「景清」さんのページ

総レビュー数: 62レビュー(全て表示) 最終投稿: 2005年10月17日

※2009/12/27 得点修正(6→7) 加筆有り

この漫画、作品単体で見た場合はそこまでムチャクチャ面白いというわけではない。本作もあずまんが以降の流れを引き継いだほのぼの系萌えショートギャグであり、まぁ似たような作品は大小さまざまに存在するはずだ。
ストーリーも極めて単純なもので、海を汚す人類にイカって地上を征服すべく上陸してきた海の使者「イカ娘」(イカの擬人化とアイデアはなかなか斬新だった)が、逆に浜茶屋一家にとっつかまってコキ使われるというもので、地上の常識に疎いイカ娘の見せる天然ボケっぷりを愛でて萌えて楽しむ内容である。ギャグの基本が非常識から来る天然ボケである以上あまり腹を抱えて大笑いするような性質のものでもないし、そう過剰なお色気サービスシーンなんかも無い。近頃話題になったので興味本位で買ってみたところ、「そこまで面白くなかったな」という感想をもった人も少なくなかったかもしれない。

しかし、このような事を書いておいてアレだが、筆者のように本作が連載されている週刊少年チャンピオンを毎週購入している人間からすると、本作は大変に愛着の湧く貴重な存在なのだ。週刊少年チャンピオンはジャンプなどの主要少年向け4誌の中では最も異端じみた”濃さ”を誇る雑誌である。掲載作品を見てもメインが「バキ」に「浦安鉄筋家族」、最近人気の「ギャンブルフィッシュ」、変態的萌え漫画の「みつどもえ」、そのほかヤンキー漫画に変態漫画…と、息つく暇も無い特濃っぷり。そんなギラギラまぶしい真夏の浜辺のようなチャンピオン誌上においては、本作のようなほのぼのとした笑いとそこはかとない萌えを供してくれる作品の存在は、ひと時の涼味を供する浜茶屋のような安心感と得がたさがあるのだ。もともとは短期連載の予定で始まった本作もそういう地味な人気と読者の潜在的欲求に応える形で気がつけば一年を越える人気作品となったのもうなづける話だ。

また、イカ娘の非常識っぷりは純粋な子供の知的好奇心・直観力に通じる所があり、時々ギャグに天然ボケを超えた意外な味わいがでている所も無視できない。例えば夏祭りの金魚すくいを見て
「つまりいたいけな小魚の命をもてあそんで楽しむわけでゲソね」
なんて痛いところを突いてきたり、自身のあんまりな扱いに抗議して浜茶屋言一家に
「私に人権は無いのでゲソか!」
と怒ったりするのも良かった。あるわけないだろ。だってイカだし…。
一番傑作だったのが「学校」という場所に興味を持ったイカ娘が浜茶屋の次女の通う高校に侵入した時の話で、その設備の巨大さ、収容人数の大きさに驚愕したイカ娘が、学校を何らかの軍事施設と誤解し、理科室を人体実験室、コンピューター室をハッキングルーム、大講堂を作戦指令所なんかに勘違いしていくものだった。これ、作者が意識してかせずしてかは知らないけど、近代社会における「学校制度」と「国民皆兵制度」の成り立ちについて考えるとイカ娘のボケっぷりも当たらずとも遠からずな感じがしてくるのである。
そして、イカ娘のメンタリティが天然ボケでドジだが意地っ張りで寂しがりやな子供的なものに設定されている為、物語の経過を通じて多くの人々にかわいがられたり弄ばれたりこき使われたりして成長していく姿も活写されており、その辺のドラマは今後も発展の余地があるだろう。

作者は以前チャンピオンを支えるベテランの米原秀行から投稿作品を酷評されたりもしたらしいが、安定感のある作画と合わせてドラマ面の描写力も相応の成長を遂げつつあり、これからもチャンピオンを下支えしてくれる存在として今後に期待しようじゃなイカ。

※イカ加筆

作者は見事に期待に応えてくれた。キャラの増加、イカ娘の行動半径の拡大、これら全てが作品のおもしろさを底上げする方向に作用しており、もはやチャンピオン誌上における箸休め以上の存在価値を獲得しつつある。
今後にますます期待をしようじゃなイカ。

ナイスレビュー: 6

[投稿:2008-08-14 17:23:43] [修正:2009-12-27 16:44:53] [このレビューのURL]

10点 シグルイ

「残酷無惨時代劇」と自ら称するだけあり、比類のない残虐描写で魅せる時代劇漫画である。まるで豆腐や野菜でも切るかのように目が、鼻が、耳が、四肢がちぎれ飛び、血しぶきは言うに及ばず腸管や汚物までもがぶちまけられるその画の迫力は読者を選ぶ。

しかし、この漫画が真に”残酷”である理由は、何も上述のような分かりやすい残酷描写の為だけではない。登場人物達がみな哀切なる情念に突き動かされるように封建制度下の武家社会という無明の長夜をさまよい、しかし等しく思い遂げられる事なく「死」という運命に狂気に身をやつしながらなだれ込んでいく様が、何よりも残酷なのだ。

この漫画の主なキャラクター達はみなどこか常軌を逸した狂気を抱えているが、彼ら彼女らの抱く思いそのものは比較的現代人にも理解しやすいものばかりである。立身出世をしたい。愛する人と沿い遂げたい。主に忠義を尽くしたい。自分の後継者を育てたい。侍として、強くなりたい…。この異様な物語は、そんな普遍的な思いによって紡がれているのだ。
しかし、彼らがそんな願いを叶えるために、情念に身をやつし、自らを鍛え上げれば上げるほど、人間として大切な何かを欠損していく。岩本虎眼を筆頭に、本作で活躍する剣士の多くはみな心か体かのどちらか(もしくは両方)を欠損して人ではない何かに成り果てる。そうまでして得た強さでさえも、一太刀のもとに斬り伏せられれば後には醜い肉塊が残るのみ。思いは遂げられず、死に行くのみ。

これを残酷と言わずして何を残酷と言おう。この漫画が恐ろしい激情をはらみつつも、全体的に洗練されて静謐な印象すら受けるのは、どんな剣豪も死ねばただの肉塊という冷徹な事実を提示し、仏教的な無常感に貫かれているからでもあろう。まるで西洋の解剖図譜のような写実的な残虐描写、過激な作画と相反するような淡々と冷徹なナレーションの挿入も、そんな無常感の醸成を助けている。作画と言葉がタッグを組んで、物語のテーマを見事に浮かび上がらせているのだ。本作がただの残虐描写のみを売りとした怪作に陥ることなく奥行きのある作品となっているのはそのためである。
また、その極端で過激な描写(主に顔)から、本作は一種のギャグ漫画としても楽しめるのも懐が広くてよい。まさに笑いと狂気は紙一重の好例である。

武士という階級が社会から消滅した後も、我々日本人は時代に応じて様々な形で武士道を解釈し続けてきた。ある時は時代錯誤で野蛮な因習として、またある時は世界に誇るべき美しい伝統として。
だが、本作に接し、そこで描かれる苛烈で異形で、しかしどこか美しい武士道の世界に触れたとき、そんな後世の解釈はどれも現代人の価値観に基づく都合の良い解釈に過ぎないのではという気すらしてきた。「シグルイ」の侍達は、みな我々とは近いようでどこか違う無明の世界に生きている。だが、それは確かに我々のご先祖が歩んできた世界でもあったのだ。
そう思わせてくれただけでも、この作品は俄然10点である。ぬふぅ。

ナイスレビュー: 3

[投稿:2009-12-16 00:28:30] [修正:2009-12-16 01:47:31] [このレビューのURL]