「boo」さんのページ

これは半端ない。
漫画に関しては日本が1番だと思っているけどこういうのをみるとアメリカの懐の深さを感じざるをえないし、認めざるをえない。
この手のサスペンスでは羊達の沈黙を読んだ時以来の鮮烈な読書体験。

読書体験と言ったのは比喩ではない。このフロム・ヘルは漫画ではなく「グラフィック・ノベル」だ。あくまでノベル。
初めて読んだ時あまりの読みにくさに驚いた。ページもコマ割りも左から右に読んでいかなければならないし、日本と見せ方が違いすぎる。
日本はやはり手塚治虫から抜け出せてないのかとかそういうことも思ったのだけど、本質はそこではなくてやはりこれはノベルなんだなということ。
日本のように絵で魅せることはほとんどなくて、あくまで物語を補完することが目的。映画的、もしくは台詞以外の小説の文を絵が担っていると言っても良いだろう。

フロム・ヘルで描かれているのは19世紀末のロンドンとそこに生きた人々だ。
そこに暗躍した”切り裂きジャック”の狂気と幻想だ。

アラン・ムーアは切り裂きジャックの資料と当時のイギリスの風俗を綿密に調べ上げた。だからこそロンドンとその住人は間違いなく生きている。だからこそ事実と創作した部分は矛盾しない。
アラン・ムーアは実際に19世紀末のロンドンに行ったことなどもちろんなく、この切り裂きジャックは彼の創作だ。しかしこれは限りなく本物に近い域にまで昇華されている。

読者は切り裂きジャックの「解体」を追体験することになる。肉を切り、手に血が滴るのを感じる。その匂いまでも。
ここでもアラン・ムーアは猟奇殺人の資料をあさったそうだ。誇張ではなく、本気で吐きそうになるのを我慢した。徹底した調査による想像は比類なきリアリティをもたらす。

天才が全力を尽くせば、これだけの仕事が出来るのだ。
彼は切り裂きジャックの謎を解くことで19世紀末のイギリス、ひいては世界を描こうとした。そのとんでもない試みがほとんど成功しているあたりが彼のこの作品に対する自信の表れなんだろう。

後に残るものなんて何もない。すごいものを見たい人、頭をぶん殴られるような衝撃を感じたい人にだけおすすめしたい。ただし覚悟はすること。
値段が張るので購入を迷う人もいるだろう。それなりの大きさの図書館ならあると思うので探してみるといいかもしれない。
4章までは非常に読みにくいので我慢。後はジェットコースター式に話は進む。けっこうな長さだが止まらない。読み終えたら後ろの作者による補講(これめちゃくちゃ詳しくて長い)と併せてもう一度読むと分からなかった所の理解もある程度進むと思うのでおすすめ。

地獄はあまりに深く、暗い。

ナイスレビュー: 2

[投稿:2011-08-25 15:12:33] [修正:2011-08-28 04:09:23]