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総レビュー数: 258レビュー(全て表示) 最終投稿: 2007年06月29日

 魔王を倒したその後の勇者と国々は?、人間に滅ぼされた魔王の正体とは?、ケンタウロスや天使、竜などの想像上の生物が現実にいたらどうなる?…九井諒子の現実と虚構を織り交ぜた奇妙で温かい短編集。

 えすとえむの作品といい邦訳されたシビルウォーといい、フィクションの世界を現実的に突き詰めて考える、という手法は最近の漫画のちょっとした流行かもしれない。元々ファンタジーの世界が現実世界のメタファーであることは珍しくないけれど、それをさらに強く押し出しているという点でこれらはなかなかに興味深い。
 
 作者の九井諒子は、WEB上や同人誌上で短編を発表し続けてきた人らしい。この短編集もそれらに修正を加えた上でまとめられたものということ。
 まだプロとなって日が浅いせいか、漫画の描き方がこなれていない印象を受ける。WEBにアップされている絵や短編の中でも力の入っているカットを見ると、画力はそれなりに高いはず。でも一つの作品としては、バランスが悪くて調和してないように思える。ただ漫画を描くのに慣れていった時に、絵柄の多彩さも含め、すごく楽しみな作家さんであることは間違いない。

 様々な短編が収録されている作品だけれど、私が一番気に入っているのはやはり表題作の「竜の学校は山の上」。よく練りこまれた世界観、竜の必要性、そして部長の「世の中にはな、二つのものしかない…」の台詞、希望を感じさせてくれる良い短編だった。
 ただ虚構が現実を侵食出来ていた作品は個人的にはこれだけかなぁ。どれも発想はおもしろいのだけれども、詰めがもう少し。特に馬人と猿人の短編「現代神話」は惜しかった。

 ただ「現代神話」に関しては、どうもえすとえむのはたらけ!ケンタウロスと無意識に比べてしまった部分があってあまり公正に見れなかった気が…。何で人とケンタウロスが結婚しうるのよ、とかケンタウロスはあの服だと一人で着れないよな、とか細かいリアリティが足りなかったためか物語に入り込めず。
 でもこの手の作品はいかにフィクションを現実に押し上げれるかが勝負なわけで、やはり惜しい。明らかにこの短編集は寓話として描かれている作品群だけれど、そのリアリティも示唆するものも私がおもしろいと感じたのは「竜の学校は山の上」くらいだった。

 でも寓話って本当に描くの難しい気がする。最近甥っ子に「泣いた赤鬼」を読んであげた時につくづくそう思った(泣いたよ…)。シンプルに、でもシンプルだからこそ寓話というのは大きなものが込められる。でも込め方が上手なのと込められたものが大人の鑑賞に堪えうるかというとそれはまた別の話で。
 この作品集は良い寓話になりうる原石がいっぱい詰まっている。まだそれらのほとんどは原石に過ぎないかもしれないけれど、これから先磨かれていったらどうなるかを楽しみにしています。

ナイスレビュー: 1

[投稿:2011-12-25 22:29:20] [修正:2011-12-25 22:30:45] [このレビューのURL]

7点 ボーン

 ボーンほど邦訳アメコミで、アメリカでの評価と日本での知名度がこんなに乖離してる作品はないんじゃなかろうか。ハーベイ賞、アイズナー賞に毎年のように輝いている1990年代を代表するシリーズなのにも関わらず。実際アメコミ作家でも、お気に入りの作品としてボーンの名前は挙げる人は少なくない。
 
 アメリカで1巻が出たのが1995年だから、3年と比較的短い期間で邦訳が決定されたのは出版社の意気込みと自信の表れだったのだろう。でも売れなかった…らしい。既にアメリカでは9巻で完結しているのに、邦訳は第一部にあたる3巻まででストップしている。残念至極。
 多分タイミングも悪かったんだろうなぁ。日本のアメコミが下火になり始めていた時期だし。しかしあまり現在でも話題にならない所を見ると、アンカルやモンスターのように邦訳が再開される可能性は低いと思わざるを得ない。うーむ…。

 「ボーン」はその名の通り、白くて丸い、つるつるしたカートゥーン調のキャラクター、ボーンという種族の3人を中心とした物語。
 その中の一人、フォニーが故郷の村でみんなを怒らせるひどい事件を起こして村を追い出される所から物語は始まる。そして彼の従兄弟である、フォーンとスマイリーも彼を心配して一緒に旅に出るのだった。しかしイナゴの大群、ラットモンスターとの遭遇など色んな出来事が重なって3人は離れ離れになって…。

 優れた子ども向けのファンタジーというのは大人が読んでも楽しいものだ。指輪物語やはてしない物語、精霊の守り人のような、ボーンはそんなそうそうたるファンタジーの一つと言っても良いと思う。
 常識と勇気のあるフォーンの報われない恋と冒険を心から応援し、“脳なし”スマイリーのとんでもない行動に笑い、計算高く強欲なフォニーのしょーもない企みはもちろん失敗に終わる。そして何より3人がたどり着いた谷を巡る謎に胸を躍らされ、世界を救う壮大な冒険は幕を開ける。ボーンを楽しむのに年齢は何の障害ももたらさない。小学生でもおじいさんであっても胸がわくわくするはずだ。

 ジェフ・スミスのアートも素晴らしい。白と黒のはっきりとした色調とボーンを描く気持ちのいいペンのタッチは何度見ても惚れ惚れする。普段アメコミと聞いて想像するようなリアリティ重視なものではなくて、スヌーピーのようなカートゥーン路線なので漫画読みでも馴染みやすいだろうし、個人的にも大好きです。
 ボーンやラットモンスターも始めとしたデザインも、性格も個性的な面々なので、それだけでも楽しい。特に“愚かな”ラットモンスターが私のお気に入りなのだけれども笑。

 唯一残念なのは最初に述べたとおり、第一部である3巻までで邦訳が止まっていること。さらなる冒険が幕を開け、一番わくわくが高まっている所ですよ…。まじ勘弁してくれ。
 これは原書買って読むしかないなー。英語も比較的易しいだろうし、白黒だから値段も安いし。でも彩色されたバージョンも完結後に刊行されていて、そっちの評判も良い感じなのですよ。悩むわ。

 邦訳ストップということさえ覚悟してもらえれば、おもしろさは保証します。だからこそ残酷とも言う。でも今からでも遅くないから読んで、何かしらのアクションを少しでも多くの人が起こせば可能性はあるかもしれない。海外マンガが現在盛り上がっているタイミングでもあるし。

 ということで、ぜひともこの愉快痛快なファンタジーを読んでみて下さいな。私は既に大ファンになってしまった所です。

ナイスレビュー: 0

[投稿:2011-12-18 01:28:10] [修正:2011-12-18 01:28:10] [このレビューのURL]

8点

 「皺」はスペインの作家、パコ・ロカの作品。表題作「皺」と「灯台」の中篇2つが収められている。
 基本的に日本で邦訳される海外マンガのほとんどはアメコミ、もしくはフランスのバンド・デシネ関連という中で、スペインの作品が刊行されたというのはよっぽどのこと。それだけ出版社もこれを推したかったのでしょう。ありがたや。

 「皺」は物忘れがひどくなったおじいさん、エミリオの面倒を見切れなくなった家族が、彼を老人ホームに入所させる場面から始まる。最近の記憶に加えて過去への記憶さえも失われてしまう認知症、アルツハイマーを主軸にパコ・ロカは“老いること”を丁寧に、良い意味でコミカルに描く。

 アルツハイマーと聞いて私が思い浮かぶ小説に、萩原浩の「明日の記憶」がある。こちらはもうどうしようもない恐怖だった。記憶がなくなり続け、“自分”がなくなってしまうことへの焦燥と絶望、そしてそれらの感情を含めた全てが最後には消え去ってしまう。ほぼホラー。

 「明日の記憶」と「皺」は似てもいるし、でもやはり決定的に異なる。パコ・ロカは老人たちをシンプルに、でも優しいタッチで描き、淡いセピア調のパステルカラーで色をつける。人生の夕暮れに、彼らは夢と過去の中に生きている。それは必ずしも不幸なことだろうか?とパコ・ロカは問いかける。
 自分じゃなくなっても、ここじゃないどこかであっても、彼らは生きているんだよ。そんな優しい諦観が切なくもあり、幻想の中にいる彼らが哀れにみえるのは私達の思い込みに過ぎないのではないかとも思わせてくれる。それはそれで彼らは幸せなのかもしれない。

 老いと向き合うのは自分である一方、他者の老いとも向き合っていかねばならない。そう、私が「皺」で心をうたれたのは、日々自分を失くしていく彼らと共に過ごす人々の姿。消えていくものに特別はなく、連れ合いの、友達の記憶すら消えていく。
 老人ホームには比較的頭がしっかりとした人も少なくない。でも悲しいことに彼らこそが忘れ去られる側なのだ。認知症の人々よりも、寂しく、辛く見えるのは頭がしっかりしている彼らという矛盾。友達の中の“自分”が消えていっても寄り添う彼らは温かくもあり、哀愁を感じさせもして、たまらない。
 
 人と人の“つながり”とは思い出で出来ている。だからこそ、そのつながりが一方通行になってしまう(もしくは断絶してしまう)老いは残酷でもあり、思い出の大切さを反面突きつける。
 彼らの奇矯なふるまいをユーモラスに感じつつ、胸の奥はちくりと痛い。老いは自分の先でも確実に待っているのだから。でもエミリオたちはそれだけではないのだよ、語りかける。

 そしてそのような全てが最後のページいっぱいに詰め込まれる。そりゃあ泣くさ。何と人間への愛に満ちている素敵なラスト。

 パコ・ロカさん、漫画描くのが巧すぎます。細かい描写やエピソードを積み重ね、一つの大きなストーリーを形作る。そんな当然のようでいて、一番難しいことをこんなに力を抜いてやれる作家がどれだけいることか。
 それでいて最後の“顔”のような漫画でしかできない表現もやれてしまうとなると、もうすごいとしか言えない。世界は広いなー。日本もうかうか出来ませんよ。

 「灯台」もまた素晴らしい。灯台をテーマにした漫画って日本じゃあまり見ないけれど、これや「ひとりぼっち」を見ると、“孤独と冒険への道しるべ”というモチーフとして灯台はすごく適しているのが分かる。灯台守は格好良くて、青年兵士の船出にはぐっとくる。

 「この海外マンガがすごい2011」でもシビル・ウォーやアンカルなど名だたる話題作を押しのけて一位に輝いたこの作品、それだけ多くの人々がこの漫画を大好きということでもあり、誰もが無視できないことと向き合った一冊でもあるということ。
 これは不老不死でもない限り、読んで確実に得られるものがある。日本の漫画好きこそ、「皺」のすごさが分かるはず。

追記
そういや「皺」はえすとえむ先生が絶賛してる(帯も書いてる)のだけど、邦訳の刊行にも深く関わっているそうで、これまたありがたや。えすとえむ好きの方もぜひどうぞ。

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[投稿:2011-12-14 00:37:26] [修正:2011-12-14 23:33:31] [このレビューのURL]

 まず表紙のインパクトがすごい笑。うどんにまみれている女。ではどんな話なのかというと、大学食堂でうどんを作る年増女と大学生の草食系男子のラブコメディーということ。

 えすとえむというと以前記事を書いた働け!ケンタウロスを先に読んでいた。やってることは結局ケンタウロスと同じなのだけれども、こっちの方が私は好き。
 うどんの女にしろ、ケンタウロスにしろ、設定があまりにもキワモノなので、冒頭を読んだだけでは多分全うな恋愛ものとして捉えられないでしょ。片やケンタウロスなのは当然として、うどんの女にしろ二人の出会いがすげぇおもしろいもん。でも違うんだよなぁ。
 
 うどんの女は、毎日うどんを食べに来る草食系男子を見て、栄養を心配すると共に、はっと考える。…この子、私のこと好きなんじゃない?
 草食系男子は、素うどん頼んだはずが、あまりに大量のねぎや時には頼んでない惣菜が載っていたりして、世話焼きなおばちゃんなのかと疑いつつ、はっと考える。あの人おれのこと好きなのか?

 そんなこんなで二人の距離は接近していくのだけれども、こんな出会いが運命の出会いとは思えないないよねぇ。でもえすとえむがすごいのは、これもありかもって思わせてしまうところだ。
 いつの間にかケンタウロスをギャグから、実際に人間社会に生きる異分子として描く漫画に変質させたように、うどんの女はコメディと純粋な恋愛話の境目を気付かれないうちに泳ぎ回る。違うのはケンタウロスが踏み越えて戻らなかったラインを、行きつ戻りつしていること。

 で、私はえすとえむのそんなバランス感覚がすげぇ好みだった。頭がどうなってればこんな漫画を描けるんだろう。BL出身の作家には特異な才能をお持ちの方が多いとは最近つくづく思うけれども、えすとえむは飛び抜けてるなぁ。変な人。
  
 ケンタウロスよりうどんの女が好き、というのはそのバランス感覚ももちろんあるし、加えてこちらが連作短編だったのも大きかった。
 えすとえむがおもしろい短編が描けるのは疑いない。でもケンタウロスの一話完結ものを見た感じだと、それは多分いびつに突出した才能であって、すごい!とはなっても参りました!とはならなかった。連作短編形式で、ある程度じっくり心情を掘り下げていく方がこの人の特異な才能には向いてるのかな、と思う。 
 
 二人の変な食い違いや変態的妄想に笑わされるかと思えば、次の瞬間には心をわしづかみにされるくらいぐっときたりする。そして実際うどんはエロく見えてくる。今までにない漫画体験。

…参りました!おもしろい!

 いやー、本当にこの人はどこから出てきたんだろう?色んな漫画を読んできた中で、荒木飛呂彦にしろ弐瓶勉にしろある程度源泉は見えてきたけれど、えすとえむは分からない。分からないというのはすごく新鮮ってことだ。海外マンガを読んでる感覚に近い。違う場所から生まれたような。
 
 うん、もう私的お気に入り作家の一人ですわ。好きです。まだ二つしか読んでないけれど、他のも読んでみよう。また色の違うケンタウロスものっぽい「equus」とか気になる。

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[投稿:2011-12-14 23:12:50] [修正:2011-12-14 23:12:50] [このレビューのURL]

 これはすごい。ケンタウロスなのに、気付けば彼らに笑い涙しそうなのがすごい。ケンタウロスなのに…。

 ま、ケンタウロスって時点で大体の人はまともな漫画は期待してないじゃないかと思うわけで。だってケンタウロスですよ。これ以上ないクラスの色物ですよ。半人半馬ですよ。
 実際最初の話はそんな期待にしっかりと応えてくれる。会社員として働くケンタウロス、健太郎。もはやだって名前があれでしょ、笑わざるをえないでしょ。そんなこんなで良くこれだけ尽きないなと感心するような質の高いケンタウロスネタが続いて最高に盛り上がる。

 でもこれだけだったらこの漫画ってないようで、実はけっこうある一発ネタの漫画の範疇にすぎないのだけれども。いわゆるテルマエ・ロマエや聖おにいさんのような斜め上の発想とその鮮度をどれだけ保てるのか、という話になってくる。
 そう考えているとまた全然勘違いしていたことに気付かされてしまうわけで。要はえすとえむは本当にケンタウロスを現代社会に放り込みたかったのだ。現代社会に生きるケンタウロスを描きたかったのだ。健太郎の話から生まれる笑いというのは多分、それらの副次的な要素にすぎなかった。

 前半の健太郎シリーズが終了した後、笑いは控えめになる。読者が慣れてしまったということもあるのだけれど、多分慣れさせられてしまったのだ。もはやここはケンタウロスが実際に人間と共に働いている社会。
 異物ではなくて、異分子となったケンタウロスは急にピエロではなくて社会のマイノリティの様相を帯びてくる。ギャグではもうありえない。「Papa told me」のように、都会で寂しく生きる人々の気持ちを繊細に描いていく。彼らの生き様に、友情に魅せられ、涙する。

 でも読み終わってはっと気付く。ケンタウロスだよ!?半人半馬だよ!?…いや、なかなかない経験ですよこれは。ケンタウロス漫画と聞いて想像していたものがいつの間にか変質し、違うものになっていく。すごい才能のような、でも才能を全力でどぶに投げ捨てているような。でもとんでもない漫画であることは間違いない。

 ちなみにBL部分は時に“友情”部分が気になることもあるけれど、表立ってはいないので別に気にならないレベル。苦手な人でも大丈夫だと思います。
 色物なのか、そうではないのか、でも結局やっぱり色物だよなと思いつつ。これは一読をおすすめしたい漫画。ケンタウロスのとりこになるやもしれない。一応1巻完結のようだけれど、また別に描いてるようで、続きも出そうではあるのかな?出オチでは確実にないので、続刊がいつかでることを期待してます。

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[投稿:2011-12-11 00:48:52] [修正:2011-12-11 00:48:52] [このレビューのURL]

 1巻しか出てないけれど、これはおもしろい落語もの。

 近頃のBL界隈から飛び出してくる才能の宝庫ぶりってやばくないかい?よしながふみに始まって最近だとえすとえむやこの雲田はるこ、と少女漫画界隈とはまた違った種類の、より成熟した才能が揃っているように思う。
 また広い感性を持った少女漫画家がここ数年青年誌に進出し始めたように、BL界隈からも一般誌で連載を持つ作家が多くなってきた。2010年に講談社から創刊された「ITAN」に掲載されている「昭和元禄落語心中」はそんな作品の一つ。

 昭和末期、刑務所の中で昭和最後の大物と呼ばれた八雲師匠の落語を目にした元ヤクザは彼の落語に一目ぼれししてしまう。元ヤクザ、でも人好きのするお人よしである与太郎(バカで間抜けな男のあだ名)は八雲の所に押しかけ、何とか弟子にしてもらうことに成功して…。

 まだ1巻しか出てないから書こうかどうか迷ったのだけれども、信頼できるおもしろさとある程度1巻で方向性は示されているので今の内に推しといてもいいかなと。今年出た1巻に限定すると、トップクラスの潜在能力があるのは確かだろうし。

 何といっても表情がすばらしい。雲田はるこはまだ若い方だと思うのだけど、こんなに漫画的な意味で絵を達者に描ける人はなかなかいないだろう。ころころ変わる落語を演じる者の表情をユーモアたっぷり、魅力たっぷりにこの人は描き上げる。時には凍りつくように、時には馬鹿馬鹿しく、多彩に読者の心を揺さぶってくる。
 もちろん漫画的な絵の上手さだけではなくて、画力も高い。入江亜季に影響を受けたのかな?、絵柄は似ている。関わりがあるかは分からないけれども。

 多彩、というのは落語だけではない。与太郎が伝統芸能に体当たりで挑戦していく熱血パートが主軸であるものの、八雲の若き頃のライバルかつ親友であった故助六の死にまつわる話もその娘である小夏が絡みながら脇で進んでいく。与太郎に笑い、熱くなったかと思えば、小夏には何とも切なくなる。
 そして極めつけは八雲師匠。この人が本当に素晴らしい。まず“美人”に枯れたオヤジを描ける作家というのが稀有。すっごくセクシー。こんなに特異かつ傑出したフェティッシュな感性を持っているのはさすがBL作家の面目躍如と言った所かもしれない。いや、与太郎が惚れる気持ちも分かりますわ(>違うだろ)。

 ということで今年1巻が出た漫画としてはかなりおすすめ。新星という意味でもかなり衝撃を感じた作家さん。
 春に出ると予告されている2巻を楽しみに待ってます。既にこの質で続いてくれるだろうな、と信頼しきっちゃってるくらいには練りこまれたおもしろさ。

ナイスレビュー: 0

[投稿:2011-12-10 01:42:53] [修正:2011-12-10 01:46:07] [このレビューのURL]

 バットマンの一年目を描いたミラーの有名作。

 クライシス後に仕切りなおしたバットマンの再出発を飾ったのがこのイヤーワン。DKRの流れを引き継いで、その後のバットマンの方向性を決定付けた傑作に星三つとは何ぞや?と怪訝に思われる方もいそうで戦々恐々ですが、これにはいくつか理由がありまして。
 
 実は私が読んだのはこのヴィレッジのイヤーワン/イヤーツーではなくて、さらに言うとジャイブのイヤーワンでもなくて、以前小プロから刊行されていたスーパーマン/バットマン。普通に買うよりこっちが安いし、スーパーマンのオリジンであるマン・オブ・スティールが読めるのはこれしかないし、こっちがお得じゃね?と思ったら一つだけ落とし穴があったのですよ。
 というのもジャイブ以降のものは今のアメコミの主流であるシックな色合いでリカラーリングされているのだけど、S/Bに収録されているものは昔のアメコミのイメージそのままのような原色の派手派手しいカラーリングになっちゃってる。00年代のアメコミ読みである自分にとっては、この良く言えば“味のある”カラーリングは正直辛いものがあって…。てか同年代のマーヴルクロスと比べてもこれのイヤーワンのカラーはかなり粗雑だと思う。

 じゃあ新しいのを買えばいいじゃん?と思われるかもしれないけれど、新しいのは絶版かつひどいプレ値になっているのだよ、アメコミ読みは周知の通り。しかしバットマン入門書として一番に勧められるであろうこの作品が絶版というのは不味いと思うんだ、うん。ヴィレッジが小プロに比べて規模が小さいのは分かった上で、これはアメコミの一つの入り口だからなぁ、頑張って欲しい。再販希望も多いだろうに。
 どうしても読みたい、でもあの値段は無理、という方はカラーリングが昔風というのは覚悟した上でスーパーマン/バットマンを買うと比較的安い。もしくはイヤーワンの原書か。ただ来年ダークナイト・ライジズが公開なので再販の可能性も高いとも思われるわけで…。保証はないので各自でご判断くださいな。

 作品自体とはちょった離れた話になってしまったので、話を戻す。
 
 名前の通り、イヤーワンはバットマンの一年目のお話。冒頭で述べたように、DKRの路線を引き継いだバットマンの作風となっている。シリアスで重厚な雰囲気とミラーお得意のハードボイルドなストーリー展開が格好良い。
 バットマンも各地で修行してきたとはいえ、まだまだ犯罪者と戦うのには慣れていない。手ひどいミスを犯し、大怪我を負うこともある。一方後の盟友、ゴードンもゴッサムの警察署に配属されたものの困難は多い。腐敗した警察署に戸惑い、立ち向かうものの孤立するゴードン。二人ともまだまだ若く青いが、それがまた妙に人間くさく、好感が持てるのはミラーの手腕ゆえ。ゴードンなんて浮気もしちゃうし。
 そう、これはバットマンの一年目だけではなくて、ゴードンの一年目でもある。バットマンが立ち上がる話でもあり、ゴードンが立ち上がる話でもある。そして彼らに少しだけではあるが、確かな絆が生まれるまでが描かれた作品なのだ。

 私はミラーのハードボイルドは大好物なのだけれども、イヤーワンに関してはどうしてもボーン・アゲインと比べてしまう部分がある。基本プロットが似てて、ボーン・アゲインの方があまりに素晴らしすぎる、となるとイヤーワンの感動が薄れてしまうのもしょうがないかなと思うわけで。
 ただ前述したように、カラーリングがあまり合わなかった部分もあるから一概には言えない。いつか復刊して改めてリカラー版を読み直したら、もう一度何かしら感想は書こうかなとは思ってる。

 しかし個人の好みは置いておいても、バットマンを読んでいく上で最重要級な作品であるのは間違いないのでつくづく絶版なのは残念だなぁ。「The Man Who Laughs」から、「ロングハロウィーン」のような忘れられたマフィアを拾ってきたものまで初期作品群につながる伏線はいくつもあるし、何といってもオリジン読まないと始まらないというのはあるわけで。
 しかしやはりそういう意味では、続編を作るのに広く幅を持たせた上で違和感なく物語を作り上げたミラーはすごいな。バットマン始まりの作品としては単体の質としても、その後の可能性を無数に示したという意味でもこれ以上が望めない傑作であることは間違いない。

 スーパーマン/バットマンの刊行が中途でストップしたため、イヤーツーは私も中途半端なところまでしか読んでいないから何とも言えない。どうやらイヤーワンに比べると小品というのが一般的な認識のようだけど。
 イヤーツーは現在なかったことにされてるっぽいしまあいいさ、っと書いてみて一応英語wikiで確認すると…おいおいゼロアワーでなかったことになってインフィニットクライシスでまた微妙にあったことになったらしい。呪われよ!

 現実世界でも何とかクライシスが起こって絶版とかS/Bの刊行ストップとか色々なかったことにならないかな、ついでに「A Death in the Family」につながるイヤースリーまで含まれた完全版が出ないかな、とかどうしようもないことを言ってオワル。

ナイスレビュー: 0

[投稿:2011-12-09 02:30:32] [修正:2011-12-09 08:13:05] [このレビューのURL]

9点 竹光侍

 先日江口寿史の背景論についての議論がツイッター上で巻き起こっていたのは記憶に新しいところ。色んな漫画の描き方があるわけだけど、現在の漫画がどこへ向かっているかというと、大きな流れとしてはデジタルに向かっているのは間違いない。その程度は置いといても、全く使ってない人の方が少ないくらいかもしれない。photoshopなんかのデジタルで漫画を作るソフトが普及してきたということも影響しているのだろう。

 デジタルが登場する以前を考えると、漫画とは要はペンとトーンで描かれていたわけで、漫画の進化とは画法の進化であると共にトーンが進化してきたという面も少なからずあると思う。服の柄、影、背景、様々なトーンと様々なトーンワークを漫画の中で見てきた。
 でも正直な所、個人的にはトーンに惹かれたことはなかった。何でかは知らない。明らかにトーンの使いすぎでトーンが絵から浮いてたりするような漫画は論外としても、漫画としての見やすさや洗練度はともかく、“絵”としてトーンを使った絵を気に入ったことってなかったと思う。
 
 それもこの竹光侍を見るまでということで(>前置き長いな)。松本大洋は竹光侍において、絵に専念できるということもあってか、自身の集大成のように様々な技法で絵を描いている。独特の朴訥としたタッチはもちろん、墨で描かれた大胆で迫力抜群の絵もあり、ナンバーファイブ 吾で見られた木版画のような雰囲気の絵もある。
 そしてトーンの使い方。単に切って貼るのではなくて、貼った上に濃淡を変えて墨で色をつけたり、一部だけこすってかすれたような雰囲気にしたり、それらを組み合わせたり、かと思えばまっとうな使い方をしたり、あまりに変幻自在のトーンワーク。もはや松本大洋はトーンを模様として見ていない、切り絵のような、そんなもっと幅広い使い方をしている。

 元々松本大洋の絵柄や技法というのは固定されていないけれど、この竹光侍の絵は場面によってころころ変わる万華鏡のようであり、“キメ”の絵ではそれらがフルに駆使されてもはや芸術とも呼べる絵を堪能できる。
 アーティスティックとはまさに松本大洋のような人のことだよなぁ。既存の表現を取り入れ、さらにそれらに捕らわれずに新たな表現を模索する人だけが、新しいものを作り出せる。本当に素晴らしい。
 
 物語はそんなに凝ったものではない。でも漫画において必ずしも物語って傑出したものである必要はないわけで。永福一成の原作は、絵を優しく盛り上げる。松本大洋の魅力は個人的に“静と動”にあると思っていて、それらを最大限に引き立てるという点で絵とこの物語はぴったりと調和している。
 
 「とーん」と音が響き渡り、ネコはしゃべる。剣はうねりをあげて肉を切り裂く。宗一郎は鬼となって鬼と闘い、最後は鬼から解放される。美しい時代劇は美しいハッピーエンドでおしまいとなる。
 それにしても何と愛おしい江戸の町とそこに住む人々。最終回では大事なものが失われてしまったようで、切なくなった。でも変わってしまうものだからこそ価値があるし愛おしいのだ、多分。読み返すと彼らはそこにいる。

 竹光侍は、これ以上ない“粋”な時代劇であると共にアナログ漫画の一つの頂点だ。次に松本大洋の絵が進化するのはデジタル技術を上手く絵に取り入れた時と私は予想しているのだけど、どうだろう?…と思えばSunnyで水彩画の技法を使ったりもしているから松本大洋は油断ならない。

ナイスレビュー: 1

[投稿:2011-12-08 20:57:24] [修正:2011-12-08 21:28:21] [このレビューのURL]

3点 OZ

少女漫画では珍しい本格っぽいSF。

樹なつみのキャラクターはショタっぽいなぁ、とは多分大概の人が思うこと。今作の主人公の片割れなんて22歳なのにこんな幼くしちゃってるんだからもはや狙ってんのか癖なのかよく分からない。

OZとはそんなショタっぽい凄腕軍人含むドロシー改め天才科学者少女フィリシア一行が、戦争で荒廃した世界を舞台に、天国のような場所だという科学都市“OZ”を目指すお話。要はオズの魔法使いをモチーフにしたSFなのだ。

樹なつみが描いたSFというと、このOZと獣王星の二つが挙げられる。
そもそも私は樹なつみのSFが好きではなくて、というのも結局OZにしろ獣王星にしろこの人は科学を否定することしかしないから。行き過ぎた科学を、人間に扱えないものと否定して、樹なつみは原始へと回帰することを、もしくは停滞することを選択する。
でもそこで思考を止めてしまったらSFを描く意味はあるのかな?と私などは思ってしまうわけで。

別にある面で科学を否定するのは構わない。そもそも1970年代以降のSF作品では未来が無条件に明るく信奉されることはなくなった。私達は未来が必ずしも明るいものではないと気付いてしまったから。
それでも私が見たいのはどんな奇妙に感じられても、やはり未来に生きる人間の姿を描き出す作品であり、その未来とは私達が生きる“今”との繋がりを感じさせてくれるものであって欲しい。ある意味では未来を予知する作品であって欲しい。何よりセンス・オブ・ワンダーをいっぱいに感じたい。
そういった点で私はOZを読んで心苦しくはあっても、その先に何かを感じることは出来ない。先を否定してしまったのだから当たり前のことではある。

そんな文句はとりあえずこれくらいにして…。

この作品のテーマで描かれるテーマは概ね二つ。
一つは管理社会への警鐘?だろうか。これに関してはその管理者をただのわがままなガキにした時点で失敗は目に見えている。アラン・ムーアの傑作「V フォー・ヴェンデッタ」やエンキ・ビラルの作品などと比べると、やはり冷戦を直で経験していない日本の漫画はこのテーマには弱いのかなと感じざるを得ない。

もう一つはアンドロイドと人間の違い。
心を求めるブリキ男とヒューマノイドを重ねるアイデアはおもしろい。いや、これは本当に巧い。
巧いとは思ったが、テーマの広さ、深さ共に「電気羊はアンドロイドの夢を見るか」の劣化コピーの印象をぬぐえない。そもそも最後に全否定してぶっ壊してしまったら元も子もない気もするわけで。

そして最後はいきなり「夏への扉」で終了。
普段しないようにしているのに、ついつい色んな作品と比べてしまったのは、この“既視感”ゆえ。

既視感があるというのは、別にテーマが被っているとかいう問題じゃない。
例えば「寄生獣」のテーマだって別に目新しいものではなかったけれど、あの作品はテーマの描き方というのがまず素晴らしく独創的で(だってミギーですよ)、かつまとめ方が職人技的にすごく上手かった。
一方OZを見てもテーマにしろ描き方にしろ既存の作品のデッドコピーか薄まったものにしか感じられなかったってことで。

結局何が気に入らなかったのかというと、SFをがっつりやりますよ、という期待感を与える要素はいっぱいあるのに中身は可もなく不可もないジュブナイルの域に留まってしまったこと。
私が肩透かしを食らって勝手に文句言ってるだけかもしれない。でもこれは明らかにそういう中身を期待させようとはしてると思うんだけどな。

SFを期待せずに、ジュブナイルとして見ると決して悪い作品ではないかと。でもそうしてみると後付け後付けで話が進行していくのは多少うっとうしく感じられるから困る。だって実は、実は、で進むんだもん…。

否定的なことばっかり書いてきたけれど、逆にSFをあまり読まない人だと気にならないかも、なんて言葉で白々しく締めてみる。

ナイスレビュー: 0

[投稿:2011-12-06 21:57:39] [修正:2011-12-06 22:10:20] [このレビューのURL]

グリーンランタンは1940年代に生み出されたDC古参のヒーローの一人。なので当たり前だが、そのオリジナルのオリジンを知ろうと思えばかなーり初期の作品を読む必要がある。しかしあまりに絵も話も古すぎるのでなかなか手が伸びにくいよねぇ。
ということで、今の人向けにグリーンランタン(ハル・ジョーダン)の誕生を分かりやすく説明するための作品がこのシークレット・オリジン。スーパーマンやらジョーカーやらは複数回オリジンが語り直されているけれど、グリーンランタンは多分これだけかと。

シークレット・オリジンでは地球最初のグリーンランタン、ハル・ジョーダンがグリーンランタンになるまでの経緯と彼がランタンとなった理由が描かれている。
また後のブラッケストナイトへ至る伏線もふんだんに盛り込まれており、まさにジェフ・ジョーンズが手がけるグリーンランタンシリーズに相応しい序章と言えるだろう。

現在のグリーンランタンというのはDCでも非常に人気のあるキャラクターで、DCの代名詞であるバットマンやスーパーマンと肩を並べるくらいの勢いがあるらしい。読めばその理由は何となく理解できる。

というのも、非常に分かりやすくてポジティブなヒーローなのだ、このグリーンランタンは。
DKRやウォッチメン以降、ヒーローものには小難しい話や暗い話が増えてきた。それがメインストリームになってきたと言ってもいい。でも本来私がヒーローものに求めていたのって、爽快感や痛快さだったはずなんだよなぁとも思うわけで。

スーパーマンみたいに初めから力を持っているわけでも、バットマンみたいに強迫観念に取りつかれているわけでもない。ハルは私達と同じような一般人で、力をふっとわいたように与えられる。
そこにグリーンランタンのおもしろさがある。要はハルは私達のような普通の人に非常に近い。彼には当初ヒーローとしての自覚はない。だから軽率な行動はとるしあまりに無鉄砲だったりする。

でもそれって当たり前じゃないか?ハルは普通の人なのだから。急に世界に責任を持てるわけもない。
無鉄砲でありでも軽率な行動もとる、だからこそ読んでいて彼に親しみを、共感を覚える。一般人出身のヒーローとしても、人間としても。
オリジンで最重要であろう、ハルがグリーンランタンになる理由も非常にシンプルなもの。ただ自分の力で“飛びたい”、というシンプルで、でも非常に強い願望。

そして、その意志の力がグリーンランタンの力となる。何気にこの“意志”が力になるというのも巧いなと思うわけで。
というのも日本の漫画でも土壇場で覚醒みたいなのって嫌がられるよね。でもグリーンランタンというヒーローは気合で勝つというのを自然に出来ちゃう。少年漫画的なノリを大人の人間ドラマの中で違和感なく実現できるのだ。そりゃ熱いさ!そりゃ人気出るさ!

もちろんグリーンランタンをここまでの人気シリーズにしたのはライターのジェフ・ジョーンズの手腕があってこそ。よくもここまでシンプルに練り上げたもんだ。

オリジンとしては過不足無しの良作。
今邦訳で読めるものだと、シークレットオリジン→GR/GA→リバースと読んでいくとわりかし分かりやすい。リバースが色々ふっ飛ばしすぎなのでそれでも面食らうけど。
グリーンランタンに関しては、日本の漫画読みでも楽しく読めると思うのでおすすめ。良質な大人向けの少年漫画といった感じの痛快なシリーズなのでまずはぜひここから!

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[投稿:2011-09-20 01:41:08] [修正:2011-12-04 23:08:02] [このレビューのURL]

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