「景清」さんのページ

総レビュー数: 62レビュー(全て表示) 最終投稿: 2005年10月17日

 我々日本人の食に関するこだわりの深さは良くも悪くも世界有数であり、特に薩摩黒豚がどうした和牛がこうしたといった“国産”肉への執着はもはや信仰のレベルと言って良いが、昨10年は口蹄疫、そして今年11年は原発災害による土壌汚染にTPP交渉参加、と日本の農業は重大な危機と岐路に直面している。
 
 今回紹介する『銀の匙 Silver spoon』はそんな近年の農業事情を考える上でも非常に有意義な作品だが、単純に漫画作品としてもかなり面白く、読者の興味を引き新鮮な驚きを与えてくれる。
 作者の荒川弘は大ヒット作『鋼の錬金術師』で有名だが、北海道の酪農農家出身という異色の出自でも知られており、『百姓貴族』など自身の農業体験に基づいたエッセイ作品も既に描いている。そして週刊少年サンデーで今年から連載の始まった今作『銀の匙』は、農業とは無縁の生活を送ってきた都会育ちの少年が、とある理由で北海道の農業高校に入学し様々な経験を積んでいくというストーリー漫画だ。
 サンデー伝統の“部活マンガ”路線の異色作と言えるし、同じく北海道での畜産を扱ったゆうきまさみの『じゃじゃ馬グルーミンUP』の後継作とも言えるが、扱われる内容はそれらと比較してもかなり生々しい。『じゃじゃ馬』ほどにラブコメ色が前面に出てくる気配は今のところ無く、主人公周辺のキャラの大半は農家の跡取りという立場から単なる部活モノのお気楽さとは比較のならない重さを秘めている。家畜の屠殺や間引きといった生臭いテーマも早々に正面から描かれ、獣医になれる条件には「殺れるかどうか」と答えさせる。かわいい仔豚ちゃんはいずれは食肉となる事が示唆され、熊嵐に象徴される北海道開拓の苦闘の歴史を描くことも忘れない。昨今の農業事情も意識しながら読むと、非常に考えさせられる事が多い作品なのだ。

 なんだか辛気臭い・説教臭い作品のように思われるかも知れないが、そこは等価交換、とても伸びやかで愉快な作品でもある。主人公の八軒は「家から遠く離れたい」という理由だけで遠路はるばる北海道の農業高校にやってきた勉強はできるが少々ひねくれた所のある少年で、実家が農家では無いし将来の夢も特には無い。そんな農業とは無縁だった少年の視点により、農業高校での様々な体験が読者の想像を絶する新鮮な驚きに満ちた、実に活き活きとした魅力あるものとして描かれているのだ。日本の農業事情を大上段から深刻に描くだけなら他にいくらでもあるが、こうも楽しさや驚きを少年漫画というフィールドで描きうる作者の筆力はやはり凄い。

 それらに対する八軒の反応も実に素直で良い。世間の常識から隔絶されたギャグのような(というか既にギャグの)農業高校生の生態にいちいち過剰反応を示し、産みたての卵かけご飯や自家製ピザに大感動、子牛の出産という普通なら「厳粛な生命の瞬間に立ち会えて云々」と感動する場面では素直に「グロい」と言ってのける。卵かけご飯をかっこむ際の「ばばばばばばばばばば」やトラクターの駆動音「ぐぉぉぉぉぉぉぉぉぉ」など突き抜けるような擬音効果からもそんな素直さと勢いが感じられる。周囲の大半の学生と違い主人公は特に継ぐべき家業も将来の夢も現時点では持っていないが、校長先生曰く「それは良い!」 何もないまっさらな八軒だからこそ、様々な体験に驚き戸惑いながらも色々な分野へ挑戦することも出来るし、いずれは何者かになり得る可能性を見出すことができる。

 物足りなさを感じる部分としては、作品の性質上仕方のない事だがャラクターデザインが少々地味目で時々作画的にも不安定さが感じられる点、またせっかく北海道の大自然を舞台にしている割には背景の自然描写などもやや淡白な印象を受ける点などがある。上述の通り非常に勢いのあるシーンが多いのが魅力だが、反面専門的な部分の説明シーンなどは少々セリフが説明口調の長文になりがちな所も気になる。あと作者が週刊連載のペースに慣れていないのか休載が多いのもやはり気になる…。最近は休載も少なくなったので、今後も引き続き楽しく読んでいけることに期待したい。

 タイトルの『銀の匙』だが、現時点では学生寮の食堂に飾られていることが言及されるのみでそれが何を意味するのかはよく分からない。中勘助の小説ともおそらく縁は無いだろう。ただ、食を命を掬い上げ自身そして他者の口にそれを授ける“匙”という食器の持つ象徴的な意味を考えると、本作が今後何を描いていくのかを考える材料にはなるかも知れない。
 八軒が生まれて初めて野生の鹿をさばいた時、彼は鹿の亡骸に向かい手を合わせるが、その姿はまるで何かを錬成しようとする錬金術師に重なって見えた。恐らく、作者の描きたかったものはハガレンから本作まで一貫しているのだろう。

ナイスレビュー: 0

[投稿:2011-12-31 00:52:00] [修正:2011-12-31 01:14:31] [このレビューのURL]

 TV版の放映開始から15年以上を経てもなお新作劇場版が作り続けられるなど、すっかり息の長い作品として定着した『新世紀エヴァンゲリオン』。本作『トニーたけざきのエヴァンゲリオン』は、このアニメ史に残る大人気&問題作を、『岸和田博士の科学的愛情』など高い画力で徹底的にくだらないネタを描き尽くす作風で知られるトニーたけざきによっていじり倒したエヴァンゲリオンのパロディギャグ漫画である。

 作者は以前もガンダムのパロデディギャグ漫画『トニーたけざきのガンダム漫画』において、原作のキャラクターデザインを務めた安彦良和の画風を忠実に再現しつつギャグ化するという離れ業を成立させた実績(前科)があった。
 表紙にはVHSビデオ版10巻のジャケット絵を彷彿とさせる構図でエヴァ初号機がラーメンを貪り喰うという実に素敵なデザイン。巻頭のカラーページの下らなさも文句なし。安彦良和ほどでは無いにせよ作者はオリジナルの貞本義行の画風をかなり忠実に再現できており、そこらへんのアンソロジーパロディ漫画とは格の違う作画力も堪能できるようにはなってはいる。下ネタやキャラ崩壊、実写特撮版ジャイアント・ロボなどのコアなパロディなど期待通り(?)の下らなさもそれなりに堪能できたのだが、全編に漂う何とも言えない”今更”感は残念ながら払拭されなかった。

 アニメ界においてエヴァが人気を極めた90年代後半、物語の結末・謎を一切放棄したあの衝撃的なTV版の最終回以降、ファンの狂熱は収拾不能な域に達しつつあった。物語の謎解きからキャラククターの精神分析、映像学的観点、オタク論やポストモダンなどなど様々なジャンルの関連本が鬼のように出版され、アンソロジーコミックもパロディギャグからラブコメにシリアス、「ボクの考えた真の最終回」、果ては18禁にやおいと公認から非公認までやはり収拾がつかなくなっていた。ゴッズインヒズヘブン、エンジェリックインパクト、失楽園、サマーチルドレン……。
 これらのアンソロ漫画の多くに共通していたのは悲劇的展開と投げっぱなしの結末に翻弄されたファン達の「真の結末は?」という飢餓感による異様なハイテンションのもたらず”祭り”感だった。そんな状態が1年余り続き、物語の真の決着を切望するファン達の飢えた口中に全力で泥団子を突っ込んだ旧劇場版の阿鼻叫喚を経てエヴァブームも次第に収束、アニメ業界も平穏を取り戻していった。

 本作には残念ながら当時ほどの狂熱を感じることは出来なかった。やはり第1次エヴァブームから時間が経ち既にエヴァが一つのネタとして定着し、パチンコになったり他作品などでもさんざんパロディされ消費しつくされてきたというのもあるし、近年公開されている新劇場版で、往時のファンが夢見たようなそれこそ同人誌的な超展開が原作者自らの手により実現されつつある事もその理由だろう。自分が年をとったからというのもあるのかも知れない。
 本作が90年代後半当時、『岸和田博士』の合間に発表されていたら伝説的パロディ漫画になったかも知れないのだが。

「エヴァの半分は「エロと裸体」でできているんだぁー!!」←これは至言だった。

ナイスレビュー: 2

[投稿:2011-11-27 22:40:02] [修正:2011-12-10 17:07:37] [このレビューのURL]