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10点 激マン!
よく言われるのは手塚治虫だよな。
あの人が漫画というものを子供の暇つぶしから、もっと能動的な教育手段、感動を与えるものとして価値観を与えたんだよな。
それは確かにそうなんだよ。
でも、その基盤の上に、また様々な人間たちが努力を重ねて世界的に日本のマンガが認められるようにもなっていったわけ。
私はその中でも永井豪という存在が大きいと考えている。既存のマンガの概念を打ち破り続けた人間だよ。
彼は常に世間のマンガに対する考え方と戦って来たのな。反骨なんだよ。
例えば、タブーとされていたエロの要素を最初に持ち込んだのが永井豪なんだよ。
『ハレンチ学園』なんて当時を知らないと分からないだろうけど、もう当時はPTAが鬼のように怒って潰そうとしたんだよな(笑)。何しろあの漫画のせいで、日本中の小学校でスカートめくりが大流行したんだから。やらないと男じゃない、くらいになってたからなぁ。
グロに関してもそう。子供が読むマンガで少女の首をはねてみたりなぁ。『バイオレンス・ジャック』の中で、少女を人質に取ったヤクザごと、首を刎ねたんだよ。
世界をぶっ壊した最初のマンガが『デビルマン』なんじゃないかな。
ロボット兵器の魁が『マジンガーZ』だったわけだよ。
もう、今の主流のマンガの源流が永井豪にあると言ってもいいよな。
日本の漫画というのは、だから反社会的な闘いであったと言ってもいいの。だから漫画の地位向上が図られたんだよ。これが日本の漫画の魂だよな。
じゃあ何故「反社会」であったのかと言えば、子供を甘やかす世情に対して、子供に被さる枠を取り払おうとしたんだよな。
つまらない、毒にも薬にもならない漫画から、役に立つ漫画を目指したのが手塚治虫だよ。そしてそこから様々な制約を取り払って、子供に現実を教え、真の夢を与えようとしてきたのが、永井豪を初めとする先人だったんだ。
でも、ある程度の市場を獲得してからは、今度は出版社による制約が始まったんだな。
これは映画界と同じなんだよ。要は「売れる漫画かどうか」という強烈な制約なのな。
『ガロ』という雑誌があったわけだけど、漫画愛好家にとっては聖典的に捉えられることも多い。それは『ガロ』が商業路線からあくまでも一線を引こうとしていたからなんだよ。要は反骨精神なんだよな。
でも、こういう時代だから。どんな崇高な理想を持って挑んでも、売れないことには話にならないわけ。ここが難しいところだよな。
でも、売れる漫画を描けるようになれば、あとは自分のやりたいことも出来る。そう捉えるべきだな。
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[投稿:2019-01-06 13:13:53] [修正:2019-02-07 14:31:19] [このレビューのURL]
10点 HELLSING
『ヘルシング』は途轍もなくいいよなぁ。
『ヘルシング』の良さというのは、一言で言えば「狂気」なんだよ。皆が狂気の中に存在しているわけ。その「狂気」が素晴らしくいいんだよな。
こういう言い方をするとどうかとも思うけど、創作の方法としてはシェイクスピアと同じなんだよ。つまり、ある一つの思想というものを多面的に表現しているの。
例えば『リア王』であれば、全ての登場人物がリア王という一つの崇高な人格を表現するための台詞になっているんだよ。『ジュリアス・シーザー』もそう。だからシェイクスピア文学というのは素晴らしいのな。一つの物語が一つの崇高を描くために全てが集約されているから。
平野の『ヘルシング』もまたそうなんだよ。それは昔ながらの「悪」というものなんだよな。
現代人って善は大好きで悪は嫌いなんだよ。でも本当の悪って実は物凄く魅力的なの。マカロニ・ウエスタンが大流行したのは、そういう悪が魅力だったからなんだよな。
『情け無用のジャンゴ』とかなぁ。棺桶ひきずって歩く主人公なんだよ。
『ヘルシング』ではみんな悪人なんだよな。しかも飛びっきりのなぁ(笑)。だからカッコイイんだよ。全員が狂気の中に生きているだろ?
聖職者だってそうじゃない。「狂信」という紛れも無い狂気なんだよ。だからいいのな。
生き死にを超えた何かでみんな生きている。だから他人の死なんて歯牙にもかけないよな。誰かが死んで悲しんでる奴なんて一人しかいないじゃない。
最初は婦警セラス・ヴィクトリアという現代的な正義が喪われるよな。そこからもう混沌が始まっているんだ。そのセラスも後半はぶっ飛ぶからあの凄まじいロンドンの崩壊がリアリズムをもって迫ってくるんだよ。チンピラのような小悪から一挙に巨大な善と悪の闘争になって行くじゃない。そこに絶対の善も悪も存在しないんだよ。ただ生の躍動というものの巨大な物語になっていくのな。
もう全てが現代民主主義に反するものなわけだよ。だから当然現代では「悪」ということになるな。しかし、そういう「悪」に対して誰も批判しない。敵同士であってもだよ。
例えばマクスウェル。あいつの狂気は神に対する狂信なわけだ。しかし同じ狂信であってもアンデルセンとは違うよな。何が違うのか。
それはアンデルセンが名声を求めずにひたすらに異教徒を潰す人間であるのに対し、マクスウェルは大分人間臭いわけ。しかしその人間臭さの向こう側に何があるのか、ということなんだよ。
マクスウェルは「異教徒狩」というものの拡大を夢みていた人間なんだよ。つまり現代的な名声を求めていたわけではないの。
だから大司教となって自分が軍団を率いることになり、彼は狂喜するんだよな。自分の夢が叶ったからなんだよ。
しかしアンデルセンはもっと深い夢を抱いているんだよな。それは神に仕えることそのものの歓びなんだよ。対してマクスウェルは神の力を振るうことで神の栄光を讃える道を進みながら、それを踏み外してしまった、ということなんだな。
まあ難しい言い方になってしまったけど、アンデルセンは死を望んでいた人物であり、マクスウェルは生を求めてしまった、ということなんだよ。
実はこの二人に投影されているものは、キリスト教の歴史そのものなんだ。キリスト教は初期には殉教を切望する宗教であり、それが拡大するにつれて神の代行者としての権力を希求するものにもなっていったわけ。
それが歴史的に繰り返されてきた宗教なんだな。宗教改革ってそういうことなんだよ。
まあ、マンガだから分かりやすいように無差別攻撃を始めたマクスウェルを誅する、という構図になってはいるんだけどな。
私はアンデルセンのような人物はもちろん大好きだけど、マクスウェルのような人物も大好きなんだよ。人間の持つどうしようもない悲しみの体現でもあるんだよな。
人間はあまりにも巨大なものを前にすると歪んでしまうことも多いわけ。中世までの神を中心とした思想が崩れてしまった背景に、私は巨大なドーム建築というものを考えているんだよ。つまり神を間近にしてしまったんだよな。
神の栄光を讃えるために巨大ドームを建築し続けた。まあビザンティン建築だよな。それが高まって、人間が巨大なことが出来ると錯覚してしまったんだよ。神を讃えながら神に近付くことが出来たと思い上がってしまったんだな。
恐らくは人間は歴史的に過去にもそういうことがあったんだよ。だからバベルの神話のようなものが書き残されているんだよ。
まあでも、自分が信ずる価値に生きて死ねば人間はいいんだから。正しいかどうかなんてことはどうでもいいんだよな。
また、あの少佐は明らかに作者の投影なんだよ。
要は人間とは戦争が大好きである、というな。戦争ほど楽しい祭は無い、ということなんだよ。
「皆そうだろ?」っていうのが平野の正直な気持ちなわけ。そしてあの狂気の連中は全員嬉々としてその戦争に自ら巻き込まれて行くわけじゃない。誰も嫌がってないよな?
皆が敵を「ぶち殺す!」ってなってるわけだよ。全員がそうだから、物語が物凄い加速をするよなぁ。
戦争が大好きだから、戦争をする。そういう単純明快な人物なわけ。だから相手を定めて、戦争をせざるを得ないように持って行くわけだよ。
大義は一切ないのよな。ただただ戦争がしたいだけなんだよ。だってみんな大好きなんだから、何が悪いってことなんだよ(笑)。
非常に素晴らしい男だよなぁ。
勝つか負けるかさえもどうでもいいのな。どデカい戦争になれば、それでいいだけ。そういうことも演説で言っていたじゃない。
戦争って異常に楽しいものなのな。
どデカい闘争をしたかったから、アーカードを標的に選んだんだよ。それに見合う戦力がないとそうならないから化物を兵站した、ということだよな。
しかし、己が化物になっては闘争を楽しめないんだよ。純粋にはな。指揮官は人間であらねば、真の闘争を楽しめない。
それはアーカードの台詞にも何度も出て来るじゃない。「化物を斃すのは常に人間である」というなぁ。よく分かっているんだよ。人間だけが生の躍動を感じられるわけだから。不死者になってはダメなのな。
この作品の本質って戦争讃歌なんだよ。命乞食の現代人を嘲笑っている作品なのな。ジワーーっと染みて生きてるような連中にはわからないものなんだよなぁ。近代以前の「狂気」は。
その現代人の反映がセラスだったわけだ。しかし最後はちゃんとキレるよなぁ(笑)。
要は、戦争は普遍的に楽しいってことなんだよ。
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[投稿:2018-08-09 10:37:05] [修正:2019-01-23 01:10:59] [このレビューのURL]
10点 ハロー張りネズミ
弘兼憲史氏の原点となる作品であり、同氏の一貫した作風がここで確立されました。
初期作品なので画力やギャグにはある程度目をつぶる必要はありますが、
シナリオ構成力、情感、人間観察力など、ドラマ脚本家としても大成
できただろうと思われます。
追記:改めて全巻を読み返しました。
弘兼氏の最高傑作ではないでしょうか。
初期の十数話は見るべきものはないのですが、或るところからは練に練られた
お話が続きます。
サスペンスとミステリーが基本ですが、ホラーあり、SFあり、世情の裏話ありです。
弘兼氏の評価を高くするのは、人情ものでしょう。
ファイル118 玄待屋の女(映画黄色いハンカチの焼き直しの匂いも強いが?)
ファイル119 夢で逢いましょう
などは弘兼氏の油の乗りきった時期と重なったのか、最高の出来栄えです。
2019年現在70歳になろうかという同氏ですが、彼に替わる次代の作家さんが
見当たらないのは残念です。
不出世の作品でしょう。
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[投稿:2010-11-14 10:05:25] [修正:2019-01-22 18:38:39] [このレビューのURL]
10点 永遠の0
何故この作品が戦争の美化だの反戦だのと言われるのか、私にはまったく理解不能ですね。
現代人の頭の悪さというか、性格の悪さと言うか。もう「戦争」というものが出てくるだけで、異常反応を示す。どんな美しい話も戦争が描かれるだけで、戦争の是非や否定に走ってしまう。
『永遠のゼロ』という作品は、現代日本の腐敗というものを呈示した作品なのね。そして戦前の人間の美しい生き方というものを呈示し、現代で喪われているものを取り戻そう、という文学。戦争ではなく、「生き方」の話なんだよ。
あの健太郎という若者が現代人の象徴となっているわけ。他者の評価を求め、そのために優秀であろうとし、それが出来ないと今度は逃げ回っていくだけの自堕落な人間となる。自分の損得で生きる臆病者の卑怯者なんです。
そういうダメ人間=現代人が、昔の人達の美しい真の生き方を知る、というのがこの作品のテーマになっているわけ。何でこれが分からないのか全く分からない。
戦後に喪って戦前にはあったものなんですよ。それは「戦争」なんかじゃないの。美しい心の問題だから。
その美しい生き方がどういうものかと言えば、それは自分の目の前にある現実(運命)にきちんと向き合って、それから逃げずに対処することだよ。何らかの大事なものが中心にある生き方。だから逃げないんだな。
厳しい現実となる戦争の中でもそうやって貫いた人物が、主人公たちの祖父の久蔵だった、ということ。
最初は母親の思いを酌んで始まるだろ?それは自分の存在の根底である母親を中心にした思考だった、ということ。つまり美しい人生の始まりとなる基本なんだよ。
そしてまず久蔵と同じく零戦乗りであった長谷川という人物が出てくる。彼は生き残って戦後にいるわけだけど、それを激しく後悔している。その後悔は、戦後の日本が自分たちの美しい心を踏みにじっているからなんですよ。
そこから久蔵の人生を知るにつれて、その美しい生き方が孫達に伝わって行くわけ。
そして「ゼロ」と米軍に恐れられた零式戦闘機が、何であったのかが分かって行く。
まあ、零戦が戦闘機にしか見えない奴はダメですよ。モノをモノとしか捉えられない、戦後の物質主義者です。魂というものの崇高が分からない。
「永遠の」と題した著者にはよく分かっていることなんだよな。
大体戦争なんて否定するものじゃないのね。これは人間の文化の一環だから。だから歴史上常に戦争は在るわけ。今もちゃんと在る。
必要なことは現実を受け入れて、どんな時代でも美しく生きようとする心だけなんだから。だから戦争の中でも崇高も美も幾らでもあるわけ。
今の日本人の戦争否定なんて、要は自分が損したくないだけのワガママに過ぎないから。
だから戦争反対と言いながら、誰も世界の戦争を止めに行かないだろ?。所詮自分だけの問題だからなのな。
それに日本が戦争を放棄したとかほざいてるけど。それって自分たちが安全な場所にいるからなんだよ。どっかの国が侵略しに来ても「自分達は戦わないけど、アメリカさん、戦って死んでね」っていうことだから。
もう世界最低の民族ですよ。
この今の日本の態度って『永遠のゼロ』の中に出てくる戦時中の軍の上層部と全く同じものだから。他人がいくら死んでも、自分たちの安全を謀るっていうね。
恥を知れ、ということですね。
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[投稿:2018-08-14 23:14:49] [修正:2019-01-18 12:31:41] [このレビューのURL]
10点 ゴロセウム
ゴロセウムは実にいいよなあ。
「バカ」であることは、旧制高校、また昔の伝統的な大学で最も大事にされていた項目だった。
「かっこいい!」「面白ぇ!」というような純粋で単純で強烈な感動が、バカを生み出す。
自分が死ぬかもしれない殺し合いを楽しく展開できるのは、バカだからだ。
しかし、この世はバカにしかできない領域がある。
ミッシェル・フーコーは「近代は狂気を檻に閉じ込めた」と言った。その結果、お利口さんばかりが幅を利かせるようになってしまった。
清々しいバカはこんなにも美しいのに。
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[投稿:2019-01-06 10:59:03] [修正:2019-01-06 10:59:03] [このレビューのURL]
10点 HELLSING
良い点は台詞回しと絵がとてもかっこいいと言うこと。ここでのかっこよさとは中2病的なかっこよさを指します。他に緻密な絵の漫画は数あれど、ベタ塗りの高カロリー作画で劇場的な高カロリーな台詞回しで、でもくどく感じない、カッケーと思える、このような漫画は他にない。キャラクターの思想は一貫していて全員かっこいい。
紛れもない中2漫画の最高峰で一番好きな漫画の一つ。でもOVAはもっと面白い。
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[投稿:2018-12-27 10:11:27] [修正:2018-12-27 10:11:27] [このレビューのURL]
10点 I”s <アイズ>
この作品が連載されていた頃まだ子供だった自分
ぶっちゃけ桂先生=エロというイメージが出来ておりそれ目当てで購入してました
しかし読み始めてラブコメとしての面白さに惹かれエロのほうは二の次三の次になって行きストーリーやキャラクターの魅力に心奪われていきました
この作品の主人公瀬戸一貴は良くも悪くも普通の高校生でそんな彼の一人称で物語は進みます
そんな彼にとても感情移入できたため本当に面白く先の展開が気になって仕方なかったです
一貴と一緒になって一喜一憂してたあの頃が懐かしいです
メインヒロインの伊織ちゃんも素晴らしかったです
高嶺の花なのに優しくて本当に大好きでした。ラブコメのヒロインの中で一番好きな人です
最近ふと懐かしくなって購入して読み返したんですが色あせない面白さと懐かしさで涙が出そうになりました
未だに自分の中で最高傑作に君臨する作品です
と言うわけで恋愛物が好きな方には文句なしでお勧めの1冊です
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[投稿:2018-12-22 08:40:36] [修正:2018-12-22 08:40:36] [このレビューのURL]
10点 東京大学物語
序盤は面白い。函館編は間違いなく傑作。中盤以降は惰性で書いてる感満載でクオリティは下がりまくりただのエロ漫画と化す。それでも読めるのはキャラのおかげかな。
序盤凄い作品なだけに夢オチばっか話題になるのは残念だけど、中盤以降のくそみたいな展開を見るに非難を浴びても仕方ないか。
とりあえずみんな知ってる事だけど作者はキモイ。
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[投稿:2018-12-18 14:01:36] [修正:2018-12-18 14:01:36] [このレビューのURL]
10点 銃夢-GUNNM-
エリジウム的な格差のある世界観のSF漫画。
モーターボール編が一番好きです。
序盤に仲良くなった少年は死ぬわ、イドはああなるわ、鋼鉄の天使ガリィにとっても読者にとっても容赦ない展開が続きます。
マカクやザパンや博士をはじめとする敵キャラが立っててゾクゾクします。
SFとしての設定に目新しさはなくなったかもしれませんが、人間描写の掘り下げが深く、今なお哲学的な魅力がある作品です。
定期的に読み返したくなります。
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[投稿:2018-12-17 19:32:42] [修正:2018-12-17 19:37:46] [このレビューのURL]