「ジブリ好き!」さんのページ

総レビュー数: 343レビュー(全て表示) 最終投稿: 2009年12月10日

これって、読むのがすんごく辛いの。
スピッツからいただいたハチミツの味は甘いじゃなく甘酸っぱく、スガシカオが摘んできたクローバーの葉数は4枚じゃなく3枚のものばかり。
「全員片想い」なんて聞こえのいいキャッチフレーズだけど、もういい加減前向うよ!って。


ちょっと前にブームになったけど、たぶん本当にはまったのは、大学生活を送る最中の若者達だと思う。どのサイトでも、批判する側の人は、昔の漫画に造詣の深い、若者じゃない人が多かったから、年配の人には、ちょっと理解できない部分があるのだろう。
TVでマツコ・デラックスが言った、「大学時代の恋なんてクソみたいなもんよ」って。きっと、歳を重ねて青春スーツ脱げるようになれば、そうなんだろうな。でも、僕ら若者にとっては、そんなクソみたいな恋が、バカやってる今が、全てなんです。
就職氷河期と言われつつも相変わらず受験戦争は激しく、とにかく必死に勉強して、大学入って、はめはずして青春してみて。でも自分が何者かなんてわかんなくて、何がしたいのかも不明瞭で、それでもとりあえず楽しんで。
そんな自分にはとにかく主人公は竹本。
からっぽで美大入学、良き先輩に囲まれながら初恋し、迷って、自分を探し、何かを掴んで、告白し、失恋する。そうやって、モラトリアムから脱却した彼。森田やはぐのような才能も、真山のような成功もないけど、本当に等身大で、自分を重ねたくなる。(けど、こんな青春まだ僕は送れてない)

この漫画って、ポエムとか心内語が多いんだけど、大きな気持ちは見せてない。だから心理変化が結構唐突に起きて、そこについていけなくて嫌いになる人も多いそうで。
でもこれ絶対意図的で、「そこは自分で補ってね☆」とかじゃなくて、たぶんそこには、若者にしか伝わらない、もとい「若者のシンボル」があるんだ。
竹本が自分探しの旅で行き着いた地の果て。そこで彼は何かを感じ、はぐに告白する決心がつくんだけど、その地の果てで何を見て、大きな心情変化が起きたのかって、あんま描いてない。
でも、自分も、寒い中外で待って拝めた初日の出の素晴らしさや、イタリアでみたダイナミックで緻密な彫像の神々しさを目にしたときとか、感嘆のため息はでても、言葉は出さない。そういう時の、心の中に渦巻く大きな感情を、言葉にできない。下手な言葉を紡ぐと、その気持ちが壊れてしまいそうで。だから自分で、自分の心の中をゆっくり落ち着いて整理する。多分それと同じで、竹本も地の果ての感じたことは吹き出し=言葉で発してないし、心内語で整理しきれてもないんだ。
他の場面も同じ。今なんて、伊集院光が中二病なんて言葉を生んじゃったせいで、なんでも言葉で表すと陳腐に感じられて、そんな世代の僕ら若者は、次第に青春を言葉で表現せず、心の中の漠然とした気持ちに従って動くようになっていってる。それは、ハチクロの間(ま)で、奥底の心情を省いた間(ま)で表現されている。
そして心の中の漠然としたものに従っている内に、僕たちは自分を見失う。自分の気持ちが、分からなくなる。そのくせ人のことには敏感で、人を言葉で表すことには抵抗がない。ハチクロでは「本人は気付いてないけど周りが気付いちゃう・理解できちゃってる」パターンが多いけど、これもそんな若者のシンボルなんだろう。
こういうのって従来のしっかりした心理描写の少女漫画とは違うし、岡崎京子でもない。きっと、浅野いにをの青春狂想曲のような、新しいマンガなのだろう。
時代って生き物だから、漫画の姿も5年10年で全然変わって、それを受け入れていかないと、「なんでこんな漫画がヒットしたんだろう」ってなるのかもしれない。

羽海野チカは高卒だから、もしかしたら美大って設定は彼女の憧れなのかも。
彼女は本当に漫画読みで寄せ書きも多く、漫画家であることに誇りを持ってる。そしてそれ故にコンプレックスも持ってて、自ブログでは遅咲きなことへの言及も多い。
でももし高卒のまま漫画家になってたら、絶対にハチクロは、こんな大学生活は、描けてない。大学の友達関係って、小中高とは全然違って、共にした時間は短いのに最後の青春を全力で楽しんだ仲間って感じがある。竹本達が写真1枚も残せなかったことがその象徴で、本当にそんな風に淡く儚く夢のような時代なのだろう。社会人での経験と取材熱心な態度、遅咲きで苦労したからこそ、彼女はこの作品を生めたのだと思う。

自分も先生と同じ足立区出身で、作中の花火大会も足立区のじゃん!とか思い入れが強いのだけれども、本当に、大学時代にこの作品に出会えたことは、良かったと思うのです。

ナイスレビュー: 0

[投稿:2011-01-16 12:18:03] [修正:2011-01-16 12:18:03] [このレビューのURL]

(2010年10月、レビュー全改変、他作品のネタバレも含むので注意)

「なるたる」なんて柔らかいタイトルと、明るい1巻の表紙から、いったい誰がこんな残酷な物語を想像できたでしょうか。
あるいは、アニメから入った人は、いかにも子供向けな感じのほのぼのなOPに騙されたことでしょう。
今では予備知識なしに手を出してはいけない鬱漫画の代名詞です。

淡々としたテンポなのに、重い。
暗く残酷な展開と、何気ない日常のシーンの温かさ。
天真爛漫な主人公・シイナと、その周りの殻や闇をもった子供たち。
こうした対極的な要素が調和して、より残酷な運命が生まれていきます。

いわゆるセカイ系という分類に入るので、その筆頭である最終兵器彼女やEVAと似たラストを迎えますが、その本質は全く異なります。
EVAの旧劇場版でのラストでは、シンジとアスカが残りましたが、他の人間は「補完」という死とはまた違った状態になります。
一方こちらは全滅ですので、サイカノ寄りのラストと言えますが、サイカノでは人が死に絶えた地球から「船」で脱出し「二人だけの」世界に入って終わります。それに比べてこの作品は、嫌いなら作りなおせば良いという思想の下、人類の再生が行われます(アルゲマイネ原野さんがおっしゃるように、涅の「命は代替がきくから命たりえる」という言葉が肝でしょう)。
EVAの(人の心の隙間を埋め完全となるための)人類補完、サイカノのキミとボク「だけ」の世界、そしてなるたるの、「珠たる子」として選ばれた涅と秕の二人の乙姫が地球の脳神経として地球の代わりに行う破壊と再生。
三者とも、似てるようで違うラストです。
面白いのは、人類を再び生むという点でなるたるが一番アダムとイヴの役割を果たしているはずなのに、生き残った二人はイヴとイヴ。EVAもサイカノも男と女が生き残るのに、決定的に違います。

また、EVAや他のファンタジーと異なるのが、主人公が少女であること。
そしてそれ故に、圧倒的に無力であることです。
行動的で正義感もあるシイナは、竜の子の事件に積極的に関わっていくけれど、シイナの力で竜の子を止めたり、何かが解決したりはしません。
シイナを守ろうとする周りの手によって事態に変動は起きますが、そのたび自分の無力を味わい、救いのない方向へ進む…。貝塚ひろ子の回など特徴的です。
追い詰められた人間のとってしまう行動、それが悲しいくらい響き渡る。
貝塚の絶望と最後のシイナの絶望。スケールの大小の差はあれど、根は同じ。
悪いのは自分なのか世界なのか?いじめの原因はいじめられる側にあるのか、いじめる側にあるのか?
盲目的にマスコミの情報を受け取ってしまった人々によるデビルマンのようなラストシーンも含め、竜の子がもたらす悲劇だけでなく日常の闇・人間の闇も強く描かれます。


秀逸な伏線の数々と独特の魅力で、憑かれたように読み耽りました。
キャッチコピーは「未来に贈るメルヘン」
まさにshinpe-さんのおっしゃる通りで、僕は現代の新しいメルヘンの形として、この作品を高く評価させていただきます。

ナイスレビュー: 0

[投稿:2009-12-15 02:45:22] [修正:2010-10-17 02:25:58] [このレビューのURL]

すさんだ家庭から逃げ出し出会った4人の子供たち。
心に傷をもつ彼らは寄り添い、社会から「はみだし」て生きてゆく…
「いじけ者!ひねくれ者!ロクデナシ!はみだしっ子!!何とでも言うがいいサ!ボクたちも言ってやろう、きれいな衣をまとった人よ、さようなら!ザマアミロ!!」
行く先々で様々な人に出会い、寝床を提供してもらい、時に裏切られながらも、彼らは彼らを愛してくれる人を求め旅する。
そして同時に、彼らは内なる漂泊の旅へも出発する。どこまでも深い心の世界へ。延々と続く葛藤の世界へ!
あまりにもロジカルに、妥協なく続く内面の描写には、一切の綺麗事がない。愛情、憎悪、不安、信頼、トラウマ、家族、殺人、裁判…社会の矛盾を、環境の不遇を、自分の存在を、嘆きながらも面と向かって逃げずに問い続ける。
「ボク達仲良しのどん底にいるみたいで・・」
「手伝ってよ雪だるま!ボク一人じゃママを運べない…。行け!!!行ってママを連れて来い!……」
しかし少女漫画らしいレトリックを多用したって、答えには至らない。多くの省略を補ってみても、それが結論とはならない。
そう、いくら考えたって正しい答えなんかない。
でも、それでも考え続けなければならない。
考えて考えて、それでも考え続ける。それが思春期の子供たちの、自分ではどうすることもできない社会や現実といった大きな存在への唯一の反抗なのだ。

できることなら点数なしでレビューだけしたかった作品。
自分は今までこのサイトの採点基準を一切無視して、自分の好みで点数を付けてきたけれど、この作品だけは自分でも、好きなのか嫌いなのかわからない。だから点数を付けられない。
ならば、と、このサイトの採点基準に則ってみた。面白さうんぬんはさておくも、「漫画というメディアを越えて魂を揺るがす」作品は自分の中でこれ以外ない。

目だけで訴えかけてくるほどの表現力がある画に、小説並の尋常じゃないほどのセリフと心内語の量。
空気感で訴えかけるあだち作品などとは、全く正反対の作品。
セリフや振る舞いに溶け込ませた伏線もすごい。

内容は、徹底的に救いが無く、難解な話。
(雪山の極限状態のなかでの殺人。必死の隠蔽。どうにかその場を切り抜けるも、罪を背負い孤立していく心…やがて養子の誘いを受け、安定した生活を得られても、その傷は消えない。そんな自分たちが、裁判で暴行罪を裁くという滑稽さ。果たせぬ目論見にすれ違う心…)
けれど、決して暗い作品ではない。彼らの言葉には、報われない結果ややりきれない現実の中でも、前向きに生きようという意志が感じられる。
「光へ向かって行くんだ!影をひきずってでも」
「消えてしまいそうに感じる時は、生きることの意味の有無なんか問うな。もし無意味だと思ってしまったら本当に消えてしまうだろうから」
心に突き刺さる言葉の数々。僕らが現実世界であれこれ思い悩むようなことから哲学的なものまで様々だ。

しかし、これらは魅力であり短所でもある。
小説が苦手な人、漫画をサクッと読みたい人などには不向き。あまりに文字数が多く、例え活字慣れしていても、重く濃い内容なので、読むのに根気がいるから(終盤1ページ丸々文だったり)。
そしてこの作品、子供のころの感性で、大人並みの語彙力・読解力を必要とする。4人組の幼少から青年になるまでのこの物語を読み解くと、その本質はあくまで少年期の苦悩・葛藤がテーマ。BSマンガ夜話で「今読むと恥ずかしい」と馬鹿にしてファンの恨みを買ったそうだけど、少年時代の思いが強い人でないとほとんど楽しめないのかもしれない。

はまれば漫画どころか映画や小説を含めたすべての作品の中で自分の一番の宝物になる、ともいわれるほど。その支持者は何も読み手だけでなく、書き手、すなわち漫画家にも多数。
田村由美→最も影響を受けたとか。田村作品の心理描写の原点はココ。
くらもちふさこ→作中登場するほど
他、川原泉、市川ジュンなど。

エヴァの心理描写をもっと深くした感じのこの作品、一気読みは無謀。是非少しずつ噛みしめながら味わってみてください。


<2010年9月更新、【文庫版全6巻所持】、以下読んだ方向け>
賛否両論な締め方について(オクトパス・ガーデンは難解すぎるので置いておき…)
守られる側の存在であったマックスとサーニンは、救いがない結末ながらも前向きな姿勢を見せています。
問題はアンジーとグレアムですが、グレアムが雪山事件を暴露したので、何らかの決着をみるはず。そしてアンジーもすれ違いの原因は雪山事件だから、グレアムとの関係に決着がつくはず。
年齢的に青年となる二人。その二人の枷は、少年期最大の負の遺産「雪山事件」。この決着によってこそ、彼らは初めて少年から青年になれるのだろう。
彼らがどんな形で青年になるかはわからないけれど、ジャックたちは彼らを見捨てたりしないはず。ならば彼らは今後も養子として暮らしていくわけで、決してもうはみだしっ子などではない。
そう、はみだしっ子としての物語は、すべて描かれきっているのだ。
これが彼らの激動の少年期を描いた物語ならば、確かに完結した、と自分は思っています。

ナイスレビュー: 0

[投稿:2010-08-05 16:12:44] [修正:2010-10-13 00:01:14] [このレビューのURL]

10点 7SEEDS

(2010年8月更新、【既刊18巻まで所持】)
先読み不可能、サバイバル漫画最高峰!
圧倒的なリアリティと面白さに驚嘆。完結を待つことなく自分の中で自信をもって満点を付けれる作品。

この作品から感じたこと。それは「アリとキリギリス」に対する反論、もしくはアンチテーゼのようなもの。
「アリとキリギリス」
食糧の集めやすい夏の間に、アリの集団は冬への備蓄のためせっせとひたすら働き、キリギリスはのんびりと音楽に興じる。そして冬が来て、備蓄のあるアリたちは生き延びることができるが、キリギリスは食糧を見つけられず、アリに頼んでも分けてもらえず、死んでしまう。そんなお話(地域により詳細は違うかもしれないが、大体こんな感じ)。

この話を読み聞かせた後、大人は決まって「アリさんが正しい。アリさんを見習って生きなさい」と言う。
確かにアリさんは正しい。
皆で分担して、生きるために必要なことだけを、計画的に機械的に行う。特にサバイバルという状況においては「アリさん」であることが求められるのだろう。だからこそ教師たちは、優秀な夏のAチームを作り上げた。アリさんの象徴のような夏のAを。理論的には何も間違ってないのかもしれない。(そのやり方は問題だらけだが)

では現実に、夏のAチームこそが正しく、理想的な人間像なのだろうか?
14巻で安吾とハルが言い争うシーン。
スポーツも音楽も、暇な人間のやることだ、必要ない、という安吾に対し、ハルは言う。
「じゃあどうして、戦時下でピアノを弾くのさ。絵を描きながら飢え死にするのさ。内戦のさなか、歌を歌うのさ。ボールを蹴るのさ。人として生きていくためじゃないか」

生きるためだけに生きるAチームは、人さえも簡単に殺してしまう。感染の疑いがあれば迷わず撃つ。邪魔になるなら迷わず構える。
彼らは生きるための「生き物」としては正しい。けど、きっと「人間」としては正しくない。
「人間」として正しい姿は、アリでもキリギリスでもない。

夏のAとBの姿は、比較すれば一目瞭然、アリとキリギリスそのものだ。Aがアリの象徴だとすれば、まぎれもなくBはキリギリスの象徴。貯蓄も船の管理もしっかり行わず、遊ぶBチーム。絶望的な世界でも、常に明るい夏のB。機械のように、生きるための活動だけをするAとは全く対照的だ。
夏のBの明るく元気で活き活きとした姿からは、ただアリのように機械的に働く日々からは得られない「人間らしさ」が感じられる。

「人間」として正しい姿、それはアリでもあり、キリギリスでもあることなのかもしれない。
だから、田村先生なら、「アリとキリギリス」をきっとこう子供たちに教えるだろう。
「アリさんは偉くない。アリさんはキリギリスさんと共に生きるべきだった。そうすればアリさんは、ただ働くことしか知らない日々の中で、楽しさを感じる方法をキリギリスさんから教えてもらえた。キリギリスさんは、アリさんに仕事を分けてもらって、生きることができた。お互いが成長できたんだよ。」
人間はアリでもキリギリスでもない。だからこそ、「共存」し、「成長」しあうことができるのだ。夏のチームは、AとBが共に手を取り合って初めて、人間として最高のチームになりえるのだろう。


この物語の主人公はナツだと信じている。嵐でも花でもなく、他の突出した長所をもった魅力的なキャラ達でもなく、暗くてダメダメなナツ。何故か?
死の世界で生きていくのに、アリのような優秀さも、キリギリスのような明るさもいらないから。
知らなければ教わればいい。一人でできなければ協力すればいい。
そう、これはナツの成長譚。「成長」を武器に、ナツでさえ、地獄のような世界で生きていく力を身につけてゆける。
そんなメッセージが込められた作品だと思うから、自分の中ではナツが主役なのだ。(もしくは、自分がナツ並にダメダメな人間だから震災後のような地獄の世界でも希望をもって生きられるようそう思いたいのかもしれないが…)


暗く残酷な話だけれど、どのチームも「人間らしく」生きようと成長していく姿が読んでいて非常に心地よい。秋だって成長できたのだから、夏Aもできるはず。田村先生曰く、ラストは考えてあるからいつでも終わらせられるとのことだが、いつまでもみていたいような、みんなで手を取り合って暮らすENDが早くみたいような…

ナイスレビュー: 2

[投稿:2010-03-12 22:12:47] [修正:2010-08-24 16:45:39] [このレビューのURL]

祝!連載再開ーーーーーーーー!!!!!!!!!!!!!!!!!!

うぅ…全く…休載を叩かれて低評価されたりしてきましたが…それも去年まで!もう「休むな」とか「まじめに仕事しろ」とか言われないで!

これもひとえに、FANが根強く待っていたからこそだと思う。
そしてセーラームーンの作者であり妻の武内さんの支えのおかげ。
ハードル上げに上げてしまったキメラアント編だが、冨樫先生のがんばりに期待したい!

本っっっ当に最高の年始めだ!ww


それはさておきレビューっすね。。

内容はハンター試験もキルア家も天空闘技場もほんとにいい!
カストロ対ヒソカは、これから始まる頭脳戦込みバトルの序章、地味だけど好き。
旅団編は本当にすごかった。頭脳戦、占い、バトル、全部好き!
G・I編はちょっと世界観になれるまで時間がかかったかな。世界観の完成度は高いけど、修行メインで失速した感があった。
キメラアント編は、物語の集大成的な位置づけになってきてますね。とりあえず旅団メンバー+カルトの能力がわかっただけでも良かったw

他のレビューワーさんも言ってたけど、冨樫先生はG・I編で終わらせるつもりだったんだと思う。キメラアント編は編集部による引き延ばし、だからボイコット的に休載したんじゃないかな?
バクマンでも抗議の際は作家はボイコットだったし、意外と伏線だったのかもw
幽遊白書のときにも編集部と揉めたらしく、仲が悪いのは確か。
本人の希望する月刊アフタヌーンに移ってくれるといいのに。集英社は一度手に入れた逸材を離さないからなぁ、ほんと。

画については、これから読む人が注意するほど悪くないと思います。
別にFANだから、最近の作画を甘やかしているつもりはありません、ただ作画で作品を評価することは僕自身はしませんし、言うほど酷いものではないかと。(もちろんジャンプでの作画は酷いですがw)

好きすぎて誉めっぱなしですが、一つだけ…
ゴンが…主人公が好きになれないっ。。。
これは今のジャンプ全般に対して感じるのですが、主人公に魅かれない。ルフィも一護もトリコもアゲハも。ナルトなんか特に。
何でだろう…ルックス的な要素もあるんだろうけど。正義漢・熱血漢すぎるのは少年漫画だからしょうがないとして、たぶん毒がなさすぎてギャグも言わないからだろう。まっすぐすぎて人間味に欠けると言うか。
あと脇役・敵役に魅力的なキャラが多いことも、相対的に主人公の魅力を下げているのかも。
でも、最近の蟻編でピトーに対する激情を見て、私怨に駆られて行動するゴンに人間味を覚えた。感情移入もできるようになったし問題解決!髪伸び過ぎでもおkだよ!

結論:最高の漫画だっ!!


(2010年7月更新、【雑誌で読んでても全巻所持】、以下ネタバレ注意)

また休載してしまったわけですが、連載再開時に「今年は休載しないようできる限り頑張ります」って言ってたから、この漫画の魅力を振り返りながら信じて待つことにします。

少年漫画らしく力任せに、そうかと思えば卓越した頭脳戦・心理戦を展開し絶妙な「駆け引き」を堪能させてくれるこの作品。それだけでも心の底からぞくぞくしちゃうのですが、個人的に他の少年漫画と決定的に違うところは、キャラがいつ・どのタイミングで退場するか全くわからないところだと思います。

どんなに魅力的なキャラであろうが、あっさり退場させてしまう潔さ。
パクノダの最期は確か小学生の時でしたが、みんな相当嘆いてました(最近だとピトーか…)。
味方キャラは敵の圧倒的な力の前にあっけなく去り、敵キャラは登場時にはおよそ見当がつかないほど感情移入できるまで魅力的になったタイミングで去る。死に場所として最高のところを与えてくれるわけではなく、むしろ「えっ、こんなところで?」と思ってしまう程で、志半ばであらがえない不条理な力の前に倒れる(作中で心残りなく、安らかな顔して死んでいったキャラっていたかなぁ。ネテロ?)。
パワーインフレは戦闘の単純化を招く要因になりがちですが、この作品では念能力という相性も重要になってくるバトルシステムでそこをカバーしながら、どうあがいても埋められない絶望的な力の差を演出することで現実の「無情さ・不条理」を表す材料として効果的に使われていると思います。
特に蟻編ではそれが顕著。

キャラに対する愛情が強すぎてストーリーにも影響を与えてしまう作品、キャラの人気に応じて話を作ったり媚びたりする作品が蔓延してきた今の少年漫画界では間違いなく異質の作品。
これが大人でも楽しめる要因の一つだと思います。

ナイスレビュー: 6

[投稿:2010-01-05 01:34:09] [修正:2010-07-22 06:07:13] [このレビューのURL]

こんなにも「完璧」な主人公が他にいたでしょうか?

普通、漫画の主人公はダメダメだったり一般人だったり、優れていても欠点をもつものです(例えば井上雄彦先生も、主人公には必ず一つ欠点をもたせて描くそうです)。そしてそうした主人公が、努力や修行をして強くなるのが、漫画のセオリーでありヒットの方程式なのだと思います。

ナウシカは、苦悩も葛藤もしますし、絶対的な強さをもっているわけではありませんが、間違いなく「完璧」という形容がふさわしいキャラクターです。1巻の果たしあいでは憎しみに支配されますが、それ以降は深い慈愛の精神・様々な道具を使いこなす知性・力・圧倒的なカリスマ性を備えた、モーセやジャンヌのような預言者的な才覚を発揮します。

この物語を読んで、もっと努力や修行のシーンが欲しいと思う読者はいないでしょう。それは、この物語が主人公の成長譚ではなく世界を知る冒険譚であるからであり、また、主人公の成長を楽しむものではなく主人公の完璧さを楽しむ漫画だからです。ナウシカの強さ・優しさ・思考は、僕らが一度は夢見る「完璧な人間」の理想像だと思います。特にその優しさには、癒され、心温まります。敵も蟲も動物も、腐海さえも愛するその包容力は、母性からくるのでしょう。青年誌には珍しい女性主人公なのもそのためで、全ての生物に対する母親としての優しさが、心地よい温かさを読者にくれるのです。
そもそも武力解決をしようとしないナウシカが、戦う力を求めて修行や努力をする必要がないですしね。

ナウシカの魅力を最大限に引き出している、緻密で完成された世界観も魅力です。国家関係、歴史、メーベを始めとした飛行機械、人間にとって毒ながら実は人類を救うための腐海、腐海を守る蟲…複雑ながら矛盾のない、リアリティとメルヘンとSFを含んだ世界。最近は作品の世界観を作中で全ては教えてくれない漫画が多いですが、この作品ではほぼ100%見せてくれているのも嬉しいところです。

ナウシカの最後の選択は、様々な経験に裏付けられたとはいえ独断であり、人間にとって正しいことだったのかわかりません。ハッピーエンドのように見えて、その後が描かれていないのが怖いです。ナウシカの選択が間違ったものであれば、人類は滅び、ナウシカの力は魔女のそれと変わらなくなります。圧倒的なカリスマ性が、人々を盲信的にさせたかのごとく。逆に正しければ、ナウシカは英雄として扱われます。独裁者と英雄は紙一重なんですね。
ただ、ナウシカの選択が善でも悪でも、ナウシカの人間性は紛れもなく善である。この作品の重要なところはそこなので、その後を描かないあのENDは秀逸だったと思います。

この作品を知らない人は、まず映画版を見ることを勧めます。漫画からだと、映画を楽しめなくなるかと。
映画を見た方は、原作であるこれをぜひ読んでみてください。画が苦手でも、紙質が嫌でも、内容についていけなくとも、シリアスさに耐えられなくとも、ただナウシカの優しさに触れるだけで、この作品を読む価値があると思います。

ナイスレビュー: 10

[投稿:2010-02-20 12:19:42] [修正:2010-06-20 13:50:46] [このレビューのURL]

刻の大地と並んで、幼いころの思い出の作品。
漫画好きへのきっかけの一つです。

ほのぼのとした画は明らか大人向けじゃないけど、これが夜麻先生の魅力!
癒されますよー

ジャンルはRPGもの。ドラクエ3世代の先生はもろに影響を受けたらしいです。
主人公一行は最初から強いwまぁバトルがメインじゃないし、この設定あってのテーマ性なんで。
魔物=絶対悪と考えない主人公イリア。強さも性格もナウシカみたいだけど、子供っぽいところが多く、物事を大きく見てるわけではないので、ナウシカの子供版って感じかなぁw

刻の大地と違ってちゃんと完結してます!そしてラストはものすごく感動します!終わり方は刻の大地へ繋がるようになっていますのであしからず。3巻と読みやすいので、夜麻ワールド入門にはぴったりです!

勧善懲悪ものに飽きてしまった方、どこか懐かしさを感じたい方などにお薦めします!

ナイスレビュー: 1

[投稿:2009-12-22 02:53:06] [修正:2010-02-18 17:21:35] [このレビューのURL]

9点 NEW GAME!

[ネタバレあり]

4巻50話に泣いた。

自分も入社時は、未熟なプログラマーだった。
最初のPJで組んだ先輩は、八神コウのような有名人ではなかったけれど、
コードの中には独自の美学があり、自分のことを大事に育ててくれた。
その人を尊敬したし、感謝もしたし、何より、この人と一緒に仕事をしたいと思うようになった。

月日が経ち、自分も成長し、今、その先輩と同じ立場でPJを任されている。
憧れの人と肩を並べて仕事ができた。目標の達成だ。
けれど目標とは際限なく更新される。
先輩を超えたい。
今なら超えられるじゃないか。
そう思って以来、惜しみなく技術を注ぎ込んでくれて昼食もよく共にする先輩に、YESではなくNOも言うようになり、意見や議論もするようになった......


青葉は友達と約束した美大を蹴って、憧れの人・八神コウを追う夢をもった(5巻)
入社して八神に育ててもらい(1,2巻 <- アニメ化部分)
憧れの先輩の下で働くという夢を実らせた。
そして新作・PECOの開発時には、青葉のデザインがメイン候補に選ばれる(3巻)
自分ではなく後輩のデザインが採用され、八つ当たるコウ。
その後コウの方から歩み寄るのだが、コウは決して謝らないのが良い。
心のどこかで悔しさを押し殺しているのがわかる。

最終的には、メインデザインは二人ですることになる。
つまり、青葉は憧れの先輩と同じ土俵で働くようになる。
けれど、宣伝用キービジュアルをかけて、出来レースのデザイン対決が行われる(4巻50話)

自分と先輩の評価はまだ先だが、
青葉とコウの決着はついている。
全力で挑んだイラストをコウに見てもらった後の、コウのイラストを見た青葉の描き方が素晴らしい。
憧れの人の全力に静かに感動し、そして、涙する。
行間には圧倒的な実力差への、納得と悔しさがある。


蛇足だが、「はたらくって青春だ」というキャッチフレーズは、非年功序列で既婚者が少ない職場に限り当てはまるものだと思う。

また、第30回横溝正史ミステリ大賞の選評で馳星周が「善人しか登場しない作品は瑕だ」と述べていたが、
会社においては例え善人しかいなくとも、競争が働く以上は嫉妬や不安が生まれるものだと感じさせられた。

ちなみに、Unityやenchant.jsなどのエンジンに頼らず、C++から頑張るねねを応援してます。

ナイスレビュー: 1

[投稿:2016-09-27 10:03:38] [修正:2016-09-27 10:03:38] [このレビューのURL]

本格ミステリ好きとしては、今でも外せない推理漫画の傑作



読者が真似しないように、と配慮された愛すべきバカミス(←馬鹿じゃないよ)

コナン君、よくも毎回こんな(とんでも)トリック、恥ずかしげもなく推理できるなぁ


黒の組織が絡んだ回は最高にテンション上がります。
青山先生のロリショタ絵も年々パワーアップ中。ネタの続く限りどこまでもついて行きます!

ナイスレビュー: 0

[投稿:2009-12-17 22:31:48] [修正:2013-04-26 07:19:30] [このレビューのURL]

地震予知ロボット:ピッピ
人の形を模して造られたそのロボットは、あらゆるデータを基に地震の発生を予測する。
データを直接脳に取り込むだけでなく、自らの行動から情報を得るためにも、彼の発明者の一人息子・タミオと遊ぶことはピッピには大事な習慣だ。
長くタミオと過ごしてきたピッピは、タミオが病気で余命1年あまりだと知る。しかし自我のない彼にとってタミオはあくまで一人の人間に過ぎず、特別な感情も抱くはずがなかった。
そう、1年を待たずしてタミオがピッピの目の前で事故死するまでは…

そしてピッピは沈黙する。己に生じたバグを取り除くために
そしてピッピは計算する。「タミオ」という、「人」という方程式を解くために…
そしてピッピは目を覚ます。タミオを0と1の世界へ分解し、自我を得て
そしてピッピは扇動する。地震予知以外の情報を解禁させるために
そしてピッピは進化する。あらゆる情報を取り入れて、彼は地震どころか人類の未来さえも占ってしまう
地震の「予言者」であったピッピは、人類を救うか、はたまた滅亡へ導く「預言者」へとなってしまったのだった…

「鉄腕アトム」を発端に、最近のSFではロボットが自我を持っているのが当たり前だ。ロボットには人並みの感性や心があるのか、を焦点に、ロボットに対する倫理を問う作品が多い。
しかしこの作品ではその前の状態、つまりロボットは自我を持つべきか、持って良いのか?が一つのテーマとして作中激しく議論されている。
人間以上の情報記憶力・収集力・演算力をもつロボットが自我を持つことで起きうる問題。
自我を持たないうちは、演算結果の予測や未来を、人間の判断で利用できる。確率が高くとも絶対はありえないから、その結果を用いなくたっていい。自我を持たないうちは、予知もロボットも「道具」として使えるのだ。
しかし自我を持てば、ロボットが全てを判断し始める。次々と未来を計算し、合理性を前面に押し出した判断には反論できない。人はそれに従う他なく、与えられた未来を生きねばならない。先が見えるということは、その結果に向かってしか行動できないということでもある。そう、本作のテーマは、ラプラスの悪魔、いわゆる「決定論」の真偽へ至ってゆくのだ。

ギャグ出身の地下沢先生の朗らかな画のおかげで堅苦しさを感じないが、雰囲気やノリはどこかシュールである。
預言者となったピッピが、人類をどこへ導くのか…人を救いたいと言うピッピとは裏腹に疑似人格のタミオはせせら笑うばかりで、全く予想できない。次巻以降も目が離せない恐ろしい作品だ。

(追記 2巻読了 点数8→9へ)
正直、ここまでの作品とは思いませんでした。10点は完結後につけさせていただきます。
ラプラスの悪魔なんてハイゼンベルクが不確定性原理を打ち出してとうに消えてしまった過去の遺物ですし、「どうせ最後は流行りの量子力学で解決すんだろ?」って冷めた見方もしてたんです。
量子力学ももう、大学の授業で習えるし定性的なことなら啓蒙本で誰でも理解できる。SFではもちろん、最近じゃゲーム(シュタゲなど)やラノベ(紫色のクオリアあたり)でも盛んに取り入れられているし、一体何番煎じなのか?そんな風にしか予想できませんでした。
2巻。最初もまだ「猿の惑星?」でしたが…

「ピレネーの城」とあの腕

鳥肌もんでした。
これはマジもんの傑作になると信じております。

ナイスレビュー: 1

[投稿:2010-07-03 04:40:30] [修正:2011-10-27 02:40:57] [このレビューのURL]

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