「boo」さんのページ

8点

 「皺」はスペインの作家、パコ・ロカの作品。表題作「皺」と「灯台」の中篇2つが収められている。
 基本的に日本で邦訳される海外マンガのほとんどはアメコミ、もしくはフランスのバンド・デシネ関連という中で、スペインの作品が刊行されたというのはよっぽどのこと。それだけ出版社もこれを推したかったのでしょう。ありがたや。

 「皺」は物忘れがひどくなったおじいさん、エミリオの面倒を見切れなくなった家族が、彼を老人ホームに入所させる場面から始まる。最近の記憶に加えて過去への記憶さえも失われてしまう認知症、アルツハイマーを主軸にパコ・ロカは“老いること”を丁寧に、良い意味でコミカルに描く。

 アルツハイマーと聞いて私が思い浮かぶ小説に、萩原浩の「明日の記憶」がある。こちらはもうどうしようもない恐怖だった。記憶がなくなり続け、“自分”がなくなってしまうことへの焦燥と絶望、そしてそれらの感情を含めた全てが最後には消え去ってしまう。ほぼホラー。

 「明日の記憶」と「皺」は似てもいるし、でもやはり決定的に異なる。パコ・ロカは老人たちをシンプルに、でも優しいタッチで描き、淡いセピア調のパステルカラーで色をつける。人生の夕暮れに、彼らは夢と過去の中に生きている。それは必ずしも不幸なことだろうか?とパコ・ロカは問いかける。
 自分じゃなくなっても、ここじゃないどこかであっても、彼らは生きているんだよ。そんな優しい諦観が切なくもあり、幻想の中にいる彼らが哀れにみえるのは私達の思い込みに過ぎないのではないかとも思わせてくれる。それはそれで彼らは幸せなのかもしれない。

 老いと向き合うのは自分である一方、他者の老いとも向き合っていかねばならない。そう、私が「皺」で心をうたれたのは、日々自分を失くしていく彼らと共に過ごす人々の姿。消えていくものに特別はなく、連れ合いの、友達の記憶すら消えていく。
 老人ホームには比較的頭がしっかりとした人も少なくない。でも悲しいことに彼らこそが忘れ去られる側なのだ。認知症の人々よりも、寂しく、辛く見えるのは頭がしっかりしている彼らという矛盾。友達の中の“自分”が消えていっても寄り添う彼らは温かくもあり、哀愁を感じさせもして、たまらない。
 
 人と人の“つながり”とは思い出で出来ている。だからこそ、そのつながりが一方通行になってしまう(もしくは断絶してしまう)老いは残酷でもあり、思い出の大切さを反面突きつける。
 彼らの奇矯なふるまいをユーモラスに感じつつ、胸の奥はちくりと痛い。老いは自分の先でも確実に待っているのだから。でもエミリオたちはそれだけではないのだよ、語りかける。

 そしてそのような全てが最後のページいっぱいに詰め込まれる。そりゃあ泣くさ。何と人間への愛に満ちている素敵なラスト。

 パコ・ロカさん、漫画描くのが巧すぎます。細かい描写やエピソードを積み重ね、一つの大きなストーリーを形作る。そんな当然のようでいて、一番難しいことをこんなに力を抜いてやれる作家がどれだけいることか。
 それでいて最後の“顔”のような漫画でしかできない表現もやれてしまうとなると、もうすごいとしか言えない。世界は広いなー。日本もうかうか出来ませんよ。

 「灯台」もまた素晴らしい。灯台をテーマにした漫画って日本じゃあまり見ないけれど、これや「ひとりぼっち」を見ると、“孤独と冒険への道しるべ”というモチーフとして灯台はすごく適しているのが分かる。灯台守は格好良くて、青年兵士の船出にはぐっとくる。

 「この海外マンガがすごい2011」でもシビル・ウォーやアンカルなど名だたる話題作を押しのけて一位に輝いたこの作品、それだけ多くの人々がこの漫画を大好きということでもあり、誰もが無視できないことと向き合った一冊でもあるということ。
 これは不老不死でもない限り、読んで確実に得られるものがある。日本の漫画好きこそ、「皺」のすごさが分かるはず。

追記
そういや「皺」はえすとえむ先生が絶賛してる(帯も書いてる)のだけど、邦訳の刊行にも深く関わっているそうで、これまたありがたや。えすとえむ好きの方もぜひどうぞ。

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[投稿:2011-12-14 00:37:26] [修正:2011-12-14 23:33:31]