「景清」さんのページ

総レビュー数: 62レビュー(全て表示) 最終投稿: 2005年10月17日

2度もテレビアニメ化されるなどかなりヒットした学園ラブコメ漫画だが、完成度的にはお世辞にも洗練されているとは言いがたい。作画のクオリティは安定せずギャグは滑ることが多く、重要な話とそうでない話に温度差がありすぎ、物語に大量のフラグをばらまく一方で未回収に終わることもままあり、最終回に至っても人間関係の大半は未整理なままで、おまけにその最終回もマガジン本誌と増刊号とで2種類あるとう始末であった。

作者の小林尽は本作がメジャーデビュー作だったが、同誌の赤松健(ネギま)や久米田康二(絶望先生)らの先輩陣と比べるとどうしてもこなれていない感が漂っており、足かけ6年にわたる長期連載の中でいろいろボロがでてきた部分も多かった。キャラクター人気に頼った駄作とう評価も、あながち間違いではないとは思う。しかし。

それでも自分は本作を推したいのだ。上述のように未成熟な部分も多かったけれど、作画とギャグとドラマ、それらに時折かいま見られたポテンシャルの高さに、普段はどーでもいい日常を送りつつも時々ハッとさせられるような体験もしてきた自分たちの学生時代の記憶を呼び覚ます何かが感じられたからである。
そもそも絵に描いたようにスマートで非の打ち所のないような青春時代を送った奴などそうはいない。たいていの場合、青春とは愚かでこっぱずかしく、それゆえに愛すべき物である。この作品の持つ未成熟さは、換言すればかつては誰もが持ち、そして子供たちがいずれ経験するであろう”青春時代”のあのままならなさ、こっぱずかしさ、それらを包括したある種の美しさや楽しさの追体験だったのではないか。

男女様々な人物が入り乱れ、勘違いや衝突、惚れた腫れたの騒動を繰り返す物語構造は一見古典的だが、そのキャラ配置は主人公を太陽系の中心に据えたようないわゆるハーレム型ではなく、複数のメインキャラが互いに一方通行の分子運動的乱反射を繰り広げるというかなり複雑な物語構造となっており、それら登場人物達もそれぞれ個性的なキャラを持つ一方で安易な属性化には収まりきらない適度なキナ臭さも持っており、そういう部分から湧き出る叙情性が本作の大きな魅力だった。バカバカしい話が多い一方でそういうビルドゥンクロマンス的魅力もたたえていたのである。

特に自分が本作で気に入っていたのは、登場人物の多くが所属する2ーCのクラスが、それこそ連載開始当初は誰も見知った者がいないような状態で始まった(当然だが)のが、連載を経て以前は背景の一モブキャラに過ぎなかったような奴らに次第に人格的肉付けが成されていき、最終的に男女問わずみんな愛すべき見知った友人達のようになっていった点である。それこそクラス替えで初顔あわせた生徒達が一年後にはクラスメイト同士の連帯感で結ばれるかのようなこの作劇には、作者の優れた才能をかいま見ることができたし、こういう部分こそ近年の他のラブコメ作品にはあまり見られなかった本作の大きな魅力がったのだ。
塚本姉妹や播磨や沢近といったメインキャラだけでなく、こういうクラスの雰囲気そのものを好きになれるかどうかが本作を気に入るかどうかの分岐点ともなるだろう。

何度も言うように洗練された作品ではないけれど、それでも学園ラブコメ漫画というジャンルにおいて特異な地位を占める作品となっかことは間違いない。そんな本作を自分は密かに「ラブコメ大菩薩峠」とあだ名して呼んでいる。
ああ、ただ、作中不自然なほど触れられなかった、主人公の塚本姉妹の家庭事情(広い家に高校生の姉妹二人だけで住んでいる)をもうちょっと詳しく描いてくれれば、というのが最後の心残りである。

ナイスレビュー: 2

[投稿:2010-01-27 00:03:01] [修正:2010-01-27 00:19:52] [このレビューのURL]

漫画の世界では、古くから(美)少年同士の同性愛的関係を描いた作品が、主として女性ファンによる二次創作作品などで多く発表され、それらは隠語的に「やおい」と呼ばれてきた。(近年ではボーイズラブということも多いけど)

腐女子の皆様方の活躍もあって現在ではかなり一般への認知度も高まってきたやおい文化だが、この言葉の語源は、一説では

ヤマ無し(山場無し)
オチ無し
意味無し

というニュアンスから来ているのだという。美少年同士の絡みを描くことを最優先し、物語的な必然性とか意味とか、そういう要素は二の次である事への自嘲であろう。


さて、この「ペンギン娘」だが、本作はそういう言葉の真の意味において紛れもないやおい作品である。
なんか「ペンギン」とか「択捉」とか「イルカ」とか言う名前の美少女達がセクハラしあう”だけ”の内容であり、山場は少なく、落ちにも欠け、無論のこと意味など求めようとすること自体無意味である。
それでもギャグが面白かったりすればまだいいが、本作に関しては、それすら。清々しいほどに何も残らなかった。

ついに我々は、美少年同士でなく美少女同士でもやおいを成立させられる領域に来てしまったのだ……!

いや、それで充分だろ、他に何かいるの?という境地で読めば、まぁ楽しめなくもないかも知れない。無意味であっても無価値ではなかろうが、今の自分にはまだ無理な話だである。色々な意味で修行が足らないというかまだ青いというか。

同じチャンピオンの海洋生物娘漫画である「侵略!イカ娘」はあれほど気に入ったのに、この違いは一体?

ナイスレビュー: 1

[投稿:2010-01-11 23:19:39] [修正:2010-01-12 00:43:20] [このレビューのURL]

なるほど、これは万人にお勧めしたくなる良作スポーツ漫画だ。

チャンピオンのお家芸である自転車競技をテーマに据えつつ、オタク趣味の草食系メガネ男子を主役に据えることで本誌特有のアクの強さをゆるめることに成功しており、間口の広い作品となっている。
根性だ熱血だといった価値観から遠く離れた位置にいたはずの少年、小野田坂道は、しかし「アキバにタダで行けるから」というそれだけの理由から千葉県-秋葉原間往復90kmの道のりを幼少期からママチャリ転がし続けてきた。
運動音痴で人付き合いも苦手だったそんな少年がしかし知らずに蓄積し続けた才能の片鱗が、高校入学の新たな出会いを経て一気に爆発する展開はベタだが熱いものがあり、また三つ子の魂も何とやらでそのように才能を開花させた後も萌えオタクとしての本分を忘れず鼻歌(アニソン)を口ずさみながら箱根の山を駆け登る主人公の姿は別の意味で頼もしく、またある種の不気味な怪物性(凄み)を見せつけている。主人公の常人離れした天才性の発露を、まさかアニソン鼻歌で表現してしまうとは!
そしてそんな不気味さもしかしナチュラルに受け流せてしまいたくなるような爽やかさも活写されており、作者の優れたバランス感覚が冴え渡っている。バランス感覚と言えば、体育会系的ノリから距離をとる一方で努力や根性を否定しないあたりも巧い。

そんなわけで連載開始当初から面白がって読んできた一方で、チャンピオンらしいアクの強さももうちょっと欲しいなぁと贅沢な不満を抱いていた。いささか優等生的すぎてチャンピオンらしさが足りないというか何というか…。

ところが、そんなある日のこと、いよいよインターハイ編がスタートした丁度その頃…!!

「弱泉くんや。 キモッ!キモキモキモキモッ!」

「アブ(腹筋)!アブ(腹筋)!アブアブアブアブアヴィィィィィ!」

三つ子の魂何とやら。やはりチャンピオン漫画はチャンピオン漫画なのであった。今後も楽しんで読もうと思います。




ナイスレビュー: 1

[投稿:2010-01-06 23:54:20] [修正:2010-01-07 00:03:01] [このレビューのURL]

ゲームの世界には、人気のある漫画やアニメのキャラを使った「キャラゲー」という分野がある。このジャンルは往々にして「出来は二の次、とりあえず人気のキャラを出せば原作ファンは買うだろう」という志の低い作品が多いが、中にはキャラの魅力を生かしきると同時にゲームとしても優れた骨格を有する良作も存在する。しかしいずれにせよそれらを楽しむには、原作となった作品への愛着や造詣が深ければ深いほどいい事に変わりはない。

本作「「坊っちゃん」の時代」を無理矢理乱暴にキャラゲー的に例えてみると、「スーパー歴史人物大戦M(meiji)」である。明治時代を舞台として夏目漱石ら文学者を筆頭に思想家、財界人、果ては博徒にテロリストまで様々な有名無名の歴史人物の往来を虚実ないまぜのエピソードを交えて描く本作は、当然楽しむ為にはそれなりの前提知識を要求される。
そういう意味で決して無条件に万人にお勧めできる作品ではないし、こんな事を書いてる評者自身不勉強ゆえに本作を味わい尽くしたとは言いがたく、読んでてよく分からなかった部分もあった。

が、それでも本作を推したいのは本作が単なる歴史漫画や教養を売りにした漫画を超えた普遍的な物語性を強く有しているからである。「青春の光と影」という普遍的なテーマを。
明治時代は偉大さと愚かさの同居したまさしく日本の青春時代であった。そんな世の中とオーバーラップするように、個人主義や自由恋愛などの新しい価値観を持て余しながら時に痛ましく、時に滑稽に描かれる本作の登場人物達の姿は紛れもない明治人の栄光と暗黒の両面であり、同時に100年経っても変わらない青春物語の原風景でもある。特に生粋のダメ人間である石川啄木を主人公にした第3部など、むしろ現代だからこそ受け入れられやすいだろう。(個人的な話だが学生時代と社会に出た後でこれほど読後感が変わったエピソードはそうは無い。)

「よしよしお前の言いたい事はよく分かった。でも、何でわざわざそれを漫画で発表する必要があったの?別に小説とか評論でいいじゃん、ブンガクが元ネタなんだし。」
こういう意見もあるだろうが、本作の完成度を1段も2段も底上げしたのは、関川夏央の原作は勿論、結果的には作画を担った谷口ジローの筆力によるところが大きい。
近年「孤独のグルメ」などで注目の高まった谷口ジローだが、本作でもその高い画力を遺憾なく発揮、個人の肖像から時代の遠景まで縦横無尽のカメラワークを駆使して明治を描ききっている。群衆の暴動や博徒同士の決闘などの動きのある画もいいが、人物の微妙な表情や心象風景を表現した一枚絵もクオリティが極めて高い。(第3部に登場する斜めにそびえる浅草十二階など白眉である。)
死の淵をさまよう夏目漱石のめくるめく脳内妄想を描いた第5部に至っては、もう作画への信頼無しには成立し得なかっただろう。
漫画には不向きと思われる題材を臆することなく描きいったことで、結果的には「漫画」というジャンルの表現力の可能性を示せただけでも、本作の意義は大きいのだ。

先ほども言ったように無条件に万人受けする漫画ではないけれど、しかしゲームの「スーパーロボット大戦」シリーズが純粋にゲームとしてもよく出来ているのと同じように本作も優れた漫画作品であるから、興味を持たれた方は是非一度読んでみて欲しい。


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[投稿:2010-01-02 17:53:38] [修正:2010-01-03 21:46:32] [このレビューのURL]