「景清」さんのページ

総レビュー数: 62レビュー(全て表示) 最終投稿: 2005年10月17日

8点 聲の形

[ネタバレあり]

友情、愛情、信頼、敬意。“絆”という言葉にはこれらの美しいイメージが付与されている。人と人のつながりこそが世の中を動かす以上、それらの絆が美しければそれに越したことはないし、実際にあの震災において未曾有の大災害を前に被災者の方々が見せた絆のあり方は、恐るべき悲劇の中においても確かな希望を感じさせるものがあった。以来メディアなどでを通して絆という言葉は盛んに耳にするようになった。
だが、人と人の関係の有り様は複雑なものであり、絆もまた決して美しいだけのものではない。憎悪、不信、蔑視。そんな醜い感情に基づくいじめや差別…。それらもまた絆というものの一つの形には違いない。

身体障害者やいじめなどのデリケートな話題を扱い、その描写の生々しさで読み切り掲載時から話題になった本作『聲の形』は、そんな絆というもののあり方について考えさせてくれる作品である。
退屈な日常を持て余していた悪ガキ石田将也のもとに、ある日とびっきりの非日常がやってきた。転校生の西宮硝子、見た目はごく普通の可愛らしい女の子だが、先天性の聴覚障害により耳が殆ど聞こえず言葉の発音もままならないため、もっぱら筆談と手話で周囲との意思疎通をはかろうとする少女。
「変な奴!!」
最初こそ障害者差別は良くないとか手話をみんなで覚えようとか言っていた周囲も、意思疎通の煩わしさから次第に彼女を内心疎ましくおぼえ始め、そして遂に将也がリーダーとなって硝子へのいじめが始まった。次第にエスカレートするいじめ、先生は見て見ぬふり、同調するクラスメイト達。しかし将也の度が過ぎた行動が原因でいじめの事実が外部に露見し問題化しそうになった途端、今度は先生も含めた周囲が示し合わせたように将也一人に責任を押し付け、因果応報とは言え更に過酷ないじめの標的となってしまった将也。かつての友人たちが掌を返す中、硝子は……?

読切版では短いページ数にこれら生々しく濃厚なドラマが盛り込まれ、終盤では小学生時代の凄絶な痛みを経て高校生となった将也と硝子が再会し、かつてひどく傷つけ合った二人がそれでも和解の端緒を探るように向き合う所で物語は閉幕、これはこれで未来へのほのかな希望を予感させる美しい幕引きだった。

そして大いに話題となった読切版の反響を受けて始まった連載版では、上述の読切版のプロットは単行本1巻でほぼ終了し、2巻の冒頭では再会した将也と硝子は手話を通じて和解する。胸糞悪いいじめ描写が延々続くのを見せられるのも嫌だったが、それにしても展開が早くないかと自分は当初思っていた。
少年時代のいじめをめぐるトラウマがきっかけでひどい人間不信に陥り自殺まで考えていた将也が、硝子と和解することで人間不信からも次第に脱却、周囲との関係性も取り戻し、硝子との絆も深めるリア充ライフを今後延々見せられる……、それはそれで悪い気はしないが、しかし、なんか違わないか?そう思っていたのである。えぇ、まぁ確かに3巻終盤の強烈なニヤニヤ展開とかを見せつけられるとすごく幸せな気分になったりはしたのだけれど。
したのだけれど、やはりそう甘くは無かった。基本静かな雰囲気の中においてもジェットコースターのように物語が上げて落としてまた上げ更に落とし…と展開の起伏の激しい本作は、和解後も決して読者を飽きさせない(≒安心させない)つくりになっていたのだ。
確かに将也と硝子は友人となり、両家の家族間のわだかまりもそれなりに解消され始めた。しかし、かつてのいじめは将也と硝子だけでなく周囲のクラスメイトも巻き込んだ広範なものだった。いくら将也と硝子が二人だけでわかりあおうと、いじめという周囲の共犯の記憶が解消された事にはならない。
過去は二人を拘束しつづける。かつてのクラスメイト達との再会という目に見える形で過去の痛みが将也とそして硝子を襲う。いじめという共通体験を通じて紡がれた絆、容易にはほどけない、かくも胃が痛くなるほどに煩わしい絆。

本作が出色なのは、そんな人間関係の美しさや煩わしさを、漫画というメディアの力を大いに活かすよう執拗なまでに視覚的に訴える形で表現している点である。だからこそ読者の多くは感情を大いに揺さぶられ、将也と一緒に胃が痛くなりもするのだ。
たとえば将也が人間不信に陥った事を表現するために将也の視界に入る人間の多くは顔に大きくバツ印が付けられる。いかにも記号的な漫画表現だが、将也と友人になったクラスメイトからバツが消えたり、バツ印の間から表情を覗かせるかつてのいじめ仲間とか、単なる記号表現を超えた面白い演出の妙にもなっている。
他の漫画と比べても人物の表情描写にねっとりとした生々しさがあり、上述のバツ印演出も相まって非常に“目の離せない”作品に仕上がっているのだ。
ヒロイン西宮硝子はそんな本作の魅力をまさしく体現している。聴覚障害持ちのため、感情表現にせよ意思疎通にせよセリフにはほとんど頼れない彼女の示す様々な表情、所作、視線、そして手話。(障害者設定を安易に記号表現的に使用して良いのかという是非論はあるにせよ)硝子の存在がこの作品を視覚メディアたる漫画としての魅力に大いに貢献していることは疑いない。
タイトルが「こえのかたち」であり、「こえ」という言葉に、声ではなくわざわざ旧字体の聲を使用しているのも、視覚に訴える効果を狙ってのことだろう。(“聲”という字には“耳”と“手”の意が含まれている。)

硝子と和解するも紆余曲折を経て再び硝子以外との周囲の絆を自ら閉ざそうとする将也。夏の日、そんな辛い現実から逃れるように共に二人は夜空に上がった打ち上げ花火に見入る。一方その頃、絶交した友人達や、かつてのいじめの共犯者たちもまた同じ夜空の下、同じ花火を見ていた…。

時に騙し合い時に傷つけ合い、絆とはかくも煩わしい有り様を見せる。それでも、共に生きていかざるを得ぬ以上、いつまでも見ぬふりをして済ませることはできない周囲との関係。果たして彼らの想いの聲は、今後どのような形を結ぶことになるか。今非常に先が気になる作品だ。

ナイスレビュー: 2

[投稿:2014-07-06 03:05:06] [修正:2014-07-13 00:10:35] [このレビューのURL]