「為亀」さんのページ

総レビュー数: 26レビュー(全て表示) 最終投稿: 2006年10月26日

7点 神童

[ネタバレあり]

 世界の全てをまず音で把握するからこそ、ピアノから様々な世界をそのまま表すことができる。
 うたにとって世界はまずなによりも音であり。口よりもピアノを使った方が語りやすかったのかもしれません。

 神童に特別なのはその世界観だ。という作者の神童観(天才観)はかなり僕好みで、うたの天才さには強い説得力を感じました。
 奏でられた世界をそのまま映したような演奏シーンも秀逸で、絵による表現はピアノの言葉を僕等にもわかるように翻訳してくれたものなのかも。

 惜しまれるのは野球編の時代を感じさせる演出の過剰さと話のトリックの単純さですね。しかしそれを補って余りあるものをもった作品だと思います。

 僕の評価基準では7点までしかあげられませんが、一般には8点をつけても全然おかしくない作品でしょうね。


追記.2008.11.07

見逃せない要素を再発見したので追記です。
全体で’音’と’音楽’に関する考察が深まっていく構造なのではないかと。

具体的に、一巻ではうたの音で世界を観る世界観と、ピアノで世界を語る表現力を伝える。

そして和音が音大に入学してからは「自分もピアノの一部になりたい」という和音の言葉が発展して、うたの「存在その物が音楽」につながっていく。もう一方で和音の「音の厚みや空気感まではテープじゃわかんない」という発言がうたの「今この瞬間の音楽」として現れる。

ここでうたが失聴して’音楽’に向かっていたテーマが再び’音’に戻ってきて、うたは一巻時点で持っていた音を感じることを取り戻し、世界を感じることを取り戻し、そしてピアノで世界を表現することを取り戻しす。そこでやっとラストの演奏をする。という作りなんではないかと。

もう一つおもしろいのは、中盤以降、和音の発言はよくうたの音楽観を育てるキッカケになっているんだけど、和音自身はそのあとのうたの音楽観に感心はするものの追従していってる描写がない。というところ。

彼は彼なりの新しい音楽観を発展させていくのではないか。という意味でもいい終わり方ですね。

ナイスレビュー: 0

[投稿:2008-10-04 00:26:48] [修正:2008-11-08 00:14:03] [このレビューのURL]

[ネタバレあり]

1ページに込められた情報量がすごい漫画だとおもいます。

大抵のコマがページの1/8以下の大きさなのにそれぞれがちゃんと存在感をもっていて、それでいてテンポの悪さを感じさせない。
作中にも片鱗が見られますが作者はかなりの分析家のようですから、きっとボクシングや柔道に対してやったのと同じように漫画についてもかなり分析的に接して、高いレベルの表現力を身につけてきたのだろうと思います。

ボクシングのくだりや離人症らしき描写などをみると勉強家のようでもありますし、作中のホームレスに話しかけるシーンなどはかなりの行動力だと思います。その上、これだけ漫画の表現力があることを考えればどう考えたって作者はダメな奴なんかではありません。
潔さや、”憧れ”と”自分”との差を冷静に見つめる目など、読めば読むほど作者を褒める要因しかでてきません。ごちそうさまです。

本当に詐欺な漫画だなー、と思いながらも一番最後、P146の最後のコマの大きさと、小ささと、自然さに息を呑むしかありません。本当にごちそうさまでした。

ナイスレビュー: 0

[投稿:2008-08-15 14:06:36] [修正:2008-08-15 14:06:36] [このレビューのURL]

[ネタバレあり]

 自分でも曲解のような気はしますが、一視点として書かせていただきます。

 普通に読んでも楽しめる作品な事は間違いないんですが、作品全体の中心となるテーマに「ニヒリズムからの脱却と存在意義の確立」を据えて読んでみると違った深みがあると思います。

 木の葉崩し編での大蛇丸、ガアラの台詞はそれぞれでみるとキャラクターの心理を表しているだけであるかのように見えます。しかし、二人の台詞を関連させてみると二人で「存在意義の確立とニヒリズムの思想」について語っているように見えてきませんか。
 それに対して、ナルトと火影さまの提示する答えが他者の存在です。他者の存在によって人は存在意義を得、またニヒリズムから抜け出すことができるのだ。と反論するわけです。
 その一方で、他者に自分の存在意義を丸々預けきってしまう存在として白を描くことで、その危うさも提示しているのだろうと思います。

 そう考えると、サスケがさらわれた時の話がまた違って見えてきます。サスケをつながりの中に引き戻そうと追いすがるナルトたちと自らつながりを断ち切ろうとするサスケ。
 これはつながりを絶対視するナルトたちに対して例え一人であっても存在意義は打ち立てられる、強い強い感情は自らの存在意義となり、ニヒリズムをも突き破るんだ。というアンチテーゼとして描かれているのでしょう。その結果サスケは完璧に一人になり、全てのつながりを断ち切ることを選び、今に至るわけです。

 最終的にナルトとサスケとの戦いに決着がつくとき、作者のもっと突き詰められた作中テーマへ回答が提示されるであろうことを願っております。

ナイスレビュー: 0

[投稿:2007-06-09 02:03:41] [修正:2007-06-09 02:03:41] [このレビューのURL]

木崎ひろすけは、台詞の無いコマをとても大切にする作者で、心情や動き、雰囲気などを言葉の無いコマで上品に表してくれます。
僕はこの静かさ、日常感なんかにどこかフランス映画に通じるところを感じます。そのシーンそのシーンをとても大切に描く方で、静かなコマの使い方は、少女ネムを連載していっている間にもどんどん成長していっているようでした。
亡くなったのが非常に惜しいです。。。
フランス映画好きは是非読んでみてください。

ナイスレビュー: 0

[投稿:2007-04-23 23:37:07] [修正:2007-04-23 23:37:07] [このレビューのURL]

7点 α

[ネタバレあり]

作品中の「αシリーズ」の発想がどれもすばらしい。
どこか不器用な人の感情の表し方の上手さに思わず惚れ惚れしてしまいます。
キャラクターや感情表現で引き込まれて、設定で綺麗におとされて、漫画全体のレベルの高さがどこか心地いいです。

ナイスレビュー: 0

[投稿:2006-12-05 22:06:12] [修正:2006-12-05 22:06:12] [このレビューのURL]

後書で作者もいってるんですが、本当に登場人物が作者と離れて動いてるんじゃないかと思わせてくれるような作品。
普通の作品っていうのは登場人物全体に同じ作者が作ったからこそ存在する共通点がどことなくあると思うのです。それが人物像じゃなくてもふとした時の台詞とかに。
それが感じられない。根っこから異なった変人たちがそれぞれ言いたいこと言ってやりたいことやって。それが噛み合ったり噛み合わなかったりして物語になっていく。そんな作品だと思います。
だからたまに面白いな〜っと思う発言とかがでてきてもそれはその登場人物の発言で、作者の発言じゃないんだな〜っと思うと、これは一種すごい才能だな〜と思うわけです。
実はこの登場人物の発言と作者の発言との違いのギャップにずっと疑問をもっていてレビュー文は書かなかったんですが、この度はひとまず私の中で答えを見たのでレビューしました。

ナイスレビュー: 0

[投稿:2006-10-26 17:19:42] [修正:2006-11-14 09:48:36] [このレビューのURL]

日々ちょっとした合間に考えてしまう妄想をそのままマンガにして表したような作品。
同じような妄想をみてニヤついてしまったり、なんだか不思議な世界を楽しんだり。とにかく言葉であらわせるようなマンガじゃないです。
かなり独特なマンガなので、買うときは慎重になったほうがいいかもしれません。
この作品が気に入った人には、同じ作者の「そらトびタマシイ」もお勧めしたいですね。

ナイスレビュー: 0

[投稿:2006-10-26 17:07:02] [修正:2006-10-26 17:07:02] [このレビューのURL]