「columbo87」さんのページ

 冒頭でフランク・ミラーはこう述べる。「私にとって,バットマンは決して面白おかしく扱える存在ではない」と。
 彼が語っているように「イヤーワン」のバットマンは,テレビシリーズのアダム・ウェストが演じるような明るいバットマン,昼間に堂々と活躍して市民の声援を受ける彼とは全く異なる。ミラーは恐ろしき「闇の騎士」としてバットマンを作り直し確立させたのだ。
 散発的に修正が加えられていたバットマンのオリジンを,よりダークで大人向けな内容に描き直したのが今作「イヤーワン」であり,この名作は以降の世界観に多大な影響を与えることになった。

 舞台はゴッサム,近代化と共に政治の腐敗とスラム化の進む都市である。今まさにこの都市へと向かう男が二人。一人はゴードン警部補,左遷された先は汚職に染まりきったゴッサム市警。夫であり父親でもある彼は,悪に染まった都市でこれから生まれる子供を育てたいとは思わない。
 もう一人は若き富豪ブルース・ウェイン。長き旅を経て両親を失った場所へと戻り,己が振るうべき力の形を探し始める。
 家族を支える為とはいえ,汚職に目をつぶることのできないゴードンは組織内で孤立し,同僚から制裁を受ける。しかし彼も黙ってはない,彼は夫である前に男なのだ・・・
 一方でバットマンという形を見つける前のブルースは自警活動の下見で大失敗をおかす。悪を裁くには正道から逸脱しなくてはならない。恐怖を悪に植え付ける存在へと進化しなくては・・・
 やがて二人の物語は絡み合う。数々の事件を解決し市民からの支持を受けつつあるゴードン。バットマンとしての活動が軌道に乗り始め,ゴッサムを貪る悪を震え上がらせるブルース。偶然,二人は協力して事故に会いかけた老人を救う事になる。
 そして、次第に互いが信頼に値する人物だと認識し始める。互いがその活動を支えるために必要な力を持っていることも・・・。
 これは私に今まで無かった認識だった。二人が表裏の関係であるとは,意識したことが無かった。ゴードンという人物像を細かく描いた理由はここにあったのか。単にシグナルを出して危険な仕事を依頼するだけだったゴードンは,その裏で重荷を背負いながら奮闘する立役者だったのである。
 活動1年目における人物関係,ミラーはその要素を過不足無く,見事に抽出している。街に巣くうマフィア,力は無くとも正義の為に戦うハービーデント,全く別のポリシーを持つセリーナ/キャットウーマン・・・そして口の端に上る「メトロポリスのお友達」。読者の想像力をかき立て,それでいて鬱陶しい程には主張してこない。伏線とはこう用意するものなのかと感じ入る。
 どこを見ても、「イヤーワン」は,ゴードンとバットマンの再出発を飾るストーリーに相応しい傑作であると感服させられる。

 ミラーの作品を知っていると感じる面白さにも触れたい。活動初期の力任せでどこか未熟なバットマンは,「ダークナイトリターンズ」において肉体的には衰えたが技術と戦略で切り抜ける老バットマンとの対比として面白い。そしてゴードンの不倫,これはお得意のハードボイルドで「夫である前に男なんだ」なんてかっこつけられない部分だ(下世話だが,他人の痴話話は面白い)。
 また,バットマンに空を滑空させるシーンは,ミラーが完全に子供っぽいバットマンを否定しているわけではないことの現れだろう。アルフレッドの軽口を真に受けるブルースの顔はどこか微笑ましい。
 子供っぽさといえば,マフィアと通じている本部長が,スヌーピーやミッキーのグッズを収集しているのも何だか笑える。アラン・ムーアの「V・フォー・ヴェンデッタ」に登場する人形収集癖のある権力者を思い出した。支配欲求はどこかしら幼稚な面を伴うのだろうか。

 最後に,この作品の最も秀でているところは,ミラーの洗練された脚本とデビット・マッツケーリのスタイリッシュで柔らかみのあるアートが相まって,非常に読み進めやすい点にあると思う。優れたアメリカンコミックスを読んでいると,まるで映画を見ているような感覚に陥る(映画の方が表現物として上と言う意味ではない)。これはクリストファー・ノーランが「バットマンビギンズ」にかなりの量の要素をイヤーワンから借用していることからも伺い知れるだろう。今作はとにかくオリジン,始まりの物語として考え得る最良の要素に満ちているのだ。
 
 悲しいのはその優秀さが,併録されている「イヤーツー」によって尚更引き立てられていることだろうか。

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[投稿:2011-09-02 20:16:59] [修正:2012-03-31 01:37:33]