「景清」さんのページ

総レビュー数: 62レビュー(全て表示) 最終投稿: 2005年10月17日

[ネタバレあり]

いわゆる”超能力バトル漫画”の古典であり、後の「ジョジョの奇妙な冒険」などにも影響を与えたであろう作品だが、未だに根強いファンを持ち、古典として眠らせておくにはあまりにも洗練されており面白すぎる漫画である。

まずこの作品が生まれた背景には70年代初頭の超能力ブームがある。横山光輝は60年代にも「伊賀の影丸」などの忍者漫画で傍目には超能力にしか見えない忍術を駆使する異能者たちのバトルを描いているが、バビル2世はその変形であると言え、そしてその影響は現在にまで連なる巨大なものとなった。

まずそれまでの超人ヒーロー(ウルトラマンや石森作品など)が人外のものに変身したり特殊なコスチュームを身にまとっていたのに対して、”超能力の覚醒者”という設定を持つ超人はまるで普段着のまま超人的バトルを行う事が可能となった。”超能力”という得体の知れないエネルギーを操る以上、何かしら変身する必要も無ければ体をムキムキに鍛え上げる必要も無く、どこにでもいそうな普段着の少年が、しかし絶大なエネルギーを行使して悪と戦うのである。バビル2世の主人公、浩一はまさしくそんなヒーロー像の原型にして最も無駄の少ない完成形だろう。それは新しい格好よさだったのだ。

注目すべきは、主人公のバビル2世がそのように普段着のまま己の使命のままに淡々と悪と戦うヒーローだったのに対し、悪役のヨミ(バビル2世と同種の力を持つ覚醒者)が如何にも感情豊かで人間味があり、多くの部下にも慕われる大人物だった点である。バビル2世のお供はコンピューター制御された冷徹な機械要塞バビルの塔と、”3つのしもべ”と呼ばれる能力の異なる3体のロボット兵器(ロデム、ロプロス、ポセイドン)だが、お察しの通り血の通った仲間がいないのである。一応日本の公安組織と共闘したりもするが、それらすら永続的な絆ではありえない。超能力者として覚醒した際にはあっさりと両親やガールフレンドの元を去っている。3つのしもべはそれぞれ忠実で頼りになる存在だが、物語後半でヨミがパワーアップして彼もまた3つのしもべを操る能力を得てしまったために絶対的な仲間ではなくなってしまった。かようにバビル2世は孤独なヒーローであり、そしてそんな孤独すら宿命としてたやすく受け入れる恐るべき少年であった。時にはヨミ以上にバビル2世の方が(見た目あどけない普通の少年である分)そのエゲツなさに恐ろしさを覚えすらしたものである。

冷徹非情な正義vs情感豊かな邪悪。

このお互いあい通じるものがありつつも決して相容れない二つの純粋で強大なエネルギーがぶつかり合うドラマは、そこに余計な内面描写などがくどく介入する事の無いぶん神話的なスケールさえ帯びており、横山光輝の得意とする知略謀略渦巻く頭脳戦をシンプルながらダイナミックかつスピーディーに描ききる作風と合わせて、今読んでも無茶苦茶面白く新鮮で、敵やメカのデザインなども洗練されている。この作品以降も同種の能力バトル漫画は多く存在するが、「ジョジョ」と同じように本作は誰にもまねが出来ない、まさしく作者である横山光輝にしか描けない傑作である。

ナイスレビュー: 5

[投稿:2007-07-14 02:03:53] [修正:2007-07-14 02:03:53] [このレビューのURL]