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総レビュー数: 258レビュー(全て表示) 最終投稿: 2007年06月29日

星の王子さまといえば言わずと知れたフランス児童文学の名作。私も小学校の頃何度も何度も繰り返し読んでいた。この星の王子さまやミヒャエル・エンデのモモ、はてしない物語なんかがこの頃の私のお気に入りの海外小説だったことを思い出して、少し懐かしくなる。

数年前に日本では版権が切れたということで、色んな出版社から星の王子さまが訳者やタイトルを微妙に変えて刊行されている。そんな中に漫画もいくつかあったのだけれども、残念ながら質が高い作品とは言えなかった。
今回のバンドデシネ版はどうかというと、そもそもまだフランスでは版権が切れていないわけで、絵も話も考え抜かれ、練り上げられた上での刊行、まさに原作者の遺族も認める世界で唯一の公式コミックというのにふさわしい仕上がりとなっている。

BD化の執筆を任されたジョアン・スファールはバンド・デシネ界でも若手のホープの一人で、映画監督もこなす人。
私は「JAPON」で彼の日本を風刺した奇妙な短編を読んだ時は、正直そんなに印象に残っていなかった。で、今回改めて彼の作品に触れてみて…おい、JAPONの時は本気出してなかったな笑。というかスクイテンもだけれど、白黒だと普段カラーで絵を描いている作家の真髄は見れないのかもしれない。

スファールが描く王子さまはサン=テグジュペリの挿絵に見られる細身で儚げな王子さまとは一風違う。目は大きく見開かれ、活発で好奇心豊かな男の子。
王子さまが訪れる様々な星の住人もスファールの解釈によって読むまでは想像もしえなかった奇妙な姿に描かれる。でもそれらは決して突飛ではなくて、彼が考え抜いた結果出来上がったもの。だから最初は驚いても、その後は深く納得するしかないのだ。

よくよく考えてみると、フランス生まれの星の王子さまがフランスのアーティスティックな、そして絵本よりの感性を持ったBD作家によって描かれる、とこれ以上のものはないわけで。
実際出来上がったものを見れば、最高の作品だと理解できるだろう。ジョアン・スファールの仕事は素晴らしいし、何より相性がぴったりだった。

ちなみに私が星の王子さまを読んだのは小学校の時以来10年ぶりくらいになる。
当時私は少し不思議なファンタジーとして、この作品を読んでいたのだけど、大人になってみると180度変わってしまったことに気付かされる。以前私は王子さまの、子どもの側にいた。でも今の私は大事なものを失ってしまった者であって、王子さまが奇妙に思う“大人”の一員になってしまった。
しかしその物語は今も昔も私の胸を打ち、別れの場面では涙がこぼれる。ひしひしと伝わってくるのは“つながり”の大切さ。

子どもが強く惹きつけられる世界を持ち、大人が無視することができない声がある。今だからこそ、星の王子さまが名作とされる理由が理解できる。

「ものは心で見る。肝心なことは目では見えない」

キツネの言葉は昔読んだものとはほんの少しだけ変わって、でも同じくらい私の心に突き刺さる。

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[投稿:2011-12-01 01:39:04] [修正:2011-12-02 21:00:11] [このレビューのURL]

「凪渡り ― 及びその他の短篇」は高浜寛の短編集。エロい短編集。

高浜寛はラヴ・ストーリーの描き手として、ちょっと他に似た人がいない。
漫画におけるラヴ・ストーリー、その大多数は恋に夢見る少女漫画的なもので、なかなかアダルトな恋愛を見せてくれる作品は少ない。数少ないそれらでさえ質の高いものは限られていて、少女漫画の延長線上にあるものがほとんどだ。
高浜寛のラヴ・ストーリーを見ても甘酸っぱくはならない。アダルトな、成熟されたものに甘酸っぱさなんてあるはずもなくて、代わりにため息が出る。

私が気に入っている手塚治虫の言葉に次のようなものがある。

「君たち、漫画から漫画の勉強するのはやめなさい。一流の映画をみろ、一流の音楽を聞け、一流の芝居を見ろ、一流の本を読め。そして、それから自分の世界を作れ。」

近頃の多くの作家が似たように感じられるのはやっぱり漫画から漫画の勉強してんだろうなという気はする。ジョジョがいくらおもしろいとは言ってもこれほどまでにその劣化コピーが多いというのも私がそう思う要因の一つなのだけれども。

そんな中で荒木飛呂彦はもちろん、高浜寛はまさに手塚治虫の言葉を実践してきた作家の一人。
荒木飛呂彦は日本の漫画に加えて洋画(特にホラーやB級)やバンド・デシネが大好きな人だし、高浜寛は漫画より文学の影響が大きいとのこと。ちなみに彼女が漫画で一番影響を受けたのはジョジョらしいのだけれど、しかもその影響を受けた所というのが鼻の描き方というから、まあ推して知るべし。そのジョジョだってどこかの1話しか読んでないらしいしね。でも確かにジョジョの鼻はチャーミング笑。

高浜寛は好きな作家にレイモンド・チャンドラーや大江健三郎を挙げている。作中には百年の孤独の名前が見られたりもする。
そのような他の漫画家とかなり違った成分で高浜寛という作家は出来ている。だからこそ彼女は手塚治虫の言う確固とした“自分の世界”を作れている稀有な作家であり、人間の“滑稽”、つまり人間の素顔を描くことにおいて他の漫画家と比肩できない。というか漫画家でこれを描けている人がそもそも高浜寛以外にいない、残念なことに。

この短編集において高浜寛の視線は“エロ”に向けられているのだけれども、そのエロさだって大人のエロさということ。少年誌や青年誌でよく見られるような扇情的な、あざといエロさとは全く違う。
まず絵が素晴らしい。こんな色気のあるタッチで描ける人を私はこの人くらいしか知らない。光の処理の上手さから生まれる白黒とは思えない豊かな色彩や構図の独特さも相まってこの人の絵は何気ない表情がそれだけでエロい。それだけでエロいのにこの短編集では直接的なシーンがたっぷりあるわけで、まあ尋常じゃないエロさ。しかも高浜寛の描く女性の裸って、この人しか描けないものなんだよなぁ。女性ゆえだろうか、映画で女優のベッドシーンを見ているみたいというか、とにかくエロい。

絵もエロければ話もエロい。
この短編集では総じて物事がうまくいっていない抑圧された状態の男女が描かれる。高浜寛はそんな人々の心が凪いだ瞬間、そして心と心が繋がった瞬間を巧みに捉える。少女と中年男が、不倫が原因で男と別れた女性と彼女がエッチする音を隣の部屋で盗み聞きしていた男が、彼らはほんの一瞬だけ繋がる。高浜寛が描く女性の裸はもちろんエロいけど、心の裸をも少しだけ見せてくれる。
そう、高浜寛の作品がお洒落で終わらない所は、その物語が現実を切り取っているから。絵がエロいだけじゃないんだよ、人間を描いているからこそエロいのだ。

甘酸っぱい恋なんて今までいっぱい読んできた。少年の、少女の気持ちを思い出すのもいいけれど、大人ならこんなアダルトな作品を読んでもいい。今までラヴ・ストーリーが苦手だと思っていた人、世界が変わりますよ?
こんなにエロいなんて言葉を使ったことはないし、これから使うこともないだろう。それくらいエロい、エロくて切なくて、ぐっとくる短編集。

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[投稿:2011-11-27 02:50:22] [修正:2011-12-02 20:59:11] [このレビューのURL]

ちょっと違う。色んな意味で。

簡単に言うと草サッカーチームで天皇杯に出ようというお話。最近だと「修羅の門異伝 ふでかげ」もそんな話だし、まあよくあるストーリー。
ただ中身は相当違った切り口から攻め込んでいて、それがフットボールネーション(サッカー先進国)というタイトルにも表れている。要はサッカー先進国になるのに日本は何が足りないかという運動科学面から見た薀蓄マンガの側面を強く押し出している。で、何が足りないかというと基本的にインナーマッスル。

こういう薀蓄マンガ自体あまり好みではないのだけれども、そもそもサッカーとの食い合わせが著しく悪いように思える。っていうかメインに持ってくるのはさすがにやりすぎ。
というのも物語に説得力を与える部分にフットボールネーションはその独自の運動科学論を使用しているのだけれども、それが本当かどうか私達には分からないわけで。へぇー、と感じる部分もあるにしろそこをメインにやるなら論文なり文献なりできちんとデータを取って科学的に証明された正式な記事を読ませてくれる方が多分おもしろい。

だってここを鍛えているから試合に勝てるんだよって言われても…いやそういう側面もあるかもしれんけど、サッカーってそれだけじゃないだろと思ってしまうわけで。
一巻冒頭で日本に足りないのは名監督や戦術、ファンタジスタではなくて世界基準のフィジカルとセンスだ!的なことを言っていたのでやりたいことは分かる。でもどうも理論だけが先行しているようでね。

この物語でインナーマッスル云々ってやっぱりスパイスに過ぎないと思うのよ。でもそのスパイスがメインを食いつぶしているというかメインになっちゃっているという違和感があって。
例えばORANGEはスパイスのかけ方がめちゃくちゃ巧かった。種類は多様で量も絶妙、で、芯には一本太いのが通ってた。今まで薀蓄どうのこうのばかりについて書いてきたけど、それもフットボールネーションにはその芯が細すぎるからこそ。物語は貧弱で、キャラクターの魅力も薄い。画力も足りていない。

けっこう前に古武術の技を利用したなんば走りで注目された高校か中学校のバスケ部があった。全国大会でもかなり良い成績を残していたと覚えている。
でもテレビが話すのはなんば走りのことばかり。いやいやその効果もあったかもしれないけれども、それだけで勝てると思うなよ、というのはほぼフットボールネーションに言いたいことと同じ。今考えると当人達もなんば走りばっかりがクローズアップされるの嫌じゃなかったのかなとふと思う。

もし運動科学論はスパイスじゃなくてメインだよ、と言うならオーレ!みたいに違った描き方があったのではないかと思わざるをえないし、この形が一番適しているとは思えない。

とまあかなり否定してしまったのだけれど、新しいことに挑戦しようとしている作者さんの姿勢は良いと思う。とか言ったらかなり上から目線だけれど、本当にそれは思う。
とりあえず物語の本筋にもう少しだけでも力を入れてもらえれば(そちらもきな臭そうな感じは既にしているけれども…)、個人的にはもう少し楽しく読めるかな。

ナイスレビュー: 2

[投稿:2011-11-29 09:41:53] [修正:2011-11-29 09:41:53] [このレビューのURL]

沙村広明の大迷作(もちろん褒め言葉)ハルシオン・ランチを読んでから、作中の台詞がすごく気になっていた。
「じじいのアップが絵になるのはオノナツメの漫画だけ・・・」

そうなのか、やたら最近名前を聞くオノナツメはそんなにいい感じにじじいを描ける人なんだ、そりゃ読まんとなぁなんて思っていたわけ。
で、読んだ。…沙村広明の言うとおり、じじいを描くスキルがやばい。

リストランテ・パラディーゾ(天国)はその名の通り、天国のようなレストランなのだけれど、誰にとって天国かというと間違いなく女性。女性が紳士に酔うレストラン。この漫画のターゲットも多分女性、でも男性でも十分楽しめる。

というのもここで言う天国は二種類あるから。
一つは既に述べたように紳士に酔うレストランということ。1巻という短い中で、オノナツメは容姿から中身まで多種多様の紳士を魅力的に描いている。しかしまじで名人芸だな。森薫なんかと同様に自らのフェティシズムを表現するのが巧みだからこその技。実際そうとは感じさせないけど上品なホストクラブみたいなもんだよねここ。

これだけだと女性限定になってしまうかもしれない。しかしここにはもう一つの天国がある。それは自分をみんなが見てくれているということ。自分が頑張っている部分を周りのみんなが見て、認めて、裏表なく応援してくれる。自分のすることで世界は少しでも動いていく。
こんな世界最高でしょ?、まあありえないから天国なのだけれども。

紳士に酔うという点では「娚の一生」もなかなかのものなのだけど、あれは現実を一緒に受け止めてくれる紳士への欲望漫画(と勝手に断定)だからまた色が異なる。そもそも娚の一生に関しては、その現実の書き方が好みではなかったわけで。

対してリストランテ・パラディーゾは現実を見つめていない。でも天国だからいいんだよ。
この漫画に救われる人はいないかもしれない、でもたまーに逃げ出したくなるときに読むとちょっとだけ心が癒される。

うん、これは良いじじい達と天国みたいなレストラン。沙村さん、紹介どもです。

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[投稿:2011-11-28 01:39:25] [修正:2011-11-28 01:39:25] [このレビューのURL]

コミックで読む文学。コミックでしか読めない文学。初めて読んだ時、こんなアメコミがあるのかと驚いた。
もちろんスピーゲルマンのマウスに代表されるオルタナティブコミックやプレスポップから刊行されているダニエル・クロウズの作品などヒーローもの以外にもアメリカには優れたコミックがたくさんあることは理解している。でもこれ程とはねぇ…。

「わたしはその日、冒険に乗り出したのだ。それはホメロスの『オデュッセイア』のごとく、エピソードごとに、少しずつ父親の本質に近づいていく旅であり、『オデュッセイア』と同じくらい壮大な冒険だった。」
ファン・ホームがどのような物語なのか、端的に説明している本文中の一節だ。

事故なのかそれとも自殺なのか、結局心から理解しあえぬまま亡くなってしまった父親。ある所では通じ合いながらも、すれ違い続けてきた父親。
著者アリソン・ベグダルが自分はレズビアンであると大学の図書館で気付いた時、ゲイであった父親の本質への探求は始まった。

ファン・ホームは7章から構成される。それぞれ異なるテーマに沿って、そして章が進むにつれてより深く父親と自分の真実に迫っていく。第3章では「グレート・ギャツビー」に父親を投影し、第4章では「失われた時を求めて」に著者と父親の姿を重ねる。
このように著者は上の二つやユリシーズを主とした文学を中心に、演劇やTV番組などまで非常に多くの作品と彼ら家族の姿を重ね合わせる。アリソン・ベクダルは文字通り、あらゆる角度から父親を、自分を映し出す。物語が進むごとに、幾重にも父親を囲んでいた壁は少しずつ少しずつ取り除かれていく。そして父親を見つめることはベグダル自身を見つめることでもあった。
ついに第7章で冒険者の旅は結実する。悲劇と喜劇、父親と娘、憎しみと後悔、ゲイとレズビアン…様々な道、交わらないと思っていた道はつながり、これまでも実はずっとつながっていたことが明らかになるのだ。

何といっても最後の1ページが良い。泣いて、感動に震えて、最高の体験だった。何度読んでも素晴らしい。
この作品を私がすごく気に入っているのは、全てが最後の1ページに集約されているのに、それが何であったか言葉には出来ないからなんだよなぁ。ベグダルが大胆な手法で丁寧に、静謐に家族の姿を描き出してきたからこそ最後の1ページは本物になって、かつ既存の言葉を超えた。
そして恐らく言葉を超えたものの表現というのはコミックが目指している所の一つだ。小説よりも絵で語れるコミックにはさして難しくないことに思えるかもしれない。しかしファン・ホームは“絵”とさらに色んな作品から借りた“言葉”、この二つを使って表現を押し上げた。文学だけでも、コミックだけでもたどり着けない所に。

ファン・ホームやアラン・ムーア作品、また高野文子の「黄色い本」なんかを読むとあまりに漫画は文字を嫌いすぎているように感じる。その流れを作ったのは手塚治虫だっただろうか。
色んな方向性があって、文字も、言葉も、一つの可能性なんだな、そう痛感させられる。

一つだけ残念なのはやはり引用される作品の多くを実際に触れたことはないということ。私が既読だったのは「グレート・ギャツビー」、「ライ麦畑で捕まえて」、「アダムス・ファミリー」くらいで、特に「失われた時を求めて」と「ユリシーズ」を読んでいればさらに理解は深まるのだろうなとは思った。
ただ作中でも「自分が『失われた時を求めて』を一生読むことはないと知って人は中年になる」なんて言われているようにそんな人は文学科の学生かよっぽどの文学愛好者くらいのもの。「グレート・ギャツビー」くらいは事前に読んでおいたら良いかもしれない。読んでなくても文脈で十分に分かりはするのだけれども。

しかしもう少し話題になっても良い気がするんだ。アメコミの中でもさらに文学好き向けと、門が狭いのかな。刊行された時期も不運だった。
ということで普段アメコミを読まない方でも、読書好き、文学好きには全力でおすすめ。似たようなことを試みている高野文子の「黄色い本」が好きな人なんかもぜひぜひ。小説含め、今年一番震えた文学だった。

最後に、この傑作を直接出版社に持ち込んでくださった翻訳者の椎名ゆかりさんとその正確な訳には心からお礼を言いたいです。ありがとうございます。
こんな作品を日本で読めたのはちょっとした奇跡。読まないのはもったいない自伝的ノンフィクション・コミックの傑作です。

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[投稿:2011-11-23 03:08:31] [修正:2011-11-24 00:07:24] [このレビューのURL]

三宅乱丈の短編集。この人ってつくづく多才な作家だわ。

うーん、すごいよなぁ。まさしくこの人にしか作れない。
三宅乱丈という漫画家はSFからキワモノまで色んなものを一級品で作れる人。このユーレイ窓にも47C6とユーレイ窓を代表とするホラーに始まってギャグ、ヒューマンドラマと多彩な短編が揃っている。

恐らくテーマを決めて書かれたのではなくて、数集まったからまとめとくか!みたいなノリで出来た短編集だと思う。良く言えば多彩、悪く言えばごちゃごちゃしてるってことで。
しかしおもしろいのが、てんでバラバラな短編のあつまりを逆手にとっての構成だったりする。

まず序盤のホラー作品群がすげぇ怖い。特に47C6なんて震える震える。漫画でこういう恐怖を感じるのは個人的にあまりなくて、それだけでも満足なんだけど、その後の短編へのつなぎ方がちょっと尋常じゃない。
ある短編で驚くほどすぱっと切り替わる。しかも短編同士の間ではなくて短編の中で。途中までは完璧にホラーなのよ。実際すごくびくびくしながら読んでいて、それがいきなり曇り空に切れ目が入りまばゆい光が射したかのようにギャグになる。
素晴らしすぎるよ三宅先生…。とんでもない落差もあいまってめちゃくちゃ笑った。もはやシグルイ風にお美事と言いたくなる位の離れ業。前の短編を利用してのトリックなんて初めて見ましたよ。しかし狙ってんのかな? 分からない。

その後の作品も本能寺の変の新説やミント刑事などギャグ短編の傑作揃い。どちらも最高。そして最後は人間味あふれる温かい作品で締められる。
うーむ、序盤のホラーを考えるとありえない笑。しかしだからこそユーレイ窓は夜読むのにも良いんだよなぁ。怖いけれど、それが途中で笑いに変わり、最後は温かい気持ちになれる。気持ちよく眠れるわけ。悪夢なんて絶対見ない。

何かもう色々とすごい。単体としてももちろん、短編集としても。結果として出来上がったのはキワモノなんじゃないのかという気もしていて、三宅乱丈の様々な才能を楽しめる。
三宅乱丈入門にも良いだろうし、イムリやPETでその才能に驚愕した人にもおすすめしたい。こういう人を奇才って言うんだな。どこから出てきたか分からない天才。

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[投稿:2011-11-22 03:01:23] [修正:2011-11-22 03:01:23] [このレビューのURL]

高浜寛の第一作品集。

高浜寛は相当に異端な作家だと思う。ガロ出身というだけでもそうかもしれない。さらに最新作のトゥー・エスプレッソはフランスのカステルマン社に依頼されての作品で、フランスから日本に逆輸入されるという珍しい刊行のされ方をしていたりもする。海外では比較的知名度の高い日本人漫画家、にも関わらず日本での知名度は漫画好きの中でもあまり高くない。
かくいう私もJAPON(日本8名、仏9名の漫画家がそれぞれの日本を描いたアンソロジー)で初めて読んだわけで、あまりに露出が少なすぎやしないかい。ちなみにJAPONを読んだ後すぐに高浜寛の作品を買いあさったくらいにはこのJAPONの短編は衝撃的だった。

イエローバックスは高浜寛の第一作品集で、“滑稽”をテーマとした短編集ということ。滑稽というと笑える作品なのか?というとそんなことはない。
この作品における滑稽というのは生きている証のようなものだ。機械的に生きているならずれなんて生じないし、可笑しなことにはならない。飾る余裕がないほどに必死で生きているからこそ“滑稽”であり、そんな登場人物たちを笑えるはずもない。切なくて、哀しくて、ただただ彼らが愛おしくなる。

ここには色んな滑稽さがある。年老いてからの恋愛話を皮切りに綴られる八つの物語。心がほっこりしたり、気の毒に思ったり、ぎゅっと心が締め付けられたり、ひたすら応援したくなったり…。
高浜寛は他の作家の追随を許さないほど滑稽を描くのが上手い。そしてそれは今後の作品でも彼女の底に常に流れているように思う。だからこそ高浜寛のラブストーリーは他とは絶対的に違う。ここしかない一瞬を切り取っているというか、生きている感じがするのだ。

画力に関しては、初期作品群ということで、どうしても今よりは粗い。特に巻末の書き下ろしと比べると顕著に分かる。ただこの頃の絵も独自の味があって好きなんだよなぁ。というかそれを狙って粗くしている部分もあるからけっこう分かりにくいのだけれども。
光の取り入れ方はこの頃から巧みなので、初めて読んだ人は恐らく絵を見て驚くだろう。モノクロに思えないこの洒脱で叙情的な雰囲気に呑まれ、そしてそれだけではないことに気付く。

私が特に気に入っている話は老人の恋を描いた「最後の女たち」と恋人同士の心中ごっこ「あそこに、美しい二つの太陽」。
「最後の女たち」は勇気だよ、ほろっときます。だって老人達がこんなに美しくてかっこいいんだから。冒頭のこの作品を見れば高浜寛がお洒落だけではないってことが分かる。お洒落だけど中身も他にないものが詰まっていることが分かる。
「あそこに、美しい二つの太陽」は傑作。滑稽、そして悲哀。堪能しました。

ということで高浜寛は全力でおすすめ。
彼女の今度の新連載はエロ雑誌でやるらしい。そんな状況になる意味が分からない、まじで。天才かは知らないけれど、これは二つとない才能だろうに…。読もう、いや読んであげてください。後悔はしないはず。

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[投稿:2011-11-16 01:32:39] [修正:2011-11-18 00:24:35] [このレビューのURL]

「マウス」で著名なアート・スピーゲルマンが描く9.11。

スピーゲルマンは9.11の時、世界貿易センタービルの近くにいたそうだ。
「マウス」で見せた人を動物として描く手法、寓意に満ちた物語、そして付録にもなっている黎明期のコミックストリップから引用した多彩な絵柄、これらの様々な技法が駆使されて、彼の見た当時のニューヨークとその後のアメリカの姿が描かれる。

最初はマウスのように客観性を突き詰める作品なのかと思っていた。もしかすると最初はそのつもりだったのかもしれない。しかしページが進むごとに筆者の心の傷と“置き換え”に代表されるような政府(特にブッシュ)への怒りが内からほとばしってきて、読んでいてどうにもくらくらした。
それでも最低限の客観性が保たれていたのはやはり上で挙げた技法ゆえだろうか。明らかに本物ではないものを使って事件を描くことで、真実が捻じ曲げられることは防がれる。

正直に言うと私には9.11についてはニュースで知っている以上の知識はあまりなくて、でもだからこそ読んで良かった。スピーゲルマンがアメリカ国民を代表しているとは思わない。しかし少なくとも一人の生の声を聞き、日本メディアの画一的な視点以外から9.11を見ることも出来た。
そして事件を体験した人の万分の一かそれ以下であろうとも、これは本当に起こったことなのだという実感があった。

今さら…と思われる人もいるかもしれないけれど、読むのに遅すぎる時はないと思う。上で述べたことに少しでも価値があると感じた人はぜひ。
ただ厚い紙でフルカラーとはいえ値段があれなので、お金に余裕がない人は図書館など覗いてみるといいかもしれない。この作品を出した出版社は素晴らしいと思うが、40ページで4000円はちょっとなぁ…。

点数をつけれる作品ではないので仮に6点で。

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[投稿:2011-11-18 00:22:06] [修正:2011-11-18 00:22:06] [このレビューのURL]

このような邪道と形容されそうな野球漫画というと、思いつくのはやはりワンナウツだろうか。
しかしグラゼニに関して言えば、実は一番地に足がついている気がする。エースでも一流の打者でもないプロ野球選手としてぎりぎりの位置にいる選手を主人公とする発想…確かに野球漫画としては王道ではないかもしれない。ただプロにいる選手の多くはそういう立場であって、業界漫画としては至極まっとうだ。

「グラウンドには銭が埋まっている」
スパイダースに所属する凡田夏之介は、希少な左サイドスローという特殊性とコントロールの良さを武器とする八年目の中継ぎ投手。地味な立場である彼の年俸は1800万円という26歳という全盛期の選手としては微妙な金額で、プロを引退してからのことを考えると不安もよぎる。一軍で与えられた仕事をこなし、年俸を少しでも上げるために夏之介は必死で投げる。

とにかく話の角度がおもしろい。こんな方向から見た野球をあったのね、という。
主人公が絶対的な選手ではないからか、その視点だって自然と小市民的になる。よってライバルに勝つとか絶対優勝するとかそういう話になるはずもない。年俸、外国人選手、中継ぎ投手と先発投手の違い、グラゼニはプロ野球という現実の職場に身を置く者の話だ。全てが何というか見に染みる。選手の価値で年俸が決まるプロ野球の厳しさ、これは紛うことなき仕事なんだよなぁ。当然ながら食うためにプレイしているわけで。
特にセカンドキャリアの話なんてJリーグではようやく話題になり始めたものの、プロ野球でさえこれなんだから夢も希望もあったものじゃない。例えあったとしてもピラミッドの頂点の人間だけのものなのだろう。

しかし熱さがないかというと、そんなこともなくて、日々プロとして生き抜くために知恵と体を振り絞って投げる夏之介は全力で応援したくなる。
ただやっぱりプロ野球を見て興奮する熱さとは少し異なる。英雄を見て興奮するのではなく、自分と同じように何とか現実を生きているものとして憧れるとでも言えばいいか。

私としては夏之介の印象がほぼそのまんまこの作品の印象だったりする。大物にはなれそうにはないけれど、良い仕事をしている漫画。1番手ではないにしても、4番手5番手としてしっかり楽しませてくれる。
将来的にもモーニングの看板にはなれないかもしれないが、まずまずの位置は確保しているような、そんな漫画。

小粒ながら良品であることは保証します。夏之介が、そして作品自体も願わくば大投手にならんことを。まあ間違いなくそうはならないんだろうな笑。
ネタが切れた時が少し心配な作風ではあるものの、引き際は心得てんだろうなという信頼はある。

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[投稿:2011-11-15 01:56:26] [修正:2011-11-15 11:02:11] [このレビューのURL]

2巻が読めた喜びをかみ締めて。

イムリと並んで私が今一番楽しみにしているSFコミックがこの預言者ピッピ。名作となりえそうなSFを現在進行形で読めるというのはまた他のジャンルと違った喜びがある。何でだろうね、とにかく“今”読めることにわくわくする。

ピッピは世界中のコンピューターから情報が集められる地震予測ロボット。その予知はほぼ100%の可能性で的中し、多くの人を地震の被害から救っていた。
ピッピの親友であり、弟のような存在でもあるタミオは彼自身も知らない不治の難病で近い未来死ぬ運命にあった。しかし予想もしえない事故でタミオは亡くなってしまう。その時、ピッピの頭脳に変化が起こった。
地震から世界を、人類の未来を預言するロボットに…。ピッピの語る信じがたい預言は世界に何をもたらす?もしくはそれさえも預言の範疇なのだろうか?

サイバーパンクやハードSFももちろん大好きだけれども、シンプルな設定から色んな方向に深化していく物語を楽しむのもSFの醍醐味の一つだ。完全なる未来予知は何を生むのか、当初のテーマに収まりきれないものを現在この作品は獲得しているように思う。

預言者ピッピにこれぞSF!という程の装飾はない。そのガジェットだって既視感ありありのものなのに唯一無二の物語に仕上がっているわけで、オリジナリティがあるのは道具ではなくてその使用法の方だろう。
預言者ピッピはSFの厳選された素材を存分に堪能させてくれる。読みやすく、そして何より味わい深い。

正直2巻が刊行される時、猿の惑星:創世記と似たような展開になるんじゃないかと一抹の不安を感じていた。実際には全くの杞憂に過ぎなかったということで、私の浅はかな不安を軽々と飛び越してくれた。話はさらに混迷を深め、どこに帰結するのかさっぱり予想も出来ない。オカルティックな要素さえ完全にSFの範疇に収めてくれるという確信はあっても不安はない。ただただわくわくしている。
そう、結局SFに一番求めているものってわくわくなんだなと預言者ピッピを読むと本当に思う。科学に、それが生み出すものと未来に、未来に生きる人間に惹きつけられて物語から目を離すことは出来ない。

自分で考えて行動できる人間でいたい。そんな望みさえ幻想だとしたら…本当に怖いと思いませんか?
もし自分であったらどんなことを考え、行動するのか。いや、そもそも考えることが、行動することができるのか。これはやっぱり“今”読むべきSFだと思う。いつ出るとも知れない3巻に期待して、この希代のSFとは気長に付き合っていくつもりです。

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[投稿:2011-11-13 20:17:51] [修正:2011-11-13 20:17:51] [このレビューのURL]