「ほげ」さんのページ

総レビュー数: 17レビュー(全て表示) 最終投稿: 2005年05月28日

[ネタバレあり]

 永遠に終わらない「中学二年生」を描いたギャグ漫画。中学二年生という時期は、高校への進学を考えなくても良いし、本作の舞台になっている部活動の引退も考えなくても良い。一年生の時にはまだ慣れなかった仲間とはようやく打ち解ける時期でもある。一年生の緊張がなく、三年生の円熟がない。なんとなく自由な時期だ。それが永遠に(漫画が終わるまでは)続くと想定されているところに、この漫画の楽しさがある。

 この中学二年生という時期が、未熟ではあるが決して初心でもないという時期であることとあいまって、この漫画の大きなポイントである、「性」についてのアプローチがなかなか上手い。恋人のバストを触ったり、全裸にしてみせたりする男の子が出てくるが、彼等は決してセックスには至らない。変態wとされている前野なる主人公も、女性の性器を裏ビデオで見てしまい、苦しんでしまうという始末。それが笑いになってはいるのだが、中学二年生という曖昧な時期の、性に対するアプローチを適切に描写していると思う。

 下の人も言っていることなのだけれど、『稲中』のギャグ漫画としての独創性の一つに、「絵で笑わせる」というのがある。漫画太郎も同じなのだが、『稲中』では、笑いのシーンでだけ「絵」がギャグになる(ちょっとグロテスクな感じ)がそうでないシーンではシンプルである点が異なっている。鼻水をたらしたりよだれをたらしたりしないが、「ダウンタウン」や「ビートたけし」だのが昔やって子供に人気があった着ぐるみを着て笑わせている。だから、笑いはTVで映える芸人のそれに近いのだろうか。『稲中』が、普段漫画などオタクが読むものとして馬鹿にしているような若い世代に人気があったことを思い起こすと、TV芸人に近い笑いのセンスというのは、慧眼かもしれない。

 大分賞賛してきたのに点数が低いのは、私がTVで映える芸人が好きでないからなのかもしれない・・・

ナイスレビュー: 1

[投稿:2005-09-04 21:59:00] [修正:2005-09-04 21:59:00] [このレビューのURL]

『もてない男』なるエッセイが巷をさわがせたことがあったが,この漫画もまさしくもてない男のための漫画.同書の小谷野によると,「もてない男」を描いた芸術作品はそう多くないということだが,『電影少女』の前半部分はまさに「もてない男」のための漫画であり,特殊性を評価したい.

『電影少女』のコンセプトは,一見ありふれたオタク論(あくまでも非オタクが論じる批判論のこと。オタクが現実の女の子と付き合えない,関心を持たないというのは誤り)にもつながるように思えるが,実態は全然違う.オタクは,現実の女の子に興味がないのではなかったか.むしろ,特殊なオタクであるところの,『電車男』の方にこそ,共通性を感じる.『電車男』は,オタクでありながら,フィギュアやアニメ,PCから脱出し,現実の女の子へと欲望を転換させる物語だった.『電影少女』もそれと似ていて,ビデオガールという,非現実的な女の子の力を借りて,現実の女の子を愛そうとする姿を描いていた.これなどは,「2チャンネル」の掲示板を通じて愛を告白する「電車男」と似ている.

だが,こんな男はほとんどいないところに,オタクの面白さがあるのであって,『電影少女』にしろ『電車男』にしろ,僕の興味をものすごく引き出すという訳にはいかなかった.それは僕自身がオタクであるがゆえの問題であるから,仕方のないことなのだが,現実の女性に興味を持つなら,持ってもかまわぬが,それならいちいちオタクを使う必要もないのではないか?

『電車男』も『電影少女』も,共通するコンセプトは,仮想現実より現実を!ということだった.極めて分かりやすいハリウッド映画スタイルの牧歌は,パソゲーなんかをだらーっとやってる連中から評価を得られているのかどうかまったく分からない.

『電影少女』の難点は,上記のところにもあるが,もっとラジカルなところにもある.それは,「もてない男」のための漫画として出発したはずの本作が,後半では「もてる男」へと変身してしまう点だった.いかにもトレンディドラマのような展開に,僕はリアリティーを感じなくなってしまった.オタクと仮想現実的なものの親和性を打ち砕いてしまったのも私は疑問だが,それよりも,「もてない男」がもてないままに恋愛をしようとする行為をスポイルして,すっかり普通の男になってしまったところに,この漫画の限界を見た.

絵はすばらしい.どんどん桂は描写を淡白にしてしまったのが昨今の自主規制なのだろうけれど,この頃はセックスのないヤング漫画のようなエロさがあって,視覚的にここちよかった.下着や胸,尻など,いわゆるフェティシズムの快楽をここに読むことができると思う.

ナイスレビュー: 0

[投稿:2006-03-27 23:13:20] [修正:2006-03-27 23:13:20] [このレビューのURL]

[ネタバレあり]

 江戸川乱歩とコナン・ドイルという、日本と西洋を代表する推理作家の名前をもらった主人公「江戸川コナン」が、難事件を解決するという物語。

 そのキャッチフレーズの如く、緻密な謎を解いていく本格推理漫画である。しかもそれが、小学生で、『ドラえもん』バリの道具を用いて体格に差のある犯人たちに対峙するという設定はなかなか読者をひきつけるものがあった。作品の単行本の裏表紙に書いてある通り、作者青山剛昌が推理ファンであることから来る精緻な犯罪のロジックと、少年漫画ならではの奇抜なアイテムの多用がこの漫画をエンターテインメントたらしめているのだろう。

 個々の事件も読者を飽きさせないように、コナンなら分かるが、読者にはなるだけ分からない奇抜なトリックで構成されているのが目を引く。ここらあたりは、江戸川乱歩が名前を借りた、あのエドガー・アラン・ポーなどとは違ってくる。この作品では、コナンが、小学生のスターである、という演出で描かれているから、この奇抜なトリックを、短時間で解いてしまい、誰もが気付かない盲点をついてくるという設定があるから、この奇抜さは必要なのだろう。

 それにしても、20巻程度ならまだしも、50巻とは長すぎるといわざるを得ない。短編というだけではなく、コナンを小学生の体にした黒組織との闘いなども、何度かその片鱗を見せながらも、絶対的な解決に至らないというのは、遅い。長編ではないが、時系列的な部分もあることだし、小学生コナンが、周りの同級生に正体を知られないままずっと漫画が続いていくというのは、読者にはイライラを残すと思う。

 あとは、子供向けの漫画にしては、非常に残酷なシーンが多いのも気にかかる。描写の暴力さはもう少し何とかならないものか。殺人事件という殺伐な物語であるだけに、仕方がないのではあるが、これも世相かとも思うけれど、素直には喜べないものがある。キャラクターの白けた顔も、あまり好ましくない。

ナイスレビュー: 0

[投稿:2005-08-14 20:33:09] [修正:2005-08-14 20:33:09] [このレビューのURL]

 漫画太郎の短編集だが、一話一話が非常に短く、「お笑い」としては一発ギャグに近いものがある。ほとんど2頁ほどで完結するが、その完結した物語が、全体として画太郎らしいコピーの多用で構成されているところに、面白味がある。特に冒頭の「Superはやっとちりくそババァ」など、2頁の同じ物語の中で、台詞やキャラクターの変更によって笑わせてくれるのだが、それは、基礎となっている物語から、頁を追うごとに、台詞やキャラの変更によって、徐々にズレが生じていることで起こってくるものだ。

 まあ、こういった笑いは、僕たちがTVで見るお笑い芸人たちの、インスタントな笑いに似ているから、画太郎独自といえないかもしれないが、画太郎の強烈なまでに「汚い絵柄」とTVより短い頁数で、瞬発力の大きい笑いを提供してくれると思う。とにかく、スピードとインパクトだけで構成されていて、画太郎のエッセンスが詰まっているので、画太郎の入門者に最適の漫画であろう。

ナイスレビュー: 1

[投稿:2005-08-07 12:48:18] [修正:2005-08-07 12:48:18] [このレビューのURL]

5点 珍遊記

『西遊記』の翻案漫画として誕生したのが『ドラゴンボール』なら,『珍遊記』は『西遊記』のパロディなのかもしれない.四方田犬彦のエッセイにも書いてあった.

だが,『珍遊記』を読むと,誰しも感じるが,画太郎の露骨な『ドラゴンボール』パロディにも見られるように,一つの作品へのパロディではなく,方向性は多岐に向かっているように思える.だがそれが,功を奏していないという感じは否定できない.『ドラゴンボール』を露骨にパロった章など,どう見ても笑えなかった.

本作を見て,笑おうとするなら,鼻水やよだれというものよりも,いきなり坊さんを爺さん婆さんが殴りつけたり,「じゅうまんえ〜ん」の台詞に見られるごとく,見開きをつかった唐突さに,現れている.結局,昔ながらの単純なギャグなのだ.たけし映画を観ていて,ギャグではないかと思うのは,たけし演じる刑事やヤクザが,いきなり相手を殴るようなシーンに現れていた.そういう意味では,単純ではあるけれども,暴力と笑いの親和性をつきつけている本作は,ギャグ漫画として悪くはない.

だが,この漫画は物語の構成力が破綻しており,ギャグも息切れが見られるため,それほど評価したくなるような漫画ではないと思っている.ギャグにちょっと光るものもあるが,最近の漫画などに比べると,やはり物語に粗が多すぎる.訳の分からない戦闘シーンとか,本屋の婆の暴力シーンとか,どこでどう笑うのだろうと首をかしげたくなるようなシーンが多すぎた.今再考されるべき漫画ではないだろう.

ナイスレビュー: 0

[投稿:2006-03-27 22:58:37] [修正:2006-03-27 22:58:37] [このレビューのURL]

虚構の名探偵金田一京助の子孫・金田一一が主人公の推理漫画。推理小説もミステリー映画も興味のない私は、この漫画の推理がどの程度優れているのかは分からない。ただ、『コナン』と比べると、金田一が考え考え物語を進めているように描かれているのは好印象だった。『コナン』は、なんでこんなに早く?という感じでコナンが犯人を射止めてしまっていた。

『コナン』が江戸川乱歩とコナン・ドイルのあいのこ的な名前を持っている人間を主人公としているのは、多分に本作の影響が見られる。連載当初は推理ブームともいうべき現象があって、少年マガジンの発行部数をのばしたのもこの漫画のおかげだ。だから講談社は『金田一少年〜』に足をむけて寝られない。

2回ほどドラマ化されたように記憶するが、オカルト、ホラーテイストの内容で案外に楽しめた。原作の方は、髪の毛を一つにしばる金田一のセンスのなさと、女性が描けない(男性のように見える)作者のセンスで絵にとけこめないものがあったが、江戸川乱歩的な猟奇殺人には、割とひきつけられた。ドラマ化は、そこをチープながら上手く実写化していたようである。

物語としては、頭は悪いけど推理はできるという、テレビゲームの『クロス探偵物語』的な設定。パクリはあるのだろうが、いちいちそんなことに憤っていてはこのシミュレーション化された世界ではやっていけないから、減点対象にはならない。だが、ことあるごとに起こる事件の中で、やたら犯人が自殺する展開が多かったのは大変鼻についた。フィクションの中で犯人が警察にとらえられず死んで終わりというのでは、全く何もなかったかのようである。インクを消したようなものだ。やっぱり罪は罪としてつぐなってほしいものだが、この作品は、犯罪者の動機をつき、読者の同情を誘うので、そういうわけにはいかないようだった。自殺することで、悲しみで幕を閉じるというやり方は、犯罪者の罪を隠すようで好ましくない。

ナイスレビュー: 1

[投稿:2005-09-21 00:43:16] [修正:2005-09-21 00:43:16] [このレビューのURL]

3点 桜通信

大学入試という、今時の若者なら誰しも通る分岐点を巡っての恋愛物語。よく比較される通り、江川達也の漫画『東京大学物語』の遊人版といってもいい内容である。遊人版というのは、要はポルノ化された『東京大学物語』ということ。『東大〜』も、ほとんどポルノに過ぎないシーンも多いが、遊人版『東大〜』は、それに輪をかけてポルノグラフィーと化している。いわば、AVやポルノ映画などの、主人公視点のセックスが描かれているということ。そのために、『東大〜』に比べると、ポルノ度は高いといえる。

具体的に言えば、主人公の都合のよい具合にセックスが描かれる。麗(うらら)という特定の恋人がいながら、他の女性とセックスに耽ることができる。そんなことをしても、麗と主人公は、別れないし、主人公が浮気をしていても、麗は許してしまうというもの。主人公のために性的に体を張ってくれる麗は、AV女優さながら、主人公にとって都合の良い女性だ。

『東大』のヒロイン・遥も、主人公にとって都合の良い女性ではあるが、最後の方までヴァージンを守り通し、AV女優のようには主人公の前で振舞わないという点が、違っている。まあ、どちらの作品にしても、女性が読めばばかばかしくなるような固定化された女性像であることには変わりない。どちらにしても、主人公(男)のなぐさみものでしかないヒロインは、悲しい描かれ方をしている。

この遊人版『東大〜』は、主人公の都合の良いように、女性たちとの性交渉が描かれ、麗とはなんとかうまくいくような展開が続く。『東大』における、主人公・村上直樹の妄想による独白などは特筆すべき演出で、その点においては私は『東大〜』を評価できるのだが、この『桜通信』は、どうにもAV的な物語の展開が気に入らなかった。必要以上にヌードを披露する女性たちには、あまりエロスを感じなかった。別に私は女性の肩を持つ訳じゃないが、もう少し固定化された像から抜け出る術を漫画家は考えてもらいたいものだ。

ナイスレビュー: 1

[投稿:2005-09-20 23:59:30] [修正:2005-09-20 23:59:30] [このレビューのURL]

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