「columbo87」さんのページ

総レビュー数: 284レビュー(全て表示) 最終投稿: 2011年04月28日

「僕の頭は酢入りだからね!」とか言って末期状態の糞漫画ばかり連発していたガモウが、優秀な作画とコンビを組んだらこれが大ヒットしてしまった。

この漫画は最低にいやみったらしくいけすかない馬鹿な主人公達が読者やら漫画を舐めまくって格好つけながらドヤ顔でのし上がっていくだけの胸糞の悪い漫画ですが、そうしたご都合主義の展開にも作中に叔父さんとして現れるガモウのくやしさがつまってると思うとなぜか悲しくも思えます。

ナイスレビュー: 3

[投稿:2011-07-01 20:53:34] [修正:2011-07-01 20:53:34] [このレビューのURL]

4点 ONE PIECE

最近読み返したら結構楽しめた。メリー号関係の話は泣けるね。
とはいえキャラ出しすぎて収集ついてねーのと回想やら脱線のしすぎで、やっぱどこかでシラけちゃうんだよなぁ。
要所要所の見せ場は巧いから簡潔にまとめてください?という感じ。

ナイスレビュー: 2

[投稿:2011-08-23 13:25:47] [修正:2012-09-12 18:45:13] [このレビューのURL]

4点 トリコ

飯が不味そう
調理器具のデザインが酷い
ホモ人気狙いすぎでは
ギャグが少ない、折角ギャグ漫画の才能あんのによ

ナイスレビュー: 2

[投稿:2012-06-26 11:50:52] [修正:2012-06-26 23:14:35] [このレビューのURL]

ジャンプ史上最も完成度高く、少年の成長を描いた漫画だと思っています。
まずドラゴンクエストの世界観を見事に体現し、それを崩すことなく素晴らしいオリジナリティによって昇華させている点は他作品にはない所だと思います。必殺技もいちいち格好よく、同年代の少年は野球の時に絶対一度はアバンストラッシュをやったことがあるはず。
数々の名勝負や名台詞など評価すべき所は語りつくせませんが、特に本作を名作にしているのはキャラクターの魅力でしょう。敵味方全てに魅力があり、カリスマ性があり、そして成長するといったように具体性を感じさせる人物ばかりです。ストーリー展開は王道でありながら、キャラクターが脚本のためだけに動くような無機質さを感じさせないのは、いわゆる勝手に動きだすような独立性を持っていたからだと思います。それだけに展開が予想できずいつもワクワクして読んでいました。


少年ジャンプでも屈指の名作だけに、いつかまたちゃんと映像化して欲しい。
ゲーム化でもいいから、またダイと大冒険をしたいと思い続けています。

ナイスレビュー: 2

[投稿:2011-08-09 16:21:10] [修正:2011-08-09 16:21:10] [このレビューのURL]

ハードボイルドなのか、これは。暴力表現、マフィアとの抗争などどこぞの映画のような展開だが、なんだか読んでいて恥ずかしいぞ、誰に説教してんだこの漫画。
話しの内容もいまいちつかめなかった。誰なんだよあいつ!っていのが急にでてきて困る。

ナイスレビュー: 2

[投稿:2011-07-23 22:53:25] [修正:2011-07-23 22:53:25] [このレビューのURL]

この手のオタが好きそうな設定丸出しで固められるとさすがに食傷ぎみ。
内容より設定が先行する部類は読んでいて耐えられない。

ナイスレビュー: 2

[投稿:2011-07-23 22:23:57] [修正:2011-07-23 22:23:57] [このレビューのURL]

救いの無い胸糞悪い話を可愛らしいキャラクタと語り口で覆った漫画。
現実を醜く描かないことで悲劇と救済を放棄し続けた作品。続編もしかり。

ナイスレビュー: 2

[投稿:2011-05-12 17:42:28] [修正:2011-05-12 17:42:28] [このレビューのURL]

一連のモリソン作品に対する感想を書いていこうかと思う。
訳者の高木氏はブラックグローブの巻末でこう述べていた。「人間から想像力を奪ったら何が残るのだろう?」と。これはモリソン作品を語る上では欠かせない象徴的な言葉だと思う。
小説の話をしよう。人は時に小説の漫画に対する優位性として「想像力」を喚起する点を取り上げる。小説は読者が文章から情景や行動を想像し自らの頭の中に創造する。一方漫画には視覚的情報が与えられている以上想像の余地がないというのだ。こうした考えが漫画に対する無知から来ていることは疑いようが無いが,この場で長々と反論するつもりは無い。言いたいのは,漫画においても読者は明確に語られなかった部分を想像し楽しむ術を心得ているということだ。世に言う名作とは,結末や人物に対して様々な見解や感情を喚起するものだろう。島本和彦先生もいつぞや語っていたが,あしたのジョーのラストシーン一つとっても様々な解釈が生まれるのだ。
或いはこんな経験が無いだろうか。漫画を途中から読んでいて,4巻くらいから読んだときに,当然登場人物についてはよく分からないし,他のキャラクターとの関係性も,目的もわからなかったりする。この時に人は与えられた情報だけでその生い立ちや人となりを補完する。つまり自らの中にストーリーを紡ぎだす。そして,まれにだが,この自分の想像の物語よりも実際のストーリーがつまらないことがあるのだ。
例えば恋愛物で考えよう。途中から見た場合に「この主人公はなんでこの娘が好きなんだろう?」という疑問から「このヒロインは一見馬鹿に見えるが実は人間的に魅力的な部分があってそこに惹かれたのだろう」と考える,そうすると心なしかヒロインが可愛く見えてくる。しかし1巻にさかのぼって読んでみると,その出会い頭の一目惚れが全くの勘違いだったり,ヒロインは本当にただの馬鹿だったりする。これはおそらく1巻あたりだと作者が漫画を描き慣れていないために起こる現象だと思うが,時には細部を語らない方が,知らない方がかえって作品を楽しめる場合があるのだ。
アメリカンコミックスはどうだろうか。ここに登場するヒーロー達はそれぞれ歴史を持っている。人格としてほぼ完成しているキャラクター達だ。それが初心者にはとっつきにくい理由ではあるのだが,逆に言えば,途中から読んだ読者に想像の余地が与えられることも意味する。ただしここでは想像力を喚起させるための「魅せ方」が必要である。
この究極例の一つが「ダークナイト・ストライクスアゲイン」ではないだろうか。実体の無い存在が支配するサイケな未来世界,権力に屈服した英雄の世界,グリーンランタンが未知の宇宙生命体へと進化した世界,そしてボトル・オブ・キャンダー…
正史世界で無いとはいえ,ミラーは奇跡的な想像力の奔流によって我々を空想の世界へと引きずり込んだ。ここでは欠落した物語を埋めるのは読者の手に任されており,逸脱による創造の極地とも言える世界が展開されていた。
もう一つ例を挙げるならばWATCHMENもその類である,ここでは逸脱ではなく完成された世界観の提示,しかしそこにいたるストーリーはやはり読者に委ねられている(皮肉なのはビフォアウォッチメンなどという愚にもつかない考えに対して,読者よりもムーアが怒ったことではないか)。
さて,グラントモリソンによる4部作はどうであったか。シルバーエイジのバットマン作品を現代に取り込み昇華させたことはキャラクターそのものの再生,神性の復活でもある。とはいえキャラクターとしてのあり方が現在とあまりにも乖離してしまっており,並みの作家ではこれらの統合は不可能であった。ところが,これがグラント・モリソンの巧みさだと思うのだが,彼は狂気の世界を展開しつつ過去の物語を編入することによって,逆説的に現在のバットマンという人格への支障を最小限に抑えることに成功したのである。そして,断続的かつ前後関係の難解な物語の展開はシルバーエイジから現代へと移行するために最も効果的な措置であった。つまり行間を埋め,時代を統合し,人格の融合を行うのは我々読者の想像力に任されているのだ。
これこそが彼のオリジナリティ,作家としての唯一無二性ではないだろうか。R.I.P.の最後で明かされた,言葉の連想から生まれたストーリーについての是非などはどうでも良い。語るべきは彼がそのような(狂気じみた)想像力の手綱を握り,驚くほど巧みに物語を展開してみせたことなのだ。

読者は彼の見せる表層的な狂気に翻弄されていてはいけない。進んで世界に踏み入り,物語を継承し紡いでいく必要がある。なぜなら,我々が与えられた世界を享受するだけの読者に堕した時,「漫画は低俗」という言説を受け入れざるを得なくなってしまうからだ。

ナイスレビュー: 1

[投稿:2012-06-03 21:52:39] [修正:2012-06-08 11:44:03] [このレビューのURL]

ラストの一コマに誰もが突っ込んだ衝撃作

親子の絆がどうのこうのという売り文句の通り父親としてのバットマン像が描かれたが,それはあまりにも外道だった!
バットマンだけじゃなくていろんな父親像が描かれますよー。邪悪な父親クロスオーバーって感じ。
その1センセイ:子供は世界征服の道具にすぎない!反抗ばっかするラーズは失敗作!
その2ラーズ:子供は自分の所有物!肉体のスペアにすぎない!
その3バットマン:私の子供だというなら命を懸けて悪と戦え!家族?悪と戦うための道具だ!
うう,こんな父親しかいねーのかこの世界は。
今回は特にバットマンが何考えてるかわかんなかった。家庭より仕事を優先したり(まあこれは平常運転か),そのくせタリアと良い雰囲気になってみたり,「私の息子に手を出すな!」とか言っておいて直後にダミアンを死地に向かわせたり…。そんで最後は行方不明になったダミアンを心配するどころか「今は運命を忘れて自由に生きるべきだ」ってアンタなんなのよ。言ってること無茶苦茶だし無責任すぎるわ!
ティム「父親としてそれでいいの?」。駄目です。

そんなこんなで父子関係を巧く描けていたかと聞かれればNOとしか言えないのだが…他の所に見所がありました。平行してテーマになってる死者の復活に纏わる部分ですね。だいたい親を亡くしているのが特徴であるバットマンファミリーですが,そんな中でラーズがティムに「両親の復活」を持ちかけ,その是非を巡ってティムとディックが対立する・・・
死人がポンポン復活するこの世界でなんで俺の両親をよみがえらせてはいけないんだ!というティムの叫びには苦笑してしまう。確かになぁ,キャラに感情移入するとそのくらい許してやれよとか思っちゃう。
対して死人全員復活させる気かよ,というディックのつっこみは読者の代弁に聞こえる。実際死者の復活は興ざめだよー某ナルトとかさー死んだ意味無くなるでしょーキャラ崩壊だよーそれはー。
この対立構造は面白いね,でも平行線な話を先に進めるには第三意見の投入がいつも必要なわけで,それが今回のゲストキャライーチンさんなわけで。
二人の戦いに横やりを入れて「バランスだよ」とかキメちゃうこの人はおそらく出版社の回し者。失った物と得られる物を比較してみろだと…キャラ復活で失う信頼と,得られる金との比較かー!このー!
とか思わず捻くれた物の見方をしてしまう。
まーでもなんか復活の泉は閉鎖しちゃう意向ではあるみたいだし,本当その辺たのみますよ。バランス大分偏ってるよアメコミって。
などと思う

ナイスレビュー: 1

[投稿:2012-05-21 22:56:23] [修正:2012-05-21 23:13:03] [このレビューのURL]

かつてキャプテンアメリカの相棒だったバッキーの復活を描いたエピソード。復活ものが好きだねアメコミも。
このライターエドブルベイカーは子供のころバッキーが好きで,マーベルで仕事するならバッキーを復活させてやろうと思ってたんだとか。こういう話っていいよね,スーパーマンとルーサーの子ども作るという夢を実現させたあの人といいさ・・・。
恐ろしい暗殺者として洗脳を受けたバッキーの復活ちゅう話だけど,作中でさえ結構バンバン人を殺しておるのでこれでどうヒーローに盛り返すねんとか思う。そして相棒との絆が絡むととたんにホモホモしくなるキャップ・・・バットマンもそうだったけどサイドキックってやっぱそういう・・・
なんでもホモホモいう人がホモだと思います!

ここんとこヒーローの復活ものばっかみてたからそれで感じたことを書く。
アメコミの特殊性は過去に遡ってキャラクターや物語をツギハギできるところにあると思う。優れたライターはそうした編集作業を巧みにこなす。シルバーエイジのエピソードを現代風にアレンジしたグラントモリソンや,コミックスをある種の神話にまで昇華させたマークウェイド。或いは堕ちた偶像たち復活させたジェフジョーンズ,世界観の破壊によってあらたな地平を開いてきたアランムーアやニールゲイマンら。そうして彼らはアメコミの世界を伸長させてきた。
彼らの偉業を振り返るときに忘れてはいけないのは,こうした華々しい試みの背後にある虐げられ忘れ去られた存在のことだ。悲しいかな歴史の中から復権を果たすことができるのは選ばれた一握りのヒーローでしかない。
 エド・ブルベイカーは本書でキャプテン・アメリカの相棒,バッキーを復活させた。悲劇的なヒーローとして読者に受け入れられる下地と,キャプテンアメリカによる支援とを与えて。
しかし一方でひっそりと生涯を終えたキャラクター,ノーマッドこと「ジャック・モンロー」がいる。バッキーに殺された彼のエピソードはあまりにも暗く,もの悲しい。あっさりと退場させられた彼のバックボーンを補うべく外伝が挿入されてはいるが,救済というにはあまりに陰惨な物語である。急ごしらえのエピソードという感じで,本編でのセリフといまいち整合性がとれていない点も見られるが,どういう意図でこの物語を書いたのか慮るにあたってはそれなりに相応しいものになっていると思う。
人気商売の上を綱渡りするキャラクターたちの存在の希薄さ,多くのファンに支えられたヒーローの死は(すぐに復活するので)軽く,ノーマッドのようなマイナーヒーローは完全に忘れ去られてしまう。キャラクターの真の死とは記憶からさえも消え去ってしまうことだ。長大な歴史を持つアメリカンコミックスの系譜の中で,幾多のヒーローが生み出されては消えていった。一見はなばしく活躍する彼らは,歴史に組み込まれたが故に埋没し風化していく恐怖にさらされ続けていたとも言えるのではないだろうか。
だからこそノーマッドの死には胸を刺す痛みがある。それは人の死の現実とあまりにも近しいものだからだ。
ノーマッドが歴史の舞台から完全に降りた後に,キャプテン・アメリカが死というイベントによって更なる存在承認を得たことはもはや皮肉でしかなかった。

ナイスレビュー: 1

[投稿:2012-05-21 22:55:10] [修正:2012-05-21 22:55:10] [このレビューのURL]

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