「景清」さんのページ

総レビュー数: 62レビュー(全て表示) 最終投稿: 2005年10月17日

 スポーツや格闘技の世界では、世間では無名に近い新人が“怪物”としての才能を急速に開花させ、実力あるベテラン勢を次々に打ち破って一躍トップランナーに名乗り出るような番狂わせがしばしば発生する。先の大相撲9月場所における新入幕力士の逸ノ城の大関横綱を次々に破った大活躍などまさにそれであった。
 ただ逸ノ城の活躍が話題になったとは言え、相撲そのものの人気は昭和の時代や若貴ブームの頃と比べると確実に下がっており、特に若い世代の支持を広く集めるのはなかなか難しいジャンルである。少年漫画の世界ならばなおのこと。

 過去、ジャンプにおいては、小畑健による『力人伝説』に、つの丸による『ごっちゃんです!!』と、実力のある作家によって相撲漫画が試みられた事があり、いずれも水準以上の内容を持った佳作ではあったが、大きな人気を得るには至らず早々にジャンプシステムの土俵からはじき出されていった。(『大相撲刑事』のように悪い意味で妙に記憶に残る作品もあった。)
 近年では少年チャンピオンで『バチバチ』が好評を博し、続編と合わせて5年もの長期連載となったが、それでも『弱虫ペダル』みたいに世間一般で話題になるほどの大人気を得るには至らず、残念ながら知る人ぞ知る隠れた傑作で終わってしまった。

 その『バチバチ』がきっかけで相撲に興味を持ち、国技館の焼き鳥の旨さを知ることができた人間として、本作『火ノ丸相撲』がよりによって相撲漫画の鬼門とも言うべきジャンプで連載が始まった時は、嬉しさ反面強い不安を覚えたものだ。自分は応援するけど、多分子供たちや女性読者の人気は得られないだろうなぁ…と。

 第1話読了後、そんな不安感はかなり後退していた。なんらかの宿命を抱えた新入生が廃部寸前の相撲部にフラッと現れ、相撲部の苦境を救うべくその秘めたる実力を噛ませ犬のチンピラ相手に存分に披露するという導入の筋書きは、はっきり言って非常にありきたり。しかし、奇をてらわず基本を守り、その表現の地力の並々ならぬ高さを見せつける完成度は、“没個性のありきたり”を“王道的な横綱相撲”へと昇華させるだけの強度が感じられたのである。作者が少年誌初連載の新人である事を忘れさせるほどに。

 まだ連載が始まって日の浅い本作だが、現時点でその存在感は怪物的と言ってよい。相撲漫画が今どき受けるのかという当初の不安をよそに、『ONEPIECE』に代表される横綱級の人気作品が層厚くうごめくジャンプという過酷な土俵で、並み居る強豪作品相手に一歩も退かず堂々たる取り組みを魅せ続けており、男性ファンはもちろん女性ファンもそれなりに獲得している様子である。これには驚く一方で、とてもとても嬉しかった。

 本作が、相撲という一見少年誌読者には不人気なジャンルを扱いながらも人気を獲得できたのにはいくつか理由がある。そしてそれは結果的に相撲の魅力の再発掘にも繋がっていたように思われてならない。

 相撲は、ふんどしを締めたデブが押し合いへし合いとビジュアルの面で損をしている部分があるのは事実だが、シンプルなルール、短時間決着による展開の早さ、力と技と心理戦を併せ持った単純ながら奥深い攻防、と意外にバトル漫画映えする要素に富んでいたのだ。本作は相撲という競技の良さを活かすよう、試合展開は大ゴマを多用する迫力の画力を駆使する一方でモノローグによる心理描写も怠らず、そして無駄にダラダラと取り組みを長引かせない思い切りの良さで、とても高密度でテンポの良い作品となっている。

 この相撲というおもいっきり男臭い世界を舞台に、体格には恵まれずとも不屈の闘志とたゆまぬ努力で己を高め続けた主人公の潮火ノ丸の存在感を軸として、周囲の人間たちが次第に感化されて行くという構図は、これぞ「友情・努力・勝利」のジャンプイズムの高らかな再提示でもあった。そして、体格というハンデを背負った火ノ丸が、それでも勝利を貪欲に求め、横綱という頂を目指そうとするその強烈な反骨の精神。

「相撲の神様?そんなもんワシがぶん投げてやるわ!」
「何を笑っていやがる」

 不人気ジャンルで敢えて勝負に出た点も含め、近年のモードに真っ向から立ち向かうような覚悟ある反骨の姿勢に、一度ジャンプを離れた往年の読者も喝采を贈っているのであろう。

 あと、往年のジャンプらしい男臭さを全面に出す一方で、実は本作はかなり女性ファンの存在も意識した作品になっている気がする。作者の川田は女性人気の高かった藤巻忠俊の『黒子のバスケ』にもアシスタントとして関わった過去があるので、女性ファンの存在は無論意識したはずだ。
 鬼神の如き強さと歳相応の少年らしいあどけなさを兼ね備えた火ノ丸もそうだが、ガラの悪いチンピラだったくせに火ノ丸に感化されて以降強烈にデレた佑真(しかも意外と几帳面な性格で料理上手…)とか、あざとい、実にあざとい。
 相撲というのはビジュアル的に損をしている部分も多いが、ほぼ全裸で体格の良い男同士が組んずほぐれつ、という絵面は筋肉フェチの女性には結構くるものがあるかもしれない。
 こういう女性ファンの存在は男性読者から疎ましく思われる事も多いが、黒バス、テニプリは言うに及ばず、スラダン、キャプ翼、古くは『アストロ球団』の昔からジャンプのスポーツ漫画は女性ファンに支えられてきた面があるのは間違いないのだ。
 そんなある種の女性ファンの分身と言えるのが、本作に登場する数少ない女性キャラの一人、相撲雑誌記者、筋肉フェチで(変態)淑女の名塚さんだ。

「カワイイですねぇ~みんな初々しくて。高校生サイコー!タマラン!!」ハァハァ

(キャラの呼び名がユーマとかチヒロとかミツキとかケイとか妙に可愛かったり、関係者に筋肉フェチの女性がいたりとか、某水泳アニメを意識してるんだろうか。)

 本作は女性キャラの数は今のところそう多くはないものの、上述の名塚さんに佑真の妹でゲス系ヒロイン(そしてブラコン)のレイナ、と可愛くはないがどれもいい味が出ている。相撲漫画に女はいらないという意見もあるが、むしろこういう男臭い世界だからこそ女性キャラの存在は大切にしたい。

 『キャプテン翼』がサッカーを、『スラムダンク』がバスケを、『アイシールド21』がアメフトをそれぞれ盛り上げていったように、ジャンプのスポーツ系作品はそれまで大人気とは言いがたかった競技にスポットライトを当てて成功する事がままある。本作がきっかけになって相撲が盛り上がってくれたらそれにまさる喜びはない。この火ノ丸という怪物が今後どれだけジャンプ場所の番付を駆け上がっていくか、大きな期待を持って見守りたい。

ナイスレビュー: 3

[投稿:2014-10-05 03:10:15] [修正:2014-10-06 22:47:03] [このレビューのURL]

8点 聲の形

[ネタバレあり]

友情、愛情、信頼、敬意。“絆”という言葉にはこれらの美しいイメージが付与されている。人と人のつながりこそが世の中を動かす以上、それらの絆が美しければそれに越したことはないし、実際にあの震災において未曾有の大災害を前に被災者の方々が見せた絆のあり方は、恐るべき悲劇の中においても確かな希望を感じさせるものがあった。以来メディアなどでを通して絆という言葉は盛んに耳にするようになった。
だが、人と人の関係の有り様は複雑なものであり、絆もまた決して美しいだけのものではない。憎悪、不信、蔑視。そんな醜い感情に基づくいじめや差別…。それらもまた絆というものの一つの形には違いない。

身体障害者やいじめなどのデリケートな話題を扱い、その描写の生々しさで読み切り掲載時から話題になった本作『聲の形』は、そんな絆というもののあり方について考えさせてくれる作品である。
退屈な日常を持て余していた悪ガキ石田将也のもとに、ある日とびっきりの非日常がやってきた。転校生の西宮硝子、見た目はごく普通の可愛らしい女の子だが、先天性の聴覚障害により耳が殆ど聞こえず言葉の発音もままならないため、もっぱら筆談と手話で周囲との意思疎通をはかろうとする少女。
「変な奴!!」
最初こそ障害者差別は良くないとか手話をみんなで覚えようとか言っていた周囲も、意思疎通の煩わしさから次第に彼女を内心疎ましくおぼえ始め、そして遂に将也がリーダーとなって硝子へのいじめが始まった。次第にエスカレートするいじめ、先生は見て見ぬふり、同調するクラスメイト達。しかし将也の度が過ぎた行動が原因でいじめの事実が外部に露見し問題化しそうになった途端、今度は先生も含めた周囲が示し合わせたように将也一人に責任を押し付け、因果応報とは言え更に過酷ないじめの標的となってしまった将也。かつての友人たちが掌を返す中、硝子は……?

読切版では短いページ数にこれら生々しく濃厚なドラマが盛り込まれ、終盤では小学生時代の凄絶な痛みを経て高校生となった将也と硝子が再会し、かつてひどく傷つけ合った二人がそれでも和解の端緒を探るように向き合う所で物語は閉幕、これはこれで未来へのほのかな希望を予感させる美しい幕引きだった。

そして大いに話題となった読切版の反響を受けて始まった連載版では、上述の読切版のプロットは単行本1巻でほぼ終了し、2巻の冒頭では再会した将也と硝子は手話を通じて和解する。胸糞悪いいじめ描写が延々続くのを見せられるのも嫌だったが、それにしても展開が早くないかと自分は当初思っていた。
少年時代のいじめをめぐるトラウマがきっかけでひどい人間不信に陥り自殺まで考えていた将也が、硝子と和解することで人間不信からも次第に脱却、周囲との関係性も取り戻し、硝子との絆も深めるリア充ライフを今後延々見せられる……、それはそれで悪い気はしないが、しかし、なんか違わないか?そう思っていたのである。えぇ、まぁ確かに3巻終盤の強烈なニヤニヤ展開とかを見せつけられるとすごく幸せな気分になったりはしたのだけれど。
したのだけれど、やはりそう甘くは無かった。基本静かな雰囲気の中においてもジェットコースターのように物語が上げて落としてまた上げ更に落とし…と展開の起伏の激しい本作は、和解後も決して読者を飽きさせない(≒安心させない)つくりになっていたのだ。
確かに将也と硝子は友人となり、両家の家族間のわだかまりもそれなりに解消され始めた。しかし、かつてのいじめは将也と硝子だけでなく周囲のクラスメイトも巻き込んだ広範なものだった。いくら将也と硝子が二人だけでわかりあおうと、いじめという周囲の共犯の記憶が解消された事にはならない。
過去は二人を拘束しつづける。かつてのクラスメイト達との再会という目に見える形で過去の痛みが将也とそして硝子を襲う。いじめという共通体験を通じて紡がれた絆、容易にはほどけない、かくも胃が痛くなるほどに煩わしい絆。

本作が出色なのは、そんな人間関係の美しさや煩わしさを、漫画というメディアの力を大いに活かすよう執拗なまでに視覚的に訴える形で表現している点である。だからこそ読者の多くは感情を大いに揺さぶられ、将也と一緒に胃が痛くなりもするのだ。
たとえば将也が人間不信に陥った事を表現するために将也の視界に入る人間の多くは顔に大きくバツ印が付けられる。いかにも記号的な漫画表現だが、将也と友人になったクラスメイトからバツが消えたり、バツ印の間から表情を覗かせるかつてのいじめ仲間とか、単なる記号表現を超えた面白い演出の妙にもなっている。
他の漫画と比べても人物の表情描写にねっとりとした生々しさがあり、上述のバツ印演出も相まって非常に“目の離せない”作品に仕上がっているのだ。
ヒロイン西宮硝子はそんな本作の魅力をまさしく体現している。聴覚障害持ちのため、感情表現にせよ意思疎通にせよセリフにはほとんど頼れない彼女の示す様々な表情、所作、視線、そして手話。(障害者設定を安易に記号表現的に使用して良いのかという是非論はあるにせよ)硝子の存在がこの作品を視覚メディアたる漫画としての魅力に大いに貢献していることは疑いない。
タイトルが「こえのかたち」であり、「こえ」という言葉に、声ではなくわざわざ旧字体の聲を使用しているのも、視覚に訴える効果を狙ってのことだろう。(“聲”という字には“耳”と“手”の意が含まれている。)

硝子と和解するも紆余曲折を経て再び硝子以外との周囲の絆を自ら閉ざそうとする将也。夏の日、そんな辛い現実から逃れるように共に二人は夜空に上がった打ち上げ花火に見入る。一方その頃、絶交した友人達や、かつてのいじめの共犯者たちもまた同じ夜空の下、同じ花火を見ていた…。

時に騙し合い時に傷つけ合い、絆とはかくも煩わしい有り様を見せる。それでも、共に生きていかざるを得ぬ以上、いつまでも見ぬふりをして済ませることはできない周囲との関係。果たして彼らの想いの聲は、今後どのような形を結ぶことになるか。今非常に先が気になる作品だ。

ナイスレビュー: 2

[投稿:2014-07-06 03:05:06] [修正:2014-07-13 00:10:35] [このレビューのURL]

12/6/29 得点修正(7→8) 加筆あり

 週刊少年チャンピオンに連載中の主に10代の少女(時々少年)を主人公にしたオムニバス形式の短篇集で、一部の話を除き各編同士の物語の連続性は基本的に無い。最近のチャンピオンのショート漫画には『侵略!イカ娘』などかなりヒットする作品も出現するなどなかなか目の離せない作品が多かったが、本作も少女少年の短篇集というよくある形式にも関わらず非常に独特の味わいを持ち読者の心をざわざわとざわつかせる作品に仕上がっており、各所で話題になっているのも素直に頷ける。

 作者の阿部共美はチャンピオンに掲載された読切の『破壊症候群』がデビュー作だが、これも人並み外れた怪力を持つ少女が悪を成敗するというありふれたスラップスティックコメディの形態をとりながらも、癖の強いキャラクターデザイン、ハイテンションすぎる会話劇、少女の破壊衝動など随所に覗かせるブラックな変態性などの逸脱っぷりがとても印象的だった。そしてそんな作者の持ち味は本誌本格連載となった本作でも失われること無く…どころかますますパワーアップを果たしていたのである。
 
 少女や少年の揺れる心模様を描いたオムニバスストーリー集といえば得てして恋や友情、親や世間との関係性の葛藤などを描いたものになると相場は決まっているが、とても本作はそんな枠組みでは括りきれない。確かに物語の根底にあるのはそういった普遍的テーマかもしれないが、物語の狂言回しを務めるキャラたちの多くはテンション高すぎるか思い込み激しすぎる人達ばかりで、“等身大”とかそういう言葉とは程遠い思考と行動を突っ走る。
 一例を挙げると第一話の主人公である恥ずかしがり屋を直したい女の子は、矯正手段としてバニーガール姿で「うひょひょひょひょ」と夜道を飛び回ったりする。他にも女性の裸に飽きたらず薄皮一枚下の内蔵を見てみたいと言う男や、人一倍怖がりなくせに同時に人一倍怖いもの見たさでずるずると恐怖の深みにはまっていく少女、「世界は悪に満ちている」と思い込みいい年して定職にもつかず魔法少女のコスプレで町中をパトロール(というか徘徊)する女、など癖の強すぎる人達が現れては消え消えては現れ、その結果全体的には様々に提示される「心模様の万華鏡」とでも呼ぶべき幻惑的な美しさとつかみ所のない危うさが併存する作品になっている。
 尚、そういう極端すぎる人達を扱った作品以外にも、ボーイッシュな少女と気弱な少年の話「夏がはじまる」など比較的普通の人達が主体の話もあるが、共通しているのは決して順風満帆には終わらない心ざわつかせるストーリーテリングだ。結末にどんでん返しのまま投げっぱなしになる話が多く、“余韻”と一言で済ますにはあまりに不穏な空気作りがとてもうまい。

 キャラクターデザインは非常に記号的。他作品と比べても瞳が際立って大きく描かれ肌は透き通るように白く、体はちょっとつまむとそのままぷちっとちぎれてしまいそうなくらい可愛い。しかし記号的であるはずのその描線は昼間っから公園のベンチで弁当を喰うおっさんなど時折残酷なレベルでリアルな瞬間を捉える事があり、透き通るような白は何かの表紙にどす黒い漆黒へと容易に転じ、ぷちっとちぎれそうな柔らかい造形の下には血液と内蔵にまみれたグロテスクさが顔をのぞかせそうになる瞬間も描かれる。そんな見た目の可愛らしさの裏に潜むものを作者は描くことを心得ているのである。(新房昭之監督のアニメ作品に通じるセンスを感じる)

 おかしい話、悲しい話、可愛らしい話、不気味な話、様々なままならぬ人達が七転八倒する万華鏡、総じてその読後感は白黒つかないまさに「灰色」。そしてその灰色を拡大してみると、そこには交互に明滅する無数の際立つ白と黒が……。

 現在の連載を追う限り二巻以降もそのクオリティは保証(というかむしろ向上中)なので今後も期待が持てる一作である。作者の感性は非常に独特なものがあるが果たしてこういう際立った感性が今後も時と共に維持されていくかどうかは現時点ではわからないので、“今”しか描かれ得ない作品である危険性も否定出来ない。ぜひリアルタイムで追いかけたい作品だ。

------------以下加筆-----------------------------------------

やばいやばいやばいやばいやばいやばいやばいやばいやばいやばいやばいやばい
やばいやばいやばいやばいやばいやばいやばいやばいやばいやばいやばいやばい

絶対普通じゃない絶対普通じゃない絶対普通じゃない絶対普通じゃない
絶対普通じゃない絶対普通じゃない絶対普通じゃない絶対普通じゃない
絶対普通じゃない絶対普通じゃない絶対普通じゃない絶対読むべしぜった

ナイスレビュー: 1

[投稿:2012-04-01 00:43:49] [修正:2012-06-29 01:00:32] [このレビューのURL]

 漫画家は医者を創った。医者は漫画家を救った。

 “漫画の神様”と呼ばれ、今もなお新たな読者を獲得し続けている巨匠・手塚治虫だが、70年代初頭の手塚はよく知られているように公私共にどん底に喘いでいた。
 劇画やスポ根漫画のブームに乗ることができずヒットも途絶え、もうひとつの夢であったアニメスタジオ経営も頓挫、このまま過去の人として忘れられかねなかった手塚が再浮上するきっかけとなった作品が、73年に週刊少年チャンピオン誌上で連載が始まった『ブラック・ジャック』(以下BJと略称)なのであった。
 現在でではBJは『鉄腕アトム』や『火の鳥』と並ぶ手塚治虫の代表作の地位を確立しており、おそらく我々リアルタイムの手塚治虫をあまり知らない比較的若いファン層には最も多く読まれている作品だろう。この作品のヒットを受けて復活を遂げた手塚治虫は死の寸前まで旺盛な創作活動を続けることになる。まさに医者は漫画家を見事に救ったのだ。

 今回紹介する『ブラック・ジャック創作秘話』は、BJ連載当時の手塚治虫の仕事ぶりやその周辺模様を関係者のインタビューなどを踏まえて描いたドキュメント漫画である。2009年の週刊少年チャンピオン創刊40周年記念企画の一環として読み切りとして掲載されたが、その後好評を博したのか翌年、翌々年と不定期に続編が掲載され、このたび単行本としてまとまって刊行されることとなった。
 手塚治虫は“漫画の神様”、“現代漫画文法の確立者”、“ヒューマニスト”として死後もむやみに神格化され続けてきたが、近年の漫画研究では次第にその神話も解体されつつある模様である。本作がチャンピオンに掲載された時も、最初は「ああ、またいつもの手塚先生万歳漫画が始まったのか」くらいの気持ちで読み始めた。

 ところが。何か明らかに従来の手塚ドキュメンタリーとは違う異様な雰囲気、情念が本作にはみなぎっていた。
 作画を担当した吉本浩二の絵柄は青木雄二の流れをくむ非常に泥臭さが強調されたもので、「なんでまたこんな古臭い絵を…」と最初は思ったが1話を読み終えた頃にはそんなことはどうでも良くなった。むしろ飾り立てられた手塚神話を解体し、そこから更に新たな手塚治虫伝説を立ち上げるにはこの絵しかなかったのである。

 ここで描かれた手塚治虫は全知全能の天におわす現代漫画の創造神ではない。

 とても「神様」なんていうキレイで差し障りのない言葉では形容しきれない手塚治虫の怪物的な描写の連続。

・締め切り過ぎても出来栄えに納得できなければ全く新しい話に書き直す手塚治虫。
・原稿の督促に対して「マネージャーに言ってください…」とのらりくらりな手塚治虫(でも最終的には描く)。
・目覚まし時計のスヌーズ機能の「スヌーズ」の意味についてアシスタントににじり寄る手塚治虫。
・「世界初」という言葉や流行りものにやたら弱く、またしてもアニメ制作に乗り出す手塚治虫。
・そしていざアニメ制作を始めたたら納期採算度外視でリテイクを連発する手塚治虫…。
・どん底時代、経営上のトラブルを巡り関係者に苦しい言い訳をする手塚治虫(貧乏神が!)。
・自分の名刺の裏に書いた言付けだけで予約もない飛行機にアシスタントを乗せることに成功する手塚治虫(まさに神通力)。
・原稿を放置してアメリカに出掛け、電話越しに背景処理についてスタッフに指示を飛ばす手塚治虫(自分の過去の原稿や参考資料を丸暗記していた)!

 神は神でも時に疫病神、ある時は貧乏神だった手塚治虫のケッタイな一面が青木雄二の門下生の手で描かれていくのである。だが、それらに増して何より凄まじかったのは、

・8時間で原稿を一から仕上げると宣言し、空調の止まった蒸し暑い部屋に篭もり、トレードマークであるベレー帽も眼鏡も外し鉢巻を締め、全身汗だくになり貧乏ゆすりを繰り返しながら目で喰らうように原稿を仕上げる手塚治虫。

 そこには、漫画の鬼神としての手塚治虫の姿が強烈に刻みつけられていた。


 本作は手塚治虫の畏るべき一面・笑える一面を色々と伝えてくれるが、手塚に劣らぬ重きをもって描かれるもう一人の主人公が存在する。当時のチャンピオンの編集長である壁村耐三だ。
 藤子不二雄の『まんが道』などにも登場する名物編集だった壁村はBJの連載に大きく関わり70年代のチャンピオン黄金期を築いた人物として漫画ファンの間では知られているが、本作を読むと彼もまた手塚治虫に勝るとも劣らぬ怪物だった事がわかる。まるでヤクザのような風貌、人気漫画家でも甘やかすこと無く原稿のためなら手段を選ばない恐るべき執念。間違っても一緒に働きたくはないがこういう豪傑がいたからこそ手塚治虫も復活することができたのである。
 締切を過ぎてでもギリギリまで作品のクオリティを上げようとする漫画家。漫画家の尻を叩きながらもどうにか原稿を回収し、読者に届ける役目を担う編集。漫画への思いを同じくしながらも方法論と立場の違いは越えがたい両者を結びつけるほぼ唯一の絆としての原稿。

 最近は漫画家と編集部をめぐるあつれきの話をあちこちで聞くことが多いので、だからこそ漫画家と編集部が共に妥協することなくそれぞれの道を全うする姿には感動を覚える。既に手塚治虫と同じく壁村編集長もこの世にはいないが、一度現世に復活させて『ブラック・ジャックによろしく』の作者と死闘を演じる姿を見てみたいww


 『ブラック・ジャック創作秘話』を銘打ちながらBJそのものに関する話題が少なかったり、最終話がほとんど永井豪物語と化していたりと構成上の気になる点もあるけれどエピソードはどれも非常に興味深く、手塚ファンのみならず表現を志す人間であれば読んでおいて損はないと思う。ありきたりな手塚神話は解体されようとも伝説は死なず。手塚治虫はやはりどこまでも唯一無二の手塚治虫なのだ。

ナイスレビュー: 2

[投稿:2011-07-24 13:56:33] [修正:2011-07-24 14:02:36] [このレビューのURL]

 歴史にifは禁物だが、それでも我々は「もし◯◯があの時生きていれば…」とか「もし??が△△時代に存在したら…」式の妄想シミュレーションが好きである。また、「虎とライオンが戦ったらどっちが強い?」という類の現実にはありえないドリームマッチを妄想するのもやはり大好きだ。侍vs西洋騎士、レシプロ戦闘機vs飛龍、名将スキピオとハンニバルの共闘…。
 そういう(主として男性の)興味や妄想を満たすために架空戦記小説やゲームの類があるわけだが、そんなボンクラ男子的妄想エンジンをフルバーストさせながら我らが夢工房(ドリームファクトリー、略してドリフ)の平野耕太が精緻なカスタム基板を組み上げコインいっこいれた結果起動したとンでもない物語世界、それがこの『ドリフターズ』だ!

 物語の基本はいわゆる異世界召喚モノである。関ヶ原で徳川勢と戦い壮絶な討ち死にをしたとされる荒武者の島津豊久を筆頭に、織田信長やらハンニバルやらジャンヌダルクやらと史実において非業の最期や謎の失踪を遂げた古今東西の英雄豪傑が、何者かの意思によってエルフとかモンスターの存在するファンタジー世界に召喚されて大暴れするというのが基本的な骨子だ。
 この手の作品自体はこれまでも多くあった。ファンタジー世界に平凡だった少年な少女が召喚されて大活躍するのもある種の定番ではあったが、本作にはそれら既存作品と比較してもひっじょーにアクの強い個性が感じられる。

 理由の第一は主人公をはじめ登場する英雄豪傑達のほとんどがマトモではない事である。主人公の島津豊久は人情に篤い好漢だが、その本性は乱世と血煙を無上に好み大将首を奪る事に血道をあげる戦闘狂だ。織田信長をはじめ他のキャラもだいたい似たり寄ったりであり、そこかしこから「諸君戦争が好きだ好きだ好きだー」という心の声が念仏のように聞こえてきそうなほどである。そういう迷惑極まる連中に蹂躙されまくるファンタジー世界の皆様にはご愁傷さまという他無い。

 理由の第二は、世界設定からして非常にゲーム的な意匠が徹底されている点だ。作者はコアなゲーマーとして有名なので、そのあたりの雰囲気は狙ったものだったのだろう。舞台となるファンタジー世界はまさしく箱庭のトップビューマップであり、召喚されてきた豪傑達は戦国無双な戦闘ユニットなのだ。単行本1巻の時点ではまだ詳しい設定は明らかにされていないが、彼らを異世界に送り込んだ神の如き上位存在が物語には2名存在し、物語の舞台となる世界はそんな二人による殺戮のチェスゲーム盤である事が示唆される。
 片方の人物(司書風の眼鏡男性)が送り込んだ島津豊久などの戦闘ユニット達が「漂流物(ドリフターズ)」と呼ばれるのに対し、「EASY」と呼ばれる対立陣営の少女が送り込んだ土方歳三やジャンヌダルクらの戦闘ユニット達は「廃棄物(エンズ)」と呼ばれる。いずれはこのドリフターズvsエンズの激しいストラテジーアクションが展開される事になるのだろうが、これら設定で注目すべきはドリフターズが現実世界の面影をとどめている一方で、エンズの側は現世で受けた仕打ちへの憎悪からかすっかり人外の力を操る狂気の怪物と成り果てている点だ。まさしく「EASY」の名に相応しく能力を違法コードでチート改造されたゲームバランスの破壊者達であり、そんな連中にドリフの一行がどう立ち向かっていくのか、興味は尽きない。ともあれかくも物騒なゲームの舞台にされてしまったファンタジー世界の皆様には、やはりご愁傷さまである。

 理由の第三、こう言ってしまえば身も蓋もないが、作者がヒラコーだからである。こんないかれた戦闘狂どもがハタ迷惑な騒動を起こしまくる妄想全開不謹慎漫画をそれでも面白いと感じさせてしまう筆力。まるで軍用ショベルで後頭部をベチベチ叩かれながら「あ゛あっ?゛、面白いって言えやゴラ」と強要されるような不埒な面白さ。野卑さと格調高さが不思議に同居した力強い平野節の魅力。理由の一とニも、結局はここに行き着くのだ。なにはともあれご愁(以下略

 ドリフト走行を続ける先の読めない展開が続く本作だが、1巻を読む限りでは今後がどういう展開であれ大いに楽しみである。豪傑ユニットを駆使した「大戦略」「コマンドアンドコンカー」「信長の野望」的な本格ストラテジー路線、異世界を舞台とした「幻想水滸伝」的なヒロイックファンタジー路線、とりあえず英雄豪傑最強決定戦な「ワールドヒーローズ」路線(サイボーグのドイツ軍人とかも是非出して欲しい)、どう転んでも楽しそうだ。しかし一癖も二癖もあるドリフターズ達が、神の如きゲームマスター達の意に従ってゲームの駒に甘んじるとも思えないので、いずれはそんな傲慢な世界設定そのものを「おれたちはモノじゃない」と気合と根性と悪ノリで破壊するような壮絶なバグを引き起こすことも期待している。

 その際に使用される武器がチェーンソーであれば尚良かである。これもサガか……。

ナイスレビュー: 1

[投稿:2011-03-10 23:31:27] [修正:2011-03-20 19:45:45] [このレビューのURL]

8点 タイヤ

 『伝染るんです』のヒット以来、いわゆる“不条理ギャグ漫画”の鬼才として広く注目されるようになった吉田戦車だが、しかし“不条理”のみで吉田戦車を評価する事は早計であり、またこの不条理ギャグというジャンルが何やら80年代末に何の前触れも無しに唐突に現れた突然変異種であるように捉えることも、無論正しくない。本作『タイヤ』は、吉田戦車のとびきり奇妙で可笑しく、そして背後に湛えたほのかな哀しみも感じ取れる短編集だ。ギャグの要素がほとんど存在しない話も少なからず収録されており、ギャグ漫画というよりは奇妙な寓話集のような趣がある。

 本作は家族を扱った作品が多いのが特徴だが、その読後感はいずれも一抹の哀しみが残る作品ばかりである。自動人形の木人を父親・友人代わりとし、誰にも頼らず生きようとする木人職人の少年の孤独な戦いと別れ、そして再会の物語『木人の店』、針仕事に励む母親(表情が描かれない)とそれを見守る少年の間に横たわる不穏な断層を描いた『肩守り』、崩壊寸前の家族に“団欒”を取り戻すためにカレーライスを作ろうとする少年の材料探しの奇妙な冒険『カレー』、小津安二郎の映画を思わせるホームドラマを何故か不定形の不気味な人工生物が演じる近未来SF家族ドラマ『小春日和』、そして東欧のアニメ映画のような素朴なタッチと構図で、川岸でイルカと会話をしながら日々の生活に倦んだ少女と、「ひょっとこ」になって帰ってきた兄とのやりきれない断絶を描ききった好編『川辺の家族』など、どれも奇妙で不条理な独特の雰囲気に満ちているが、その“不条理”は決して“何でもあり”とイコールではない。それら不条理の意匠をまとって描かれるものは生まれいづる悩み、別離の哀しみであり、不条理は万能のツールとしてそれらをハッピーな方向に好転させたりはしない。むしろ、この奇妙な雰囲気はそのまま我々が日々の孤独の中で湾曲させた近親者や世の中に対するねじくれた愛憎の投影そのものなのではないか、とさえ感じてしまう。

 更に、世間に背を向けて一人でモヤモヤを抱え続けていた若き日の作者の半自伝的な一作『ぶどう』にいたっては、ギャグはおろか遂に不条理ですらなくなる。世に鬱屈を抱えた少年のささやかな横紙破りとその無残な顛末を描いたわずか2ページあまりのこの小編は、ギャグも不条理的要素もいずれも希薄だが、この何とも言えないモヤモヤが後に“不条理”として開花していくであろう原風景的なものを感じさせる。思うに吉田戦車の不条理とは、テリー・ギリアムの往年の映画(『未来世紀ブラジル』とか)に通じる部分があるのかも知れない。

 このようにレビューすると、「悲惨で深刻な話ばっかりなのか」と敬遠されるかも知れないが、無論そんな事はない。『ヤクザでゴー』や『オフィスユー子』など、いつもの吉田戦車が堪能できる好ギャグ短編も完備しているし、犬を訓練して蝶を捕まえるという架空の奇習を描いた『ちょうちょうをとる』など、後の作品『ぷりぷり県』などで冴え渡る「ウソの風習」をバカバカしく活写してみせる名人芸もこの頃から既に健在だ。また、吉田作品の大きな魅力である素敵な造語センスの妙を味わえる機会も非常に多い。タイトルに『タイヤ』と付けるセンスといい、コーヒー牛乳を甘くさせるための儀式「ほめミルク」とか、東南アジアの生息する危険生物「ボルネオ電気蝶」とか、日本語の組み合わせによる奇妙な味わいを活かしきれるこのセンスは相変わらず見事。吉田戦車はカエル好きとしても有名だが、天変地異により地表の大半が水没し、人類が水生生物と融合して種を存続させた未来を舞台に、かえる族の王子の成長を描いた『かえる年代記』など、哀しみの中にも希望を感じ取れるファンタジー中編などもあり、作品のバラエティは広い。

 不条理も一日にしては成らず。様々な鬱屈や哀惜、広範なサブカルチャーの沃野を苗床にして吉田戦車は独自の世界を描き開いていったのだ。最近、新装版として再販もされているので、興味のある方も無い方もぜひご一読の程を。

ナイスレビュー: 1

[投稿:2011-02-26 01:33:05] [修正:2011-02-26 23:56:12] [このレビューのURL]

2010年9月26日 得点修正(6→8) 加筆あり

14歳の時にヨーロッパを一人旅したのをきっかけにイタリアへ美術留学、そのままイタリア人男性と結婚する傍らエッセー漫画などで活躍する女流作家…。

 本作「テルマエ・ロマエ」が漫画ファンの間で話題になった時に上記のような作者ヤマザキマリの略歴を知り、

「うわっ如何にも寒い一行コピーでおなじみのA〇RAあたりで特集されそうな人生だなぁ。」(←偏見)

 と思ったりもしたが、そんな作家が選んだテーマが「風呂」だという点に興味を抱いて単行本を買ってみたところ、「その手があったか、ヘウレーカ!」と浴槽から飛び出して全裸のまま走り回りたくなる着眼点の素晴らしさにまずやられた。
 日本人の風呂好きは世界的にも有名だが、作者が長年過ごし旦那の故郷でもあるイタリアにかつて栄えたローマ帝国も、また風呂をこよなく愛した文明だった。こうして「風呂」をキーワードに日本(故郷)とヨーロッパ(今の棲家)が結ばれたのだ。
 郷土愛は理屈や理論ではなく、感覚的・感情的な部分によってはぐくまれる部分が多いと言われるけど、長年ヨーロッパで過ごした作者がはぐくんだ故郷への思いが、風呂への偏愛という形で爆発しまくっているのが読んでいてほほえましいし、同じく風呂を愛する一日本人として「その通りだッ」と大いに納得もできる。全身で味わう風呂という奴は、場合によっては言葉や食べ物以上に皮膚感覚的に訴えてくるパワーがあり、作者は風呂限定で古代ローマと現代日本を自在に行き来するローマ人ルシウスを通して、なかなか湯船につかる事も叶わない地球の反対側にいる自身の思いを叶えているようにも見える。実際第1話でルシウスが初タイムトリップを遂げた先が、スターウォーズのポスターなどから判断して70年代末~80年代初頭の、作者が渡欧する直前の銭湯だったあたりからもそれがうかがえる。そして風呂にすっかりのぼせあがった作中描かれる「平たい顔族」のジジババ達のあの表情!作者は本気だ。

 また、この漫画で良いと思った部分は、単なる「日本の風呂万歳」的なノスタルジーのみに終わる事無く、ローマ文明の偉大さをも描けている点にある。主人公のルシウスは真面目が服を着て歩いているような堅物なローマの風呂設計士で、毎回はるか未来の日本の風呂にタイムスリップして大いにカルチャーショックを受ける一方で、その風呂技術の一端をどうにかローマに持ち帰ろうとし、そして完全移植とはいかないまでもフルーツ牛乳や露天風呂、シャンプーハットなどをローマの技術で再現してみせる。
 「ローマ文明はギリシア文明と比べて創造性で劣っていた」と言われるが、作中ルシウスが述べている通り他民族の文明を柔軟に吸収、模倣発展させる事で世界規模の文明を築き上げてきた。(似たような事を言われた民族もいましたね)
 ルシウスはそんなローマ市民としての大いなる誇りと自負心を胸に秘め、「平たい顔族」の仕掛ける様々な風呂に裸一貫で立ち向かうのだ。その姿は神々しくさえあり、ローマの精神の最良の部分を体現しているようでさえある。そして…、やはりどこかオカシイ。一種のカルチャーギャップをネタにしたギャグ漫画としても良くできているのだ。特に彼が
「何をするかーっ」
 と叫ぶシーンでは毎回笑いそうになってしまう。本人が真面目な分、余計に。

 日本とイタリアを「風呂」というキーワードで結びつけた本作の着眼点のよさは上に書いてきたようにただの思いつき以上の奥行きがあり、各方面で話題になったのもうなずける。ある意味「ローマ人の物語」で知られる塩野七生に近い快挙かも知れないが、まだそこまで持ち上げるのは早計かも知れない。もともと本作は同人誌用に軽い気持ちで描いた物が連載の流れに乗ってしまったのだという。初期設定がなまじいいだけに毎回面白いが、このまま今後も新鮮な驚きを与え続けられるかどうか、作者の真の実力が試される。


 単行本でしか読んでないため、現在ビーム本誌ではどのような風呂が登場しているかは知らないが、2巻以降に登場する風呂を勝手に予想してみよう。



1.ジャグジー
「この泡を発生させるのに何人の奴隷を使っているのだ?」

2.真冬の露天風呂
「馬鹿な。あえて雪が降る中に屋外で入浴など…」

3.塩サウナ
「何をするかーっ!」

4.ゆず湯
「むぅ、柑橘類をこのように使うとは。食っては吐いて吐いては食うばかりの貴族たちにも見せてやりたい。」

5.ひのき風呂
「総木材製の浴槽だと?まさか平たい顔族とは、絹の道の遥か東方の彼方にあるという、木造文明の帝国だったというのか?」

6.温泉卓球
「この球の材質と製法が分からん。」

7.スーパー銭湯
「夢を見た。後の世の皇帝陛下がこれとよく似た施設をお造りになる予知夢を。」

8.ローマ風呂
「細部に誤りがあるが、われらローマの威光は平たい顔族たちにも及んでいたと見える。初めて奴らに優越感を感じた。」

 2巻も楽しみにしてます、ハイ。



 以下加筆(2010/09/26)



 そんなわけで先日発売した2巻を読んでみたのだが、やはり上記のレビューは早計であった。期待外れ?マンネリ?一発屋?違う。最初のころのような新鮮な驚きこそ無いにせよ、漫画としての面白さはますます増し、作者の実力の確かさを思い知らされた。
 ギャグ演出力は格段の進歩を遂げており、「いい年した大人が全裸であれこれ頭をひねる」という本作特有のシチュエーションの馬鹿馬鹿しさ・大げささを更に増幅させている。絵もこなれてきており、女性キャラなども普通にかわいく見えるようになってきた。
 上で色々あげてみた勝手な予想は結局2巻においては一つも当たらず、定型的な展開にも関わらず予想のはるか斜め上を行く日本とローマの風呂シンクロの数々に圧倒される結果となった。風呂、恐るべし。

 3巻も楽しみにしてます、ハイ。

ナイスレビュー: 1

[投稿:2010-05-05 21:59:31] [修正:2010-09-26 01:34:10] [このレビューのURL]

※レビューは「シグルイ」に対する言及多数

 久しぶりに漫画をジャケ買いした。全身を甲冑で覆い表情を一切感じさせない不気味な騎士が読者に向けて槍を突き立てるという不吉なカバーイラストにまずやられた。西洋中世を舞台にした活劇というのも好みだったのでジャケ買いに及んでみた次第だ。

 どうやら中世”風”のファンタジーではなく、14世紀初頭のアルプス地方の争乱を描いた歴史ロマンらしかった。第一話を読み始めると、気高く美しくツンデレな亡国のお姫様と彼女を護る寡黙で屈強な騎士の逃避行が描かれていた。ああなるほど、そういう騎士道ロマンなんだな。うん、それなりに面白そうだ…。 

 ところが第一話を読み終わるや、そんな第一印象は見事にたたき壊されていた。な、な、な、なんという展開!この作品の意図する所とは?これはもしかして、あの残酷無惨時代劇漫画「シグルイ」の西洋版か?いずれにしても、とてつもない作品に巡り会ってしまった! 

 物語はオーストリア公国ハプスブルク家の圧政に対するアルプス地方の抵抗運動を下敷きに描かれる。タイトルにもある「狼の口」とは、アルプス地方からイタリアへと通じる関所の事で、物語はこの難攻不落の関所を突破しようと試みる反ハプスブルク勢力のドラマとなっている。
 しかし、狼の口に自ら飛び込む獲物の運命は決まっている。狼の口は一切の例外を認めず下される無慈悲な死の運命の象徴であり、かの関所をあずかる一見柔和な優男の代官ヴォルフォラム(一応主人公か?)は、冷徹非情な死神そのものとして異様な存在感を放っている。
「笑いは本来攻撃的なもの」とかのシグルイにはあったが、このヴォルフォラムが”獲物”を前にして口元をニヤリと歪ませる際の不穏さは筆舌に屈しがたい。物語全体の通奏底音として、終始こんな異様な迫力が作品を支えている。

 では残酷で重苦しくて読みにくいかと言われれば、必ずしもそうではない。キャラデザインなんかはかなり今風で女性キャラも美しいし、過剰にスプラッタ趣味の残虐表現は抑えられているので内蔵とか目鼻とかが飛び散るような表現が苦手な人も読めるだろう。一方で絵柄はかなり特徴的で個性がある。黒と白のコントラストが鮮やかで輪郭は力強く、中世の木版画を思わせる絵柄であり、作品の雰囲気にもよく合っている。
  表現に関してもう一つ注目したいのは「血」や「涙」といった感情表現と結びつく体液が、非情に”重み”を持って描かれている点だろう。これはこの作品のテーマにも結びつくものが感じられる。中世人にとって血と涙は、我々現代人が考える以上に重要な意味を持つイコンであった。

 上の方で自分はこの漫画を「西洋版シグルイ」と言った。確かに一話を読み終えた時はそう感じたが、第一巻を読み終えた頃にはそんな第一印象は次第に変化しつつある。 「残酷な死の宿命にはかなく翻弄される人々」というモチーフは共通しているが、シグルイが空しさや諦観を感じさせるのに対してこちらの狼の口は、たとえ幾重の屍を積み重ねようともどれだけ血や涙を流そうとも、それでもなおあがき続ける強烈な前進への意志が感じられる。シグルイが様々な登場人物やプロットを用いつつも最終的には一対の剣士達の宿命・因果に収斂していくのに対し、本作の物語はいずれ大きな歴史的なうねりにまで拡大していく事が予感される。
 第一巻収録の最終話である第三話では、狼の口の象徴する死の運命に、ほんのわずかだが綻びが穿たれた。いずれこの綻びは次第に大きなものとなり、物語を前へ前へと押し進めていく事となるだろう。そこに神の意志のようなものまで表現させる事ができたなら、本作は真の傑作となる、かも知れない。

 前門の虎後門の狼、今後が楽しみな残酷無惨活劇である。

ナイスレビュー: 1

[投稿:2010-02-22 00:17:05] [修正:2010-02-22 23:12:40] [このレビューのURL]

ゲームの世界には、人気のある漫画やアニメのキャラを使った「キャラゲー」という分野がある。このジャンルは往々にして「出来は二の次、とりあえず人気のキャラを出せば原作ファンは買うだろう」という志の低い作品が多いが、中にはキャラの魅力を生かしきると同時にゲームとしても優れた骨格を有する良作も存在する。しかしいずれにせよそれらを楽しむには、原作となった作品への愛着や造詣が深ければ深いほどいい事に変わりはない。

本作「「坊っちゃん」の時代」を無理矢理乱暴にキャラゲー的に例えてみると、「スーパー歴史人物大戦M(meiji)」である。明治時代を舞台として夏目漱石ら文学者を筆頭に思想家、財界人、果ては博徒にテロリストまで様々な有名無名の歴史人物の往来を虚実ないまぜのエピソードを交えて描く本作は、当然楽しむ為にはそれなりの前提知識を要求される。
そういう意味で決して無条件に万人にお勧めできる作品ではないし、こんな事を書いてる評者自身不勉強ゆえに本作を味わい尽くしたとは言いがたく、読んでてよく分からなかった部分もあった。

が、それでも本作を推したいのは本作が単なる歴史漫画や教養を売りにした漫画を超えた普遍的な物語性を強く有しているからである。「青春の光と影」という普遍的なテーマを。
明治時代は偉大さと愚かさの同居したまさしく日本の青春時代であった。そんな世の中とオーバーラップするように、個人主義や自由恋愛などの新しい価値観を持て余しながら時に痛ましく、時に滑稽に描かれる本作の登場人物達の姿は紛れもない明治人の栄光と暗黒の両面であり、同時に100年経っても変わらない青春物語の原風景でもある。特に生粋のダメ人間である石川啄木を主人公にした第3部など、むしろ現代だからこそ受け入れられやすいだろう。(個人的な話だが学生時代と社会に出た後でこれほど読後感が変わったエピソードはそうは無い。)

「よしよしお前の言いたい事はよく分かった。でも、何でわざわざそれを漫画で発表する必要があったの?別に小説とか評論でいいじゃん、ブンガクが元ネタなんだし。」
こういう意見もあるだろうが、本作の完成度を1段も2段も底上げしたのは、関川夏央の原作は勿論、結果的には作画を担った谷口ジローの筆力によるところが大きい。
近年「孤独のグルメ」などで注目の高まった谷口ジローだが、本作でもその高い画力を遺憾なく発揮、個人の肖像から時代の遠景まで縦横無尽のカメラワークを駆使して明治を描ききっている。群衆の暴動や博徒同士の決闘などの動きのある画もいいが、人物の微妙な表情や心象風景を表現した一枚絵もクオリティが極めて高い。(第3部に登場する斜めにそびえる浅草十二階など白眉である。)
死の淵をさまよう夏目漱石のめくるめく脳内妄想を描いた第5部に至っては、もう作画への信頼無しには成立し得なかっただろう。
漫画には不向きと思われる題材を臆することなく描きいったことで、結果的には「漫画」というジャンルの表現力の可能性を示せただけでも、本作の意義は大きいのだ。

先ほども言ったように無条件に万人受けする漫画ではないけれど、しかしゲームの「スーパーロボット大戦」シリーズが純粋にゲームとしてもよく出来ているのと同じように本作も優れた漫画作品であるから、興味を持たれた方は是非一度読んでみて欲しい。


ナイスレビュー: 0

[投稿:2010-01-02 17:53:38] [修正:2010-01-03 21:46:32] [このレビューのURL]

かつて週刊少年マガジンの創刊号の表紙を飾ったのが名横綱の大鵬であったように、力士は強さの象徴、男の子のあこがれだった時代が確かにあった。しかし、少年マンガの世界においては相撲をテーマにした漫画の成功例は少ない気がする。これは決して相撲人気そのものの低迷だけが原因ではないだろう。

まず第一に大相撲の世界はスポーツ・格闘技であると同時に神事でもあるので、そのあたりの伝統や習慣も描かなければならないところが面倒である。第二に世俗を超越した厳しい世界なので、その辺をリアルに描こうとするとどうしても陰惨になってしまうせいもあるだろう。(傑作「うっちゃれ五所瓦」は高校相撲を舞台にすることでその辺の問題を解決していた。)
なにより、ビジュアルの問題がある。いかに美化しようとも、ちょんまげ結ってふんどし締めたデブ同士が熱い抱擁を交わすという画の暑苦しさはいかんともしがたい。華麗な打撃技や蹴り技の応酬もないし「気」とかの使用などもってのほかである。

このように正攻法で描くことが非常に難しい題材のため、近年の少年向け相撲漫画というと、たとえば主人公の見た目をおもいっきりコミカルにしたりホモっ気のある変態にしたり、現役大関と弱小高校生の心と体が入れ替わっちゃったり等等、どちらかとうと正攻法とは違う絡め手なアプローチから相撲を描く作品が多かった印象がある。

ところが今年になってチャンピオンで始まった本作「バチバチ」は、「こざいくむよう タフすぎてそんはない」といわんばかりのど直球ストレートな相撲漫画である。そしてそれがかえって新鮮にすら感じた。

この漫画、本当に新奇なことはなにもしていない。物語はかつて不遇の死を遂げた大関を父に持つ息子が因縁渦巻く大相撲の世界へ殴り込みをかけるという王道なもので、相撲部屋での厳しい体育会系的シゴキもむろん手心加えず描かれる。登場する力士の多くはまだ幕下ということもあって細身のアスリート体型が多いが、じきに見た目暑苦しい巨漢がおおくうごめく世界となるだろう。主人公の性格もよく言えば愚直な不器用で、コミカルさなどみじんもない。

だが、ここが重要なのだが、それほどオースドックスな作りに関わらず、作者の力量によるものだろうがとにかく手に汗を握るほどに面白い。大ゴマの使い方も良い意味で堂に入っており、登場人物の表情の描き分けも実にうまい。テレビでは一瞬に見える相撲の取り組みの一挙一投足も豪快かつ緻密に描かれており、見ていて格好いいのだ。決して勢いに任せて描かれただけの作品ではないのである。「死んで生きれるか!」に象徴される不器用だがアツい台詞の数々もいい。

このように連載開始早々から非常に勢いのよい作品だが、それゆえに不安もある。まだ物語は始まったばかりで主人公はまげすら結っていない状態なので、そんな序盤からこんなにテンションMAXで先がもつのかというやや贅沢な不安を拭いきれないが、今後も安定した取り組みを続けていってくれることを願ってやまない。

それと、数は少ないが女の子キャラがとてもカワイイのも忘れてはいけないポイントである。

ナイスレビュー: 1

[投稿:2009-11-10 23:07:45] [修正:2009-11-10 23:27:37] [このレビューのURL]

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