「ヨノナカ」さんのページ

[ネタバレあり]

さて、柴門ふみの新作がドラマ化したわけですが。

以前から柴門の作風は好きではなかったのだけれども試しに読んでみることに。うん・・(以下感想)


柴門の作品がなぜ世に受けるかということだが、それはどうやらそのリアルな女性像にあるらしい。自身が恋愛に関するエッセイ本を出していることからも、恋愛に悩む(ということにしておく)多くの女性ファンから支持されているのだろう。

しかし私は声を大にして言いたい。罵声を浴びせられても構わない。

柴門はマンガを書く必要はない。むしろ書かないほうがよい。

柴門の作風は確かにリアルであるのかも知れない。しかしだ、マンガというメディアとしてのあり方を無視し、ストーリーに挿絵を加えただけとしかいえないマンガはマンガではない。
マンガのみならず、映画でも小説でもそれぞれ独自に持っている演出・魅せ方・表現方法がある。そしてそのどれもが尊重されてしかるべきものである。柴門はそれを完全に無視したかのような描き方をしている。ストーリーは確かに一定のレベルのものを持っているが、まるで魅せようとしない。つらつらと物語が展開していく。


え?その展開の仕方が等身大で日常的なマンガだって?



日常的なマンガと日常をかいたマンガはぜんっぜん違います!

「よつばと!」は日常的なマンガですが小早川は違います。
「三丁目の夕日」は日常的なマンガですが小早川は違います。


日常を描けばそれが日常的なマンガとして成立するわけではない!

同時にストーリーがよければマンガとして良質だとは言えない!



絵とストーリーと雰囲気が調和してマンガはマンガとして成りえます。ストーリーテラーとして活躍したいのならばマンガを選ぶ必要はありません。
少々辛口になってしまいましたがこの辺で。みなさんの「マンガは如何にあるべきか?」という切り口でこのマンガを読んでほしいと思います。

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[投稿:2006-01-11 22:28:43] [修正:2006-01-11 22:28:43]