「ジブリ好き!」さんのページ

総レビュー数: 343レビュー(全て表示) 最終投稿: 2009年12月10日

まさに「りぼん」って感じの画、子供向けの世界観

しかし、なかなかどうして、ギャグはハイレベルで面白い。
マニアックネタを多用せず、11巻もの間シュールネタを貫く。キャラも基本3匹(ヤマナミ除く)と一人で固定。抜群の安定感。
これぞ、実力派です。

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[投稿:2011-02-08 21:45:35] [修正:2011-02-08 21:45:35] [このレビューのURL]

結局記憶の継承が嘘なのか本当なのかはわからない。
単純に、母と子が口裏合わせただけなのかもしれない。
するとこれは単なる主人公の失恋話になるのだけれど、彼が最後に救われた気持ちになることには変わりない。この作品がSFであろうがなかろうが、誰にとっても思い出は大切なものなのだ。

もちろんこの作品はSFなのだろう。わかりやすく、答えや解釈も非常に説得力があった。ただ、この世界観にのめりこむには少し短すぎたかな。

芸術って、風景画の場合、そこに含意なんてなくてただ純粋に画家の見た世界に浸ることに意義があるようで。つまりその風景を見たいだけならそこに行けばいいけれど、その風景が画家の目にはどう映っていたか、風景を介して画家の感性を共有することに意義がある。
それになぞらえると、この作品の芸術性って、原作小説の世界観やエマノンの人物像を鶴田氏がどう見てるか、表現しているか、なのかも。原作者の絶賛に関わらず、読み手が感じて決めること。
自分は原作小説を読んでないからこの作品の芸術性うんぬんは良く分からないけど、鶴田氏が非常に丁寧な仕事で作品に命を吹き込んだことはとても感じられました。

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[投稿:2011-02-08 13:52:28] [修正:2011-02-08 13:52:28] [このレビューのURL]

トーマの心臓と舞台設定は同じでも、内容は別物と考えていいと思います。
表現は友情とBLの狭間なので苦手な人は注意。

表題作だけ読みたければ、他に
「11月のギムナジウム―ロマン短編集」
「萩尾望都作品集 第4巻 セーラ・ヒルの聖夜」
「萩尾望都パーフェクトセレクション2 トーマの心臓II」
などが小学館から出ています。
しかし個人的には、新版の小学館文庫「11月のギムナジウム」をオススメします。そこに収録されている「秋の旅」という短編が素晴らしすぎるから。

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[投稿:2011-02-08 12:59:57] [修正:2011-02-08 12:59:57] [このレビューのURL]

自分はブラッドベリという人物をよく知らないが、どうやらSF界的には重要な人物で、言葉のセンスが非常に良い人らしい。
そして確かにこの作品はSFで、それも叙情的なものから怪奇的なものまでバラエティに富んでいる。
ただ、いかんせん古い。SFの古典でオリジナルなのかもしれないが、SF好きなら似たものを見たことが一度はあると思う。
したがって、SF初心者の方や原点を重視する人にオススメ。

決して悪い作品じゃないです、むしろ名作。
しりあがり寿が「方舟」で、想像力の欠如を語っていましたが、この作品は読み手の想像力に訴えてくる部分が多いです。「泣きさけぶ女の人」「ぼくの地下室へおいで」「びっくり箱」なんかはまさにそう。
「みずうみ」のラストなんか、「ああ、SFだぁ」って感じます。

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[投稿:2011-02-08 12:59:08] [修正:2011-02-08 12:59:08] [このレビューのURL]

6点 王狼伝

武論尊自身はそんなに好きじゃないんだけど、これは面白いと言わざるを得ない。
そして彼が作画に三浦健太郎を選んできたのも流石で、審美眼まで素晴らしいんだから悔しいんだぜ。

タイムスリップして言葉喋れるの?とか、突っ込もうと思えば色々つっこめるけど、ストーリーが面白いからそんなの些事にすぎません。

モンゴル帝国の歴史をこうも大胆にアレンジして、こんなふうに見せてくれるとは…
イバが歴史の中で生きてる、生き続けていってるとわかっただけでも、京子さんは報われたのだろうな。

スパッと読めて、ダイナミックでスケールも大きい、良作です。

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[投稿:2011-01-15 01:22:45] [修正:2011-01-15 01:22:45] [このレビューのURL]

「ぼくタマ」より先にこちらを先に手に取る機会があったわけですが、、
前作未読でもストーリーはいけました。設定も複雑ではないので。
ただ、人物関係は前作を読んでないときつい…

とにかく画がきれいでかわいらしい!
表紙の色使いも淡くメルヘンな雰囲気が出てて良いです。
ストーリー性は薄いので作者と前作ファンの内輪盛り上がりっぽい雰囲気は否めないけど、子供たちが織りなすハートフルでほんわか優しい物語は非常に心地よいです。
子供心や子供の性格が本当に巧く描けています。
あずまきよひこのようなほのぼの雰囲気漫画にエスパーを加えた感じ…いや、「絶対可憐チルドレン」のバトルをなくした感じかな?
やらしいシーンはありませんのでご心配なくー

(ぼくたま読了後追記)
前作ほどの凄みはないものの、前作を読んでからこちらも読んだ方が面白さが1段階以上アップします!それにしても前作から画力が本当に現代風になってきてるなぁ、もちろん良いことです。

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[投稿:2010-06-21 02:34:18] [修正:2011-01-09 13:36:56] [このレビューのURL]

連載開始したとき、非常に期待できる作品でした。
4巻あたりまで非常に斬新で面白く展開していき、その後も安定感があったのですが、アニメ化等売れだてからの展開は路線が変わってしまった気がして好きじゃないです…

キャラうんぬんじゃなくてギャグもストーリーも純粋に面白かったんだけどなぁ

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[投稿:2010-01-04 02:57:45] [修正:2010-12-31 15:07:51] [このレビューのURL]

一見中途半端なラストだけれど、しっかり伏線回収しながら読み返せば、結末は描かれていないが話自体はしっかり終わらせていることに気付きます。
読者に対して問題を提示する系の作品。

作者の中でかなりしっかりSFという概念が構築されていることが窺えて、SF耐性がないと読むのがきついと思いますが、壮大な話を破綻なく描く手腕は本当にお見事。
少女マンガなので恋愛もあるのですが、それさえもSFの中に組み込んでいて壮大です。

後半の時空間の枷から放たれた状態になったセイが本当に時間を飛んで転生後の自分に会う展開など、一周目はなかなかついていくのが辛かったり、萩尾先生の哲学も難しかったりと、読み手側も根気が必要。
個人的には、萩尾作品のSFなら『銀の三角』の方が名作かとも思ってたり。
でも「進化=退化」という表現は凄いと思いました。間違いなく、この人は天才です。

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[投稿:2010-12-22 16:03:01] [修正:2010-12-22 16:03:01] [このレビューのURL]

最近、暴れん坊将軍・松平健(マツケン)の妻が亡くなられた。
パニック障害・不眠症・うつ状態のために自殺…しかしネット上では、しばしばこれがマツケンのせいであると批判する者もいるようだ。
また、奥さんが自殺した翌日も、松平健は座長を務める福岡・博多座で公演をしプロ精神を見せたのだが、逆にこれを冷酷だと責める者もいる。

プロ精神。
いついかなる時でも、自分の仕事に手を抜いてはならない、という精神。
マツケン、「突如娘と自分を残し逝ってしまった最愛の妻」のことを綴ったこの作品の作者・上野顕太郎(ウエケン)、景清さんがおっしゃる喜劇役者の榎本健一(エノケン)…その誰もが、地獄のような悲しみの中にいてプロ精神を失わなかった者達である(ウエケンは作中でこれを「プロ意識」と表現している)。
その精神は、普段なら人は見上げたものだと称賛し敬意を払うものであるが、それが最愛の人を失った後であると、やれ冷酷だ、金の亡者だと批判しだす。良識を持ったファンでさえも、「無理するなよ…」と一歩引いてしまうこともある。
もはや彼らの域に達したプロ精神とは一種の狂気であり、彼らは役者・表現者としての性(さが)に取り憑かれて逆らえない宿命を負ってしまっているのかもしれない。

この作品の冒頭部の記述で、上野氏は妻を失った悲しみとともに、「表現者として、この『おいしいネタ』を描かずにはいられない」と述べている。
自分はこの作品を読んで、また先のマツケンの報を聞いて、芥川龍之介の「地獄変」を思い出した。

「地獄変」
凄腕の絵師であり娘を溺愛していた良秀は、当時権勢を誇っていた堀川の大殿に地獄絵図を描くよう命じられる。良秀は最後に燃え上がる牛車の中で焼け死ぬ女房の姿を書き加えたいのだが、彼は実際に見たものでなければ描けない。それを大殿に言うと…車に閉じ込められたわが娘の姿を見せつけられ、火をつけられてしまうのだ。
良秀は、最初こそ地獄の責め苦に悩んでいたものの、やがて全ての感情が吹き飛び、悦びと厳かさを備えた表情で眺め始めた。そして焼け焦がれてゆく娘を見ながら絵を完成させる。
その絵は誰もが絶賛するできばえであったという…


違いは多々あれど、プロ精神を含め何かこの作品と近いものを感じた。地獄の中にいて、プロ精神をさらなる高みへ超越させ傑作を描いた良秀。この作品でも、「悲しみ」の表現は恐ろしいまでに凄まじさを帯びている。

芥川龍之介はこういったニュアンスの言葉を作品の中に残している。

「天国(極楽)とは死を恐れた権力者たちがすがった夢であり、地獄とは卑しく貧しい人間どものひがみ妬みの妄想だ。天国で得られる以上の幸せも、地獄を超える苦しみも、全てはこの世にある」

上野氏は語る
「不安定な収入、妻の喘息の悪化と鬱病の発現、穏やかな時は少なかった…
それでも
いつも一緒にいることがしあわせだったのだ」
最愛の妻と娘が必ず「ただいま」と言って迎えてくれる家が好きだったと言う。
彼にとっては、そんな日常のある現実こそが天国だったのだろう。
しかし、幸せを感じれば感じるほどに、妻を失うことで突き落とされた現実は地獄よりも深かった。それをうかがえる悲しみの表現は、本編で存分に味わってほしい。

この作品は最愛の妻を失った上野顕太郎によるドキュメンタリー要素の強い作品であり、また愛する者の死という重いテーマであるため、決して面白いという感想を持てるものではない。また結構淡々としているので、精神的に落ち着きを取り戻した頃に作品を見直したのかな、とも少し思えた。しかし、ページいっぱいに描かれた妻の顔、独特でインパクトのある悲しみの表現、他の映画や漫画の引用など、やはりどうしようもないくらいの哀しみが作品いっぱいに表現されてもいるのである。

得点はこの作品の特殊性を考慮してのこともあるので、あまり気にしないでほしい。
そもそもこの作品は「大切な人を失った人、大切な人がいる人」に捧げられた作品であるので、自分にはまだ早かったようにも思える。
そういった人にはお薦めしたいし、自分も大切な人ができた時、改めて読み返したい。

「さよならもいわずに」去ってしまった妻
しかし上野氏が最後に描いたものは、妻からの「さよなら」の言葉であった
それは彼自身の願いを具現化してしまった彼のためだけのシーンにも見えるが、さよならもいわずに逝ってしまった大切な人がいた全ての人の願いを具現化したシーンでもあるのかもしれない…

最後に、上記のようなプロ精神に取り憑かれた者たちを安易に冷酷だ、金の亡者だと責める人たち(特にマツケンを批判する人たち)に、「地獄変」の結末を伝えたい。

日ごろ自分を悪く言う者たちさえ黙らせる程の最高の絵を描き上げ大殿に渡した良秀は、翌日首を吊って自殺する。

本文には「安閑として生きながらえるのに堪えなかった」と推測されている。
「業」の報いが天から下されるものだとするならば、自決した良秀に「業」などなかっただろう。
そして良秀が至った境地も、エノケンやマツケンのプロ精神も、全て「現実逃避」のための手段だったのかもしれない。彼らは、最愛の人を失った現実を認めたくも考えたくもなかったのだ。マツケンは妻の亡き後も博多公演を行い続け、「博多はいいですね。熱さが伝わってきます。」と述べた後、「家に帰れば現実に戻るんですが…」と漏らしたという。この作中でもウエケンの事実を認めたくない「逃げ」の想いが多々詰まっている。
つまりは、そう、なんてことはない、ただこういうことだったのだろう。
彼らがもってしまったのは「業」ではなく、「悲劇」だったのである。

ナイスレビュー: 1

[投稿:2010-11-20 04:14:58] [修正:2010-11-20 19:19:52] [このレビューのURL]

さて、同人でも有名だった冬目先生の代表作である今作ですが、この閉鎖的で叙情的な雰囲気をどこまでプラス材料として感じられるかで評価が決まってしまいそうですよね。
あまりにも完成された雰囲気とそれに相まった画。
これを携えて今作では閉鎖的で破滅的な物語を描いていますが、正直自分には「独りよがりな雰囲気漫画」といった印象をうけました。

こういう独りよがりで発展性のないストーリーは同人で売れた作家さんに多くみられる傾向だと思いますが、やはり近年の同人の力というのは大きいようで、そこで活躍すれば熱狂的なファンを多く引っさげてプロデビューできます。
そこでは「独りよがり」は短所などではなく作者の独自性・世界観を表す長所なわけで、「独りよがり」と言うのは決して悪い意味ではなく「マニアックな」という意味に変わります。
それ故に万人受けしなくなりそうですが、コアなファンから徐々に普及し話題となり、今作のように映画化され一般にも広く受け入れられるわけです。
(冬目さんに限らず、羽海野先生やおがき先生、高河先生などもそう)

もはや文学といってもよいレベルの作品。
あまりに文学的すぎてむしろ小説でやれば良かったのにとも思いますが、冬目さんの画と雰囲気が「和」の心地を存分に発揮しているので一概にそうは言えないかも。
ただ、漫画として描くには起伏がなさすぎる気がします。
若干のミステリ調が読むのを助けてくれましたが、この淡々とした発展性のない緩やかな時間の流れにいささかの飽きを感じてしまう人もいるでしょう。

「羊の群れに紛れた狼はさみしい牙で己の身を裂く」
このプロローグの解釈の仕方も面白いです。
一見して一砂と千砂が狼に、羊の群れとは八重樫や水無瀬といった高城をとりまく人たちのように思えます。吸血鬼にならないため、周囲から遠ざかるけど、血に飢えて苦しむ。まさにプロローグ通りの狼ですが、するとタイトルの「羊のうた」はそんな二人に、高城に近づきたくても近付けない、八重樫や水無瀬、江田や風見といった人たちの嘆きを表すことになります。
あるいは7巻で千砂が「わたし達は牙を持って生まれた羊なのよ」と言っているように、羊とは一砂と千砂で、狼こそ八重樫らなのかもしれません。
彼らの優しさが、二人を傷つけているのだから。そしてまた、彼ら自身も傷ついています。

主役の二人か、脇役のキャラ達か、誰に感情移入できるかで、「羊のうた」の意味は変わってくるでしょう。
タイトルの由来である中原中也の「山羊の歌」なども参考にしてみると面白いです。

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[投稿:2010-11-04 02:27:53] [修正:2010-11-15 03:12:40] [このレビューのURL]