「景清」さんのページ

総レビュー数: 62レビュー(全て表示) 最終投稿: 2005年10月17日

※本作の関連作品「暗黒神話」は未読

 今更自分ごときが言うまでも無いが、本作『孔子暗黒伝』の作者である諸星大二郎は日本漫画界唯一無二の鬼才である。初期のホラーやハードSFを扱った短編群から神話や伝承に材をとった伝奇長編、ナンセンスギャグまでものにする幅広い見識と筆力、そして手塚治虫をして「真似できない」といわしめた独特な作風、後進の多くのクリエイター達にも多大な影響を与えた事も広く知られている。同傾向の作品で高い評価を得ている漫画家では諸星大二郎の盟友である星野之宣がいるが、センスの独特さという点では諸星大二郎の方が唯一無二度は高い。

 諸星大二郎の描く様々なジャンルの一つにに、中華世界の神話や古典を扱った一連の「中国もの」の作品群があるが、77年に連載開始された本作『孔子暗黒伝』はそんな中国ものの最初期に属する作品である。そして若き日の巨匠が選んだ題材は三国志でも水滸伝でもなくなんといきなり「孔子」であった。しかも論語という古典の権威にまったく物怖じすることなく、陰陽五行説などの神秘思想や古代中華文明の神、それどころか同時期のインド神話や仏教、東南アジアの精霊信仰、古代日本神話、果ては物理学やら宇宙科学などの現代科学にSFまでを包括した驚くべき一大伝奇作品に仕上げてしまったのだ。しかも話運び自体は荒唐無稽だがそれらの諸要素が見事に関連しあい、「世界の構造の謎に迫る」という哲学的でSF的な恐ろしく壮大なテーマまで持ち上げられる始末。ストーリー展開に関しては複雑怪奇で要約困難なのでここでは詳しく説明しないが、よくもまぁこんな作品が70年代の少年ジャンプに載ったものだと思う。そして論語や孔子というガチガチに権威づけられて面白みがないと一般的には思われがちな古典に対するアプローチとしても大変興味深い作品となっている。


「学びて時にこれを習う またよろこばしかrたずや」

 だいたい我々が学校の古典の授業で習うような孔子の言葉と言うと、上に掲げたようないかにも説教くさい道徳文句が多いため、論語と言うのも面白くない道徳哲学やら人生訓程度に思われがちだが、本作で描かれる孔子は違う。作者は後書きで「白川静の『孔子伝』に触発された」と語っているが、本作の孔子は我々の住む現代社会から遠く離れた、怪力乱神の跋扈する神話世界の住人である。
 神仙や呪術の世界に通じ、理想実現のためならいかなる労苦も厭わず、自らの理想が天に裏切られては嘆き悲しみ慟哭する、非常に人間的で血の通った人物でもある。無論作者の恣意的解釈と言われればそれまでだが、セリフの端々に論語の文句をさりげなく含ませていたりしてぬかりも無い。その引用も顔回が死んだ際の「天われを滅ぼせり」などの有名なものから「海にイカダを浮かべても…」などさりげなくのマニアックな奴まで多岐にわたっており、伝奇世界を描きながらも作者が孔子を古代中華世界に生きた血の通った思想家として浮かび上がらせようとする態度が感じられる。
 もちろんそれだけに留まらず、作者の奔放な想像力はいかんなく発揮されており、「あやしげな祭祀場で蘇ったゾンビに孔子が羽交い絞めにされたところに、ティラノサウルスが乱入」みたいなどういう思考回路ですか的な悪夢のようなシーンも登場、おそらくこんな作品、論語の本場である中国にも無いだろう。古代神話や神秘思想を現代科学と関連付ける語り口にしても、古代から現代と手段は違えど人々の思い描く世界認識の相似性に着目して処理されており、どうしようもない土着的な怪奇を描きつつもそれがいつしか壮大な一大体系に発展していくという、作者ならではの強烈な知的アクロバットを堪能することが出来るのだ。下手な新興宗教のでっち上げた教義とかよりもよほど魅力的な世界観である。
 古典や神話や科学理論など多ジャンルの要素をうまくつなぎ合わせて一つの物語体系とするという作風は、ファンによる二次創作やパロディ作品などが隆盛を誇る現在だからこそ再評価される部分もあるかも知れない。(ある意味本作は「スーパー古代神話大戦」「とある孔子の論語目録」みたいなものであるが、それだけでは表現できない不気味な凄味がある。)
 
 こうして諸星大二郎は後に自らの十八番となる中国ものの鮮烈な第一作をものにしたワケだが、最初期の作品であり作者自身もまだ若かった(当時まだ20代!)ため、『無面目・太公望伝』など後の中国ものの傑作と比べると欠点が目立つのも事実だ。
何というか、読みにくいのである。これは漫画というメディアにおいては無視できない問題だ。


作者「よし、やる、己はやるぞ。暗黒神話を更に上回る壮大なスケール、少年漫画史上類の無い一大大作を描くのだ!孔子や仏陀を登場させよう。日本神話とSFもアリだ。全てを合一させ、少年達の蒙を啓いてやるのだ、おお!マハー・カーラ!」

編集「私ごときは先生の教えについていくのみでございます!ジェイ ハリ・ハラ!」

 多分こんな感じ(?)で若い作者は情熱に燃え盛り、編集も巻き込んでこういう奇跡のような作品がジャンプに掲載されたんだろうが、その情熱が一部上滑りしている感は否定できない。既に述べたように本作は多方面のジャンルにわたる知識が動員されているが、物語の随所に数多く長々とした解説がナレーションや劇中人物のセリフの形で挿入され、それらがどうも物語展開に水を差すのだ。知識の解説とストーリーの自然な展開がまだうまいこと噛み合っていないのである。幸い作者の優れた咀嚼力と想像力によりイヤミったらしいスノッブ趣味には陥っていないが、後の諸星作品と比べるとまだまだ荒削りさはぬぐえない。

 たとえて言えば、奥深い攻略性でやり応えはあるが、難易度が高くチュートリアルも不親切な初心者殺しの一昔前のゲームみたいな作品である。諸星作品をこれから挑戦してみようという方は、まずは多数の短編作品集などで慣らし運転をした上で挑戦してみるのがいいかも知れない。あと、文庫版よりも大判のジャンプスーパーコミックス版の方が細かい字も読みやすいので良いだろう。お気軽に楽しむにはちと辛いが、まさしく漫画史の軸の時代を彩る重要作品である。

ナイスレビュー: 1

[投稿:2010-10-24 20:56:14] [修正:2010-10-26 21:04:01] [このレビューのURL]

10点 蟲師

 一般的な生物の体系から遠く離れた原初の生命群「蟲」、人や自然にそれらが及ぼす超自然的で奇怪な現象の数々。本作『蟲師』は、江戸と明治のあわいに位置する架空の時代の日本・近代のちょっと前の日本を舞台に、それら蟲の及ぼす怪異から人々を守り逃がす事を生業とする「蟲師」ギンコを主人公とする奇談集である。

 非情に大雑把に物語の基本を説明するとこのようになるのだが、実際にはとにかくどう分類するべきか悩ましい作品でもある。土俗的な日本風の世界観で超自然的な怪異を描くという意味では『ゲゲゲの鬼太郎』や諸星大二郎の『妖怪ハンター』シリーズのようでもあるし、主人公のプロフェッショナルっぷりと深い思索性は『ブラックジャック』的だ。時々見られる人情噺やユーモアや説話性などは『まんが日本昔話』のようなお伽噺を彷彿とさせ、一転してしばしば登場するダークな話にはサイコホラーやミステリの趣すら漂う。その独特の画風と世界観から、とりあえずそういう雰囲気を押し出した“雰囲気マンガ”という評もある。

 古来より東洋の人々が獣や鳥とも植物ともつかぬ下等な、しかし多様な生物相を「蟲」として捉えてきた事と同じように、本作もまた多様な読まれ方のできる作品である。上にあげたどのジャンルにも分類可能であり、そしてそれら全てを包括してなお捉えきれない豊饒な何かでもあるのだ。椀一杯の海水・一塊の土に宿る無数の生命のように。

 正直に言って最初の数話の段階では、作者はこの魅力的なモチーフを持てあましていたように感じた。絵や設定は魅力的で物語も独特だったが、そういう特異な雰囲気を醸し出す事ばかりに専心している感は否めず、いまいち物語に深く没入しきれないでいた。そのままいけば、まぁちょっと独特な個性のあるただの雰囲気マンガで終わったかもしれない。

 しかし2巻収録の名篇「やまねむる」を誌上で読み、静かな静かな感動を味わったのをきっかけに、回を追うごとに本作に引き込まれていき、そしてその後確信した。本作は確かにファンタジーだが、その背景には歴史的・土俗的・原風景的なしっかりとした土台がある事を。実に様々なものの“あわい”に出現した稀なる名作であることを。

 白とも黒ともつかない微妙なあわいの上に本作は奇跡のように鎮座している。そこからにじみ出てくるのは比類のない豊饒な世界の息吹だ。そしてこの白と黒の間の灰色の世界のあり様は、かつて我々のご先祖が抱いていた自然観にも通じるものがあり、歴史的な記憶のにおいさえ漂わす。キャラクターデザインなどは泥臭さを払拭してこぎれいではあるが、作中登場する有名無名の人々の生きざまや様々な蟲のもたらす怪異には古い伝統や風習(美しいものばかりではない)や伝承に着想を得たものが多く、単純な善悪論などでは捉えきれぬものも多い。ただ得体の知れない余韻のみを残す話もある。

 作画表現にしても淡い色彩やペンによる点描を駆使した淡泊ながらも濃密な作画がそういう雰囲気を見事に表現。特に山霧・海霧によって天地の境界すら曖昧になったような海や山里の描写は強烈な印象を与える。作品のテーマ表現的にも、現実の自然描写としても見事と言う他無い。

 何より圧巻なのが種々の蟲の描写だ。本作の根幹をなす存在である蟲は、生命の最も原初的な場所に位置するものと捉えられ、それらが引き起こす怪現象はまさしく幽霊や妖怪や精霊によるもののように描かれる。
 …ここまでなら普通の妖怪モノの一変異種だが、本作の凄いところはそんな蟲の描写を、顕微鏡で観察される原生生物や菌類のような姿で表現している点だ。ここには単なるファンタジーに留まらない近代的な視点も導入されている。
 第1話でギンコは生物を動物や植物など5つに大別し、それらを五本指になぞらえて蟲とは何かを説明する。一般的な生物が五本の指なら、蟲とはそれらが一つにたばさって更に腕をさかのぼった先の心臓の部分にある存在というたとえだが、この語り口一つにしても、ファンタジーの文脈だけでなく博物学者ダーウィンの進化系統樹や五界説などの生物分類学的な見地から解釈しても面白いものになっている。こういうところにも蟲師のユニークさは現れている。

 そして、そんな本作の立ち位置をもっとも雄弁に物語るのが主人公である漂泊の蟲師「ギンコ」のキャラクターデザインだ。少年時代に経験した蟲との遭遇による怪異の影響で右目を失い、残った左目は緑に、髪は真っ白に染まったこの異様な人物は、どこか鬼太郎やブラックジャックを思わせる風貌をしている。そして「江戸と明治の間の架空の時代」という設定のため、周りのキャラ(大半は貧しい農民や漁民)がそろって和装の中、ほぼギンコだけが洋装なのである。この世界においては、ギンコは(どちらかと言えば)我々読者の住む近代的世界に近い立ち位置におり、他とは一線を画した屹立した存在として表現されるが、同時にそれは物語内において他の人々とは遂に全てを分かち合うことのできない孤独な異端者である事の表れでもある。洋服を着た彼自身もまた人々からすれば怪異なのだが、そんな彼が主人公であるからこそ、我々は既に遠い世界となってしまった郷愁の彼方の古の世界と邂逅できる。ギンコは蟲(≒自然)と人のあわいを取り持つ存在であり作品と読者のあわいに立つ存在でもある。
 作者いわく、ギンコには放浪の民族学者「宮本常一」や博物学者「南方熊楠」などの実在の人物が投影されているそうだが、共に民俗学や博物学(生物学)といった近代的な学問を用いつつも、日本の土俗的な世界へ深く分け入って行った人物として知られている。そういう周縁部分にも、本作の持つ豊饒な読後感の一端が垣間見える。

 自然と人間、生と死、有機と無機、人情と世間、一般と個別、土着と普遍、海と大地、大地と空、海と空、いにしえと近代、人為と天為、現実と奇想、生きることの美しさと、そして残酷さ。
 …これら相反する諸要素の数々は、本作では不思議なバランスの上に混交を遂げる。“調和”というほど大袈裟では無く、“混沌”というほど荒削りでも無い。ただただ奇跡のようなあわいの美しさ。こういう作品を漫画として読む事が出来る事は、本当にありがたいというしかない。漫画もまた、絵と文字のあわいに生まれた蟲だからなのだろう。

ナイスレビュー: 5

[投稿:2010-09-30 23:01:34] [修正:2010-10-11 20:20:07] [このレビューのURL]