「白い犬」さんのページ

総レビュー数: 116レビュー(全て表示) 最終投稿: 2005年12月06日

[ネタバレあり]

この漫画を読んですごく面白いとは思わなかったけれど
なんて展開がトロいんだろう・・・とちょっとイライラした。
でもこのイライラ、私にはわかる。
主人公が中高生の童貞処女なら、ラブストーリーは簡単だ。
ファーストキスに初体験に向けて人生初めての恋愛は未知の領域で
アドベンチャーに近いものがある。「もっと先へ」と若さと勢いで突き進んでいく。
でも主人公のタカコサマは三十路の女。一通り恋愛は経験している。
だから恋愛の恐怖を知っているのだ。相手の連絡を待っているときの
さびしさや失恋の痛みを。
動物は一度痛みを知るとその物事に対して臆病になる。それは人だってそうだ。
ほとんどの男は若い女が好きだ。女子高で毎年若い女がトコロテンのように次から次へと押し出され補充されていく環境の職場でいやでも自分の年齢を感じざる得ないタカコサマの前に現れ「年下には興味ない宣言」した小津はまさしくハクバの王子様だったのかもしれない。
でも婚約者つきの王子様。小津に惹かれていくけれど玉砕は目に見えている。タカコサマの性格では「婚約者がナンボのもんじゃい!!
うばってやるわ!!」というファイトはまずない。
だから相手の気持ちをだましだまし、軽いジャブをだして石橋たたきながら、けん制しつつトロトロと進んでいかないとタカコサマはこの恋でボロボロになるのだ。

タカコサマがある日突然はじけて暴走するか小津が婚約者とタカコサマをはっきりと天秤にかけ「こっちだ!!」と決めない限りこのイライラトロトロのペースは変わらないと思う。
個人的に小津の優柔不断さにムカつく。
物語の結末が小津とくっつこうが別れようが何でもいいから
タカコサマ幸せになってね。

ナイスレビュー: 0

[投稿:2007-08-13 13:18:57] [修正:2007-08-13 13:22:58] [このレビューのURL]

漫画レビュードットコムのみなさん、こんにちは。
最近のレビュアーに下手すれば若気の至りでできちゃって
生んでいたら娘、息子の年齢の年の差のレビュアーがいっぱいいて
ちょっと凹み気味の白い犬です。そんなドモホルンリンクルも注文できるお年頃の私にはこの漫画、「あーあー、いるよそういう男」「そうそう、こういう女が男かっさらっていくんだよね・・・」とうなずきながら読まずにいられないネタがてんこもりです。
江古田ちゃんはなにしてもどうがんばっても男の本命にはなれずダメ男の都合のいいキープ女にしかなれない、しかも定職についていないという恋愛、仕事いつも崖っぷちで生きている姿(全裸)には涙が止まりませんでした(嘘)
これは二十代過ぎたあたりの女性のほうが(とくに江古田ちゃんのようにひとつでも男で痛い経験した人)身にしみる面白さだと思います。
若くってかわいくってちやほやされた経験しかない女性にはこの漫画を読んで面白い、と思ってもこの「身にしみる」面白さはわかるまい。
あ〜らオバちゃんひがんでる?もしかして?
ごめんなさいね、年取るとひがみっぽくなっちゃって。

ナイスレビュー: 0

[投稿:2007-08-07 18:20:13] [修正:2007-08-07 18:20:13] [このレビューのURL]

[ネタバレあり]

この作品は非常に完成度が高い。しかしマイナス点をつける人の
大半は「下品」「エロ描写が多すぎる」ということを
いっている。個人の感想なのでそう感じてしまうのはそれでいいことだ。
私が思うに、この作品が下品なのは徳弘テイストのお約束的下ネタギャグは仕方ないとして性描写の多さは「セックス」という肉体の繋がりが物語の核になっているからだと思う。(読者サービスもあるのだろうけど)
男と女が隔離されて人口制限されている近未来。セックスは政府の管理下におかれている。個人と個人の結婚、セックスは権力者のみの特権である。そんな世界でエリカは権力者により性的人権を踏みにじられ、
またプログラマーとして数々の男のむきだしの欲望を目の当たりにして
絶望の世界の中生きていた。そしてその世界からエリカを救ってくれたのは狂四郎とのセックスなのである。セックスで貶められた精神を癒せるのはセックス、という矛盾のようだがセックスの生殖目的以外の意味の二面性をSFという設定の中でよくぞうまく表現したものだと思った。いや、男女完全隔離というSFの世界だからこそ描けたのかもしれない。
物語は複雑化して政府を狂四郎&バベ+エリカが倒すことを期待した人にとってはようやく二人現実世界で出会って本部から抜け出しておしまい、という展開は納得がいかなかったと思う。(タイムマシンの伏線も
ほったらかしだし)徳弘の手腕なら狂四郎達がこのあと政府を転覆するくらいのストーリーが描けたと思う。でも徳弘はあとがきに書いているが物語はロミオとジュリエットであってあくまでもラブストーリーとしてのハッピーエンドを選んだ、とあった。たぶん徳弘本人も相当迷ったのではないかと思う。
でもはじまりがラブストーリーであったこの作品を途中作者が社会派に目覚めて風刺しだしたりするより(そういう漫画、長期連載だとたまに見かけますよね)いさぎよくラブストーリーで締めたことで私はすっきりした。めでたしめでたし、というところです。



あと下ネタのない徳弘漫画なんて牛肉抜きのスキヤキみたいなもんですよ。


それにしても、ここまで設定が完成されてると
ハリウッドあたりがしれっとぱくりそうですね。
ほら、ハリウッドって日本の漫画やアニメから
設定とかなにやらけろりとアイデア盗むじゃないですか。
なんて余計な心配してみたり。


ナイスレビュー: 1

[投稿:2005-12-08 17:35:18] [修正:2007-08-07 15:24:15] [このレビューのURL]

中高生時代、いわゆる青春時代に夢中になれるものがあった人は幸せだ。それは部活などのスポーツ、恋愛はもちろん「青春を犠牲にした」とまで後に語られる受験勉強ですらそうだ。
だってそれらには結果がどうであれ目標、ゴールがあるから。スポーツなら大会優勝とか記録を出すとか恋愛なら好きな人と結ばれること、受験勉強は第一志望校への合格とか明確な未来へのビジョンがある青春。これを幸せといわずとして何といおうか。
ほとんどの人間は将来これといって目標がなく明確なビジョンがない、うだうだだらだらのらりくらりの「無駄な時間」をすごした青春時代を送っているのである。
青春時代の少年少女を主役にした漫画はほとんどがスポーツや恋愛のドラマである。
目標だゴールがあるとストーリーの基本、「起承転結」あって大波小波のメリハリがついて読者を引きずり込めるからだ。
しかし敷居の住人には誰一人目標だのゴールだのない。起承転結の起と承を延々と繰り返し転?結?な締めくくりである。しかしこれこそが
「無駄な時間」をすごした青春そのものなのである。
事件も何にもないのにその「無駄な時間」をすごした青春を漫画にして読者を引きずり込む志村貴子の力量はすごい。「日常の空気」をそのまま原稿用紙に描ける稀有な作家だと思う。
「なんにも事件らしい事件はおきないじゃないか」と読んでいてイラつく人がいるかもしれない。そういう人はきっと目標がある青春時代を送った人か、目標がある青春時代にあこがれていた人だと思う。(もしくはそういった青春期真っ最中)
この漫画を読んで面白いと感じた人は「無駄な時間」をすごし、そのなかでイラついたり自己嫌悪したり悪態ついて八つ当たりしたり敷居キャラのうだうだな日常に共感できるところがたくさんあったに違いない。

ついでに私は見事なまでに「無駄な時間」をすごした青春時代派なので敷居の住人の世界が心地よくて仕方がない。それは決して青春時代へのノスタルジーからではなく青春時代から今でも延々と続くうだうだだらだらのらりくらりの日常を敷居の住人から感じ取れるからだ。
ゴールなき日常、事件のない生活、ほとんどの人間の人生なんてそんなもんですよ。



ナイスレビュー: 1

[投稿:2005-12-10 18:44:37] [修正:2007-08-04 20:01:12] [このレビューのURL]