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6点 男弐
戦国時代における山本勘介に始まり、家康に仕える服部半蔵、最後は新選組土方歳三
の異なる時代に生きた男たち三名の物語を連作にしていることが、特徴でしょう。
そうなると表題の意味が気になるところですが、特に説明した部分は見受けられませんでした。
また、何故この三名を選んだのかも気になるところですが、説明はありませんね。
いずれにしても小池一夫原作らしい作品でした。
男を描き続ける小池一夫の一連の作品群の一つとして記憶されるでしょう。
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[投稿:2025-07-19 09:43:32] [修正:2025-07-19 09:43:32] [このレビューのURL]
5点 ルサンチマン
表題の意味を調べてみると、”弱者が敵わない強者に対して内面に抱く、
「憤り・怨恨・憎悪・非難・嫉妬」といった感情。
そこから、”弱い自分は「善」であり、強者は「悪」だという「価値の転倒」の
こと”でニーチェの思想用語だそうです。
このルサンチンマンに焦点を合わせた着想は、大したものです。
弱者が価値の転倒を行うのは、現代社会においてメディアが弱者側のフリをして
盛んにルサンチマンをかこつけているのは承知の通りです。
貧しくて自己肯定の小さい若年層から老人まで、多くの底辺層は同じ思想に取りつかれます。
しかし、文学のテーマになりえても青年誌の読者層に共感は得られるのか、
という問題は残ります。
同じような取り組み、ライフワークを感じる作家さんに、古谷実氏、新井英樹氏
を連想させますが、花沢健吾氏には彼ら以上に下層に降り立つ思想を感じます。
抑圧どころか、あまりのコンプレックスぶりに、権力に立ち向かう気力すら無様さで、
遠くから小さな石ころを投げつける程度の反抗心を持つ階層者をイメージさせます。
前者の作家さんたち、あるいは他の作家さんたちには、権力に立ち向かう熱情を
少なくとも主人公に与えます。
これが、花沢氏の場合には、最終的に主人公にその熱情を与えるにしても、
そのきっかけは少女との小さな共感、結びつきであり、たとえ虚構にあっても
小さな自己満足が成果になります。
小市民のささやかな自己実現をそんな風に見せられても、多くの健全な読者には
そんな人種も世の中にはいるんだな、ぐらいの感想しか持てないでしょう。
様々なジャンルで表現できる漫画は素晴らしいのですが、需要も考えると疑問です。
こんな作品も有ではありますが、ご苦労様ですとしか言えません。
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[投稿:2025-07-12 09:14:09] [修正:2025-07-12 09:20:01] [このレビューのURL]
女性の聖闘士は別に良いのですが原作好きな作者が何故、、、
原作からは考えられないようなパラレル展開が続き、他の作品では許容できた部分もこの作品は、、、
流石に同じ星座の被りで原作キャラなかったことにするのは単純に面白くないです。
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[投稿:2025-07-09 16:19:44] [修正:2025-07-09 16:19:44] [このレビューのURL]
正統続編とのことでしたが色々と他の作品の設定は引き継いではいるもののあまりにも変わってしまっていてなかったことにしたいのかな?と感じてしまいました。
特筆すべきは当時と変わらぬ画風であること。
原作好きにはたまらないのかもしれませんが私には進歩がないと感じてしまいました。
キャラの書き分けが本当に下手なんですね。
敵はこの顔、主役はこの顔、美形はこれと決まってます。
同じような髪型で同じような顔、、、流石にここは進歩していて欲しかったです。
ストーリーもやはりハーデス編までが山場で、流石に神々を相手に青銅聖闘士が続投するのは無理があります。
困った時の黄金聖闘士は最後は聖衣のみ、、、
流石に2000年過ぎてこの展開はウケないと思いました。
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[投稿:2025-07-09 16:02:08] [修正:2025-07-09 16:02:08] [このレビューのURL]