「B・A」さんのページ

総レビュー数: 11レビュー(全て表示) 最終投稿: 2010年01月13日

●人は誰でも人生に深く影響を与えてくれた作品を持ってると思います。

それはきっと奇跡のような出合いであって、たとえどんなにいい話だとしても出合うタイミングが悪ければそうはならないだろうし、逆にどんなにくだらない話でも、その人にとっては宝物になることだってありえるのです。

この『ジパング少年』は、僕にとって奇跡のようなタイミングで出合った宝物のようなマンガです。

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この物語は4人の少年少女によって紡がれていきます。
皆がそれぞれ抱えているのは漠然とした違和感です。

徹底的に管理された学校。当たり前のように竹刀で殴られ、それが教育なのだと信じて疑わない教師たち。陰湿ないじめをしていたくせに停学になることだけは避けようと被害者ぶる同級生。そしてそれが認められてしまう不条理な世界。

そうした、本当は誰しも多少なりとも感じている違和感を、目一杯エネルギーに換えてひた走る、まるで暴走列車のようなお話のマンガです。


まるでそれが唯一の武器であるかのように、目に見える不条理すべてに噛み付く主人公柴田ハル。ある意味痛快ではありますが、とても危なっかしくも見えます。そんな柴田ハルにあるおじいさんは言うのです。

「世の中には2つの自由がある。“与えられた自由”の『フリー』と“掴み取る自由”の『リバティー』だよ。」

それを言われた柴田ハルはよく意味を理解出来ません。当時読んでいた僕も理解出来ませんでしたし、多分今も理解出来ていません(笑)。


ただ彼はその言葉を携えてペルーに飛んでいくのです。

ペルーは当時も今も貧しい国です。ほとんどの人が生きていくことだけで精一杯で、その国の人にとってみたら『学校の校則が厳しいから退学してこの国へ来た』なんて言ってみても誰一人理解してはくれません。彼らにとっては学校へ行くこと自体が憧れでもあるわけですから。

そんな現実に圧倒されながら彼らは想像を絶する体験をします。
学校を作るため資金集めに来た金堀り(ガリンペイロ)では、同業者に狙われたりしますし、反政府ゲリラに捕まったり、ポロロッカ(河の逆流)に攫われたり、何度も生命の危機に遭遇することになります。

しかし、それでも彼らは噛み付くのです。「それはおかしい」と。

ある時は日本の最新情報の事にしか興味のない、ペルーの日本人学校の生徒へ。ある時は視聴率以外には興味の無いジャーナリストへ。そしてある時は日本へ出稼ぎへ行って、妻を日本に殺されたと日本人を恨んでいる男に対して。

「それはおかしい」と。


主人公柴田ハルは、まるで運命に導かれるようにしてペルーのビトコス(黄金卿)を目指します。しかし多大な犠牲を払った末にたどり着いたそこには、彼が求めているような答えはありませんでした。

そこではたと気づくのです。『では一体何を求めていたのか?』と。


彼らにとってガマンならなかった『与えられた自由』とはなんだったのか。
そして長い旅を経て得た『掴み取った自由』とはなんだったのか。

それは漫画の中では明確には語られていません。

でもだからこそ魅力的だと思えるのです。


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僕にとってこの物語が特別なのは、柴田ハルが抱えていた怒りに賛同したからでも、社会に対して少なからず不満があったからでも、こんな風に生きたいと思ったからではありません(もちろんどれも共感は出来ましたが)。

ではなぜ特別なのかといえば『読者に対しての語りかけ』が切実に感じられたからに他なりません。

彼(作者いわしげ孝)は真剣に語りかけていたのです。日本人であることの違和感、矛盾だらけの社会、人としてどう生きるべきなのか。

そして掴み取る自由とは何を指すのか。


だからこそ、どんなに青臭いことを話していても、時代環境に合わなくなってきていても、その内容を読み返すたびに瑞々しい気持ちになるんだと思います。


ちなみに僕にとってあまりにも大事な作品であるために、読みなれることで感動が薄れてしまわないようにあんまり簡単に読まなかったりしています。

本末転倒とはこのことですね(笑)。



最後に。

このジパング少年(ボーイ)というタイトル、とても興味深いです。

直訳すると『日本の少年』。まさに日本人の今(当時)抱えている問題(イジメ、管理教育など)を提起している訳です。
そして発音は『ジパングボーイ』。これは外からみた日本人をあらわしています。この物語のほとんどが『日本人であることについて』語られているのです。

ではなぜ『ジャパン』ではなく『ジパング』だったのか。
これはマルコ・ポーロ『東方見聞録』からの引用で、日本は黄金卿だと言われていたところから来ています。つまり主人公は『日本の黄金卿』からペルーの『黄金卿』へ行った訳です。

もっともっと言えば、日本が黄金卿なのは事実なのです。少なくてもペルーの人にとっては。

日本の黄金卿からペルーの黄金卿へ。それはまるで先ほどの自由の話とも被ったりするのです。

与えられた山ほどある自由から、掴み取る数少ない本物の自由を得るというお話。


今回読み返してみて、なんとなくそんな感じがしました。




もし誰かがこれを機会に読んでみて、それで好きになってもらえたら光栄です。

ナイスレビュー: 2

[投稿:2010-06-19 22:57:01] [修正:2010-06-19 22:59:03] [このレビューのURL]

最新51巻で累計1億冊を超えたバケモノマンガです。


これだけ多くの人に読まれているには、それだけの理由があると思います。現に僕自身毎回単行本が出るたびに買ってたりしますしね。

ただこれもバケモノマンガの「ワンピース」と比べてすごくバランスが悪いのも事実なんですね。

バトルや設定、話の展開が心躍る一方、キャラ描写や話の展開(今度は悪い意味で)にもクセがあり、その両方が目に付くからか、多くの人に賞賛とバッシングの嵐を巻き起こしているのではないかと思うんです。



まずは好きな部分。

これは単純に色んな忍術が出てきて楽しいです。おしまい。

…て訳にもいかないのでもうちょっと説明。たくさんのキャラクターが敵味方問わずに出てきて色んな技を出すって単純だけどそれだけで面白いです。キン肉マンに夢中になっていた頃は新しい超人のかっこいい技が出るだけで、もう嬉しくってたまらなかったのを思い出します。実際毎週のように新キャラを新しい技と共に作り出すのって本当大変だと思います。

それに「ジョジョ」「ドラゴンボール」「忍空」「うしおととら」「ハンターハンター」など順当に影響を受けて(良くも悪くも)その遺伝子を引き継いでいることもプラスになっているのではないでしょうか。
ジョジョが生み出した能力対決が忍術にすり替わっただけ、という見方もあるでしょうが、それこそそれで面白くなればいいんじゃないかとも思うのです。
発明なんて最初の一人しか出来ないんですから。



ただお話の部分になってくるとちょっと話が難しくなってくる。さっきも言いましたが、いい部分と悪い部分がどちらも大きすぎて一方だけを語るのが適当ではなくなってしまうからです。

忍者学校から中忍試験、そして大蛇丸から木の葉くずしと大きな話の筋はとても順当で、正しい流れだと思います。自分(ナルト)の世界が徐々に広がっていき、使える忍術も広がり敵も強大になっていきます。

それ自体はとても正しいと思えるのですが、いかんせん色んな部分にご都合主義が目に余ってしまうのです。



それは一つは世界観。
いわゆるナルト達は敵の情勢を探る忍者ではなくて金で雇われる傭兵の国として存在しているのだけど、それにしてはあまりにも国の外、つまり忍者ではない世界を描かなすぎるんじゃないかと思うんです。
それを描くことによってこの作品で描きたかったテーマを生かすことが出来るし(僕が思うこの作品のテーマは後述)、だからこそ忍者に生まれてきたことの悲哀みたいなことを出せるんじゃないかと思うんです。

忍者、忍者というわりにやっていることはただの潰しあいに見えて個人の私怨の為に国が滅ぶ危機が起こりすぎるのは、もうちょっと大人が何とか出来ないものか、なんて思ったりもするんですよね。



あともうひとつ、ナルト世代の異常な強さがあげられるんではないかと。

これもご都合主義でそういうもんだと言う事も可能ですし本筋からはずれるんですが、実は結構重要な部分だったりします。

よくありがちな最初の中忍試験をがっつり描きすぎてみんながすごくなりすぎちゃった感じになってしまったのですが、それにしても毎年中忍試験はやるはずでだからこそ火の国は回っていってるわけです。

後の砂影になる我愛羅は例外としても、その他の忍者達はあっという間に世界のトップクラスの敵忍者とタイマン張って勝ってたりします。
この世界にとってはナルトとその仲間と教えてくれる先輩、親世代。それしかいない訳です。その他はもう無きが如くといった感じで、そのせいで世界観がより縮こまってしまったのではないかと思います。



ただ多少の世界観の小ささはどうであれ、ここまでテンションを高めながらこれたのはやっぱり並大抵のことではないと思います。
これもきっとワンピースの作者にも言えることだと思いますけど、終わり方、終わらせ方のビジョンがある程度出来ているからこそ、そのテンションが続くのだと思うんです。

『はじめの一歩』も面白いし、その巻数も多いのですが、『ナルト』『ワンピース』とは違って明らかに終わり方とか何にも(あるいは一歩と宮田くんの対決ぐらいしか)考えておらず、話があっちいったりこっちいったりしています。けれどむしろそうなるのが普通なので、単行本を50巻越えて一本の話を作ることなんて、もうそれだけで両手をあげて降参するしかないくらいすごいことなんだと思います。


あと、このマンガで一番チャレンジしているのはそのテーマ性。


僕は『つながり』だと思っています。


登場人物は一様に誰かとのつながりを常に意識しており、それが絶たれた状態をナルト、サスケなどの『孤独』を表し、誰かと繋がっている状態を火の国の絆や仲間で現し、それを紡いでいくことを世代間の引継ぎであらわしている。
あくまですべては『つながり』を意識して作られ、それは今までの少年マンガではなかなか無かったテーマではないかと思うのです。(仲間意識とか孤独だけとかはありましたがそれらを包括してのテーマではなかった訳です)

少年マンガに限らず、どうしてもお話を見るとき個人としての考えや行動に目がいってしまうものです。それを全体で感じさせようとするチャレンジは、それが成功していなかったとしても高く評価されるべきではないでしょうか。


ある意味一番ジャンプマンガらしいとも言える作品かもしれません。



不満もありますが、やはりよきにつけ悪きにつけ一流のマンガだと思います。




ナイスレビュー: 1

[投稿:2010-05-03 12:36:29] [修正:2010-06-09 22:15:19] [このレビューのURL]

『共感できる狂気』

松本次郎というマンガ家をこのマンガで初めて知ったのですが、随分と驚いた記憶があります。またとんでもない人が出てきたな、と。
こんな感じで驚いたマンガ家さんてこの人以来いないんじゃないか。そう思うくらい稀有な作家性を持っていると思います。

『敵討ち法』という非現実的な設定を使って色んな人間の想いが交錯していく、ある意味SF的な物語なんですが、そこに描かれている人間のほとんどが人間的に欠落している。というか、狂人なんですね簡単に言えば。それがすごい。

だれもが狂っている。それがどれほどすごいことなのか。
まず、誰も公正な視点で物事を語れないわけです。すべての人間の物差しが狂っているから、それぞれが同じ物事を見ても全くちがう感情を持ってしまう。するとマンガを読んでいる人にとっては、だれに共感してよいものなのか分からなくなってしまうんです。

本来なら、主人公がその役目を果たさなければいけないところですが、あろうことか主人公の叶ヒロシが一番ぶっとんでしまってます(笑)。そのお目付け役であるヒグチは、そのヒロシですら頭を抱え込んでしまうほどの難敵ですし、唯一このお話の良心的な部分を担っている山田くんは“ある意味”一番ふさわしくない人物だったりします。

山田君。実はこの人が一番キーマンなのではないかと思うのです(事実、物語もヒロシと山田君がラストを締めくくります)。
一見考えていることもマトモで、この物語で唯一の普通の人のように見えます。けれど果たして本当にそうなのでしょうか。
彼は自分の正義を貫くために執行人となります。その為に彼女と別れて自分の志をまっとうしようともがきます。「こういう仕事を叶さんや溝口のような人間にやらせる訳にはいかない。僕のようなちゃんとした人間が責任をもってやり遂げなければ」と奮闘するわけです。

もうその時点で狂っている訳です。やっていることは人殺しな訳ですから。読んでいる人にとっては唯一話がまともに出来る人間だから騙されてしまうわけですが(笑)、彼の言っていることは「敵討ちって必要だよね。」って言っているんです。それが正しいわけがない。


誰もマトモな語り部がいない(というかマトモな人間がいないw)この作品は、では成立していないのか。

それが成立しているから、すごいと思うんです。

なぜ成立しているのか。言い換えると『なぜ面白いのか』。それは語っている内容が『敵討ち法がどうなのか』とか『殺される側の事情』とかではなく(もちろんそこもちゃんと描写されてはいるんですが)、最後まで『狂気』を扱っていたからだと思います。

それも他人が持っている狂気ではなく、身の内にある狂気です。

少なくても僕は、ここに描かれている狂気を多少は理解出来ます。多くの人にとってもそうなのではないでしょうか。
もちろんその経験があるというわけではありません。人には見えない友人を持っている訳ではありませんし、彼女に胃が破裂するほどスパゲティを食べさせたいとも思っていません(笑)。

けれどそこにある『いらだち』は共感できるのです。狂気におちいる一歩手前のいらだち。

自分の事を本当には分かって貰えないいらだち。人の事が許せないいらだち。自分の正しいと思っていることが認めてもらえないいらだち…。ここに描かれている全ての人間が持っている、『狂気の中に含まれているいらだち』はとても共感出来るのです。

少なくてもヒロシの狂気は理解できなくても山田君のいらだちは共感できるのではないでしょうか。


あるいはもっというと、世の中普通の人なんてほとんどいないんじゃないかとも思うのです。誰もが心の暗いところに小さな狂気を抱き続けている。もちろん面には出さないけども、それは確かに存在してる。

このマンガはそういう部分を照らし出した珍しいマンガだと思います。だからこそ、強く惹かれてしまうのです。まるで覗いてはいけない穴の中を好奇心を抑えきれずに覗き込んでしまうように。


作者、松本次郎は短編もいくつか出しており、それらもいい意味でぶっとんでおります。




ちなみに7点なのは個人的な採点方式のため。
正確には『個人的にはとても好きだけど、万人におすすめ出来る作品ではなく、人によっては大きく好き嫌いが出る作品。』という意味での7点です。

自分がレビューする作品は個人的には大体満点です(笑)。

ナイスレビュー: 1

[投稿:2010-06-06 06:57:21] [修正:2010-06-06 06:59:59] [このレビューのURL]