「オカシュー」さんのページ

総レビュー数: 252レビュー(全て表示) 最終投稿: 2009年07月18日

漫画をレビューするときに全く別の媒体を例えに使う事がままある。しかしこの漫画レビューサイト自体をたとえて表現するのは珍しいのでチャレンジしてみる事にする。
家庭用ゲーム機なんてどうだろう。

それならプレイステーション3ではあるまいか。
すばらしいグラフィックと奥深いゲーム性、ストーリー性を兼ね備えているソフト(マンガ作品)を提供してくれるレベルの高いハードである。(うんうん)
もちろんまだ成長過程のハードでもあろう。例えばプレステ3はゲーム初心者には少し敷居の高い部分もある。

NEWマリオWiiを楽しんでいる私であるがコアプレステ3ユーザーの知人に言わせると「まだ2Dですか。オカシューさんライトユーザーっすね。」となる。
妻が密かにやりこんでいるWiiFitなど「あれはダイエット健康器具でしょ。ゲームじゃないっすよ。」と言われる始末。
WiiFit凄く売れているのだけれど・・・

そして「テニスの王子様」こそ「WiiFit」的作品なのかなぁ、と考える次第なのである。

「テニスの王子様」通称「テニプリ」。テニスで凄い事をするマンガだ。
しかしよくもまぁ、ここまで叩かれるものだ。まぁ本当に。本当に。

テニプリを夢中で読んでいる息子に意地悪く質問してみた。
「あんな必殺技やこんな必殺技、実際出来る訳ないよなぁ?」
それに対し子供はしれっと
「当たり前じゃん、そんな事。」と言ってのけた。

私の子供の時と同じである。そうなのだ。現実にはあり得ないのを分かった上で楽しんでいる。そう楽しめる。
人面列車トーマスも菓子パン頭ヒーローも楽しめるのが子供の許容量。

そこで輝きを放つのが超人系スポーツ漫画というジャンルなのである。

息子達の間では「イナズマイレブン」というアニメーションが現在流行っている。キャプテン翼をさらにエスカレートさせたような内容の作品だ。
フィールドにペンギンは走り回るしキーパーの手は巨大化する。超人系スポーツは昭和の遺物でなく子供たちの間では今も現役なのである。

ちなみに私もテニプリを充分楽しめた。車田作品を愛でてきた私にとってはテニプリのどこがムチャなのか教えて欲しいくらいなのである。

それで現在の凄まじいテニプリへの逆風は何故なのかを色々考えてみた。

テニプリの逆風その1、読者層とリアリティ

今の漫画はリアリティがもの凄く大切らしい。しかしながら非リアリティを楽しむのが超人系なのだが。
超人系スポーツ漫画の歴史は古く長い。王道といってもいいくらいだったろう。
私の知る範疇でも物心ついた時には巨人の星があった。侍ジャイアンツがあった。アストロ球団があった。ジャンプ80年代ならばリングにかけろやキャプテン翼であった。
そこでバッシング的なモノをあまり感じなかったのは漫画読者は卒業するものであったからではなかろうか。

野球漫画で例えると巨人の星に憧れて大リーグボールをまねして野球ごっこする少年時代。しかし成長すればビールひっかけながらナイターを観るようになる。
マンガは卒業している。自然に。それが遠い昔は普通であった。
しかし今は少年漫画読者の高齢化が。私のようなおじさんもジャンプ読むくらいなので、いわんや20から30代は当たり前に読む。

リアリティを本当に求めるのならプロの試合を観戦するべきで少年マンガに求めるべきではない気がする。
しかし年齢層の高い少年と言えない読者層は非リアリティの少年マンガにもリアリティを求め続けるのだ。

それ故充分楽しんでいる少年少女と楽しめない青年以上という構図が鮮明に浮かび上がっているのがテニプリではなかろうか。
(もちろん納得して楽しんでいる私のような大人もいるけれど)

テニプリの逆風その2、ネットジェネレーション

急速に膨れ上がったインターネット民。ネットは誰でも書き込める。2ちゃんねるの猛威。
そこには人間の健全な社会生活では発せられない闇の部分が激しく照らし出される。

テニプリは最適の題材だったろうか。過去のものではなく現在進行形の連載中だったのも適したか。さらに人気誌ジャンプ。
これ程いじりがいのあるものもなかったろう。少年マンガなぞ突っ込もうと思えばいくらでも突っ込める。その中でも超人系は突っ込みの宝庫。

その知名度にあやかりヒット数を上げようとする輩や、あざけりおとしめる事で日頃のストレスの「ガス抜き」として活用されていった。

もしリングにかけろやキャプテン翼の連載がもう少し遅ければ同じ憂き目にあっていたかもしれない。
この時代に生まれたテニプリはやはり不幸であったのか。

テニプリの逆風その3、漫画雑誌連載という形態

普通に考えると嫌なら読むな、である。しかし漫画雑誌の連載という形態が「ついで読み」する作品を生みだした。
自分のお気に入り漫画を読むついでに読者は他の漫画も読むのだ。そう好きでもない作品までも。これは新しい漫画をヒットさせるチャンスをつくるのに有効な形なのだが一方で惰性で読む漫画をも作り上げた。

漫画は読むのに時間もそれ程かからないのでついには馬鹿にするため、ネットでネタにする為にだけ読む読者を誕生させた。

そんな状況をテニプリは背負ってきているのではないか。

まぁそんな訳でここまで読んだ方にはテニプリはとてもかわいそうな作品に思えてきたかもしれない。
しかしこれだけ書いておきながらそれは全く違うと言いたい。(はえっ!?)
作者は天然だなどという意見も違うと言いたい。私は氏を稀代の戦略家だと思っている。

ここからがテニプリの本当に凄い所であり真実だ。

テニプリの真実1

1990年代ジャンプ本誌の売り上げが激減した事があった。大きな要因の1つがドラゴンボールの終了であった。
そしてその後大人を意識した作品が多く登場。この方向性もダメ押しの一因となったようだ。読者予備軍と言われる小学校低学年への魅力を失う事となったからだ。

大人が自分目線で少年漫画を観て酷評した、いわゆるとんでも作品と称されるものはこの小さき読者達をターゲットに描かれている。
その需要は決して軽んじるものではないのだがマンガは嗜好品、大人とて自分の立ち位置で好き嫌いのみで評価し裁いていく。
テニスの王子様はその部分のカテゴリーをカバーしていたなかなかの実力者であると私は思っているのだが。

少年マンガが大人を楽しませる事はかならずしも正義ではないのではないか。
「少年」の「マンガ」がいびつに歪んできてはないだろうか。

テニプリの真実その2

マンガとは人気商売である。それで生活している漫画家は人気如何で金持ちにもフリーターにもなりうる。
そんな人気商売に不可欠なのはプロモーションである。作者許斐先生はそれが実に上手いし熱心だ。

他の漫画家もおこなっているキャラ人気投票や読者イラストコーナー質問コーナーなど言うに及ばずキャラのクラスメート募集などという一歩踏み込んだものまで行っている。
メディアミックスもアニメ、ゲーム、トレーディングカード、実写版、ミュージカルとなんでもありトリビュートマンガまである。
自分のイケメンも活かしてイベント出演やインタビューも数多くこなしている。

スピルバーグは名監督であるが同時に名プロデューサーでもあった。エンタメの世界において作品をどれだけ効果的に宣伝できるのかという事はとても重要なのだ。
作者は策士と言わざるを得ない。

テニプリの真実その3

これだけ否定的意見がネットで流されれば流石に作者の耳にも多少なりとも入っている事だろう。
モチベーション保つのは大変だろうと思っていたけれどどうもその考えは間違っていたようだ。

しつこく言って申し訳ないがマンガは人気商売である。でこのテニプリは一部の人達にかなり嫌われている。
しかし本当に嫌いな作品を葬り去りたければガン無視すれば良いのだ。
話題になればなるほどその作品は色褪せないし生きながらえる。

現在続編も連載しているのだが、アンチファンやパロディ等悪意も含まれているようなテニプリいじりがこの好調連載を後押ししている部分があるのではではないか。皮肉にも。いやこれも作者の想定の範囲内か。

それはテニプリマジック。

好きなファンだけでなく嫌いな人の関心まで集めてしまう作品。
「手塚ゾーンなんてありえない」と言いつつ読者はテニプリゾーンにハマってしまっているのではないのか?

「菊丸が二人いる!?」ではなく「テニプリは読者が二タイプいる!?」なのである。
好きで読む人とそうでないのに読む人と。

テニプリは「嫌いな漫画」というジャンルでの人気作品ともなっているという実に不思議な漫画なのである。

テニプリの真実 総まとめ

「テニスの王子様」それは多くの少年少女を楽しませたとても評価できる漫画であり、同時に一部の人達から汚物のごとく嫌われている漫画でもある。
とにかく現在少年マンガ読者は年齢、性別等昔に比べ大きく広がっている。小学生が「ゴルゴ13ってなんかキモイ0点」というような対象読者でない正しいといえない方向性の評価がテニプリにも存在するのではないのだろうか。

それと嫌いになるのは自由なのだが腹を立てるようなことはないようにお願いしたい。無理やり読まされた訳ではない。自分で開いた漫画なのだ。
もし腹を立てている人がいたならばそれは怒りではなく嫉妬ではなかろうか。

ある漫画のセリフにある。
多くの罵声の中、不幸や逆境に押しつぶされるものもいれば逆に不幸の中でこそ妖しく輝くものもいる・・・この漫画、非常に罪作りな傑作と言えるのではないか。

越前リョーマは今も我々の度量を試し続けている。

「まだまだだね。」












ナイスレビュー: 7

[投稿:2010-01-31 13:17:54] [修正:2010-05-29 21:55:19] [このレビューのURL]

う〜ん、長くなりそうです。でも始めます。

このタイプの漫画は絵が全く興味がわかない漫画でして興味がないから買わない、買ってない漫画はレビューしない方針なのでそこで終わりとなる訳・・・が家にガッツリあります。

妻が大好きで買ってあり家でよく「新刊〜新刊まだ〜」とうなっています。(何かよく休載するらしい)

妻が先日このサイトでナナのレビューを見てその厳しさにブチ切れていたので、よしナナの応援レビューを書こうと思い立ちました。
妻の意見を主軸にレビューしてみたいと思います。(なんじゃ、それ)

コレこのサイトで時々見かける逆転現象漫画ですね。(世間一般では人気なのにこのレビューサイトの中だけ何かボロカスに言われてる感じの事)
妻いわく「男は読まなくていいんじゃい、こりゃ女の漫画じゃい!」だそうです。

この漫画のポイントはハチの行動が理解できてハチに感情移入できるかどうかだそうで、男にはまず無理だそうです。
(私も途中で挫折しました)

確かに感情移入できない人がストーリーだけ追っていけば不道徳なだけの漫画に映るのかもしれません。

まぁ強引に結論に持っていくとしたら、
「みんながマズイマズイって言ってんならそりゃ料理の味に問題があるだろうけど、世間の多くの人はおいしいって言ってんだからそれをマズイって言うのはあなたの味覚の問題か単に好き嫌いの問題でしょーっ」って事みたいな気がします。

料理も本格的な料理だけでなく女性向け料理やお子様ランチもあります。
「女、子供の料理」と鼻で笑うのか、女性や子供の側に立って作られた考え抜かれた料理と解釈するのか・・・その違いかもしれませんね。

本当に漫画って男女で好き嫌いが分かれる事多いです。
なにしろ私の妻はあの名作ジョジョを「ゴゴゴの漫画」と評し一刀両断した人ですから・・・

昔知り合いが「男からみると少女漫画はほぼ恋愛だけのマンガで女からみると少年漫画はほぼバトルだけのマンガ」と言っていましたが案外核心を突いているような・・・

所持巻数  21巻(私は全巻は読めていません・・・)



















ナイスレビュー: 6

[投稿:2009-07-22 21:39:38] [修正:2009-07-22 21:39:38] [このレビューのURL]

でた!問題作!というか問題作家!
なんか漫画の外まで念が飛びまくってます。

私はこの作品を「行列のできるガンコ親父のラーメン店」と位置付けてます。

並んで並んで待たされたあげく最低の接客態度でもここのラーメンがやめられない!と言う人もいるでしょう。

いくらうまいラーメンでも何時間待たせる気だ!これならマックでブリーチバーガーでも食べた方がましだ!
という人もいるでしょう。

好みにあわせてどちらでも良いと思います。
ちなみに私は大食いなのでどちらも食べます!
さらにデザートでナルトアイスもいっちゃいます!

最後に

この作品は確かに面白い。何度もうならされました!

この作者は神でも天才でもない。
休載せずに面白い作品を描き続けるのが天才だと思います。

所持巻数 26巻まで

ナイスレビュー: 5

[投稿:2009-07-17 00:52:30] [修正:2010-05-29 22:05:19] [このレビューのURL]

もともと我が家に2冊ほど置いてあった。ある時それを読んだ息子は次の日から大騒ぎ。
「次(続刊)買って、次買って!」
やはり大ヒット漫画ともなるとただ者ではない。何年経っても通用するなにがしかの魅力があると言う事であろう。

私自身もそうなのだがレビューする時に形から入ってしまう。絵がどうたらストーリーがどうたらと。
しかし知識の無い故に白紙の状態で読書に挑む子供にこそ感じられるものがある。
区別のつきにくいキャラクターややりすぎな身体能力必殺技の奥に潜んでいる、煮えたぎるようなマンガパワーをである。

新人作家(当時)である高橋先生ががむしゃらに描いたそのマンガは日本サッカー界をけん引し世界の子供たちを楽しませている。
そして小学生くらいなら現在も充分楽しめる作品であると私の息子が証明してくれた。

子供だまし、という言葉がある。お子様向け、という言葉がある。
良い意味に使われる事がほとんど無いのが残念だ。

人によっては老若男女、すべての人に愛される作品が素晴らしいという。
無差別級の王者が1番強いと言われればその通りかもしれないが軽量級のチャンピオンだってフェザー級の王者だって称えられるべきものではないだろうか。
幼児向け、子供向けの作品ももっともっと評価されていいものだと私は思っている。

ところでキャプテン翼レビューのきっかけはあるテレビ番組であった。
雨が降ったの降らないのなどという名前の芸人が司会のトーク番組だ。その深夜番組は毎回テーマを決めてタレント達(ほぼ芸人)が語り合う。
テーマのジャンルは多彩でマンガ作品の場合も有りその回は「キャプテン翼」だったのだ。

結論から言うと良く出来た1時間だった。感心した。
出演者も芸人らしくおちゃらけながら作品の歴史や影響力を分かりやすく魅力的に語ってくれた。

その中で必殺技等をちゃかすコメントも度々あったのだが、超人マンガ肯定派の私でも楽しく視聴する事が出来た。
なぜならそこには「作品への愛情」が感じられたから。

その中に「何も知らない子供をうまく騙しているマンガ」のようなニュアンスはなかった。
少年時代を盛り上げてくれて夢中にさせてくれてありがとう!という熱い感謝の気持ちが伝わってくるのだ。愛情が。

さすがプロの作る番組であり取り上げる作品への敬意や配慮に感服した。
影響力とか関係なしにしても素人レビューじゃかなわない部分かな。

インターネットによりズブの素人の私ごときでさえ他人さまの作品にモノ申す事ができるようになった。
だが果たしてそれが良い事なのか悪い事なのか。

私のレビューに、そしてあなたのレビューに。

「愛」はあるか。






ナイスレビュー: 5

[投稿:2010-03-14 13:14:12] [修正:2010-03-14 22:46:31] [このレビューのURL]

私は良作としてコノ漫画に8点をつけます。
しかしこれは「待ってくれ」「話は聞いといてくれ」の8点と言いたい。

歴史モノである。
しかもテーマは陶芸等骨董品を扱いワビだのサビだの境地を描く。
とっつき易いとはお世辞にも言い難い。

絵は濃くてクセがある。
「バカボンド」などを想像したならば期待外れになるかもしれない。
万人が認める「美しい」作画ではない。そのストーリーも含めて。

友情、努力、勝利・・・少しはあるか?
「少年ジャンプ」大好き読者が楽しめるかとても責任もてない。
「なんかキモっ・・」と言われても仕方のない部分もあるかもしれない。

以上のように決してちびっ子に薦めるとか萌えが期待できるとか皆無の作品である。


だがそこが良い。そこが良いのだ。


家に溢れるほど漫画のある私のような人間にはこの作品の立ち位置に感謝する。
漫画の新しい可能性や魅力を凄く感じさせてくれるのだ。
エッチな漫画やバトルな漫画も楽しいけれど。しかし。

他の人が描いてない、いや描けないテーマ。
他の人が真似しない、いや真似できない作画。
そしてなおかつ面白い!(ココ重要、テストにでるよ!)

「へうげもの」はそれをやる。
これこそ「オリジナリティ」というものだ!

所持巻数 3巻

PS・
信長のラストシーン、みてくれよ!
これが「オリジナリティ」というものだ!



ナイスレビュー: 5

[投稿:2009-10-14 01:04:02] [修正:2009-10-14 01:04:02] [このレビューのURL]

10点 北斗の拳

80年代、少年ジャンプ黄金時代と呼ばれる漫画好きにとって夢のようだった時代。
その恵まれた環境の中で1つのビッグタイトルが生まれた。

「北斗の拳」・・・日本漫画界に多くの革命をもたらしたこの作品を想い筆を(いやキーボードを)走らせてみたい。

読み切りにおいて人気を博し連載決定、しかし不安要素もある為原作を付けようという事になった。まるで企画物扱い。
しかしそれがこの漫画の偉大な未来を決定する。

原作者、武論尊!熱い男を描かせたら唯一無二の男、武論尊!史村翔の偽名を持ち(偽名ではない)漫画界の平均気温(熱さのね)を島本と上げまくる男、武論尊!
池上遼一の流れをくむ超劇画家、原哲夫と組んだ時その傑作は静かに産声を上げた。

連載開始後、人気上々。その中で漫画慣れしたある意味スレた読者達は何かに気付き始めた。
無骨なストーリーとバイオレンスシーンのその中にある滑稽さ、笑いを見出したのである。「ひでぶ!」「あべし!」その敵役が叫ぶ断末魔の雄たけびは瞬く間に話題になりパロディ化された。

また原作者の、2週先のストーリーは考えて作らないという方針により「原先生も今週までこのトキがニセモノだって知らずに描いてただろ顔のメタモルフォーゼ」事件とか「おいおいこいつ指が6本あるよ」事件とか作為的に起こした訳でないにせよ「北斗の拳」フィーバーをさらに盛り上げる事件が続々起こっていく。

そしてアニメも開始、人気大爆発、ついに北斗の拳はジャンプの看板漫画へ成長したのである。

劇画タッチのバイオレンスバトルは流行となり多くの他誌でいやジャンプ自体でも同系統作品が生まれ消えていった。(いくつかの作品を除き)
「北斗の拳」レベルまでたどり着けない・・・何故か!?

それこそこの作品の非凡な所以、ストーリー漫画とギャグ漫画をミックスしたような芸風ならぬ漫画風にあった。
実はそのギャグ的部分は作画原哲夫の担当であり、そのたぐいまれな笑いのセンスや演出力が発揮される事となる。

そしてその屈指の名シーン「そんなババアがいるか」が生まれたのである。
それに負けまいとするかのように武論尊も感涙エピソードを数々執筆!2人の行く末を憂いレイが鳴らす鐘に拍手を送らぬ者がいただろうか。

かくて北斗の拳はストーリーとギャグの2つの顔を持つ一挙両得
漫画の1つの完成形となった。
その後ついに宿敵ラオウとの決着をみる事となる。

子供から大人まで夢中にさせた偉大な漫画。私は敬意を表してこう叫びたい。
「我が生涯に一片の悔いなし!」もちろん現実において私の人生は悔いだらけである。がこの漫画においてはそう叫べるのである。

しかしおごれるものも久しからず。北斗の拳においてもそれは例外でなく、人気のかげりは少しずつしかし確実に訪れて来るのである。

アインの登場など強敵をださずとも面白さは続くのではと読者を期待させながらも恐るべきパワーインフレはとどまる事を知らず海を越えてからは、体は暗黒空間をめぐり岩は意志をもったかのごとく襲いかかる事となる。
拳法という範疇を大きく外れもはや超能力者の戦いが始まるのである。それは読者の心をも暗黒空間へ引きずり込んでいったのである。

もう1つ北斗の拳没落の要因を挙げておこう。作画の原哲夫が調子に乗ってしまったのである。
収入も増えアシも増えるとその作画力は増大、しかし少年漫画の節度を守る事を忘れてはならなかったのだ。

絵は1コマだけ切り取れば素晴らしいものの描き込み過ぎは漫画自体の読みにくさ、ちびっ子読者の敬遠を招く。
サウザー編あたりからその傾向は顕著にみられ絵は重たく暗くなっていった。
ゆえにドラゴンボールとの人気の差は大きく開いていくのである。

かくてその後物語を一新するも激しいパワーインフレの傷は癒えず、佳作なエピソードではあまりにも熱き男たちを見てきた読者に満足を与える事はできずファンは離れる事となる。

最終回、あのセリフで自らの漫画の人気失墜をもギャグにしたのは作家2人の最後の最後の意地だったのかもしれない。

「お前(北斗の拳)はすでに死んでいる」

所持巻数 全巻


















ナイスレビュー: 5

[投稿:2009-07-25 00:13:59] [修正:2009-07-25 00:13:59] [このレビューのURL]

ひぃぃぃ、コナン君このレビューでアウエィ過ぎる!
でも我が家は全員コナンファンなのでちょびっとフォローさせてくださいませ・・・

コナンはドラえもんやサザエさんと同じ種類の漫画に位置づけられると思います。
それは年をとらない事や基本同じパターンで話が進む事もそうですが一番大事な事があります。

それは対象年齢がすごく限定された漫画だという事です。ほぼ小学生で中学も少し?な感じです。
例えば高校生でドラえもんにハマって夢中な人はめずらしいし、逆にあんな子供だましと言う人もいるくらいです。
でもドラえもんは世界中の子供に愛されてる凄い漫画です。

年齢と共に好みは変わりますし10年続けば小学生は大学生なのです。
昔は面白かったと言うのは漫画が面白くなくなったのではなく読者の嗜好がかわってしまった気がします。(リアルさを求めるようになったり、こまかい設定を気にしだしたり)

この漫画がビッグコミックに載っていたら問題ですが小学生の読む少年サンデーなのだから小学生の間で人気かどうかが重要と思います。

つまり何が言いたいかと言うとこのレビューは読む人も書く人も高校生以上が大半と思うのであまりイジメないで・・
うちの子供が目をキラキラさせながら読んでるもので・・・
物足りなくなった人は小説とかの本格ミステリーでも読めばいいと思うのですが・・・

コナンは(今現在の)小学生の楽しめる推理漫画でありつづけて欲しい。


あと最後に

黒服との決着をつけて、というのはのび太一人前になってドラえもんは未来に帰れよと言ってる事なのでできませんです。

これだけのレベルのトリックを一人で考え続けられるのは恐るべき事で真似できる人は今のとこいないと思います。

それと原作漫画終わるとアニメ再放送ばかりになります!
そんな事になったら全国の子供が泣きます!
(一部のおじさんも泣きます!)

所持巻数 64巻まで




























ナイスレビュー: 5

[投稿:2009-07-19 00:28:40] [修正:2009-07-24 13:41:17] [このレビューのURL]

マイブームで勝手にキャッチフレーズを付けるのが流行った事があった。マンガにも読んだイメージだけで付けていく。
モンキーターンに私が付けたキャッチフレーズは。

「静かに熱い」

河合作品をよく読んでいる方なら多少は賛同してもらえるんじゃあないかと思うのだがどうだろうか。
躍動感は少し足りないかなと思う絵柄ながら熱くなる場面の遭遇率がやけに高いのだ。

実は河合マンガを読みだして日は浅い。2年経っていない。
その読書遍歴は「とめはねっ!」で興味シンシン、「帯をギュッとね!」で自分の中の好きな作家リストに登録、そして今やっとこの「モンキーターン」にたどり着いた訳である。

この作品を先延ばしにしていたのにはわけがある。競艇に興味が無かったからだ。
もちろんそれは今までに何度も繰り返してきた過ちだ。思い込みと偏見。

でも。ああ、読んで良かった。そう思える作品であった。

河合作品には女性ファンも多いと思うがこの作品は主に男性に合っている。
特に20歳以上の方に強くお薦めしたい。

その理由としては。

一、大人のバトルだ。
他作品と比べバトル色が特に強い。競艇バトルの面白さは作家河合克敏だから描けた面白さ。
この徹底的取材の上に紡がれた物語は冨樫作品とはまた違った大人の楽しめるエンターテイメントとして仕上がっている。

二、臭っ!
キャラがとても人間臭い。単純に割り切れぬ人のこころ。そして恋愛も大人の味わい。
青島さんは悲しすぎるし超脇役小林さんのお話を解する事は小中学生じゃムリ。
才能の無い人間があがいてあがいてそれでも前に進もうとする姿に感動できるのは苦渋をなめまくった大人の特権。

三、ギャンブルだもの
もーれつに競艇場に行ってみたくなる。そんな時成人なら問題なし。
舟券を買えばさらにマンガが面白くなる(?)

その他御当地競艇場が出てくるの楽しみの一つ。(我が県にもあります)
またトリビアとして競艇という題材は編集者に薦められての事らしい。自分に無縁だったテーマをこれだけ面白く描ききるのはやっぱ凄い漫画家だよこの人。

まぁ、そんなこんなで最後に一言言わせてくれよ。

競艇は水上の格闘技。

「モンキーターン」は静かに熱い!










ナイスレビュー: 4

[投稿:2010-05-09 01:46:42] [修正:2010-05-09 02:30:33] [このレビューのURL]

マンガをもの凄い早さで読む人がいる。
私が一話(20ページ)くらい読んだ時すでに隣で1巻読み終えている人がいる。

そんな人にあだち充は絶対薦められない。

あんな、なんとか式速読術をマスターしたみたいな人があだち充を読んだら・・・スーパーチャージャー ツインカムターボ カスタムリミテッドになる!(意味不明)
つまり何も残らない、うわべだけすくったような読み方になる危険アリなのです。

ただじっくり読む派の私でもすぐ読めるマンガもある。
技の応酬であったりの引き延ばし的大ゴマバトルなどである。

でもあだち充はちょっと違う、と思っている。
会話の間を楽しんだり感情の機微を想い描きたしなむマンガなのである。
その辺を読みこなせる人は何度も楽しめたり味わい噛みしめる事ができる。

中島みゆきは作詞についてこう語った。
「詩を作るのは簡単です。本当に大変なのは(曲にのせる為)文字を間引く作業なんです。」

説明なセリフだらけのマンガは多い。
逆にセリフを極限までこそぎ落しコマとコマの間やキャラの表情や動きだけで場面を盛り上げる事の難しさ。
そのテクニックであだち先生以上の人を私は知らない。

青年誌掲載のあだち作品、この「じんべえ」ではその部分がさらに感じられる。

休日の午後、ゆっくりお茶でもしながら楽しんでみませんか。

間違っても会社や学校の昼休みや漫画喫茶の限られた時間に読んじゃあいけない。

速読術であだち充は、はかれない。





ナイスレビュー: 4

[投稿:2010-04-06 00:07:20] [修正:2010-04-06 00:21:13] [このレビューのURL]

充分面白いと思います。ただ少々絵がくだけ過ぎているのが気になったか。
「ヒカルの碁」レベルで描いてもらえたらもっと嬉しいかな。

このバクマンが他のマンガ家漫画とハッキリ違うところは読者が「漫画家になりたいな」と思わせない所だ。
「マンガ家になりたい」ではなく「大儲けしたい」と思えてしまうマンガなのだ。
このマンガで主人公達が求めているのは富と名声である。(つまりアニメ化とかトップ連載とか。)

ジャンプらしいと言えばらしい売れる事を(のみ)求めたシュージン達の行動理念にちびっ子たちはともかく分別ある年齢の方々は「何か違うぞ」と感じてきているかもしれない。

しかしこれでいーのである。これはもともとそういうマンガなのだ。

本作はマンガに賭ける情熱を描こうとしている訳ではなくヒットの方程式をえがきたいのである。
ジャンプという少年マンガ誌の代表格に掲載された事もあるし「まんが道」風スタイルをとっている事もある為この辺がうまくぼやかされていると感じる。

実は主人公達には「子供に夢を与える」などという志はなく欲しいのは「アニメ化」と「人気投票一位」なのだ。
その為に時には自分のスタイルや持ち味もかなぐり捨てただ受けるパターンや戦略を求道する・・・。

「自分の描きたいものを描くのではなくヒット作を描きたい。」

ドライである。何か寂しくもある。しかし同時に少々小気味よくもあったりするのである。
ある意味リアルではないか。人生賭けているのに「売れなくてもいい、子供たちに夢を与えるマンガを描きたい」なんて言う主人公達だとちょっと違和感も感じてしまう。(オジさんはね、特に生活かかっているとね)
リアル漫画家さん達だって「大儲けしたい」「大ヒットとばしてちやほやされたい」と思う気持ちは少なからず有るはずで、だから同人でなく職業でやっているのである。

本作はサラリーマンの出世物語としてとらえるといいかもしれない。
「会社を発展させるため働くぞー!」という風にみえて実は自分が出世する事こそが本来の目的なのである。

もちろんそれが悪いと言っている訳ではない。
多くの人は会社の為なら自分を犠牲にしても良いとは考えないだろうから。自分の幸せの為に働いているはずである。
ただ本作を現代版「まんが道」ととらえて読んでいると楽しめないのではなかろうか。

これは小畑、大場コンビのおハコですよ。

「少年誌の邪道」。

王道にみえて本質はコレ。

(デスノート)ライトと同じで主人公を好きになるマンガではない。
(成り上がる)戦略を楽しむマンガ。










ナイスレビュー: 3

[投稿:2010-12-13 21:58:46] [修正:2010-12-13 22:26:42] [このレビューのURL]

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