力を重ねることなんだよ。しかも多大な努力をこなしていく人物に設定された。

一方でガッツには夢が無いよな。全く無い。ただ剣を振る以外の何も無い。しかし、グリフィスはそういうガッツに惹かれて行く。それは何なのか、という問題だ。
それはガッツが真の人生というものを歩んでいる、ということなんだよ。どこに出しても恥ずかしくない、運命というものを受け入れ、それと戦っている人間の美しい姿なんだよな。
グリフィスは違うわけ。ワガママなんだよ。だから他人を巻き込み、その屍を踏み越えてまで進もうとするわけ。

そしてあの「蝕」が訪れる。あれが何なのかと言えば、巨大な運命というものなんだな。誰もが死に滅び行くしかない運命。そういう死人しかいなくなる場所でないと現代人のワガママというのは実現しないということなんだよ。ワガママは必ず潰えて終わる。しかし、終わらないワガママがあるとすれば、それはこの世ではないんだよな。

ここに、この作品の醍醐味である多元宇宙論があるんだよ。あの幽世という存在がそれだ。
あれは私がよく言う「エネルギー」という思想なんだよ。
実はこの世界というのは影なんだ。エネルギーの影。エネルギーが流れて、かくあるべく出来上がって回転しているだけ。それもまたグノーシス主義の思想なんだよ。まあ、相対性理論の世界とも言えるしな。
そのエネルギーの世界、つまり本質の世界に通暁する者たちを描こうとする点に、この『ベルセルク』の最も崇高な魅力がある。
断罪の塔篇を経て、物語は大きく転回するな。この世が今までの世界ではなくなってしまう。あれはエネルギーの幽世が物質世界に融合しつつある新たな多元宇宙を示している。
クシャーンというのは中世世界だ。その王が滅び、中世と現代が融合し、さらにエネルギーがそのまま物質と等価交換する多元宇宙の世界に移行した。

『ベルセルク』の作品世界では、この世を覆っている物質的な秩序が綻んでいる。それは「黄金時代篇」の中で傭兵軍団であるという現実の物質世界の秩序に従いながらも、ゾッドのような化物が顕れることで分かるわけだ。
そしてついに物質世界は崩壊する。
その崩壊は「幽世」との融合によって為されるわけ。つまり、多元宇宙として干渉を認識しなかった「幽世」が認識されるようになった、ということなんだよ。この世の物質の秩序を構成していたエネルギーの世界が見えるようになった、ということ。

まあ、その導入にあたって、私はどうしてこんなにも見事に描写出来るのかという驚きを持っているんだよ。
あれは神智学やユダヤ教の奥義であるカッバーラの映像化だからな。新たに仲間となった魔法使いシールケの精神世界の描写なんて、知る者には本当に驚くべきものがあるんだよなぁ。
「物質がどうして斯くあるのか」という事が、あの作者には分かっているとしか思えないんだよ。タダ者じゃないんだよなぁ。
相当魔術に関して研究したんだろう。オカルトに陥らずにな。

で、私個人はあの「黄金時代」よりも後半の世界が崩壊してからの方が好きなんだけどな。ファンタジーというよりも、歴史的な象徴として読んでいるから。
あれはもうキリスト教社会と、それ以外の世界が融合した、ということを比喩的に表現しているんだな。現代社会はキリスト教的なもの、欧米的なものにあまりにも多く覆われているから分からなくなっているんだよ。

例えば、魔女シールケが最初の仕事を引き受けた村で、その村の教会が建っていた土地は元々水の精霊を祭っていた場所だと教える。
キリスト教というのは、そうやって元々の宗教を潰し、引き受けながら大きくなっていったんだ。プロテスタントが大きな力を持つ以前は、キリスト教もその多くが聖母マリア信仰だったんだよ。キリストそのものではなかったわけ。
その聖母信仰は、元々北欧にあった大地母神信仰とまた結び付いていた。
そういうことが、『ベルセルク』のあちこちに散見される。
あの使徒の怪物デザインの多くはベーコンのものだしな。どうしてベーコンをモティーフにしたのかも分かるとまた面白いんだよな。

まあ、ここからどういう展開をして行くのか、もう私もわからんよ(笑)。作者も実は大いに悩んでいるのではないかな(笑)?
なんせあまりにも壮大すぎるからなぁ。生きてる間に描き切れれば大したものだと思うよ。
ベルセルクは漫画界における『死霊』だからな。未完で終わって何の不思議もない。
「物語」として進行しつつ、読者を惹きつけていくのは大変な労力なんだよな。まあ、こういう作品を描ければ、漫画家になった甲斐もある、というものだろうな。


追記
少しだけ、一応書いておくか。
フランシス・ベーコンという男は、キュビズムに刺激されて人間存在の本質というものを模索した画家なんだよ。
あの顔シリーズが有名だよな。あれを見れば分かるけど、人間というものを探るために破壊と変形を試みた、ということだ。
どこまで変えて人間であるのか。そこに何事か見出そうとした、ということだよな。その発想はキュビズムから得ている。
他にもいろんな動物を合体させて人体を作ってみたり、と様々な模索をしているよ。
でも彼は前半の制作を全部捨てているんだ。ここが重要だな。そして10年後にまた活動を再開したわけだけど、その時に最初に書いたのがキリストの磔刑なんだよ。
ベーコンの研究をしたい方は、この点を重要視するといいと思うぞ。

ナイスレビュー: 1

[投稿:2018-08-09 10:23:16] [修正:2019-04-06 19:57:28]