「ジブリ好き!」さんのページ

総レビュー数: 343レビュー(全て表示) 最終投稿: 2009年12月10日

多くの方が原作を知っていらっしゃるでしょうから蛇足となりますが、
倒叙形式で描かれたこの作品を、ただのミステリーと見ることはあまり意味がないし、主人公の犯す犯罪自体に目新しいものはありません。
しかし丁寧かつリアルに描かれた主人公の思想や心理変化は、巻を重ねるごとに読者をぐいぐいと引き込んでくれるのです。

「罪」が犯罪(今作では殺人)のことだとすれば、犯行そのものの心理や感覚は実際に殺人を犯してみないことにはわかりません。故に殺人そのものにリアルさを求めることは難しいはずです。
犯罪者を取材すればある程度の理解はできるでしょうが、言葉で表しきれない感覚的な部分は伝わりきれないでしょう。(今作で主人公が、「もう僕は誰とも分かり合えない」と幾度となく呟いているように…)
もちろん、落合先生もドフトエフスキーも、犯罪者ではないので、やはり犯行時の描写に目新しいものはありません。

この作品の優れたところは、「罰」の部分です。
犯罪を犯した者の、思想崩壊や虚無感、恐怖感。そういった部分が恐ろしく秀逸に描かれています。
ドフトエフスキー自身が政府に監禁された経験を持ち、死刑直前までいっています。その恐怖感や虚無感はナマです。もちろん、犯罪を犯したわけではないので、その心理が完璧に一致しているわけではありませんが、一般人以上に罰に対する感覚は強いはず。

まとめると、この作品、犯罪自体や犯行時の心理描写・行動に目新しいものはなく、正直、4巻までなら特筆すべき点はありません。
しかし、5巻以降の面白さは凄まじい。罰に対し怯えながらも、早く捕まってしまいたいとする主人公の葛藤。
そして何より、罰を逃れた後の、「もう僕は誰とも分かり合えない」と孤立してしまう様。7巻まで一貫して良心の呵責を感じない主人公を、唯一苦しめる鎖です。
犯罪に手を染めて初めて理解する、「僕には資格なんてなかったんだ…」
弥勒にとっての罰とは、この「孤独」や「思想の崩壊」なのですね。

原作に忠実ながらも、舞台を現代風刺的に設定し、またオリジナルストーリーを足すなど、原作既読者にも十分楽しめる内容に仕上がっています。


(完結追記)
余韻残る締めくくり、この作品への思いの強さを物語るあとがき、最後まで本当に楽しめた作品でした。
かつて原作を読んだ多くの方にもオススメしたい作品。

ナイスレビュー: 1

[投稿:2010-04-08 19:23:15] [修正:2011-04-29 02:47:28] [このレビューのURL]

6点 SWWEEET

この画で、この内容で、この短さだからこそ、最後の最後で評価が変わった作品。
双子の弟の行方が分からずじまいだからこそ、最後のフラッシュバックが想像欲を掻き立てる。その要は、「ドッペルゲンガー」という言葉。ラスト数ページが評価をわけました。

それ以外の部分でも、鬱な内容を抑えている画や、ちょっとしたどんでん返しなストーリーを2巻にまとめていて、なかなか良かったです。
でも実際は、斬新さがあるわけでもなく、変なラブコメだなぁくらいの印象も感じる。

ナイスレビュー: 1

[投稿:2010-03-12 23:59:31] [修正:2011-04-19 02:36:32] [このレビューのURL]

一歩ずつ
進むいっぽの
道ながく…



地味で地道な努力を、毎日こつこつと健気に続ける主人公・一歩
その努力は(フェザー級)王者になる前もなった後も変わらない。
着実な進歩で多くのライバルを破り、仲間たちに支えられ歩んできた彼の長きボクシング道
しかし、憧れの人・宮田との試合の日は遠く、
作者もこの作品に骨を埋める覚悟なのだろうか、
一歩の道は、これからも長く永い…

ナイスレビュー: 1

[投稿:2011-04-11 02:27:13] [修正:2011-04-11 02:27:13] [このレビューのURL]

どことなくH×Hの雰囲気を感じるなぁと思えば、げこ先生自身ファンのようで。なるほど、やっぱりげこ先生は少年漫画が大好きで、とても好きで、でもそれ故に少年漫画の欠点も熟知しているのだろうな。
少年漫画とともに成長してきたのに、大人になると「あれ、少年漫画が楽しめない…?」。そんな漫画好き大人たちがたくさんいることを、知っているのだと思う。
そんな彼らのためにも、そして自分自身の想いのためにも、青年漫画という土俵で「大人のための少年漫画」を描いてくれたげこ先生。
「ご都合主義」「バトルばかりで普段の生活が描かれない」「無駄に長期化」「ラスボス倒したヒーロー達のその後は?」、こうした少年漫画の欠点を誰よりも嘆いてきたのは他ならぬ水上悟志自身なんだろう。
「大人になれば楽しいことがある」
この作品のテーマの一つに、太陽(きっと夕日や三日月も含む)のような子供が大人へなっていくことがあるけど、水上先生はこの作品をもって僕ら少年漫画を読んで成長してきた大人へ楽しみを与えてくれたわけで。

読んでると本当に何か熱いものが込み上げてくるでしょう(6巻なんか特に)。
自分にとっての最大の魅力は、騎士たちは一見どこにでもいそうな人たちなのに実は皆頭のネジがぶっ飛んだ部分を持ってるところ!…それも次第に落ち着いていっちゃったけれど。成長悲しス。
でもゆーくんとさみの関係は、最後まで変だったけど美しかったよ!

…え?この漫画、厨二臭いって?
そりゃ誉め言葉でしょう。
少年時代の感性はもう取り戻せないかもしれないけれど、思い出すことはできる。だから大人は楽しいんだ!ラストの子供みたいに殴り合う夕日と三日月の楽しそうな顔とそれを眺める太陽の大人への想いで、気付かせてもらったことです。


(余談。アワーズ本誌のドラマCD等の応募者サービスが意外と良くて、特に完結記念小冊子は他の漫画家からのイラストや茜のエピソードなど楽しめました。割高だったけど。)

ナイスレビュー: 1

[投稿:2010-01-12 02:34:19] [修正:2011-01-09 12:46:00] [このレビューのURL]

痛みを伴わない教訓には意義がない。
人は何かの犠牲なしには、何も得る事などできないのだから。
しかし、その痛みに耐え、乗り越えたとき、
人は何物にも負けない、強靭な心を手に入れる。
そう

鋼のような心を


女性作家でありながら少年漫画でここまでヒットさせたのは、高橋留美子以来だと思う。
ダークファンタジーってジャンル分けが本当に似合う漫画だけど、ギャグや番外編の4コマのセンスも抜群。戦争経験者との対話を何度も行って描いた戦いにおける感情描写も素晴らしい!
「痛みを伴わない教訓には意義はない」、ホントその通りっす。。

1巻読んだ時は作者も言ってる通りB級映画っぽい流れであまり面白く感じなかったんス。けど2巻読んでみるともう大変、当時発売中の6巻まで一気読み!
中盤はテンポが遅く感じるけど、1.5倍に濃縮してラストへ加速する終盤は見逃せません!

アニメ化は2度され、1期はグリード編以降オリジナルになります。映画版で完結しますが、面白かったです。(2期は原作に忠実)

(完結追記)
ガンガン7月号にて無事完結!3日足らずで全国で売り切れるもの凄い状況になりましたね。お詫びに9月号で再掲載するとか、ガンガン始まって以来の快挙なのでは?(そして今後が不安…)

初連載作品とは思えないほど綺麗にまとまって本当にすごい!
出産でも休まず、一度も休載することなく、本当にここまでお疲れ様でした!
ただ、「何かが足りない」という人の気持ちもわかります。
思うに、ちょっと綺麗にまとめることを意識しすぎたのでは?
元よりバトルを楽しむ作品でもないからそこはいいとしても、例えばエルリック兄弟は「国の命令があれば戦う」と言いながらも、直接手を汚すことがなかったり。若干周りが汚れ役を買い過ぎた気もします。

ちなみにお気に入りシーンは最後の告白の場面。ハガレンならではの告白ですよね、他にもこの作品の世界観や設定だからこそなセリフや言い回しが多く、こういうセンスも大好き♪

ナイスレビュー: 1

[投稿:2009-12-11 01:45:30] [修正:2011-01-08 02:00:57] [このレビューのURL]

2点 BLACK CAT

皆さん「パクり」について言及されていますが、思うにパクりは決して悪いことだとは思いません。
そもそも何一つパクってない完全オリジナルな作品を、あなたはどれだけ知っているでしょうか?
かの有名なハリーポッターやスターウォーズ。その根底には、指輪物語というファンタジーの祖とも言われる作品の影響があるそうです。では指輪物語が完全オリジナルかというと、実はかなり神話がベースになっています。
つまるところ、完全なオリジナル作品なんて神話などの伝承文学くらいなものではないでしょうか?もちろん他に完全オリジナルな作品を挙げることができるかもしれません、が、そのような作者は本当に一握りの天才であり、数えるほどしかいないのが現状でしょう。

作家の「宮部みゆき」さんも『ポーの一族』の寄せ書きで「映画・小説・漫画、果ては音楽まで、作り手は既存の作品からの影響を創作の出発点にしている」といったことを述べていました。
意識的であれ無意識的であれ、大であれ小であれ、パクってない作品なんてそうそうありません。では何が問題なのでしょう?
あなたは「パクった量が問題だ」と言ってパロディや歴史ものを全否定するでしょうか?
単純に「面白いか否か」が問題なのだと思います。この漫画が低評価なのはパクっているからではなく面白くないからではないでしょうか?パクり過ぎれば展開は読め既視感を覚えつまらなく感じる、つまり「パクり」は面白くないという結果の「原因」に過ぎません。
「パクリ」の類語に「ベタ」とか「王道」といった表現があります。ベタも王道もパクリの一種なのに、こちらは許容され認められた、むしろ好感のもてる表現です。その差は?
それは間違いなく「面白いか否か」でしょう。「ワンパターン」が「○○ワールド」と言われるようになるのと同じです。

あなたは神話以外の完全オリジナルな作品よりも(例え一部でも)パクってしまっているけれど面白い作品の方が多く挙げられるはずです。
パクりは決して悪いことではない、面白くないことが問題なのです。
あなたはパクりとインスパイアの差を見抜けますか?「パクりだ!」と言っても「インスパイアはされました」と言い返されれば、自分はもう何も返せません。
だから自分はパクりもアリだと思います。
トレースは一行たりとも駄目ですが、パクりなら面白い限りで許容できます。たぶん、面白いと感じた時点でパクリだなんだなど考えもしないでしょうが。

ちなみに、小説家や漫画家には担当者がつきますが、無能な担当者は作品を評価するとき「君の作品にはオリジナリティがない」と言うそうです。
そんな誰にでも言えるようなこと、僕らと違って漫画読みのプロに言われた日には、「お前の言葉がオリジナリティねーよ」と思っゃいますよねw
でもそう評された作品は、誰が読んでもつまらないというのも事実だそうで。

さて、やっとこさこの作品のレビューとなりますが、正直「画がきれい」くらいしか誉めるところがないんです。連載時小学生だったもので序盤は楽しめましたが…シキとか、かっこいいキャラもいるんですけれどね。
嫌いじゃないですが、やはり、面白い漫画ではないんです。

ナイスレビュー: 1

[投稿:2010-12-23 00:48:07] [修正:2010-12-23 00:57:19] [このレビューのURL]

数あるロックマン漫画の中でも、この人のものが間違いなくNo.1!

ロックマン自体も大好きですが、この人の描くロックマンには葛藤も強く描かれていて、幼い頃読んだときは結構衝撃的でした。
特にボンボン冬季刊号に掲載された「史上最強の敵」はヤバかった。
もう一人のロックマンの、切なく、心に残る話。
メットを外したロックがカッコよすぎるっ!ロールちゃんマジ天使!!
十数年ぶりに改めて完全版で読んでみたけど、全然色褪せてませんでした。

有賀氏は超ゲーマー、特に超ロックマンオタクです。自分の大好きなものでお金を稼げるのは羨ましい限りですが、実際には復刊したのは最近で、かなり苦しい思いをしたようで。
児童向けと侮ることなかれ、有賀ロックマンは子供から大人まで楽しめるかなりの良作です。

ナイスレビュー: 1

[投稿:2010-06-17 00:08:33] [修正:2010-12-02 01:54:26] [このレビューのURL]

メガミックスからの続きもの。
有賀ロックマンはポケモン漫画で言うポケスぺの地位にあると思ってます。
自他共に認めるロックマンオタクである先生によるオリジナル展開だけど、ネタや終わり方、一つ一つが全てロックマンシリーズに繋がっているのが流石。

有賀先生の「ロックマン愛」で溢れた世界はもうゲームファンなら垂涎もの。ワイリーロボ1体1体にしっかり命が吹き込まれていて、みんな良い味出してます。
ロックはもちろん、カットマンやシャドーマンも最高!
でも何より凄いのはワイリー愛。
もうライト博士もコサック博士も脇役扱い、ロックさえも喰っちゃってるんじゃないだろうか?

少年漫画全開な熱い展開、重い葛藤、このクオリティなのにこの話が単行本化され完結するまで実に10年以上。やはり児童向け雑誌には合わなかったのだろうか。
連載されても打ち切られるわ、単行本出ないわ、ほんと漫画界って商業主義で厳しい。
その分、当時から待ちに待ってようやく味わえたクライマックスには感動です。復刊ドットコム、本当に良い制度ができたものです。

もう大好きです、有賀ワールド。
特に画なんて好みです、10年で更にうまくなってて最高ス。
ロールちゃん、かわいすぎっすよ…

ナイスレビュー: 1

[投稿:2010-12-02 01:37:42] [修正:2010-12-02 01:37:42] [このレビューのURL]

電波でオカルトなんだけど、読み進めていくと、輪廻転生って設定をこれほどうまく使えた作品って他にないんじゃないかなって思ってしまいました。
内輪なようで地球を巡る壮大なスケール
長いようで無駄のないストーリー展開
はっきりと、面白いです。

少女漫画って、少年漫画と違って敵役を絶対悪として描かないことが多いように思えます。敵も味方もみんな救ってみんなで成長、すると自然と捨てキャラなんてものはなくなり、登場する全てのキャラクターに魅力が生まれるんですね(もちろん、全員がハッピーエンドなわけではないけれども)。

京都でのバトルシーンも迫力あったし、紫苑の回想以降はぐんぐん引き込まれて、最後その紫苑の回想を木蓮視点でやった日にはもうお見事の一言。
目まぐるしく変化する心理、各人によって異なる受け取り方・捉え方、それによるすれ違いがしっかり描かれてます。
設定こそ現実離れしてますが、描かれる心情は超リアル。
はっきりと、一級品の心理・恋愛描写です。

ストーリーは、一切の破綻もなくきれい過ぎるほどにまとまっていて、恐らく作者の初期構想の賜物だと思います。様々なパロが出てくるのも作者の遊び心。
でもキャラは、この作品を傑作たらしめた最大の要因であろうキャラは、作者コメを見ても、間違いなく「キャラが勝手に動いて話を作ってくれた」タイプです。
はっきりと、この作品では作者に漫画の神様が降りてきています。

最後に余談となりますが、この漫画がヒットした連載時、前世や生まれ変わりを信じた自殺願望ともとれるファンレターが作者のもとへ何通も届いたそうです。それに対する作者の返事は、作中のテーマにもなってゆくこの一言。

「人は何も死ななくても、その人生の中で何度でも生まれ変われる」


オススメの名作です。

ナイスレビュー: 1

[投稿:2010-11-21 16:19:44] [修正:2010-11-21 16:19:44] [このレビューのURL]

最近、暴れん坊将軍・松平健(マツケン)の妻が亡くなられた。
パニック障害・不眠症・うつ状態のために自殺…しかしネット上では、しばしばこれがマツケンのせいであると批判する者もいるようだ。
また、奥さんが自殺した翌日も、松平健は座長を務める福岡・博多座で公演をしプロ精神を見せたのだが、逆にこれを冷酷だと責める者もいる。

プロ精神。
いついかなる時でも、自分の仕事に手を抜いてはならない、という精神。
マツケン、「突如娘と自分を残し逝ってしまった最愛の妻」のことを綴ったこの作品の作者・上野顕太郎(ウエケン)、景清さんがおっしゃる喜劇役者の榎本健一(エノケン)…その誰もが、地獄のような悲しみの中にいてプロ精神を失わなかった者達である(ウエケンは作中でこれを「プロ意識」と表現している)。
その精神は、普段なら人は見上げたものだと称賛し敬意を払うものであるが、それが最愛の人を失った後であると、やれ冷酷だ、金の亡者だと批判しだす。良識を持ったファンでさえも、「無理するなよ…」と一歩引いてしまうこともある。
もはや彼らの域に達したプロ精神とは一種の狂気であり、彼らは役者・表現者としての性(さが)に取り憑かれて逆らえない宿命を負ってしまっているのかもしれない。

この作品の冒頭部の記述で、上野氏は妻を失った悲しみとともに、「表現者として、この『おいしいネタ』を描かずにはいられない」と述べている。
自分はこの作品を読んで、また先のマツケンの報を聞いて、芥川龍之介の「地獄変」を思い出した。

「地獄変」
凄腕の絵師であり娘を溺愛していた良秀は、当時権勢を誇っていた堀川の大殿に地獄絵図を描くよう命じられる。良秀は最後に燃え上がる牛車の中で焼け死ぬ女房の姿を書き加えたいのだが、彼は実際に見たものでなければ描けない。それを大殿に言うと…車に閉じ込められたわが娘の姿を見せつけられ、火をつけられてしまうのだ。
良秀は、最初こそ地獄の責め苦に悩んでいたものの、やがて全ての感情が吹き飛び、悦びと厳かさを備えた表情で眺め始めた。そして焼け焦がれてゆく娘を見ながら絵を完成させる。
その絵は誰もが絶賛するできばえであったという…


違いは多々あれど、プロ精神を含め何かこの作品と近いものを感じた。地獄の中にいて、プロ精神をさらなる高みへ超越させ傑作を描いた良秀。この作品でも、「悲しみ」の表現は恐ろしいまでに凄まじさを帯びている。

芥川龍之介はこういったニュアンスの言葉を作品の中に残している。

「天国(極楽)とは死を恐れた権力者たちがすがった夢であり、地獄とは卑しく貧しい人間どものひがみ妬みの妄想だ。天国で得られる以上の幸せも、地獄を超える苦しみも、全てはこの世にある」

上野氏は語る
「不安定な収入、妻の喘息の悪化と鬱病の発現、穏やかな時は少なかった…
それでも
いつも一緒にいることがしあわせだったのだ」
最愛の妻と娘が必ず「ただいま」と言って迎えてくれる家が好きだったと言う。
彼にとっては、そんな日常のある現実こそが天国だったのだろう。
しかし、幸せを感じれば感じるほどに、妻を失うことで突き落とされた現実は地獄よりも深かった。それをうかがえる悲しみの表現は、本編で存分に味わってほしい。

この作品は最愛の妻を失った上野顕太郎によるドキュメンタリー要素の強い作品であり、また愛する者の死という重いテーマであるため、決して面白いという感想を持てるものではない。また結構淡々としているので、精神的に落ち着きを取り戻した頃に作品を見直したのかな、とも少し思えた。しかし、ページいっぱいに描かれた妻の顔、独特でインパクトのある悲しみの表現、他の映画や漫画の引用など、やはりどうしようもないくらいの哀しみが作品いっぱいに表現されてもいるのである。

得点はこの作品の特殊性を考慮してのこともあるので、あまり気にしないでほしい。
そもそもこの作品は「大切な人を失った人、大切な人がいる人」に捧げられた作品であるので、自分にはまだ早かったようにも思える。
そういった人にはお薦めしたいし、自分も大切な人ができた時、改めて読み返したい。

「さよならもいわずに」去ってしまった妻
しかし上野氏が最後に描いたものは、妻からの「さよなら」の言葉であった
それは彼自身の願いを具現化してしまった彼のためだけのシーンにも見えるが、さよならもいわずに逝ってしまった大切な人がいた全ての人の願いを具現化したシーンでもあるのかもしれない…

最後に、上記のようなプロ精神に取り憑かれた者たちを安易に冷酷だ、金の亡者だと責める人たち(特にマツケンを批判する人たち)に、「地獄変」の結末を伝えたい。

日ごろ自分を悪く言う者たちさえ黙らせる程の最高の絵を描き上げ大殿に渡した良秀は、翌日首を吊って自殺する。

本文には「安閑として生きながらえるのに堪えなかった」と推測されている。
「業」の報いが天から下されるものだとするならば、自決した良秀に「業」などなかっただろう。
そして良秀が至った境地も、エノケンやマツケンのプロ精神も、全て「現実逃避」のための手段だったのかもしれない。彼らは、最愛の人を失った現実を認めたくも考えたくもなかったのだ。マツケンは妻の亡き後も博多公演を行い続け、「博多はいいですね。熱さが伝わってきます。」と述べた後、「家に帰れば現実に戻るんですが…」と漏らしたという。この作中でもウエケンの事実を認めたくない「逃げ」の想いが多々詰まっている。
つまりは、そう、なんてことはない、ただこういうことだったのだろう。
彼らがもってしまったのは「業」ではなく、「悲劇」だったのである。

ナイスレビュー: 1

[投稿:2010-11-20 04:14:58] [修正:2010-11-20 19:19:52] [このレビューのURL]