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 希代の大ぼら吹き、島田虎之介のデビュー作。
 初めて島田虎之介の作品を読んだ人はその作風に戸惑うかもしれない。泥臭いようでスタイリッシュ。漫画とは思えない独特なテンポで語られるストーリー。変な失調感と共に気付くことになる。これは今まで読んできた漫画とは違うものだ。

 在日米兵が残した「エルドラド」という黄金郷の名を冠したバイク。おならのせいで世界初の宇宙飛行士の座をガガーリンに奪われた男。チェルノブイリから唯一生還した消防士。晩年を迎えて日本に帰ってきたブラジル移民…。
 史実とシマトラが巧みに作り上げた虚構の歴史が、虚虚実実に組み合わされて物語られていく。影響を受けたというヴォネガットさながらの、実に見事な大ぼら。笑ってしまう一歩手前で心が動いてしまう物語の数々はそれだけで見てもおもしろい。

 とにかく慣れるまではめちゃくちゃに読みづらい。少なくとも手塚治虫が言うストーリー漫画ではないと思う。
 映像体験としては、よく言われるように映画的。でも読み心地としては、(まさにヴォネガットのような)海外文学的。長嶋有が「文学と 映画の面白さを漫画で駆使する男」と島田虎之介を評していたけれども、まさにそんな印象。日本の漫画が今までやろうとしてこなかった領域に足を踏み入れている感じがする。

 シマトラが物語るのは、華々しい20世紀の歴史の裏に生きていたはずの人間の話だ。もしかしたらこうなっていたかもしれない、もしくはこうなって欲しかったという20世紀への哀愁と惜別に満ちた偽史だ。そういう物語られなかったものの物語。歴史の裏に潜んだありえたかもしれない歴史や人間の物語。
 そんなものを描こうとしたら本来この10倍のページ数があっても足りないはずで…。それをシマトラをこの1冊の中に詰め込んでしまう。だからこそ一見淡々と語られていくように見えても、その密度と情報量は尋常じゃない。何度も繰り返し読まないとおもしろさは見えてこないし、行間を読むとかいう言葉では伝わらないくらい想像することを強いられる。

 そんな物語の数々がクライマックスでは、美しく一つに収束されていく。決して華々しい生涯を生きたわけではない登場人物たちの物語は死んでもなお、人知れずまた他の人々へつながっていき、また一つ物語られない物語が誕生した所でラスト・ワルツは幕を閉じる。歴史の裏だったはずの物語がありえないほど劇的に救われていき、20世紀の影もまた21世紀に引き継がれていく。とにかくすごい。

 ここで語られる真実は全て嘘だ。分かってもいいし、分からなくてもいい。でもこのシマトラの作品の読み心地は映画でも文学でも、他のどの漫画を読んでも得られないよなぁ。漫画に読み応えを求めている人には、全力でおすすめ。

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[投稿:2012-06-27 00:46:56] [修正:2012-06-30 13:53:24]