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 現在の大人でも楽しめる“シリアス”なアメリカン・コミックの流れを作ったのはDKRやウォッチメンとはもはや常套句と化したくらいよく言われることで。
 でもそれらは突然変異的に現れたわけじゃあない。ジャック・カービーとスタン・リーのX-MEN、そしてこのニール・アダムスとデニス・オニールのGL/GAなどの先駆けがあった。
 
「怪物やマッド・サイエンティストばかりが悪ではない…やっと気付いた」
 
 X-MENのさりげなさとは違って、特にこのGL/GAはヒーローを正面切って社会問題に向かわせたという意味で、より後の作品に与えた影響は強かったかもしれない。上の台詞が示すように、何せこの作品でグリーンランタンとグリーンアローが立ち向かうのはただの“悪者”ではない。薬物問題、人種差別、環境問題、エコテロリスト、ネイティブアメリカン問題、など“敵”が明確には見えないものばかりだ。

「もはや世界を白と黒に分けることはできない。…中略…グリーンアローの言うとおり、もはや権力が正しいとは言えない世の中だ。ならば何が正しいんだ。」

 GL/GAが生まれた1970年代というのは様々なことで世界が揺れた時代だった。もはやかつてヒーロー達が第二次世界大戦で活躍を見せていた時代のような一方的な正義と悪では、大人の読者は納得しきれなくなっていたのだろうか。そう、もはや権力が正しいとは限らなかった。
 そんな激動の社会の中に、優等生で生真面目なグリーンランタン(ハル・ジョーダン)とシニカルな自由主義者であるグリーンアロー(オリバー・クイーン)という、正反対のコンビが放り込まれる。

 彼らは悩み、そして力では本質的な社会問題の解決など出来ないことを思い知らされる。それでも、どんなに辛くても二人が目をそらすことはない。だからこそ彼らはヒーローであり、目をそらさないことの大事さを教えてくれる。目をつぶってしまっては何も見えないし、先には進めないのだから。そんな葛藤を受けての回答が本作でも随一の傑作である「たった一人でなにができる?」でありウォッチメンの結末でもある。
 同時に連載ものの限界も所々見せてしまってもいる。彼らはヒーローをやめるわけにはいかないし、どこかで話に救いをもたせないといけないわけで。でもそもそも子供向けとされていた作品ということを考えれば仕方がないし、だからこそ読みやすいし重くなりすぎないのだ。

 それぞれの短編で異なったテーマが鋭く掘り下げられている一方で、シリーズを通して進んでいくサイドストーリーもある。例えばハルとキャロル、またはオリーとブラックキャナリーの関係性は少しずつ変化していくし、オリーの怪我は後の短編に影響を与えていく。
 そのようなサイドストーリーと何よりハルとオリーという正反対の、正反対ゆえの魅力的なコンビがこのシリアスな話の内容を明るく彩る。二人の珍道中という面でもすごく楽しいし、何といってもオリーがかっけぇ!本当にいいキャラクターしてるよなぁ。大好きになっただけに、今度のリランチで若々しくなったのはちょっと残念だった。髭もないし…。

 GL/GAはアメコミの記念碑的な意味でも、また現在の視点で見た単体の内容をとっても間違いなく傑作といえる作品。二人が立ち向かった問題は今でもなくなったわけではないのだから。薬物問題なんかは言うに及ばず、エコテロリストの話で、どっかの某対捕鯨テロリストの姿が浮かんできたのは私だけではないと思う。
 出来ることなら中学生くらいの子どもにも読ませたい作品なんだけどなぁ、今のアメコミ事情を考えると現実的ではないのが残念な所。学校の図書館に一冊くらい置いておいてもいいんじゃない、なんて思うのだけど、どうだろう?

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[投稿:2011-09-20 12:47:15] [修正:2012-01-22 22:10:33]