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総レビュー数: 258レビュー(全て表示) 最終投稿: 2007年06月29日

8点 菫画報

 間違いなくストライクゾーンは狭いだろうなぁと思いつつ。でも私を含む一部の人々にとっては、ある意味バイブルと言ってもいいくらい強烈な吸引力を持ってる漫画。
 内容は「本格高校新聞漫画」ということで、いわゆる文科系クラブのゆるーい日常もの。日常とはいってもかなりファンタジックな話も多くて、コメディ色が強い。爆笑を期待するとちょっとあれだが、にやにやしながらまったり楽しめる。

 この漫画が今一つ売れなかったのはよく分かる。まあ大体の人にとっては、他の同じような類の漫画と比べて突出した内容はないだろうし、絵も癖があって上手とは言えない。でも一方で、未だ当然のように絶版中の菫画報(特に4巻は数がないとか)を探しているという人の話もよく聞くこともあって。
 それは多分作者の嗜好が良くも悪くも露骨に出ているのも一つの要因なのだろう。「エログロナンセンス!子供も大人もエンタテイメントの基本はこれよ」という台詞が作中にあるのだけど、これを聞いてピンと来るものがある人なら読んでみるのも良いかもしれない。

 要は子どもの頃に「怪盗二重面相」や「ドリトル先生」、「名探偵カッレくん」あたりに親しんでいて、大人になっても乱歩や谷崎の怪奇小説、ポーの幻想文学、ヴォネガットのSFを愛好しているような、いくつになっても夢の世界に片足突っ込んでいる人にはたまらないものがあるってことで。いわゆるサブカル嗜好の人ってことになるのかもしれない。
 菫画報の菫もそういう人なんだよね。上に挙げたような探偵小説にのめり込み、当たり前の日常の中で非日常を必死に探している。もうここら辺からして自分を見ているようで、ちょっと面映いのだけど。そして現実と違って、この漫画では非日常に紛れこめちゃうんだよなぁ。しかも菫は、私が内に押さえ込んでる妄想を外側に何の躊躇もなく爆発させる。だからもう菫に、この漫画にすんごく惹かれちゃう。悔しいことに。

 色々と奇跡的なバランスで成り立っている漫画だと思う。小原愼司の絵はいわゆる耽美系になるのだけど、けっこう粗い。ただこれが古屋兎丸の絵だと絶対おもしろくないだろうし。また石黒正数の菫画報であろう「それでも町は廻っている」は絵も話も上手すぎて、“そういう”おもしろさは薄まってしまっている(石黒正数は大の菫画報ファン)。
 実際その後の小原作品は菫画報より成長しているのは確かなのに、菫画報を超えれていないわけで。漫画って色々と難しいものだよなぁと思ったり。

 とにかくSFやら何やらごった煮なんだけど、それがまた突拍子もない空想っぽくて好きだった。作者も書いているように、話に起伏はないし決して引き出しは広くないんだけどね。見せ方が工夫しているのもあってか、ずっとこの世界に浸っていたくなる。
 空想というものの限界と現実の縛りを描いた話を挟んで、とことん馬鹿な話がラストなのも良いよなぁ。これが夢オチじゃないあたり、素晴らしく気が利いてる最終話だった。

 とりあえず作者の嗜好とかそういうものに対する愛とかに共感できる人ならば、代え難い価値のある漫画になるはず。合うと思ったら探してみて下さいな。

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[投稿:2012-02-23 01:35:58] [修正:2012-02-23 08:14:29] [このレビューのURL]

 原作小説の猟犬探偵シリーズは読んだことがないのだけれども、漫画化を考えた時に谷口ジロー以外に誰がやる?ってくらいにぴったりな小説だなと。だって犬×ハードボイルドの探偵ものですよ。これを谷口ジローが描いておもしろくないわけがない。

 失踪した猟犬の捜索を扱う探偵・竜門卓の物語。とりあえず思うのは、何てニッチな職業なんだ!ってことで。そんな風変わりな商売をやっていて、“小型犬は扱わないのだ”のように独自のポリシーを持っている。
 ハリー・モーガンのように、誰にも命令されない男。自分だけのモラルで動く男。金では動かぬ男。相棒と共に山に生き、フォア・ローゼスを飲む彼はまさに山のフィリップ・マーロウだ。

 もう谷口ジローの横綱相撲感が半端ない。絵にしろ構成にしろ匠の仕事に惚れ惚れします。魅せたい所と伝えたいことを過不足なくしっかりと見せてくれる実直な仕事。そして圧巻の、山と動物の魅力をこれ程までかと引き出す描写力。やっぱり谷口ジローは素晴らしい漫画描きだなと今さらながらに思った。さくさくとテンポ良く読ませてくれる一方で、感動と余韻はじっくりと味あわせてくれる。

 そしてまた竜門が格好良いんだ。仕事は完璧にこなした上で、自分のポリシーを貫く。言葉には出さずに、見返りも求めずに、そっと好意を置いていく。最高にリアリスティックな中にあるほのかな感傷というハードボイルドの醍醐味を堪能しました。憧れます。
 盲導犬のエピソードは特にぐっと来た。しびれますよ竜門さん。ため息が出て、温かな気持ちで泣ける。
 
 嬉しいことに続編も現在連載中ということで。また新たにこの傑作の続編も楽しめそうです。谷口ジロー好きはもちろん、ハードボイルドが好きな方はぜひぜひどうぞ。

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[投稿:2012-02-21 01:26:30] [修正:2012-02-21 02:03:29] [このレビューのURL]

 真造圭伍はこの森山中教習所がデビュー作で、しかも22歳でこれだけのものを描いちゃうんだから恐れ入る。この先もっとすごい漫画を生み出していくのだろうか。

 とはいってもストーリー自体は本当にシンプルな物語。ひょんなことから非公認教習所に通うことになった大学生、佐藤清高くんのひと夏の恋と友情を描く、それだけだ。しかし真造圭伍はそれだけの話をここまでおもしろく語れてしまう。つくづく新人とは思えない。

 何というか、もう物語を語るセンスがずば抜けていると思った。語る所とあえて語らない所の選び方が絶妙、またその語り口も素晴らしいの一言で。清高くんにしろその友達の驫木くんにしろ、背景に色んなものを抱えてるんだろうな、って匂わせるシーンもそこらかしこにあって。でもそれはあくまでバックボーンに留め、絶妙な間と表情で語らせる技量にはほとほとため息が出た。
 いくつかの見開きでは、ふきだしを使わずに名前とかぎかっこで登場人物の会話を描くなんてこともしていたのだけれども。こんなこと、下手にやっちゃったら途端に話がうそ臭くなってしまうと思う。でもこの作品では驚くほどすっと心に入ってくる。

 基本的には、ヤクザの件のような本当に漫画的な漫画で。その一方で、水風船の遊びからの拷問シーンや清高くんのヤケ酒なんて、笑ってしまうほど滑稽で、でも尋常じゃないほど人間臭さを感じさせる。そうかと思えば清高くんの元彼女さんの食事やラストの急ブレーキの場面ように、とことん笑える場面もあったりして。やっぱりそこらかしこに強烈に作者のセンスを感じた。

  「なーに、ノスタルジーにひたってんのよ?」

 気付いたら私までそんな思いにひたっていたのは、自分の中にも同じような物語があったからだ。真造圭伍は、誰もが心の片隅にひっそりとしまっているものを、おもしろい物語に仕上げることが出来る。そういう人が私は好きで、でもそういう人はなかなかいない。

ナイスレビュー: 1

[投稿:2012-02-13 00:14:49] [修正:2012-02-13 00:26:14] [このレビューのURL]

 中村明日美子といえば自分の中ではどちらかというとBL作家のイメージがありまして。一般向けも描いているのは知ってはいたのだけれども、「同級生」がBL界隈で絶賛というのをけっこうな場所で聞いていたのが大きかった(だってぷっすまでも見た記憶が…)。というわけで去年この鉄道少女漫画を読んだのが初中村明日美子。

 読んでみてまず思ったのは、上手すぎる!ってことで。こういうテーマを縛っちゃった短編集は話がなかなか広がらなかったり、もしくはテーマを意識しすぎて話に無理やり感が出ちゃったり、この話…じゃなくても良くね?とかなかなか難しいものがあると思う。
 鉄道少女漫画はその名の通り、鉄道+少女漫画なのだけれども、このおもしろさはどちらを抜いても絶対成り立たない。まさに少女漫画という、青春大爆発な感じや現実にはありえない夢物語のような話が、鉄道特有の独特な雰囲気でぐっと引き締まる。両立しえないものがしてしまったという驚きがあった。

 短編一つ一つの構成の上手さもまた際立っていて。第一話のスリの少女がスリを仕掛けた相手に捕まって…に代表されるように、突拍子のない冒頭から始まり、見事な伏線回収を挟みつつ、心をぐっと掴まれる美しいラストに帰結する。
 鉄道の使い方もどれ一つとして似たようなものはないもんなぁ。時刻表トリックや鉄道に絡めたウィットに富んだやり取りというのも何とも素敵で、またそんな鉄道愛を感じさせる要素もしっかりお話の中の必要なものとして組み込まれている。表紙やエピローグまで隙がない。稚気に溢れた仕掛けを眺めていると、ついついにやってなっちゃうのだ。

 どの短編も素晴らしいのだけれど、特にお気に入りを挙げるとしたら「浪漫避行にのっとって」「立体交差の駅」「木曜日のサバラン」あたり。
 「浪漫避行にのっとって」は特に構成が抜群で、最後のカタルシスがものすごい。全体的にコミカルな感じも好き。「立体交差の駅」は青い花以来、久しぶりにぐっときた百合もの。すんごく可愛くてぎゅっとしたくなる。「木曜日のサバラン」の共通幻想というか、言葉に出したら壊れちゃいそうな雰囲気と仲間って良いよなぁ。

 ということで中村明日美子のすごさというのを存分に感じられた短編集でした。本当に活動再開してくれてありがたや。短編集好きの人には外さないと思うのでおすすめ。

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[投稿:2012-02-08 18:34:25] [修正:2012-02-13 00:16:17] [このレビューのURL]

 フロム・ヘルなんかとはまた違った意味で、本当に読んでいてしんどかった。もちろんおもしろくないとか下手だからではなくて、志村貴子がすごいからなのだけれども。
 何でそんなにしんどかったのかというと、ハチクロの台詞でいう“自分が苦労して脱ぎ捨ててきたもう見たくないものを、強制的に見せられている”感じに近い。読んでいて、あぁぁぁーってなっちゃう。

 女の子になりたい男の子と男の子になりたい女の子の話、といえばもちろん正しいのだけれど、性同一性障害を描いた物語かというと少し違う。恐らく志村貴子が描きたいのは、それよりもう少し広いもの、成長するにつれてカテゴライズされていく子供たちの姿だ。
 
 作中に、女モンの下着を持ってるのか?と聞かれて肯定した二鳥くんと友達のこんな会話がある。「女の服着るだけならまだ、てゆーかそれもアウトだけど、でもまだマシだけど、下着は完全アウトだろ」「それを何でおまえが決めるんだよ」
 もちろん私は二鳥くんのような、女の子になりたい男の子ではなかった。でも成長するにつれて自分を取り巻く“線”を少しずつ感じ取っていくのは決して二鳥くんような子だけの話ではなくて、誰もが経験することだと思う。私が中学生の時、学校ではズボンを腰まで下げるのが流行していたし、校則違反だけれど眉を剃るのは格好良いとされていた。二鳥くんは何でおまえが決めるんだよ、と言ったがやっぱり人によってアウトとセーフの線は異なるし、その線を決めるのは周りの人間なのだ。子どもはそういう雰囲気にすごく敏感だから、自分はどこまでズボンを下げていいのか、眉を剃っていいのかを考えて、出来るだけ線からはみ出さないようにする。

 でも時にはその線からはみ出したくなるときもあるんだよね。いつもより気張った髪型をしてみたり、思い切った服を着てみたり。しかし大体な所、自分の線をはみ出した結果、何となく決まりの悪い思いをしたり、友人に馬鹿にされたりすることになる。二鳥くんが女の服を着たいということは、こういう誰もが経験することの延長線上にあるのであって、決して普通の人と関係のないことではないのだ。
 もちろん男と女ってだけじゃなくて、子どもと大人、可愛い人と可愛くない人、だったり人は色んなカテゴライズをされていくわけだけれども。ただ二鳥くんを取り巻く線は、成長するにつれて少しずつ狭くなっていく。制服によって男と女は形式的に分けられるし、第二次性徴期によって否が応にも自らの性別を実感することになる。これは苦しいよなぁ。
 
 成長するにつれて、あんまり人ははみ出さなくなる。線をはみ出ることで苦労をするより、その中でやっていく方が精神的に楽だから。二鳥くんはどうやら高校生になっても、おっかなびっくりしながら線をはみ出し続けていくようだ。それが多分タイトルの“放浪”息子ということなのだろう。
 多分思春期をこういう風に描いた人って志村貴子以外にいなかった。よしながふみの根底にも似たものがあるとは思うのだけれど、志村貴子は噛み砕く前のものを見せてくれる。だから青臭くて、照れくさくて、読むのがしんどいのだ。いや本当に佐々ちゃんという清涼剤がいなかったら読めなかったかもなぁ。志村貴子はやっぱりすごい。

 志村貴子は様々な放浪を見せてくれる。人によって自分を取り巻く線は違う。ちーちゃんのように異様に広い人もいるし、高槻くんみたいな人もいる。色んな線のはみ出し方があって、線をはみ出すことには相応のリスクだってある。
 二鳥くんの放浪はどこに行き着くのか、それとも放浪し続けるのか。読むのはしんどいけれど、それ以上に楽しみなのであります。

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[投稿:2012-02-10 23:47:53] [修正:2012-02-10 23:47:53] [このレビューのURL]

 きっちり約1年かけて全2巻で完結させてくれました。こういう短い巻で作者のやりたいことをしっかりやりきった漫画は珍しいだけにすがすがしい。

 舞台は2038年の日本。人工知能のお手伝いロボットが一般的になり始め、携帯やパソコンの“つながる”機能は飛躍的に進歩している。
 小学4年生のゆうまは自分の家のお手伝いロボット、ナナコとなかなか折り合いがつかないでいた。ある日友達の家に遊びに行く途中でナナコがおかしくなってしまう。故障かと心配するゆうまであったが、そのナナコに案内されて団地の屋上にたどり着いた先には異星の人工知能が待っていた。地球に墜落した人工知能を母星に帰還させるため、ゆうまと彼の友達は奮闘することになって…。

 私が小学生ぐらいの頃に流布したドラえもんの最終回というのがありました(藤子先生ではなくてファンの創作)。ある日バッテリーが切れて動かなくなってしまったドラえもん。ドラミによるとバッテリーを換えてしまうと耳に存在したバックアップメモリーのないドラえもんは今までの全ての記憶を失ってしまうという。どうしても諦めきれないのび太は猛勉強して一流のロボット工学者に成長し、やがて記憶を消さずにバッテリーを取り替える方法を開発するのだった。というのが簡単なあらすじ。

 これ小学生ながらにすごく感動したんだよね。今考えてもすごく良くできていると思う。「ドラえもん」においては、もちろんいつまでものび太は大人にならない。しかしもしのび太が大人になるとしたら、それは確かにドラえもんと別れる時であり、そして大人になれば夢を追いかけることが出来るのだ。

 「ぼくらのよあけ」はドラえもんともしかすると上のファン創作の最終回にインスパイアされたSFではないかと思う。ぼくらのよあけは最終回までに彼らの“よあけ”、大人になった姿が描かれただけではなく、彼らの親との関わりを通してかつてのび太だった人々の姿をも見せてくれた。家庭や仕事に責任のある彼らは昔のように、彼らの子どものようにもはや冒険することはできない。でも大人になったからこそ分かることがあり、出来ることがある。
 ここで描かれる未来像はまだまだ現実的ではないものの現実の延長線上にあることは強く感じられる。つながりたいしつながってないといけない。子どもは昔も今もそして何十年後であっても楽ではないけど、未来への夢と希望があるのは変わらない。誰もがかつては子どもであって、誰もが大人になっていく。そんな当たり前のことはこんなにもわくわくに満ち溢れている。

 ということでドラえもんを卒業した人にぜひ読んでみて欲しい。別にドラえもんに思い入れがない方でも、誰もがのび太だった時代はあるのだから。
 子どもの頃のわくわくと成長するにつれて失われてしまったものの切なさ、そして大人になったからこそ出来ること。どこにでもあるような普通の団地に宇宙への扉が隠されている。

 大人になったのび太はもう一度ドラえもんに会いに行くのだ!

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[投稿:2012-01-27 01:11:24] [修正:2012-01-27 13:58:41] [このレビューのURL]

 相撲というと日本の国技であるし、すごく身近なスポーツでもある。その一方でダサいというイメージは、言い難いけれど、あるだろう。ふんどし一丁で太った男同士がぶつかり合うスポーツだから、少なくとも“華麗”という言葉は似合わない。
 でもバチバチを読んで感じるのは、だからこそいいんだよなぁってこと。熱い漫画に洗練、華麗なんて言葉は要らない。泥臭くて、格好良くて、最高の男たち。やはり相撲は男の浪漫だよ。

 主人公の鯉太郎は暴力事件で引退し、交通事故で死んだ大関火竜の息子。彼は相撲と親父の過去に折り合いをつけられないまま日々を過ごしていた。
 そんな思いにケリをつけようと思った鯉太郎は巡業相撲で幕下力士を強烈なぶちかましと何よりもその根性と気迫で圧倒し、勝利する。その相撲を見ていた火竜の旧友、空流親方にスカウトされ相撲部屋に入門することになるのだった。

 バチバチを形容する時にやっぱり“熱い”というのは一番に使われる言葉だろう。男と男がぶつかり合って、張り合って、投げ合う。もちろん熱い。とんでもないくらい熱い。
 でも最初の内はそれだけかな、と思っていた。胸くそ悪い悪役(王虎ね)が出て来て、バチバチに打ち勝って、もちろん熱くて読んでいるときは燃え上がってしまって最高なのだけれど、立ち読みで十分だと思っていた。熱いだけだと読み返すうちにやっぱり冷めてきてしまうわけです、正直な所。

 でもあれ?それだけじゃない?と思い始めたのはどんぐりとの取り組みあたりからだろうか。あの取り組みで佐藤タカヒロは鯉太郎に、勝たなければいけない理由と勝つのが当たり前だと決め付ける理由の違いを突きつけた。
 決して鯉太郎だけが“特別”ではないのだと。いや、確実に特別ではあるのだけれど、でもそれは他の力士を無意識にでも見下ろすことにはならないと。

 で、それが私の中では、すごくすっと入ってきた。初めて熱いだけではなくて、おもしろいなぁと思ったのだ。さらにその後の鯉太郎がスランプに陥ってから下手投げを習得するまでのエピソードで、ああこれは傑作になるわと確信したのだった。
 すごく丁寧なのよ。相撲はシンプルなルールではあるけれど、私が知らなかったシンプルゆえの奥深さがそこにはある。ぶちかましや下手投げの一つをとってもこれだけ相撲ってすげぇなぁ、と思わせてくれて、さらにそれらはしっかり本場所での取り組みにつながってくる。さらにはただのスポーツではなく、伝統芸能としての一面もしっかり描かれる。

 要は熱さの中にも裏づけがあるってことで、これはなかなか見れない。熱いだけ、って漫画はたくさんあるし、頭でっかちな漫画はそれ以上にあるだろう。バチバチは熱さと物語性、そして競技性がそれぞれに盛り立てあうという稀有な漫画であって、それを傑作というのだ。
 バチバチは親方や兄弟子、同期の仲間の台詞や態度一つとってもそれぞれに布石があって、でも先は読めない。読めなかったのに、終わってみればこれしかなかったんだ、と感じてしまう。熱さの裏に説得力がしっかりとあるってこと。

 鯉太郎がまっすぐな、まっすぐすぎるくらいの好感の持てる主人公である一方、脇を固める空流部屋の兄弟子達や同期の仲間も魅力的だ。悪役が本当に胸くそ悪いのも良い。そして何より川さんの神がかりっぷりが良い笑。
 でも今年一番は白水だよなぁ。いわゆる凡人代表のポップ的な位置で、さらに兄弟子である白水の目覚めは本当に今一番わくわくしてる。天雷との取り組みとかもうたまらん。そして鯉太郎との決戦へ…。熱いぜ!

 来年は吽形と阿形の対戦が待っていて何とも楽しみな、そして恐ろしくもあるこの漫画、最高に熱くて、でもそれだけじゃないのです。初期のはじめの一歩が好きな人なんて特におすすめしたい。
 しかしまだ序二段だからなぁ、横綱までの道は遠いぜ。この勢いでぜひぜひ頑張って欲しいです。

ナイスレビュー: 1

[投稿:2011-02-06 23:58:53] [修正:2012-01-22 22:13:37] [このレビューのURL]

8点

 「皺」はスペインの作家、パコ・ロカの作品。表題作「皺」と「灯台」の中篇2つが収められている。
 基本的に日本で邦訳される海外マンガのほとんどはアメコミ、もしくはフランスのバンド・デシネ関連という中で、スペインの作品が刊行されたというのはよっぽどのこと。それだけ出版社もこれを推したかったのでしょう。ありがたや。

 「皺」は物忘れがひどくなったおじいさん、エミリオの面倒を見切れなくなった家族が、彼を老人ホームに入所させる場面から始まる。最近の記憶に加えて過去への記憶さえも失われてしまう認知症、アルツハイマーを主軸にパコ・ロカは“老いること”を丁寧に、良い意味でコミカルに描く。

 アルツハイマーと聞いて私が思い浮かぶ小説に、萩原浩の「明日の記憶」がある。こちらはもうどうしようもない恐怖だった。記憶がなくなり続け、“自分”がなくなってしまうことへの焦燥と絶望、そしてそれらの感情を含めた全てが最後には消え去ってしまう。ほぼホラー。

 「明日の記憶」と「皺」は似てもいるし、でもやはり決定的に異なる。パコ・ロカは老人たちをシンプルに、でも優しいタッチで描き、淡いセピア調のパステルカラーで色をつける。人生の夕暮れに、彼らは夢と過去の中に生きている。それは必ずしも不幸なことだろうか?とパコ・ロカは問いかける。
 自分じゃなくなっても、ここじゃないどこかであっても、彼らは生きているんだよ。そんな優しい諦観が切なくもあり、幻想の中にいる彼らが哀れにみえるのは私達の思い込みに過ぎないのではないかとも思わせてくれる。それはそれで彼らは幸せなのかもしれない。

 老いと向き合うのは自分である一方、他者の老いとも向き合っていかねばならない。そう、私が「皺」で心をうたれたのは、日々自分を失くしていく彼らと共に過ごす人々の姿。消えていくものに特別はなく、連れ合いの、友達の記憶すら消えていく。
 老人ホームには比較的頭がしっかりとした人も少なくない。でも悲しいことに彼らこそが忘れ去られる側なのだ。認知症の人々よりも、寂しく、辛く見えるのは頭がしっかりしている彼らという矛盾。友達の中の“自分”が消えていっても寄り添う彼らは温かくもあり、哀愁を感じさせもして、たまらない。
 
 人と人の“つながり”とは思い出で出来ている。だからこそ、そのつながりが一方通行になってしまう(もしくは断絶してしまう)老いは残酷でもあり、思い出の大切さを反面突きつける。
 彼らの奇矯なふるまいをユーモラスに感じつつ、胸の奥はちくりと痛い。老いは自分の先でも確実に待っているのだから。でもエミリオたちはそれだけではないのだよ、語りかける。

 そしてそのような全てが最後のページいっぱいに詰め込まれる。そりゃあ泣くさ。何と人間への愛に満ちている素敵なラスト。

 パコ・ロカさん、漫画描くのが巧すぎます。細かい描写やエピソードを積み重ね、一つの大きなストーリーを形作る。そんな当然のようでいて、一番難しいことをこんなに力を抜いてやれる作家がどれだけいることか。
 それでいて最後の“顔”のような漫画でしかできない表現もやれてしまうとなると、もうすごいとしか言えない。世界は広いなー。日本もうかうか出来ませんよ。

 「灯台」もまた素晴らしい。灯台をテーマにした漫画って日本じゃあまり見ないけれど、これや「ひとりぼっち」を見ると、“孤独と冒険への道しるべ”というモチーフとして灯台はすごく適しているのが分かる。灯台守は格好良くて、青年兵士の船出にはぐっとくる。

 「この海外マンガがすごい2011」でもシビル・ウォーやアンカルなど名だたる話題作を押しのけて一位に輝いたこの作品、それだけ多くの人々がこの漫画を大好きということでもあり、誰もが無視できないことと向き合った一冊でもあるということ。
 これは不老不死でもない限り、読んで確実に得られるものがある。日本の漫画好きこそ、「皺」のすごさが分かるはず。

追記
そういや「皺」はえすとえむ先生が絶賛してる(帯も書いてる)のだけど、邦訳の刊行にも深く関わっているそうで、これまたありがたや。えすとえむ好きの方もぜひどうぞ。

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[投稿:2011-12-14 00:37:26] [修正:2011-12-14 23:33:31] [このレビューのURL]

 1巻しか出てないけれど、これはおもしろい落語もの。

 近頃のBL界隈から飛び出してくる才能の宝庫ぶりってやばくないかい?よしながふみに始まって最近だとえすとえむやこの雲田はるこ、と少女漫画界隈とはまた違った種類の、より成熟した才能が揃っているように思う。
 また広い感性を持った少女漫画家がここ数年青年誌に進出し始めたように、BL界隈からも一般誌で連載を持つ作家が多くなってきた。2010年に講談社から創刊された「ITAN」に掲載されている「昭和元禄落語心中」はそんな作品の一つ。

 昭和末期、刑務所の中で昭和最後の大物と呼ばれた八雲師匠の落語を目にした元ヤクザは彼の落語に一目ぼれししてしまう。元ヤクザ、でも人好きのするお人よしである与太郎(バカで間抜けな男のあだ名)は八雲の所に押しかけ、何とか弟子にしてもらうことに成功して…。

 まだ1巻しか出てないから書こうかどうか迷ったのだけれども、信頼できるおもしろさとある程度1巻で方向性は示されているので今の内に推しといてもいいかなと。今年出た1巻に限定すると、トップクラスの潜在能力があるのは確かだろうし。

 何といっても表情がすばらしい。雲田はるこはまだ若い方だと思うのだけど、こんなに漫画的な意味で絵を達者に描ける人はなかなかいないだろう。ころころ変わる落語を演じる者の表情をユーモアたっぷり、魅力たっぷりにこの人は描き上げる。時には凍りつくように、時には馬鹿馬鹿しく、多彩に読者の心を揺さぶってくる。
 もちろん漫画的な絵の上手さだけではなくて、画力も高い。入江亜季に影響を受けたのかな?、絵柄は似ている。関わりがあるかは分からないけれども。

 多彩、というのは落語だけではない。与太郎が伝統芸能に体当たりで挑戦していく熱血パートが主軸であるものの、八雲の若き頃のライバルかつ親友であった故助六の死にまつわる話もその娘である小夏が絡みながら脇で進んでいく。与太郎に笑い、熱くなったかと思えば、小夏には何とも切なくなる。
 そして極めつけは八雲師匠。この人が本当に素晴らしい。まず“美人”に枯れたオヤジを描ける作家というのが稀有。すっごくセクシー。こんなに特異かつ傑出したフェティッシュな感性を持っているのはさすがBL作家の面目躍如と言った所かもしれない。いや、与太郎が惚れる気持ちも分かりますわ(>違うだろ)。

 ということで今年1巻が出た漫画としてはかなりおすすめ。新星という意味でもかなり衝撃を感じた作家さん。
 春に出ると予告されている2巻を楽しみに待ってます。既にこの質で続いてくれるだろうな、と信頼しきっちゃってるくらいには練りこまれたおもしろさ。

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[投稿:2011-12-10 01:42:53] [修正:2011-12-10 01:46:07] [このレビューのURL]

星の王子さまといえば言わずと知れたフランス児童文学の名作。私も小学校の頃何度も何度も繰り返し読んでいた。この星の王子さまやミヒャエル・エンデのモモ、はてしない物語なんかがこの頃の私のお気に入りの海外小説だったことを思い出して、少し懐かしくなる。

数年前に日本では版権が切れたということで、色んな出版社から星の王子さまが訳者やタイトルを微妙に変えて刊行されている。そんな中に漫画もいくつかあったのだけれども、残念ながら質が高い作品とは言えなかった。
今回のバンドデシネ版はどうかというと、そもそもまだフランスでは版権が切れていないわけで、絵も話も考え抜かれ、練り上げられた上での刊行、まさに原作者の遺族も認める世界で唯一の公式コミックというのにふさわしい仕上がりとなっている。

BD化の執筆を任されたジョアン・スファールはバンド・デシネ界でも若手のホープの一人で、映画監督もこなす人。
私は「JAPON」で彼の日本を風刺した奇妙な短編を読んだ時は、正直そんなに印象に残っていなかった。で、今回改めて彼の作品に触れてみて…おい、JAPONの時は本気出してなかったな笑。というかスクイテンもだけれど、白黒だと普段カラーで絵を描いている作家の真髄は見れないのかもしれない。

スファールが描く王子さまはサン=テグジュペリの挿絵に見られる細身で儚げな王子さまとは一風違う。目は大きく見開かれ、活発で好奇心豊かな男の子。
王子さまが訪れる様々な星の住人もスファールの解釈によって読むまでは想像もしえなかった奇妙な姿に描かれる。でもそれらは決して突飛ではなくて、彼が考え抜いた結果出来上がったもの。だから最初は驚いても、その後は深く納得するしかないのだ。

よくよく考えてみると、フランス生まれの星の王子さまがフランスのアーティスティックな、そして絵本よりの感性を持ったBD作家によって描かれる、とこれ以上のものはないわけで。
実際出来上がったものを見れば、最高の作品だと理解できるだろう。ジョアン・スファールの仕事は素晴らしいし、何より相性がぴったりだった。

ちなみに私が星の王子さまを読んだのは小学校の時以来10年ぶりくらいになる。
当時私は少し不思議なファンタジーとして、この作品を読んでいたのだけど、大人になってみると180度変わってしまったことに気付かされる。以前私は王子さまの、子どもの側にいた。でも今の私は大事なものを失ってしまった者であって、王子さまが奇妙に思う“大人”の一員になってしまった。
しかしその物語は今も昔も私の胸を打ち、別れの場面では涙がこぼれる。ひしひしと伝わってくるのは“つながり”の大切さ。

子どもが強く惹きつけられる世界を持ち、大人が無視することができない声がある。今だからこそ、星の王子さまが名作とされる理由が理解できる。

「ものは心で見る。肝心なことは目では見えない」

キツネの言葉は昔読んだものとはほんの少しだけ変わって、でも同じくらい私の心に突き刺さる。

ナイスレビュー: 0

[投稿:2011-12-01 01:39:04] [修正:2011-12-02 21:00:11] [このレビューのURL]