「nur_wer_die_sehnsucht」さんのページ

総レビュー数: 23レビュー(全て表示) 最終投稿: 2018年08月09日

[ネタバレあり]

手塚治虫という人間は、漫画によって子供達に何事かを与えようとした人だな。
漫画が悪であるという時代にあって、闘い抜き、後には漫画というものを社会の中に定着させることに尽力した。漫画を確立した人だから、今も神様と呼ばれているよな。
『ブラックジャック』という作品は彼の代表作の一つに間違いないが、非常に特殊な作品でもある。
『火の鳥』と並んで、命というものを哲学的に追究したものだな。しかも現実の中でだ。
もちろん漫画という非常に制約の多いものだから、自ずと描ける限界はある。でもやろうと思ったわけだ。

この『ブラックジャック』の原点は、山本周五郎の『赤ひげ』だよ。
「医道」というものを体現したあの赤ひげを、ブラックジャックという現代の外科医に投影している。つまり手塚の理想の医師が赤ひげの中にあったんだな。

で、手塚が描こうとしたのは生命というものの姿だよな。
ブラックジャックは外科医の仕事として、何としても患者を助けようとする。つまり生命は生きるべきだ、という哲学通念になっているわけだ。しかし一方で、生命自身の力を見せつける話や、キリコのような死による解放という思想も手塚は呈示している。
本間先生がメスを腹の中に忘れた話なんかは、外科医の必要性を嘲笑うかのようだよな。あれは実話を基にしたものだよ。視覚ではない、知識でもない中で、生命は体内の異物を排除するためにカルシウムで覆って身体を守ったんだよな。そういう実例があるの。
つまり、手塚は超絶の医師に極限の現実をぶつけ、また難問を投げかけて、生命の本質というものを探り出し見せようとしたんだよ。

手塚自身も医師であったんだよな。だからあれは自身への問いと答えであり、まあアランの『定義集』のような自問自答で思索を続ける作品だったんだな。
だから「哲学的」ということだ。

ブラック・ジャック(間黒男 )は非常に一貫したキャラクターだよな。
仕事として治療を引き受け、それを何としてもやり遂げる、というものだよ。
しかし、手塚はリアリズムを強めたから。だから、時には悩み苦しみ失敗することもあるというものだな。
またやはり漫画というものの制約が今以上に強い時代だから、描きたいように描けなかったことも多いとは思うよ。
で、私にはブラック・ジャックは全く性格破綻者には見えないな。たまにそういう人がいるんだけど。まあ現代的な思考として、多額の報酬を要求するのが悪いとか、そういうことで感ずるんじゃないのか。少なくとも生命を弄ぶようなことは一切無いよな。

まあ、私の若い頃には大学病院なんかでは上でのいい外科医に手術してもらおうとしたら、みんな札束積んでたよな。リアリズムなんだよ。
もちろん漫画の中には漫画のリアリズムがあるから、現実離れしててもいいんだけどな。馬と人間の脳みそとっかえたりもしたけど、あれは流石に不可能だから。

まあ最初の方にも書いたけど、手塚はブラックジャックという超一流の人間に難しい問題を突き付けて行こうとしたものだから。だからブラックジャックの主張や思想が正しいとしているわけじゃないんだよ。むしろ手塚の本心とは別なものだよな。だからこそ生きる命に拘る医師であるんだ。
同じくキリコや琵琶丸にも現実をぶつけるよな。主役ではない人物だが、手塚にはああいう思想もあるんだよ。だから問いたださざるを得ないんだ。

漫画だから、非常に編集サイドの意向も取り入れざるを得ないものだ、ということは知っておいた方がいいぞ。だから人気を維持しなきゃならんし、社会規範の影響も大きいんだよ。悪人だからって惨い殺し方は出来ないんだしな。特に昔はな。
ただ現代人はあの超絶の腕前にばかり反応する気がするよなぁ。私なんかは命の哲学に断然興味があるけどな。まあ、現代人の卑しさと闘う話も多いけど、そっちは人気取りの要素だよな。本質は人生、命の話だよ。

ナイスレビュー: 1

[投稿:2018-08-10 10:40:42] [修正:2018-08-10 10:40:42] [このレビューのURL]

[ネタバレあり]

『イレブンソウル』はいいよなぁ。断然いい。
真の崇高というものが、命を擲つことにある、ということが分かっているんだよな。
「志」というものを体現した乃木こそがあの物語の中核なんだ。
その乃木は罪深い人間であったわけ。その罪こそが乃木を崇高な人間に仕立て上げた。
伊藤は生きたかった人間だった、ということだな。自分が生きる場所を常に求めていた。だから崩壊したんだな。
いおりんもいいよなぁ。本当にいい女だよ。五六八も円ももちろんいい。
自分が死ぬことを決する者は美しいよなぁ。

人間とは何なのか、という問題なんだよな。
だからあの乃木が全ての中心なんだ。
それは即ち、自分以外の何かのために死ぬ、ということなんだよ。
万にはそれがあり、奈々には無かった、ということだ。
だから万の死は他の人間に展開し、「人間」としての尊厳を創造したんだよな。
奈々には無かったから。自分だけしか大事なものがねぇだろ? だから欲しがるだけの怪物になったんだよ。
裏切られたから自分も裏切っていいっていう理屈よな。
万には兄貴がいて、自分と同じ境遇のタケチーがいたわけじゃない。大事な人間がいたんだよ。
自分以外の大事なものを持てば、それが自分をどこまでも支えることになるんだよ。それが「人間」というものなのな

フランソワ・ヴィヨンの『バラード』の冒頭に
「泉の畔に立ちて 喉の渇きに我は死す(Je meurs de soif auprès de la fontaine.)」
と書かれているんだな。
喉が渇けば水が欲しいんだよ。それは動物である人間の生命の発露なの。正しいことなんだ、生くる生命としてはな。
でもヴィヨンは飲まない、と言っているわけ。飲まずに自分は死ぬのだ、と。
何故なのか、ということだよ。飲まない理由があるんだよな。
「人間」というのはそういうものなんだよ。死ぬことを自ら選べるんだ。
現代の生きたいだけの動物にはわからんよな。三島の死だって全然わかってないバカもいるわけじゃない。なんか一生懸命に人気を欲しがってるバカよなぁ(笑)。
ヴィヨンのこの詩の「泉」とはキリスト教のことだよ。自分は神にすがらない、ということだよな。そこまで強烈なものを抱いていたから、ヴィヨンは多くの近代の人間を魅了したんだよな。
欲しがる奴はダメなの。自分が何かの価値観のために死す者こそが「人間」というものなんだよ。

まあ、『マブラブ』も似た設定だけど、どうにもこうにも『イレブンソウル』の方が崇高だよなぁ。
それは人間の強さと弱さというものがちゃんと描かれているからなんだよな。「正しさ」なんてものではないわけ。「強さ」なんだよ。
その「強さ」が数々のカッチョイイ台詞を生んでいることに気付かないといかんぞ。「カッチョイイ」って「強い」ってことなんだからな。

ナイスレビュー: 0

[投稿:2018-08-09 22:21:38] [修正:2018-08-09 22:21:38] [このレビューのURL]

[ネタバレあり]

一本貫いていることでキャラが立って非常に魅力的な作品になっているんだ。
でも『無限の住人』というのは、本質は「仇討ち物」なんだよ。
昔からあるジャンルで、弱い者が自分の背負った「義」によって強気悪を斬る、というな。
そこに現代らしい面白い味付けをしたわけだよ。不死身の肉体だの異様な武器だのを。でも中心軸は「仇討ち物」なんだよな。
「仇討ち物」で何が重要かと言えば、もう仇討ちをする義と力との相克なわけ。通常は仇は悪くて強い。対して討つ側は弱くて正しい、という構図なんだな。だから「仇討ち物」というのは、不可能を義によって為す、という所がいいんだよ。
実際は強い味方が討つ側に助太刀に入って、何とかなる、というパターンが多いよな。『決闘鍵屋の辻』って言ったら、もう荒木又右衛門の英雄譚になっているじゃない。
『無限の住人』も凛という弱い娘に万次が味方についているのだから。もう「仇討ち物」の定番のパターンだよ。

だけど沙村はこの構造を捻って見せたわけ。仇が真っ黒な悪ではなく、また討つ側も真っ白な善ではない。
善と悪が錯綜する中で、物語が躍動して行くようにしたんだな。
何故躍動するのかと言えば、それは登場人物がみんな一本貫いているからなんだよ。
逸刀流は個の強さを誇る流派であり、各々の生き様は一本貫いているよな。個々を見て行くと、何が善で悪なのか、正しいのか間違っているのかがわからなくなるんだよ。
更に吐率いる無骸流が乱入し、物語は一挙にクライマックスに達するよな。
あの無骸流というのは、二者で混沌となった仇討ちの物語をもう一つの力によって強制的に動かす要素なんだぞ。

まあしかし、非常に魅力的なキャラが多いよなぁ。そうは思わんか。それは全部「一本貫いている」ということなんだよ。人間の魅力ってここだからな。このことは覚えておけよ。
一本貫いていることを鮮明に見せるために、ド変態キャラが多いわけだからな。「こんなことを一本貫いちゃってます」と読者に衝撃を与えるんだよ。
常識的な奴ってつまらないんだぞ。
最初の段階からそうじゃない。黒衣鯖人だろ? 強烈だよなぁ。
以後ロリコン剣士だの、隠密絵師だのって、みんな異常だろうよ。
極めつけは尸良だよなぁ。もう明確に邪悪な男でありながら、やっぱり一本貫いてるんだよ。
まあ、オズハンあたりになると、もう流石の私も解説出来ないよ(笑)。一体何を貫いてんのかわかんないよな。
この作品の成功は、明らかにキャラが立ってることだ。一本貫くことによってだよな。そこに異常さを加味することで、日常を乗り越えた燃えるものがあるわけだ。
でも最後はきっちりと「仇討ち物」になっているだろ?
「あ、そうだったっけ」と思い出した読者も多いと思うよ(笑)。それだけキャラの魅力に引っ張られて、力強い作品だったからなぁ。

ナイスレビュー: 1

[投稿:2018-08-09 10:43:56] [修正:2018-08-09 10:43:56] [このレビューのURL]

両作品とも、最初はただのチンピラだろ?
特に『エア・ギア』なんて自己中心的なワガママ坊ちゃんじゃない。自分の技で駆け巡る不良少年を描きたかったんだろう。しかし、やっぱり二人の主人公には狂気があるんだよ。損得以外の何かに向かって進むようになって物語は加速するんだよ。
『天上天下』も同じだよな。不良少年なんだよ。大暮維人は不良少年が好きだし、そこに突っ込んで行ける人間なんだ。でも皆が大事な何かを持っているよな。それが明らかになるに従って、物語の骨格を構成するようになっているよ。ただのワガママのバトル物とは違うじゃない。
何がカッコイイのか、ということを歴史的な人物の生き様からわかっている作者なんだな。「反運命」というものだよ。

『エア・ギア』はただの不良だった人間が、「自由」というものを渇望したことから始まる。しかし、そこへ様々な人間の深い思いが描かれていって、同様に物語の骨格が構成されて行く。
だから二つとも、その骨格を崩壊させるような存在が登場してくるじゃない。そういう存在を得て、物語は壮大になって行くんだよ。
つまり、物語の価値観が揺るがされることで巨大化して行くんだな。
不条理が人間を深く、大きくするということだ。

でも、物語を自分では納まりきれなかった、ということがよくあった漫画家だな。狂気なんだよ。
大暮維人は絵が上手いんだよな。だから弾けようとしても収まっちゃうことも多いんだよ。そこがちょっと残念だよなぁ。
だから台詞にあまり感動しないわけ。画で見せようとしてしまうからな。
でも、ある程度は画で弾けることが出来る人間だから。
ここは難しい問題なんだよ。

ナイスレビュー: 0

[投稿:2019-01-18 10:38:01] [修正:2019-04-09 21:12:14] [このレビューのURL]

9点 ONE PIECE

[ネタバレあり]

『ONE PIECE』の根底には、古来の「悪党」というものの伝統が生きている。それは麦わらの一味やDの名を持つ人物を中心に底流しているんだよ。
いいよなあ。自己の生命の燃焼だけに真実が置かれている。

そもそも昔の「悪」というものの概念は、現代の「悪」というものとは全く別なものなんだよ。
私のいう昔の悪の代表って楠木正成のことだから。あの南朝の崇高な「もののふ」よな。「悪党楠木兵衛衛尉」ってちゃんと歴史的資料に書かれているよ。
武勇によって正しさを為す者のことを、昔は「悪党」と呼んだんだよ。別に弱者の味方でもなんでもないのな。
多分に権力にも反抗できる、という要素があった概念だから。そこから徐々に現代的な「悪」という概念へ移行して行ったのな。

反対に現代の悪というのは、昔で言う「卑怯」なんだよ。自分の損得、欲望のためなら何をしてもいい、という理屈なの。だから本当に怖ろしいものなんだよな。
私は以前に現代的な悪についての考察も書いているけど、最も怖ろしい悪は、ルワンダのツチ族虐殺のような理屈によって為されるものなのな。

でも、昭和の中盤までは、まだ真の「悪」というものの概念は残ってもいたんだよ。もちろん、現代的な「悪」の概念と並列でだけど。だから任侠物というジャンルがあって、そこでは「悪」である者達が果敢に戦いに挑むことを皆が賞賛もしていたんだよ。

『ONE PIECE』から逸れたけど、私は白ひげやエースやゾロも好きだけど、やっぱり、あのヒルルクの死によって夢を得たチョッパーという者が一番好きなんだよな(笑)。
チョッパーが仲間になる話は本当に良い。夢というもの、恩義と言うものの本質があそこにはある。
非常に武士道的でよろしい。

ナイスレビュー: 0

[投稿:2019-01-23 00:51:22] [修正:2019-02-03 19:53:42] [このレビューのURL]

[ネタバレあり]

漫画の世界はともかく、人間って悪への魅力を感じているわけ。特に現代は自分勝手に生きたい人間ばかりだから、強い力を持って自分の思い通りに生きるアウトローが大好きなんだよ。
その魅力を追求したから、あの作品はいいんだよな。
『ヨルムンガンド』は、その点でちょっと引いていた。そういう世界を描きたかったんだろうけど、作者が迷っていたし、よく分かってなかったのかもしれない。しかし描き上げて掴んだんだよな。だから『デストロ246』では思い切りやってるよ。非常に面白い作品になっているよな。
私は『ブラックラグーン』の方が好きだけど、それはカッチョイイ台詞なんだよ。それは「狂気」をちゃんと描こうとしているから出て来るものなんだよな。
凄い台詞があった。
「ロック、見るな! 魂に傷がつく!!...」

張はいいなぁ。「トゥーハンド、おめぇは脇が甘いんだよ!」
でもあの銃は無いなぁ。あまりにも使いにくい。
私はやっぱりフライ・フェイスだな。全ての言動が一つの信念で貫かれている。善も悪も無い境地にいる。
あとはロベルタか。恩義の人間はどこでもいいなぁ。
あそこに行きたいなぁ。

まあ一応言っておくけど、あんなに一本通ったアウトローは現実にはいねぇし、ロックなんて絶対にありえないキャラだからな(笑)。作者自身も、既にロックの思考を持て余していると思うよ。煮え切らない、何をしたいのかさっぱり分からん人間になっているからなぁ。
初回エピソードは良かったんだよ。以降、段々とわけが分からなくなったよな(笑)。
つまり、逆ギレしてラグーン商会に入ったのはいい。最初のうちはおっかなビックリでいるのもいいんだ。

しかし、一丁前に作戦立案なんかし始めたから混乱してきたんだよ。他のキャラに比べて、元々何も持ってない男だから、それを打破したかったんだろうけどな。頭のいい男というキャラ設定にしたかったんだろう。
だけど、あのアウトローの世界で渡り歩く頭の良さというのは、冷酷非情でなければならないんだよ。しかしそうすれば、ロックのキャラは死ぬのな。そうじゃない、似非優しさというものがキャラだったんだから。でも、優しいだけだとあの世界では生きて行けないんだよ。
冷酷にも、惰弱にも出来ず、もうどうしようもないわからないキャラになったのな。そして多分それが原因で作者は不定期連載になったんじゃないのかな(笑)。
まあ、変なことを考えずに、情に流されるキャラのままにすれば良かったんだけどな。

ナイスレビュー: 0

[投稿:2019-01-20 18:04:29] [修正:2019-01-20 18:04:29] [このレビューのURL]

手塚治虫だけど、あの人は漫画を描くことが目的だった人間じゃないんだよ。あれは漫画家ではないの。だから自分の描かざるを得ないものを為した、という人物ではないんだ。こう言うと反論もあるだろうけどな。
手塚治虫は漫画というものの進化をしたかった人間なんだよ。それまで子供騙しの絵本以下だった漫画というものを、人生に有用な芸術に近づけることを期したんだよな。
そのためにテレビという新しく今後のメディアの中心となるものへ漫画を投下したわけ。
また漫画というものが、こういうことも描けるのだということを訴え続けたんだ。

人間というのは中心軸が変わればまったく違う動きになって行くものなんだよ。
自分の漫画を描こうと思えば、手塚のような真似は絶対に出来ないわけ。でも手塚のような目的になると、ガンガン量産できるんだよ。
大体毎日10ページくらいは描いていたんじゃないか? でも漫画家にはそれは不可能なことは分かるだろう。
でも漫画の地位向上のために動くと、今度はそれを成し遂げる算段が出てくるんだよ。漫画自体の描き方ももちろんそうだし、優秀なスタッフを揃える、ということもそう。私は一人で仕上げていたとはまったく考えてないよ。まあ詳しく検証したわけではないけどな。
だから代表作は幾つかあっても、全部が素晴らしいわけではないだろ? キャラだって使い回しが多いじゃない。

でも中心軸からすれば、それでいいということなんだよ。
ああ、手塚は医者であったことは無いからな(笑)。医師免許を持っている、というだけ。それもあの時代の混乱から手に入れたようなもので、博士論文だってたしかそうだよ(笑)。
もちろん真面目にやっていた人だから医学的な素養は人一倍あるよ。でも『ブラックジャック』なんかは医者であれば絶対に描かないようなこともたまにやってるから(笑)。
でも、それも「漫画の地位向上」という目的の上にあるわけだから、それでいいんだよ。
人生は中心軸次第なのな。

ナイスレビュー: 0

[投稿:2019-01-18 10:28:07] [修正:2019-01-20 14:59:22] [このレビューのURL]

[ネタバレあり]

私が福本作品や『ライアー・ゲーム』や『嘘喰い』なんかを嫌うのは、自分の欲望からそういう馬鹿げたゲームに入っていることなんだよ。
勝ったら莫大な富を得るという、どうでもいいことで大事なものを賭けるという、ギャンブル物なんだよな。
『今際の国のアリス』はそこが違うわけ。「生きる」という当たり前に与えられた命を、生きるために投げ出さなければならない。
つまり、生きるとは死ぬことである、という死生観を彷彿とさせる作品なんだな。

もちろん先鞭がつけられた構造で、理不尽に攫われて命懸けのゲームをさせられるということは既に多々在るんだよ。しかしそういう既存の作品との違いは、登場人物たちがその中でただ生き延びるだけではない、崇高さというものを見せてくれる点にあるんだな。
人間の弱さが前提としてあり、そこから不信も不安も広がっていく。しかし、だからこそ、闘おうとする者たちが生まれてくる。
これは人類がこの世界の理不尽と闘い続けてきた歴史そのものなんだよ。
我々はこの世界に放り出されたような存在なわけ。そして否応無く理不尽と闘わなければいけない。

実はこの我々の世界と、あのアリスたちの世界はまったく同じものなんだよ。
生きるために何事かをしなければいけない。それには仲間と協力しなければいけない。力を得なければいけない。
それを拒絶すれば、あのレーザーのように、自分の死を迎えるしかないんだよ。
欲望でギャンブルをするというものとは、一線を画する作品なんだよな。
あのビーチが都市や国の形成を示すことはわかるな。いろんな人間たちが集まって、一つの規律によって仲間となっている。
そして宗教も生ずるわけだ。
規律というものが大きな集団を形成し、夢というものが大きな力を創造する。
そしてそれを破壊する力もまた現れてくる。

生きるとは何なのか。死ぬとは何なのか。それを眼前に見せ付けてくれることがあの作品の醍醐味なんだよな。
そしてそれは、自分のために生きることではない、という結論が最初から一貫している、ということだな。

ナイスレビュー: 1

[投稿:2018-08-10 11:20:41] [修正:2018-08-10 11:20:41] [このレビューのURL]

[ネタバレあり]

私が『ローゼンメイデン』をいいと言うのは、「モノがモノでない」ということなんだよ。
「人形が動くわけがない」っていうのは正しい見識だよな。でも本当にそうであれば、こんなに人気が出るはずがないのな。

ジュンは何もしない現代の象徴的な人間であり、ひきこもりじゃない。家族の愛情さえ受け付けない意固地な孤立した存在だよな。いつまでもウジウジと殻に閉じこもっていたわけじゃない。
そういう「人間が人間ではない」という状況がまずあったわけ。
そこに「人間ではない物質が動く」という挿入があったんだよ。この構造が物語の骨子なのな。
まあ、私なんかは人形について特別な思いいれもあるから。人形という物が人の形をなぞることで生命を得ることを知っているからな。だから一層分かるんだと思うよ。

でも人形の文化を研究すれば、古代から人間が「物が物でない」ということを感じていたことがわかるんだよ。物質を貫通するエネルギーを感知して理解していたんだな。
だから物質をある形にすることで、貫通するエネルギーを利用できることを知ったんだな。
日本刀って人を斬るための道具だよなぁ。でもそういう存在とするために、様々な研究と努力があったわけだよ。そうして「人斬り包丁」としてのエネルギーを貫通させて日本刀というものが完成されたの。

こういう言い方をするとわかるだろ?
でも全部の物質がそうなんだって。その実存を為すエネルギーが貫通している、ということ。
その観念が『ローゼンメイデン』では命のある人形として在るわけ。
日本刀を為したように、命のある人形を作る術を完成させた「お父様」と呼ばれる存在を創造したんだな。それは日本刀と同じ延長線上にある創造なんだよ。そういう「物の実存」を表現した物語なんだよな。
もちろんそこにゴスロリなどの魅力ある要素なんかを盛り込んでもいるよ。でもそれはあくまでも装飾の魅力だからな。そこじゃないんだよ、売れる本質は。

で、ジュンが動き出すのは何がそうさせたのか、ということだ。
それは人形たちが「闘う者」だったからなんだよ。姉妹で殺し合わなければならない宿命だよ。つまり、最も人間的な要素である「闘い」というものによって、物語が躍動することになったんだな。

闘う存在だからこそ、彼女らの友情も悲しみも非常に美しくなるわけ。
もしもあれがただの愛玩の人形が喋った、なんてことだったら、そんなもの全然人気なんか出ないんだ。闘わねばならぬ、という人間に普遍のものがあったからなんだよな。人間はいつだって闘わねばならないんだから。運命とな。
その宿命が貫通したからこそ、キャラが非常に魅力あるものとなっているわけ。
まあ、言い換えれば、あのジュンという存在は現代人に通ずるものがあるからな。理屈で何でも自分の都合よく解釈したがる、というな。そして自分は何もやらない、という。
そういう存在が闘う者によって躍動を始めるから面白い、ということだな。

ナイスレビュー: 0

[投稿:2018-08-09 22:25:18] [修正:2018-08-09 22:25:18] [このレビューのURL]

[ネタバレあり]

この『ヨルムンガンド』には善が無い。何しろ武器商人なんだから、戦争を引き起こし儲ける現代の巨悪だ。
その中で辛うじて善を求めるのは主人公のヨナだけなんだな。まあヨナは子供だから。単純な解釈しか知らないからなんだよ。
だからココにとっては可愛いんだよ、ヨナが。他のみんなもそう。自分達が汚れた世界に生きるのを知っているから、ああいう眩しいものが愛おしい。
まあ、そのヨナにしてもバンバン人を殺すんだけどな(笑)。
でもそれは自分が悪いのではなく、この世に武器があるからだと思っている。

ガキなわけだが、一つだけ素晴らしいものをもっている。それが恩と縁で生きる、という生き方なんだな。
自分が何者であるのか、自分の役目はなんであるのか。そういうことを全てわかっている者の言葉なんだよ。
あの悪の中に生き、悪の中で崇高なものを求める。それがよく描かれている作品なんだな。
まあ、エンターテインメントだから、所詮は軽いものだから無理に良く見ようとしなくてもいいわけで。ああいうのが好きな人が見れば、それでいいんだよ。

兵器、特に銃器の表現は、古今東西のコミックのなかでも群を抜いていい。作者が相当好きなんだろう。むしろそっちが好きで描いているような感じもあるし。
ゴルゴ何とかのような荒唐無稽のものとは一線を画す作品だな。「マンガ」を楽しむと言うより、趣味人を唸らせる、というものがある。

ナイスレビュー: 0

[投稿:2018-08-09 22:55:40] [修正:2019-01-20 17:20:19] [このレビューのURL]