「景清」さんのページ

総レビュー数: 62レビュー(全て表示) 最終投稿: 2005年10月17日

 小動物的な可愛さを持つ元気な女の子。
 年中だらしない格好をして家でゴロゴロしている「とうちゃん」。
 ひょんな事から主人公の女の子と友達になった女子高生のお姉さん。

 安永航一郎が久しぶりに商業誌に復活という事でこの『青空にとおく酒浸り』の1巻を手にしたとき、メインのキャラ配置に妙な既視感を覚えた。なんか、そこはかとなく世評も高い某癒し系ほのぼの女の子漫画と似ているなぁと。

 2巻を買い、巻末コメントを読んだ。

「貧乏くさい『よ〇ばと!』を描いてみようとゆーことで大ヒットを狙って景気よくスタートした本作ですが(中略)非人道的『じゃ〇ん子チエ』になってしまったのはなんでなんだぜ?」

 数年に及ぶ雌伏のときを経てもなお、安永航一郎はこれっぽっちも変わっていなかったのである。臆面の無いパロディ、無駄なハイテンション、変態の狂い咲きサンダーロード、脚線美の眩しい美少女達、”どうってことのない日常”なんかくそ食らえ、息が詰まるほどの濃さに眩暈を覚え、同時に安堵と歓喜の涙も流しそうになる。けれどもそんな濃い目でハイテンションの安永テイストをどばっと盛り込む一方で、作品の空気感そのものとしてはネタ元である『よつばと!』に代表されるような日常ほのぼの系にも通じる肩の力の抜け具合が感じられるのが凄い。
 変態達の織り成すしょうもない事件の数々が描かれながらもそれらすらが作品世界の持つ「日常」と化しており、その結果本作もまた日常ほのぼの女の子漫画と化してしまったワケである。(ただしスネ毛か汗とかよくわからん汁とかにまみれた…)

 もう50近いおっちゃんが昔と変わらずこんな漫画を描いてくれている事に驚愕し、また心からありがたいと思う。
「わははははははははははははははははははは」
 そんな安永航一郎の高らかな嬌声すら聞こえてきそうな作品である。

ナイスレビュー: 3

[投稿:2010-06-08 23:50:55] [修正:2010-06-10 23:33:06] [このレビューのURL]

7点 幕張

「幕張」の連載が始まった1996年当時、週刊少年ジャンプは混迷の淵にあった。
 ドラゴンボールをはじめとする黄金期の人気作品が次々と連載終了し、部数の低迷に歯止めはかからない。「るろうに剣心」や「封神演義」などの新たな人気作品も出るには出たが、それでも90年代初頭までの黄金時代にはなお遠い。ほどなく発行部数でもライバルの少年マガジンに一時的に抜かれたりもしたが、ともかくそんな混迷期、ジャンプもまた新たなかたちを求めて迷走をしていた。内田有紀の巻頭グラビアを載せたりしたのもこの頃だった。

 しかし、そんな混迷期にこそこれまでにない新たな才能が発掘されちゃったりもするものである。後にもギャグ漫画の歴史に名を残す奇才が誌面をにぎわし始めたのだ。「すごいよ!!マサルさん」のうすた京介が、そして本作「幕張」の木多康昭が。

 上記のように大げさに煽ってみたが、ではこの「幕張」という作品、万人が屈託無く笑えるお勧めギャグ漫画かというとそんな事は断じて無く、非常に人を選ぶ作品である。

・下劣な下ネタに免疫がある。
・90年代中ごろの芸能事情に詳しい。
・悪質なパロディや中傷をギャグのためなら笑って許せる広い度量。
・週刊少年ジャンプ黄金期の愛読者だった。(←最重要!)

 本作を真に楽しみ、グヘヘヘと下卑た笑いを浮かべる為にはこれらの要件を満たした方がより都合が良いのだ。こうも読者層を限定するギャグ漫画、普通に考えると高評価にはならない、はずである。
 おまけにこの「幕張」ときたら、ギャグの過激さが尋常ではない。タレントやジャンプの他作家を作中実名でけなすは、物語上脈絡なくオマージュどころか完全トレースしたような他作品のキャラを押し込むは、まるで青年誌のようなリアルでディフォルメを排した絵柄で、最低にもほどがある下ネタを容赦なくぶっこむは(「奈良づくし」は悪夢だった)、まぁ、本当に、ひどい。
 ストーリー展開も狂っている。高校入学時、「ジャンプにはもうスラムダンクがあるから」という理由でバスケ部への入部を断念した主人公コンビは野球部に入部するが、まじめに部活動に勤しむ事など無く周りの同級生や教師たちと下品で最低な騒動をひとしきり繰り返した後、唐突に世界最強の高校生を決める「世界高校生選手権」に出場する事となり、そこでも変わらず変態的で最低な戦いを繰り広げていく…というストーリーである。最終回は唐突に「この漫画の主人公はガモウヒロシでした」と某新世界の神に喧嘩を売ってそのまま劇終という具合だった。
 部活動を脇目に下品で変態的なギャグを描く、というと同時期にヤングマガジンで人気を博した「行け!稲中卓球部」が思い起こされる。ジャンプ編集部も当初はそういうノリを狙ったのかもしれないが、ふたをあけると全く違っていた。「稲中」の方は絵柄がいかにも漫画っぽく、下品なギャグの中にもどこか思春期の少年少女の葛藤みたいなテーマが描けていたのに対し、「幕張」の方は絵柄はやけにリアルで、にも関わらず真摯な裏テーマとか、そういう滋味は一切無かった。友情も努力も勝利も全ては本作ではむなしかった。

 …以上のようにどうようもなく混沌とした作品だったが、それゆえに本作は当時のジャンプを象徴するメルクマールたりえたのだと今にして思う。過激なギャグを、しかし妙に浮遊感のあるシラけた描線で描いた本作の混沌っぷりは、そのまま冒頭にも書いた当時のジャンプの混迷の表れだったのだ。
 
 原哲夫、宮下あきら、こせきこうじ、北条司、鳥山明、井上雄彦…、かつて木多康昭が深く愛した大作家達が次々と疲弊して一線を退いて行く。次のスタンダードも未だ確立はされない。
 そんな中、ギャグ漫画としての行儀の悪さというある種の治外法権を最大限に発揮する形で「幕張」は当時のジャンプのネガ面での象徴となり、ふがいない同誌の現状に対する嘲笑ともなり、同時に去り行く黄金時代への惜別の弔鐘をかき鳴らしたのだ。本作にやたらとドラゴンボールとスラムダンクのパロディが頻発する事もそれを物語る。こうしてひとしきり毒を吐き散らした後、作者は敬愛する井上雄彦の後を追うように講談社へと移籍を果たし、現在に至っている。

 当時の特殊な状況の生んだ鬼子のような作品には違いないが、「幕張」というほかに類を見ないギャグ漫画の事を忘れることは多分無い。ジャンプの歴史に良くも悪くも刻み付けられた凶悪な爪跡なのだ。

 なお、下ネタ・内輪ネタ・過去作のパロディなどの本作の得意としたギャグのエッセンスの多くは、現在のジャンプ漫画では「銀魂」に受け継がれている気がする。

ナイスレビュー: 2

[投稿:2010-05-25 00:23:57] [修正:2010-06-10 23:30:05] [このレビューのURL]

 2010/5/2 更に追記

 思い出とは甘美なものである。例えば、学生時代に部活の帰りなどによく立ち寄った地元のラーメン屋の味が楽しかった日々の思い出と共に過剰に美化されて心に残る、なんて事は多かれ少なかれある程度の年齢に達する人なら覚えがあるはずだ。ところが大人になって経済力が増し、それなりにうまいものも食べて舌が肥えた後にそういう思い出のラーメン屋に行ったりすると、懐かしさに感動する一方で「あれ?俺はこの程度のラーメンに昔は感動してたのか?」と気づきたくもない事実に気づいてしまう。

 ラーメンも現代漫画文化も、共に現在進行形で進化中であり文化としては比較的日が浅い。時代を超えて普遍的な価値のある品もある一方で、一時期は人気を博したが現在の感覚で味わおうとすると安っぽさや古臭さが鼻についてどうにも味わいにくい品も存在する。

 前置きは長くなったが、この「暁!!男塾」は、かつて大人気だったラーメン屋が21世紀のご時世に昔と変わらぬ味を狙って再起を図るも鳴かず飛ばずとなってしまったような作品である。一応「思い出補正」に支えられた昔からのファン層によって商売は成り立ってはいるが、新たな客層の開拓には結びついてはいない。そして主な客層である昔からのファンにしてみたところで、本作の味わいは決していいとは言いがたいのが現状である。

 理由は主に二つある。第1にお客の側の舌が昔より肥えてしまったことと、第2に商品の質そのものが全盛期と比べて劣化したことにより、ノリ的にはかつての名作「魁!!男塾」に似せてはいるがその味わい深さには雲泥の差がついてしまった。

 これは何も昔のファン層が成長して大人になったからとか作者の筆力が衰えたからというだけではなく、作品を取り巻く環境の劇的な変化…ネット社会の発達という要因も深く絡んでいる。

 現在は例えばラーメン屋にしたってネットでちょちょいと検索すればすぐにおいしい人気店を調べられるが、そういう世の中では男塾的なノリを素直に味わう事はかなり難しい。本作は20年来変わることの無いジャンプ黄金パターンという名の化調(化学調味料)に頼っているが、「友情努力勝利」「仲間が死んでお涙頂戴→人気キャラはすぐ復活」「倒した敵は仲間になる」、こういうパターン化された味わいの安っぽさそのものが時を経て露呈してしまったのだ。現在ではこういう化調だのみのラーメンはネット上での評価は総じて低いのである。

 かつての「魁!!男塾」ではそういう化調の安っぽさを補って余りある魔法の秘伝ソース「民明書房」があった。作中登場する様々な武術や奥義や武具、無論すべて実在しない大嘘だが、もっともらしくい引用されるこの民明書房刊の架空書籍群の放つ怪しげな香りは当時の子供たちを大いに魅了し、その語り口の本物っぽさもあって信じる者も少なくなかった。それはかつての少年向雑誌の持っていた怪しい大らかさであった。
 現在は、もう図書館を調べまわったりせずとも一発ググりさえすれば、民明書房が大嘘であることなど小学生でも気が付くことができる。昔のようにもっともらしい嘘をついても無駄だと割り切ってしまったからだろうか、本作「暁!!男塾」においてはこれらのネタの劣化は著しい。安易な駄洒落に頼った必殺技のネーミングも不愉快なら、何かにつけてすぐに「気」とか「念」とかそういう超能力に頼ってばかりなバトル描写も安っぽさに拍車をかけている。前作の末期にも見られた事だが、今ほど酷くは無かった。
 こうして秘伝のソースは秘伝では無くなり、魔法は解け、後には化調の配分を誤った安い味わいのスープが残ってしまった。恒常的に塩分や油分に囲まれるラーメン屋の店主の中には味覚が早々に衰える人も少なくないというが、作者の宮下あきらもそれと似たような状態に陥りつつあるのではと勘ぐってしまう。

 ただ、上述のように作品を取り巻く雰囲気は思い出だけではカバーしきれないほど劣化しているものの、商品として、漫画としては破綻してはいない。スープがまずくなった一方で麺は濃い見た目と裏腹に相変わらずの喉ごしの良さで、スルスルとストレスを感じることなく実にスムーズに味わうことができる。繰り返されるお約束も慣れてくると次第に快感に変わり、「来週どんな展開が待っているんだろう?」と余計な気をもむことも無く時間つぶしにはもってこい。漫喫で一気読みするにはうってつけの作品とも言える。

 聞くところによると宮下あきらはネームを描いたりせずに一気に原稿用紙に直筆で昔から漫画を描いてきたらしい。以前も民明書房の社長(え?)との対談の中で、小利口な作品の多くなった少年漫画界の現状に疑問をさし挟んだりもしていた。いずれにせよ「HUNTERxHUNTER」的なノリとは対極に位置するような作家姿勢だが、決して思い出のみに拠るわけではなく、真面目にそういう漫画のあり方も必要なのではないかと最近は思いつつある。
 原材料や製法に拘り、一杯千数百円、場合によっては数千円するようなラーメンが世間をにぎわすのを尻目に、全盛期と比べて味は落ちつつもそれでも早くて安くてそこそこうまいラーメンを作り続ける地元の店にも似た愛着を感じつつ、なんやかんやで今でもずっと読み続けている。


2010/04/09 以下追記

 色々とイヤミったらしい事を書いてしまったけれど、こういう作品に無邪気に酔いしれる事ができず、ネタとしてしか消化できなくなってしまった現状に寂しさを感じてもいる。誰かに頼まれたわけでも無くこういう事を書いている素人レビュアーが言える事でも無いかもしれないが。

2010/05/02 更に追記

 上記のような感想を書いた直後、本当に最終回を迎えてしまった。バトルに次ぐバトル、昨日の敵は今日の強敵(とも)、明らかに死んだ奴も設定リセットで何食わぬ顔して参観席に駆けつける男塾の卒業式。最後の最後まで男塾イズムを貫き通した潔い結末だった。今作が前作より優れていた部分は結末が打ち切りっぽくなく比較的きっちり描かれた事だろう。宮下先生、本当にお疲れ様でした。押忍、Gods and death!!

ナイスレビュー: 1

[投稿:2010-04-06 21:49:15] [修正:2010-06-10 23:26:09] [このレビューのURL]

 「落ち物」と呼ばれるジャンルの漫画がある。さえない男主人公のもとに空から美少女が落ちてきて、彼女をめぐって平凡だった男の日常は上を下への大騒動、ラブ&コメディの日々が始まる…という類の奴である。古くは「うる星やつら」、少し前なら「ああっ女神さまっ」などがこのジャンルの代表作であり、美少女ギャルゲーや深夜アニメの作品群にも似たようなものは枚挙に暇がないはずである。

 そして本作「ハルジオン・ランチ」は、ネオ時代劇「無限の住人」で知られる鬼才の沙村広明 (←アラフォー)が本気を見せた落ち物ギャグ漫画の最先端である。内容は一言で表すと、カオス。とても系統立てて説明するのが困難な内容だが、同作者の「おひっこし」にはまった人ならまず外さない面白さがある。

 部下に金を持ち逃げされ事業に失敗し、川で食料の魚を釣らねばならぬほど困窮していたホームレスのアラフォー中年男「化野(あだしの)」。日がな一日釣り糸垂らす彼の元に、「お腹へった」と突然現れた地球外の美少女「ヒヨス」。主人公がホームレス中年という以外は取り立てて新鮮味の無い落ち物の王道的導入部である。

 これまでの落ち物ヒロイン達も空を飛べたり電撃を撃てたり、と特殊能力を持っている場合がほとんどだったが、本作のヒロインであるヒヨスの能力は、何と生魚だろうとリヤカーだろうと家電だろうと人間だろうと何でも一口サイズに縮小して食べることができるというとんでもないものだった。それどころか一度食べたものを「うっええええエエエエ」と吐き出しす事により、食べたものが生物無生物を問わず融合して出てくるという更にとんでもないコンボが…。そう、ヒヨスは「無敵看板娘」の鬼丸美輝、「銀魂」の神楽らに続く正統派の”嘔吐ヒロイン”だったのだ。そして従来の嘔吐ヒロイン達がその食い意地に相応しく男勝りな元気さを売りにしていたのに対し、ヒヨスはいわゆる”綾波系”的な無表情&常識の欠如が特徴なのが新鮮である。

 このハタ迷惑極まりない能力(”ちから”と読んでください)を持った美少女と彼女の保護者に選ばれてしまった中年男性を軸に、理系で兄萌えのジャンキー少女、気の毒な犬(詳細は後述)、金を持ち逃げしたメガネ男子等等の奇妙でダメな奴らを巻き込んで物語はあさってどころか明々後日の方向に全力で転落していく。
 一応はすべてを失った中年男性の再生物語みたいな大筋もあるんだろうが、とにかく設定のカオスさと物語に脈絡なく大量投入されたマニアックな小ネタの数々(無料回収車「貧乏姉妹海物語」「ATARI社のレア基盤」には呼吸困難になるほど笑った)が、そんな本筋?をボヤカすほどに隙間なく詰め込まれている為にますますその全容をつかむのが困難である。何しろ第1巻のラストで登場人物の一部が「北の某国」の潜水艦に拉致られるのだから。いや、ギャグ漫画だから全然OKだが。

 とにかく非常にカオスな作品だが、作者の絵のうまさもあって不快感は感じない。それどころか、ヒヨスの吐き戻しによって誕生する様々なクリーチャーのデザインなど、立体化したらそのまま現代アートとして通用しそうなくらい秀逸である(←訳が分からないとも言う)。単行本表紙の裏カバーでもネタにされているように、その有機物と無機物の融合した奇怪なデザインは前衛芸術家成田亨によるバルタン星人やゼットンなどの初期ウルトラ怪獣や、クローネンバーグの映画(←「ザ・フライ」」とか)に登場する「柔らかな機械」を髣髴とさせ、美大出身の作者の才能の無駄使いっぷりが見ていて痛快である。
 極めつけはレギュラーキャラとなった気の毒な犬「アスキー犬」で、これはハスキー犬とうまい棒とデコケータイがヒヨスの体内で融合した結果誕生、前足がうまい棒、顔がアスキーアートで構成されたというとんでもないデザインで、コイツを見る為だけにも本作を読む価値があると自分は信じる。

 以上、色々書いてきたがとにかく本作に関しては「まずは読んでみてくれ」としかいいようがないほど混沌としている。思うに、何故そうなったかというと、それは本作が沙村弘明による”ゲロ漫画”だからなのであろう。
 落ち物美少女、人間ドラマ(?)、SF、オタネタ、現代アート、様々な食材を沙村弘明は一旦咀嚼した上で、「うっええええエエエエ」と原稿用紙という名のキャンパスにぶちまけた結果誕生したのが本作なのだ。色よし形よし香りよしの三方良しを実現した素晴らしいゲロ漫画である。
 しかし、いくら味が良くてもゲロはゲロなので、毒気も強いし吐いたゲロを一目見ただけで元となった食材を当てられるような食通(というよりオタク)でないとイマイチ面白くないかもしれない。

ナイスレビュー: 1

[投稿:2010-03-28 19:26:07] [修正:2010-06-10 23:25:18] [このレビューのURL]