ぼくらのよあけのレビュー
8点 jdf54jさん
何か一つ抜きん出てる訳ではないが、間違いなく傑作。例えるなら
マッチ棒で作った五重の塔とでも言うか・・・カバー見れば
おわかりのとおり、当初から2巻で完結させる気だったと思われる。
導入はパッとしなかったが、序々に話を広げて、綺麗に畳んでいる。
登場人物一人一人が主人公のようで、話があっちこっち逸れるが
軸がぶれずに一つの主題に収束していく展開が心地良い。
SFと人間関係のいざこざの話が無理なく混ざっていると思う。
宇宙に憧れる男の子、地球に不時着した宇宙船、男の子の世話をする
AIロボが出会い、話は始まっていくのだが・・・
マンガ大賞はこういう作品こそ取り上げるべき。
どうせ2巻だけなので、ちょっとでも気になったら購入してみては。
作者は生真面目な人なんだろうなーと読んでて感じた。万人向けだが
万人向けによくある通俗的な感動作より2つ位上いってる。
ナイスレビュー: 1 票
[投稿:2012-04-13 23:52:41] [修正:2012-04-14 00:12:59] [このレビューのURL]
5点 gundam22vさん
夏休み的な子供のジュブナイル青春(綺麗事だけじゃない苦さもある)と科学の融合作としてのコンセプトは評価したいし、つまらない作品ではないのですが、そういうのが読みたいならまずは「なつのロケット」と言いたくなるような微妙さを感じました。
ナイスレビュー: 0 票
[投稿:2018-07-21 20:24:30] [修正:2018-07-21 20:24:30] [このレビューのURL]
9点 頭突き串の寿司さん
団地の棟が宇宙船なんて夢があるじゃないか!
子どもの頃のひと夏の思い出的な話。
こういう話はいつ読んでも良いなーと思える。
舞台となるのは今より20数年先の未来で、主人公たちは団地に住んでいる。
この団地ってのが良い距離感だと思う。
近未来という設定のなかで若干浮いたような。
全体としてはさわやかで、
話がSF一辺倒にならないのはこども視点の描写が飛び抜けてリアルだから。
2階から1階まで10歩で階段を降りてやろう!とか
あの建物は牛乳ビンに似てる!とか
こどもならではの発想と同時に、「死」といったものに対する漠然とした不安も描かれたりする。
かと思えば途中に挟まれる小学生女子たちによるいじめもリアルで。
作者は未来の技術を細かく考え出していて、
そのなかのひとつの「サブ」と呼ばれるツイッターもどきを使ったいじめなんだけどこれが相当エグい。
これと同じようなことが今起こっているかもしれない、と思うと笑えない…
ところで2巻・10話に過不足なくまとめたストーリー、そしてラストにしてもいうことはないくらいなのだが
会話の端々でのセリフで気になる箇所があった。
(具体的にいうと「けど」の乱用
初めは子供たちの会話で使われその拙さや必死さが表れていたのだが
大人たちも使うようになりキャラをまたいだ乱用が鼻についた)
ここらへんが残念、マイナスポイント。
かつて同じ夢を描いた大人たちと力を合わせ未知なる者との出会いを受け入れていく
そんな「地球のなかでだって難しい」ことを宇宙スケールでやってのける。
純粋な子供のころの気持ちに戻ることができる素敵なマンガ!
ナイスレビュー: 0 票
[投稿:2012-05-02 18:54:05] [修正:2013-03-18 16:51:55] [このレビューのURL]
8点 booさん
きっちり約1年かけて全2巻で完結させてくれました。こういう短い巻で作者のやりたいことをしっかりやりきった漫画は珍しいだけにすがすがしい。
舞台は2038年の日本。人工知能のお手伝いロボットが一般的になり始め、携帯やパソコンの“つながる”機能は飛躍的に進歩している。
小学4年生のゆうまは自分の家のお手伝いロボット、ナナコとなかなか折り合いがつかないでいた。ある日友達の家に遊びに行く途中でナナコがおかしくなってしまう。故障かと心配するゆうまであったが、そのナナコに案内されて団地の屋上にたどり着いた先には異星の人工知能が待っていた。地球に墜落した人工知能を母星に帰還させるため、ゆうまと彼の友達は奮闘することになって…。
私が小学生ぐらいの頃に流布したドラえもんの最終回というのがありました(藤子先生ではなくてファンの創作)。ある日バッテリーが切れて動かなくなってしまったドラえもん。ドラミによるとバッテリーを換えてしまうと耳に存在したバックアップメモリーのないドラえもんは今までの全ての記憶を失ってしまうという。どうしても諦めきれないのび太は猛勉強して一流のロボット工学者に成長し、やがて記憶を消さずにバッテリーを取り替える方法を開発するのだった。というのが簡単なあらすじ。
これ小学生ながらにすごく感動したんだよね。今考えてもすごく良くできていると思う。「ドラえもん」においては、もちろんいつまでものび太は大人にならない。しかしもしのび太が大人になるとしたら、それは確かにドラえもんと別れる時であり、そして大人になれば夢を追いかけることが出来るのだ。
「ぼくらのよあけ」はドラえもんともしかすると上のファン創作の最終回にインスパイアされたSFではないかと思う。ぼくらのよあけは最終回までに彼らの“よあけ”、大人になった姿が描かれただけではなく、彼らの親との関わりを通してかつてのび太だった人々の姿をも見せてくれた。家庭や仕事に責任のある彼らは昔のように、彼らの子どものようにもはや冒険することはできない。でも大人になったからこそ分かることがあり、出来ることがある。
ここで描かれる未来像はまだまだ現実的ではないものの現実の延長線上にあることは強く感じられる。つながりたいしつながってないといけない。子どもは昔も今もそして何十年後であっても楽ではないけど、未来への夢と希望があるのは変わらない。誰もがかつては子どもであって、誰もが大人になっていく。そんな当たり前のことはこんなにもわくわくに満ち溢れている。
ということでドラえもんを卒業した人にぜひ読んでみて欲しい。別にドラえもんに思い入れがない方でも、誰もがのび太だった時代はあるのだから。
子どもの頃のわくわくと成長するにつれて失われてしまったものの切なさ、そして大人になったからこそ出来ること。どこにでもあるような普通の団地に宇宙への扉が隠されている。
大人になったのび太はもう一度ドラえもんに会いに行くのだ!
ナイスレビュー: 0 票
[投稿:2012-01-27 01:11:24] [修正:2012-01-27 13:58:41] [このレビューのURL]