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総レビュー数: 258レビュー(全て表示) 最終投稿: 2007年06月29日

 モーニングツーに掲載された9篇を集めた宮崎夏次系の作品集。デビュー作ということで、西村ツチカ、九井諒子、市川春子なんて最近のニューウェーブ系の流れに位置づけられるのかもしれない。そう言う意味では、もはやこの手の絵柄だけでは新鮮なんて感じることはできないのだけれども。

 でもこの作品はそういう新鮮とか新鮮じゃないとかいう次元の話では全くないよなあ。久々に漫画を読む楽しさを存分に感じさせてもらった。
 というのもこの作品、ストーリーだけ説明しても全く面白さが伝わらないと思うのよ。とにかくシュールで、荒々しくて、理不尽で、荒唐無稽で、とことん馬鹿話。あらすじを伝えても困惑させるかもしくは失笑させる自信しかないもの。作品集の最後を飾る「紙村のさわやかな変体」なんてクライマックスでオムツが空に飛んでいってしまう。他の短編も概ねそんなテイスト。

 ただこの漫画が凄みはそんなストーリーがやはりシュールで、荒々しくて、理不尽で、荒唐無稽な絵柄や語り口と合わさった時に、オムツが空に飛んでいく場面で泣けてしまうってことで。漫画において、これだけ絵と物語が不可分な作品を作れる人がどれだけいるんだろう。デビュー作でこれだけのものを作り上げてしまえるんだから、本当にとんでもないよなあ。
 いやあ、でも本当に理不尽だぜこれ。だって自分でも何でこんなに感情を揺さぶられているのか分からないのだ。宮崎夏次系は心底理不尽に、突然に、鮮烈に、登場人物の激情を切り取ってしまう。そして訳も分からないうちに震えてしまう。泣かされてしまう。そんなに本当にわくわくする漫画体験。

 特に個人的なお気に入りは「水平線JPG」「娘の計画」「成人ボム 夏の日」「飛んだ車」。「飛んだ車」のまさに車が飛んだシーンなんて脳裏に焼きついて離れないもの。他にも「娘の計画」の“なんで”だったり、「成人ボム 夏の日」の凝縮された3分だったり…宮崎夏次系は一瞬の感情を鮮烈に切り取って、私たちの脳裏に焼き付けてしまう。

 この人がストーリーだけ提供しても絶対にこれほどまでに感情を揺さぶられることはないってことは確信できるもんなあ。漫画であることにひしひしと意味を感じさせてくれる人は松本大洋を始め、ひと握りしかいないと思うのだ。ということで間違いなく天才の類だと思うので、一読をおすすめ。特に短編好きはマスト!

ナイスレビュー: 1

[投稿:2012-12-13 00:13:27] [修正:2012-12-13 23:50:43] [このレビューのURL]

 久正人による世界中の異形を集めたクロスオーバーコミック。

 米軍によって集められ、隔離された世界中の異形を集めた街であるエリア51。そんな危険な街で探偵家業をこなす真鯉徳子は河童の相棒キシローと共に様々な事件をハチャメチャに解決していく。そしてどうやら徳子にはエリア51にやって来た壮絶な理由があるようで…。

 この世界中の異形ってのが実に便利な言葉で、神話から民話から怪奇からもう何でもありなのだからいやはや好みの人には実にたまらない漫画。アマテラスとネッシーとサンタクロースと河童と白雪姫が同じ世界に存在してるんだからもう最高なわけである。アマテラスはもちろん引きこもってるわけである。
 ここらへんのわくわく感はアメコミのクロスオーバーのまさにそれ。アラン・ムーアの「リーグ・オブ・エクストラ・オーディナリー・ジェントルメン」+「トップ10」といった趣で、最近だと屍者の帝国を楽しんだ人ならこの感覚は何となく分かると思う。もしくは平野耕太のドリフターズでもアベンジャーズでも何でも良いけれど、ありえない世界が交差する感覚はとっても楽しい。

 そして前作ジャバウォッキーと同様、久正人に異形溢れるこの手の伝奇ものを描かせるとめっぽう上手い。例えば現在連載中のものだと月光条例なんてエリア51と非常に近い構造を持つ漫画なのだけれど、そのわくわく感はエリア51とは比にならないと私は思う。
 とにかく久正人による既存のキャラクターの料理の仕方と絡ませ方がめちゃくちゃにおもしろいのだ。しかもハチャメチャなキャラクターの改変の中でもその本質はしっかりと感じられるわけで…。だってサンタクロースがチリソース大好きなリトルグレイに服を盗まれるなんてユーモア溢れる物語が、あの子供心を揺さぶられる涙ほろりなオチに帰結するんだぜ。そうなんだよなあ、子供がプレゼントを受け取る時サンタはもういないんだよなあ…。また白雪姫と人魚姫のクロスオーバーなんてスノーホワイトが裸足で逃げ出すくらい素晴らしい白雪姫の語り直しだった。

 そんな濃すぎるほどの世界観の中で、マッコイという可愛くもハードボイルドな主人公が図抜けて魅力的なのも何気にすごいよね。彼女もまた相当悲惨な過去を背負っているようで、色んな事件と関わりあいながら本筋も少しずつ進んでいく。アメコミの皮を被った浪花節なストーリーテリングは実に切ないし、合間合間に挟まれる「メェェェリィィィィィクリスマス!」なサンタクロースや最速のモンスター決定戦グレート・ゴールド・ラン・レース(我が日本からはターボババアが出場笑)なんてコメディも素敵で楽しい。そしてくとぅるんや荒野の七人ver七人の小人のような膨大な小ネタの数々…。いやぁ、これはたまらない!
 また久正人はアメコミにも造形の深い人で、マイク・ミニョーラよろしくな絵柄(本人によるとフランク・ミラーのパクリらしいが笑)と切れ味鋭い表現はちょっとシビれる格好良さ。ジャバウォッキーの時よりも絵柄はさらに簡略化されていて、より白と黒のコントラストは鮮烈になっている。

 そういう絵柄や物語の作り方等、他の漫画では体験できない作品だと思うので一読をおすすめ。好きな人は強烈にハマるはず。そもそも小説書く人含めて日本でこういう伝奇クロスオーバーに長けてる人なんてめったにいないよなあ。アメコミ好き、屍者の帝国のような歴史再編SF好き、ラヴクラフトのような怪奇好き、ここらへんの嗜好をお持ちの方々はぜひどうぞ。

ナイスレビュー: 1

[投稿:2012-10-21 17:33:10] [修正:2012-10-21 17:33:31] [このレビューのURL]

 バットマン・アニメイテッドシリーズの傑作を二つ合本化したもの。バットマンに限らず日本ではあんまり紹介されている印象のないカートゥーンの魅力がたっぷりで、読んでいてとっても楽しい。ブルース・ティムの躍動感に溢れたアートはもちろん、「お約束」に守られた安心できる世界観は普段触れているバットマンのダークな色調とは全く違う。ほら、ドラえもんではのび太がいくら秘密道具を使って調子に乗っても最後はきっちり懲らしめられるでしょ。このシリーズではいくらジョーカーやトゥーフェイス等のヴィランが暴れまわっても、彼らの企みはバットマンによってきっちり防がれ、アーカムに送り込まれる。しかし何度アーカムに送り込まれようが、彼らは繰り返し脱獄し、バットマンと対峙するのだ。そんな箱庭的世界観は何とも言えない心地よさ。

 「マッドラブ」
 ジョーカーの愛人であり時に用心棒的な役割もこなすハーレイ・クインゼルのオリジン話。普通に考えたらけっこうひどい話だぜこれ。だってジョーカーに利用されるだけ利用されては何にも報いられずひどい扱いを受けて、それでもジョーカーを愛しちゃってるのがハーレイって女なのだ。まさにマッドなラブ。でもそんな女性は恐らく現実にもいるわけで…。そんな悲惨なハーレイを描ききった上で、とことん笑える活劇に仕上げてしまうのがポール・ディニの矜持なんだろう。すごいぞポール・ディニ!

 「ハーレイ&アイビー」
 ハーレイと植物を操るポイズン・アイビーのタッグを描いた快作。バットマン版「テルマ&ルイーズ」といった趣き。テルマ&ルイーズが男社会に抑圧されていた二人の女性が男共に反抗ののろしを上げる最高に爽快で、でも物悲しい映画だったように、ハーレイ&アイビーもとにかく好き放題暴れまわる。ジョーカーも、バットマンさえも歯牙にもかけない二人の冒険はすんばらしく気持ちよい。そしてハーレイとアイビーの友情にはほろっとね。この二人の間に男なんて入る余地はないのだ!

 で、この合本が気に入ったので読んでみたのが「Batman: Mad Love and Other Stories」。マッドラブに加えて9本の短編が収録されている。

 マッドラブほど抜きん出てはないものの、粒の揃った楽しめる短編が揃っている。ポール・ディニのフリークへの視線は悲しくも優しい。心が少しだけ狂ってしまった彼らは、否応なしにそういう風にしか生きられず、周りに理解されることもない。そんな切ないフリーク達を描き出すポール・ディニの目線は、ティム・バートンのそれと似通っている。せっかくアーカムを出所したのにも関わらず悪い女に利用されてしまう腹話術師や、男を拷問していたスケアクロウの哀れな人助けをバットマンが語る話なんて涙腺が…。特に整形によって傷のない顔に戻って出所したトゥーフェイスの恋愛とその悲劇的な顛末を描いた掌編は涙がちょちょぎれる。
 もちろんバットマンとヴィランたちが立ち回る活劇たっぷりなお話だって魅力的。ロキシーやバットガール、クレイフェイス、エトリガンなどあまり邦訳だけでは馴染みの薄いキャラクターたちが活躍するだけでも目新しくてとっても楽しい。バットガールがデパートの試着室であわててコスチュームに着替える場面なんて可愛いよね笑。

 英語はかなり簡単な部類だと思うので、合本の方を気に入った方はこちらもおすすめ。あんまり邦訳の売り上げよろしくないそうなのは本当に意外だよなぁ…。こんなに愉快なコミックは中々ないよ!

ナイスレビュー: 0

[投稿:2012-09-26 21:35:20] [修正:2012-09-26 21:35:20] [このレビューのURL]

 小プロの最近人気の2000円シリーズ。正史ではなくパラレルワールドのスーパーマンのお話。いわゆるDCのエルスものというやつ。

 スーパーマンといえばアメリカのザ・ヒーロー的存在。とはいえあんまりにもテンプレートなイメージのあるヒーロー像が今一受けが悪いのか、日本では圧倒的にバットマン人気だよなぁ。まあアメリカでも最近はバットマンどころかグリーンランタンにさえ売り上げでは上を行かれているみたいだけれど。私もDCスーパーヒーローズ収録作とラストエピソード、スーパーマンの最期くらいしかスーパーマン関連の作品は読んだことがない。

 このスーパーマン:レッドサンにおいて、そんなスーパーマンの宇宙船はアメリカではなくソ連に落ちることに。ソ連で育った彼はスターリンの跡を引き継ぎ、共産圏の幸福の支配を世界に推し進めていく。スーパーマンに対抗するはアメリカを率いるルーサー、そしてソ連内のテロリスト・バットマンであった…。

 アメコミとしてはもちろん、SF・世界改変ものとして傑作。ソ連に落ちたスーパーマンというアイデアに留まらず、平和を愛するスーパーマンはスーパーマンゆえに独裁者となり、スーパーマンゆえの悲哀に直面する。決して明るい物語ではないのだけれど、そんなスーパーマンにはヒーローの魅力が溢れていた。
 そしてやはりとことん「個」の人間であるバットマンとはどこまでも相容れず、ルーサーは謎めいた存在ながらもさすがスーパーマンの宿敵たる存在感。さらにはワンダーウーマンやグリーンランタンまでもが登場し、本来とは立場・関係性を異とする彼らが破滅に向かって突き進んでいくストーリーからは目が離せない。

 しかしオチの鮮烈さはもちろん、この世界の円環構造にはちょっと唸らされてしまった。単純に上手いというだけではなくて、巻頭の言葉を借りるならマーク・ミラーの“灰色”なセンスがものすごい。理想的な共産主義的な管理社会を推し進めていくと、その先に待っているのはユートピアのようなディストピア!というありがちな結末、ひいてはいかにもアメリカ的な資本主義万歳な結末をマーク・ミラーはラストで全てひっくり返してしまう。スーパーマンとルーサーの対決が決して正義と悪の闘いではなかったように、とことんまで曖昧になる善悪の境界と幸福の定義。痺れるよこれは!

 値段も比較的手ごろで、アメコミの知識がなくても読める一冊。SFの中でも特に世界改変ものが好きな方なら外さないはず。ぜひぜひおすすめ。

ナイスレビュー: 0

[投稿:2012-09-17 16:33:46] [修正:2012-09-17 16:34:59] [このレビューのURL]

 「難波鉦異本」のもりもと崇が描く江戸を舞台とした愛すべき人々の短編集。

 この人の描く人々は心底江戸に生きている感じがする。江戸を別に詳しく知るわけもない私から見ても、もりもと崇がめちゃくちゃ時代考証に気合を入れていることや資料を調べまくっていることは伝わってくる。というのもやはり漫画ってのは小説と違ってごまかせないからだ。家や町並みから小物まで、小説だったら分からなくても描写しなかったら済むところも漫画だったらそうはいかない。もりもと崇にしろ杉浦日向子にしろ仕事の域を超えて江戸を愛してなきゃ出来ないよなぁ、こんな大変なこと…。だからこそこの人たちが描く江戸の臨場感や人々の活気は他とは桁が違うのだと思う。

 もりもと崇の絵は上手いとはちょっと言い難い気もする一方、ほのかな色気と思い切りの良い線には艶があって読んでいて気持ちがいい。遊郭を舞台としていた「難波鉦異本」同様、この短編集でもけっこうエロくてグロい場面が少なくないのに、そんな絵もあってかあんまり気にならない。むしろ何か微笑ましいと言ったら誤解されてしまいそうだけれど、どことなく人情味があって楽しいのだ。

 そしてまたお話作りが上手いんだよなぁ。ひどい扱いに憤った女郎達のちょっとした反抗が思わぬ盛り上がりにつながったり、スカトロエモンに悩む妾が骸芸人に弟子入りしたり、カタすぎて師匠に閉口される侍が少女に連れられてエロスポットを巡ったり…。なかなか江戸時代ものと聞いて想像もつかないような捻りの効いたストーリーが、偏執的なほどの時代考証の上に乗っかって語られていく。伝わってくるのは江戸の人々の食えなさであり、活気であり、意地だ。つまり最高におもしろい。

 表題作ののっぺら女房なんてまあ何とも奇抜な設定なのだけれども、昔話というか江戸時代の小話として全く違和感がないほどに作りこまれていてこの作品集の真骨頂じゃないかと思う。のどかで、毒のあるユーモアと愛があって、男は情けなくて女は強い。
 他にも生きるか死ぬかのシビアな世界に生きる女郎の恋を描いた佐渡太夫の話はとにかく泣けるし、実際の仮名草子を基にしたという水鳥記は心底馬鹿な話でとにかく楽しい。いつの時代の人々も変わらず馬鹿やってんだなぁとにやり。

 ということで煮ても食えない江戸の愛すべき人々を描いたこの短編集、もちろんおすすめ。読んだらきっと江戸が愛おしくなるはず。しかし今もりもと崇は漫画描いてるのかな…。これだけ素晴らしい作品描ける人なのでまたどこかで連載されることを期待してます。

ナイスレビュー: 0

[投稿:2012-09-06 22:37:50] [修正:2012-09-06 22:37:50] [このレビューのURL]

 希代の大ぼら吹き、島田虎之介のデビュー作。
 初めて島田虎之介の作品を読んだ人はその作風に戸惑うかもしれない。泥臭いようでスタイリッシュ。漫画とは思えない独特なテンポで語られるストーリー。変な失調感と共に気付くことになる。これは今まで読んできた漫画とは違うものだ。

 在日米兵が残した「エルドラド」という黄金郷の名を冠したバイク。おならのせいで世界初の宇宙飛行士の座をガガーリンに奪われた男。チェルノブイリから唯一生還した消防士。晩年を迎えて日本に帰ってきたブラジル移民…。
 史実とシマトラが巧みに作り上げた虚構の歴史が、虚虚実実に組み合わされて物語られていく。影響を受けたというヴォネガットさながらの、実に見事な大ぼら。笑ってしまう一歩手前で心が動いてしまう物語の数々はそれだけで見てもおもしろい。

 とにかく慣れるまではめちゃくちゃに読みづらい。少なくとも手塚治虫が言うストーリー漫画ではないと思う。
 映像体験としては、よく言われるように映画的。でも読み心地としては、(まさにヴォネガットのような)海外文学的。長嶋有が「文学と 映画の面白さを漫画で駆使する男」と島田虎之介を評していたけれども、まさにそんな印象。日本の漫画が今までやろうとしてこなかった領域に足を踏み入れている感じがする。

 シマトラが物語るのは、華々しい20世紀の歴史の裏に生きていたはずの人間の話だ。もしかしたらこうなっていたかもしれない、もしくはこうなって欲しかったという20世紀への哀愁と惜別に満ちた偽史だ。そういう物語られなかったものの物語。歴史の裏に潜んだありえたかもしれない歴史や人間の物語。
 そんなものを描こうとしたら本来この10倍のページ数があっても足りないはずで…。それをシマトラをこの1冊の中に詰め込んでしまう。だからこそ一見淡々と語られていくように見えても、その密度と情報量は尋常じゃない。何度も繰り返し読まないとおもしろさは見えてこないし、行間を読むとかいう言葉では伝わらないくらい想像することを強いられる。

 そんな物語の数々がクライマックスでは、美しく一つに収束されていく。決して華々しい生涯を生きたわけではない登場人物たちの物語は死んでもなお、人知れずまた他の人々へつながっていき、また一つ物語られない物語が誕生した所でラスト・ワルツは幕を閉じる。歴史の裏だったはずの物語がありえないほど劇的に救われていき、20世紀の影もまた21世紀に引き継がれていく。とにかくすごい。

 ここで語られる真実は全て嘘だ。分かってもいいし、分からなくてもいい。でもこのシマトラの作品の読み心地は映画でも文学でも、他のどの漫画を読んでも得られないよなぁ。漫画に読み応えを求めている人には、全力でおすすめ。

ナイスレビュー: 0

[投稿:2012-06-27 00:46:56] [修正:2012-06-30 13:53:24] [このレビューのURL]

 1976年のニカラグア、アメリカの支援を受けつつ独裁を続けるソモサ政権への反発からFLSN(サンディニスタ民族解放戦線)のゲリラ活動が盛んになり、ソモサ政権は国境警備隊を使ってFLSNを排除しようとしていた。
 若き修道士ガブリエルは、壁画の作成を依頼されニカラグアのとある村にやってくる。ガブリエルは宗教画を得意としていたが、村の神父ルーベンから“ものの表皮をめくる”ことを教えられ、村人たちを描くことを通して彼らと深くつながっていく。

 一つのライターの数奇な偶然によって物語は動き出す。村の女性から国境警備隊の男、さらにはFLSN、そしてガブリエルの元へと人々の手を移り続けるライターは当時のニカラグアではFLSNの象徴とされていた。FLSNと彼らを教会を通して支援するルーベン、ガブリエルは双方を国境警備隊の捜査から庇おうとする。しかしその企ては偶然ガブリエルの手元に渡ったライターから露見し、逆にガブリエルは拷問によってFLSNと教会のつながりを吐いてしまう。
 FLSNとルーベンへの裏切り、村の貧しい人々とは異なり政府の有力者の息子であるという罪悪感、実は同性愛者であるという背徳感…ガブリエルは両親の迎えから逃げ出し、革命に身を投じることになるのだった。

 うーん、これはすごい…。絵と物語がここまで高い質で両立してるとはねぇ。

 ガブリエルの抑圧された感情と身の上というのが一つの重要な要素になっていて。ニカラグアの革命を通してガブリエルの自己の変革、つまり大人になるための通過儀礼を描いた作品、と括ってしまうのは簡単なのだけれども。とあるライターを巡る凝りに凝った物語の導入、自己の変革へ至るまでの貪欲なまでのテーマの盛り込み方、そしてその多彩なテーマを一つにまとめきる作者の手腕にはただただ驚くばかり。

 FLSNの人々との出会いと別れ、人を殺すことと殺されること、辛い行軍、そして愛…ルパージュは人間の光と影を繊細に描き出す。そして積もりに積もった物語はガブリエルの解放に結実するのだ! 同性愛者としての自分も、政府の有力者としての自分も、裏切りを犯した自分も、自己を自己として認められるようになったガブリエル。そんな彼への感動とそこへ至るまでの圧倒的な説得力は、もうたまらない読み心地だった。
 また終わり方が良いんだよねぇ。大人になったガブリエルへの喝采に悲恋のほろ苦さが花を添える。同性愛の恋愛ものとしても秀逸な出来だったと思う。

 ルパージュの絵はただただ本当に美しい。アートとしての素晴らしさだけではなく、物語の展開やガブリエルの心情に沿ってルパージュは見開きごとに色彩を変える。ページをめくるごとに常に鮮やかで透明感のある絵が目に飛び込み、絵の表情はどんどん変化していく。
 人も自然もその時々によって、また見る側の心情や境遇によって受ける印象は異なってくる。ルパージュもまた単に上手いだけではなく、“ものの表皮をめくる”ことを徹底しているのだ。

 ニカラグア革命のある側面を描いただけではなく、エンターテイメントとしても非常に読み応えのあるおもしろい作品だった。ニカラグアの革命に自己の革命を重ね合わせ、それを一つの物語として結実させる。つくづく感嘆するしかない傑作です。おすすめ。

ナイスレビュー: 2

[投稿:2012-04-30 01:58:07] [修正:2012-06-15 00:45:06] [このレビューのURL]

 ようやくの完結! 後はこの調子で呼出し一の続きもぜひ!

 ビルから飛び降りた謎の女「朱」。彼女とつながりのあった作家・溝呂木は事情聴取のため警察に呼び出される。そんな彼の前に現れたのは朱の双子を名乗る、彼女に瓜二つの女「三木桜」だった…。

 中村明日美子が描くサイコ・サスペンス。とは言っても1巻時点ではあんまりサスペンスやミステリー的な魅力は感じられなくて…。何といっても作品を彩る要素が派手すぎた。
 瓜二つの美少女を巡る謎。初老の渋い作家。罪の匂い。退廃的な愛。中村明日美子は痴人の愛のナオミのような魔性の女、ファムファタールを具現化しようとしているのだと思った。自分のものにするためならどこまで堕ちてしまっても構わないといったような女を。彼女の描く圧倒的な白と黒の魅力にはそれを可能にする力があったわけで、サスペンスなど脇になってしまうくらいウツボラの美少女たちは耽美だった。精神の不均衡を伺わせるような病的な瞳には気付けば吸い込まれてしまっていた。

 しかし完結巻である2巻では一転して、サスペンス性が強くなる。一読では頭の中がこんがらがってしまう複雑なプロット。説明は最低限なので自分で考えていく謎解きの楽しさはもちろん、謎を解いていくことが謎の女や溝呂木たちの素顔を明らかにしていく仕組みなのがおもしろい。
 しかしここで気付いたのは、ファムファタールを描くこととサスペンスとしての物語のおもしろさは決して両立しないということで。魔性の女とは心の内が読めないからこそ魔性なのだ。複雑な謎がどんどん解かれていく内に彼女達は底を見せ始める。耽美は少しずつ薄れていき、魔性の女はただの女に近づいていく。

 そして虚飾が剥かれて剥かれて剥かれた後に残ったもの。それはむき出しの作家の業の深さであり、女の業の深さだった。
 何よりも才能を欲しながらも才能の枯渇に脅えるもの。どんなことをしてでも愛を求めるもの。その二つの業がせめぎあう様にはもう圧倒されるしかなかった。そして遺された二つのものには心を抉られるしかなかった。

 これは作家でありなおかつ女であるからこそ描けたのだろう。しかも一時期にしろ筆を折っていた中村明日美子の影を裏にひしひしと感じないわけにはいかなくて。作るものの落ち込む深淵の深さを一端にでも覗いたように思えて鳥肌がたった。

 復帰後に初めて読んだのがウツボラの2巻なのだけれども、やっぱり中村明日美子はすごい! 文句なしの傑作。もちろんおすすめ。

ナイスレビュー: 0

[投稿:2012-05-25 23:18:49] [修正:2012-05-26 16:32:55] [このレビューのURL]

 ぱっと見て思うのは、これ本当に参加している漫画家が豪華だよなぁってことで。しかも単純に人気があるとかではなくて、面子を見れば分かると思うのだけれど、何と言うか少し通な漫画好きが好みそうな方々。これは目を惹かれる。
 
 この「長嶋有漫画化計画」はその名の通り、長嶋有の作品を様々な漫画家たちが漫画化しようという企画。萩尾望都というレジェンドを始めとして、人気作家から新人まで色んな漫画家が参加している。
 こういう企画ものに関しては意図はおもしろいと感じても、単体でみるとあんまりなぁ…という経験が多かったので期待しすぎないように、と思って読んでいたのだけれども。そんな舐めた考えは完璧に覆されてしまった。これは素晴らしいんじゃないか?

 小説であるものを漫画にする時、そこには何か意味がなければいけないはずで。長嶋有はこの作品集に編集として参加したそうだけれど、この企画の意義にはすごくこだわっていたのだと思う。だからだろうか、全ての作品から小説をただ単純に漫画に置き換えるのではなく、あくまで漫画としてしか表現できないものを作り出そうという意図が感じられる。長嶋有と漫画家がガチンコでぶつかり合って、共に新しい作品を作り出そうという気持ちが感じられる。
 多分この作品集にすごく読み応えがあるのは、そういう理由からだ。長嶋有の小説のおもしろさはそのままに、漫画としてのおもしろさも、担当している漫画家の個性も、全てが上手くブレンドされている。うん、漫画にしてくれて良かった。そして読者にそう思わせることが出来れば、この企画は成功なのだ。

 特にお気に入りの作品について少し。

 「猛スピードで母は」
 島田虎之介担当。長嶋有のデビュー作で、こちらは私も読んだことがあった。島田虎之介は物語る人、とよく言われる。物語るというのは、読者に何かを伝えられるということだ。羽海野チカのようにポエムを使う人もいるかもしれない。対してシマトラの作品では決して言葉数は多くない。でも読み込んでいくと、その空白は、誰にも増して雄弁に語る。時間はかかっても、それだけの価値のある漫画体験をさせてくれる。
 この作品において、小学生の慎から見る母はどれも微妙に異なる。母親であり、恋する女であり、格好良い女性でもある。シマトラは言葉に出さない。でもそんな母親に少しだけ戸惑う慎の気持ちはひしひしと伝わってくる、そして映画と見紛う猛スピードのラストシーンには、色んなことに揺れていても“強く”生きている母親の姿があり、そんな母親に憧れつつも自立を決意する慎がいる。これは確かに森嶋有の小説であり、シマトラの漫画でもあった。

 「噛みながら」
 よしもとよしとも担当。この人を参加させたのは森嶋有一番のファインプレイだった。何といっても漫画を発表したのは約8年ぶりらしい。ついでに「ねたあとに」で挿絵を担当してた高野文子もお願いしたかったが、それは高望みだね。青い車以来、久々にこの方の漫画を読んだのだけれど、やっぱり完成度とキレの良さに痺れます。
 どうしても変えられない自分を「まぁいいや。それがあたしだ。」と認められるようになった頼子。変えられることと変えられないこと、そしてその二つを見極める知恵を知りたい、というのはスローターハウス5や恥辱を読んでからずっと私の頭の中に巣くってる思いで。またそれが自分を知るってことなのか?なんて考えてもいて。だから頼子をちょっとだけ羨ましく感じつつも、心から彼女に喝采してしまったし、そんな自分の青さと作品がかなり共鳴しちゃったのか、少し気恥ずかしくなりつつも、かなりぐっと来た。よしともさん、もっと漫画描いて欲しいです…。

 ここで詳しくは書かないけれど、他に印象的なものとして、萩尾望都やカラスヤサトシ、小玉ユキ、衿沢世衣子あたりの作品も好きだった。また新人枠のウラモトユウコにはちょっとびっくり。描線が素敵ですごく好みだし、小説の再構成も上手い。自身の単行本が出たら読んでみたい気持ちになった。
 ただ読んだ人に好きな漫画を聞いた時、どれが返ってきてもおかしくないくらい全般的にレベルの高い作品揃いだったと思う。厚いし、値段は普通の漫画に比べて高めだけれど、読み応えのある作品を求めてる人にはぜひおすすめ。

ナイスレビュー: 0

[投稿:2012-04-15 21:15:46] [修正:2012-04-15 21:27:34] [このレビューのURL]

 高橋葉介といえば、怪奇幻想系の作家として有名な御方。なかなか触れる機会がなかったのだけれど、夜姫さまの新装版刊行を機に手に取ってみた。

 内容は、10人の暗黒お姫様による幻想譚。まるで絵巻物のような妖しく奇妙な話が綴られていく。

 本当に高橋葉介の絵と物語は素晴らしい。夜姫さまにおいて描かれるのは、粋を尽くした妖美・妖艶だ。文字通り、妖(あやかし)の美しさであり艶めかしさだ。やばいと分かっていても逃れられない魔の魅力だ。気付いたら読んでいる私まで深淵に吸い込まれているように、目が離せなかった。
 いやぁ、すごいよな。だって生首は確かに盗みたくなるほど美しいし、内臓は本当に美味しそうだもん。それを為さしめているのは断じて猟奇趣味などではなくて、高橋葉介の絵の魔力なのだ。

 特に個人的に惹かれたのは「猫姫さま」「闇姫さま」。「闇姫さま」なんて親にも友人にも虐げられている女の子の話なんだけどね。エログロで、ロリで、残酷で、でもやっぱり何とも素敵で美しい。これを素敵と感じちゃう辺りが物語を読む人間の残虐な業だな、と思いつつもおもしろいのだからしょうがない。
 また「夜姫さま」は小女性を描いた作品として、高野文子の「田辺のつる」を引き合いに出したくなるくらい素晴らしかった。やっぱり老いても永遠に女の子なんだなぁ。高橋葉介の筆致だと最後がほぼホラーになっちゃっているのだけれど、引き出しの広さがよく分かった。

 漫画では怪奇幻想系の気に入っている描き手があまりいなかったので、今さらながら出会えて本当に良かったと思う。次に手を出すとしたらやはり夢幻紳士だろうか。夢野久作や乱歩が好きな人などは特におすすめ。

ナイスレビュー: 0

[投稿:2012-04-10 01:44:27] [修正:2012-04-10 01:51:12] [このレビューのURL]

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